アマテラスの力を継ぐ者【第一記】

モンキー書房

文字の大きさ
60 / 73
章第三「化物坂、蟷螂坂」

(十五) 智といへども大きに迷ふ

しおりを挟む
 まだ日没まで仕事は残ってるが、酒盛りでも始まるんじゃないかという勢いで、境内けいだいから、狂喜乱舞の声が漏れ聞こえている。大炊寮おおいりょうの隣りにある御稲町みしねまちのなかで、彩は軽食を済ませた。腹はまったくいていなかったが、天照大神の手料理を味わえる機会もないので、ありがたく相伴にあずかる。


保食命うけもちのみこと。このあと、お時間よろしいですか」


 彩は菊理媛神くくりひめのかみに呼ばれ、あとをついていった。向かった先は六合院りくごういんの奥、太一殿たいちでんにある執務室。部屋のなかには、一台の机が出入口のほうに向いてえられ、そこには天照大神あまてらすおおみかみが座っている。書類一枚一枚に目をとおし、署名捺印なついんをしていく。読み終えたものを机の端に寄せていくが、積んでいったそばから、御杖代みつえしろの女性が新しい書類を運んでくるので、キリがない。別の御杖代が、湯呑ゆのみ茶碗を彩のもとへ置いていく。天照大神からすすめられるがまま、彩は部屋の隅にあるイスへ腰かけるが、機密情報も多かろうに、六卿むはしらのまえつきみでもない自分がここにいていいのだろうか、と心配になった。


「きょう、泊まっていきますよね?」「はい……お邪魔でなければ」


 机から目を上げた天照大神は、曇りひとつない瞳を彩へ向けてくる。依代よりしろがないのであれば、受持稲荷神社へ帰っても稲穂を見守ることができない。することがないのなら、迷惑とはわかりつつ頼らざるを得なかった。彩の意に反して、天照大神の表情は輝く。「それはよかった! 宮子みやこさん、後照殿こうしょうでんのお掃除をお願いします」


 宮子さんと呼ばれた御杖代が「はい、ただいま」と音もたてずに去っていく。後照殿は通常、御杖代や大宮売神おおみやのめのかみ滝祭神たきまつりのかみなどの、側仕そばづかえが使用する殿舎だ。彩は、丁重に断るべく申し出る。


「いえ、そのような立派なところじゃなくても。豚小屋とかで、じゅうぶんなので」「ここに豚はいませんよ?」「あの、うん、まあ。そうですけど。そういう意味ではなく」「なんなら、清陽殿せいようでんで一緒に寝ますか」「それはさすがにおそれ多いです!」


 清陽殿は、天照大神が休憩をする殿舎だ。その二択なら、不服ながらも後照殿を受け入れるしかない。彩はイスに座りなおす。ふたりきりになったからか、天照大神が満面の笑みを見せてくる。DVDが入った数枚のトールケースを手に持ち、子どものように純真な眼差まなざしを向けてきた。それは、彩がここを最後に訪れたとき土産みやげとしてあげたものである。


「十年前に借りた、この映画、とても面白かったです」「気に入ってもらえたのなら、よかったです。あ、でも、きょうは……新しいの持ってくるのを忘れました」「いえ、いいんです。来るとは思っていませんでしたから。葦原中国あしはらのなかつくにでの話、聞かせていただけますか」


 仕事をしながらですみません、と天照大神は机に目を落としたまま、彩のほうへ耳を傾ける。生まれてから高天原たかまのはらを出たことのない天照大神にとって、きっと、どんな内容だとしても興味深いものになるだろう。


「わかりました。なにから話しましょう」


 彩は深くうなずき、そこからふたりは、世間話に花を咲かせた。昭義あきよしの葬式以来、ろくすっぽ顔を出さなくなってはいたが、だいたいのことは定例報告で伝えている。五瀬家・受持家の記録は、高天原でも管理しているはずだ。聞き覚えがあるであろう内容を、なるべく定例報告ではなかったような、情感たっぷりの描写で話して聞かせた。机へ向かったまま、ときどき天照大神は質問する。それらに答えつつ、彩はのどを潤すために茶をすすった。


 かれこれ三十分が経ち、両面宿儺りょうめんすくな茨木童子いばらきどうじが立て続けに現れたことへ話題が及ぶ。彩は「すみません」と正式に謝罪する。両面宿儺と茨木童子に負けてしまった件も含め、十年間の懺悔ざんげをいちいち並べ立てていった。「天照大神の勅命もろくに守れず、依代よりしろを壊してしまって……」


