歌姫探偵

モンキー書房

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第一曲「さえずりサンライズ」

1Aメロ

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 東京都の最東端に位置する江戸川区の中でも、東葛西ひがしかさいは江戸川を挟んで千葉県に隣接している。
 江戸川区内で最も人口が多く、駅前を中心に住宅街として発展してきた東葛西だが、ほかの地域に比べて人口密度は極めて低いようだった。


 音無おとなし探偵事務所は、この閑静な住宅街の一角に、ひっそりと佇んでいる。
 大きな看板はなく、ドアのところに小さく表札がかかっているだけで、見る人が見ればわかるという程度。
 目的もなしにぷらっと入る人など皆無だ。しかし、それでも音無春香はるかは満足だった。
 依頼が持ち込まれることは少なくないし、小さいなりに繁盛していると思う。


 そしていまも、朝の七時という早い時間だが、接客の最中であった。
 春香の目の前にいる女性は、落ち着かない様子で部屋中を見回している。
 年齢は二十三歳で、短くまとめられた髪はボサボサだった。
 メイクは薄くしていたが、服装には気を使っていないのか、家着のようなカジュアルな装いにカーディガンを羽織っている。
 他人のことは言えないが、二十代にしては地味な