「終わりよければナンとやら、と言いますし、被害を出さずに済んだのなら、面目も大義も、考えるのはめにしませんか。過ぎにしかたを悔やんでも、起きてしまったことは変わりません。むしろ、悔やんで悔やんで悔やんだからこそ、あなたは命を譲って、五瀬家をまもろうとしているのでしょう? その気持ちだけで、じゅうぶんですよ」天照大神の言葉に、伏し目がちになって、彩は「はい」と小さく頷いた。天照大神は、彩のほうを真っすぐに見つめる。「あなたは、本当に優しいのですね。我々が代々、最も信頼をおく神の一柱ひとはしらなのも納得です。これからも、五瀬家のことをよろしくお願いします」


 微笑ほほえみを浮かべた天照大神の、その表情は、二〇〇〇年前のを彷彿とさせる。「優しい? あたしが? それは現在の意味で?」


 聞き間違いかと思い、彩はしばし茫然とした。天照大神は続ける。「優しさにも、いろいろな種類があると思います。保食さんは、稲穂あの子が巻き込まれないよう、気をつかってくれているのですよね。上善じょうぜんは水のごとし、と言って、他者と争わず、低い位置にとどまっているのも優しさですし、あまり干渉せず、成りきに身を任せるのも優しさかもしれません。ことわざに『魚をって与えるのではなく、延縄漁はえなわりょうの仕方を教えよ』みたいなものもありますし、寄りう優しさもあるでしょう?」


「なんですか、それ」


 彩の知らない、初めて聞く言葉である。『論語ろんご』にある「つりしてこうせず」のような意味合いだろうか。天照大神は照れたように舌を出す。「あ、間違えました。『魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ』でした。魚を与えれば一日は食いつなげられるけれども、釣り方を教えれば一生食いはぐれることはない、という意味の老子ろうしの言葉ですよね、たしか」


「初めて聞きました。よい言葉ですね」彩は静かに、首を横に振る。「しかし、天照大神のような強さがなければ、世のなか、優しいだけではままなりません」


 彩は、自分の弱さを知っている。天照大神は、そんな弱い彩をも優しく包み込んでくれた。「強さにも、さまざまな種類があると思います。『孫子そんし』には『百戦百勝は、善の善なる者にはあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり』とありますし、『老子』にも『く敵に勝つ者はともにせず』とあります。武力だけが、強さではないと思うのです」


 天照大神は手をパンっと叩く。「ともかく、保食さんがそんなに反省する必要はないです。不惑ふわくにも満たないわたくしなんて、悔いの残る日々を繰り返し送っているのですから」


 彩は少しだけ、勇気をもらえた気がした。高天原たかまのはらはまだ明るかったが、地上では日暮れの差し迫った時刻となっていた。後照殿へ向かうために執務室を出るとき、御杖代のひとりが案内役を買って出る。なかに後照殿や清陽殿がある神垣かみがきの前まできたとき、掃除を頼まれていた御杖代・宮子が息せき切って走ってくるのを視認する。伝話でんわの子機をたずさえていた宮子が告げた。「弥兵衛さまという方から」


「は? 弥兵衛?」彩が面食らいつつも子機を受け取って耳へあてがうと、慌てた様子の弥兵衛の声が聞こえてくる。どうやら稲穂が受持稲荷神社彩の家にきているらしい。経緯がわからずに「ちょっと待って。市兵衛も一緒にいるの?」とき返したが、弥兵衛にもよくわからない様子だった。「待ってて、すぐ行くから」


 彩は子機を宮子に返して、さらにきびすを返して境内を出ていく。向かった先は、高天原へくる際に通ってきた大鳥居である。自身がまつられている神社への帰路につく神々を何柱か追い越し、彩は大鳥居へと急いだ。受付に立ち寄る時間も惜しく感じたが、あとで文句を言われるのも厄介なので、退出の記帳を済ませる。そうして、天八重雲あめのやえたなぐもを押し分けて地上を目指した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜

平明神
ファンタジー
 ユーゴ・タカトー。  それは、女神の「推し」になった男。  見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。  彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。  彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。  その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!  女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!  さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?  英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───  なんでもありの異世界アベンジャーズ!  女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕! ※不定期更新。最低週1回は投稿出来るように頑張ります。 ※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。

軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います

こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!=== ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。 でも別に最強なんて目指さない。 それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。 フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。 これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。

唯一無二のマスタースキルで攻略する異世界譚~17歳に若返った俺が辿るもう一つの人生~

専攻有理
ファンタジー
31歳の事務員、椿井翼はある日信号無視の車に轢かれ、目が覚めると17歳の頃の肉体に戻った状態で異世界にいた。 ただ、導いてくれる女神などは現れず、なぜ自分が異世界にいるのかその理由もわからぬまま椿井はツヴァイという名前で異世界で出会った少女達と共にモンスター退治を始めることになった。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

処理中です...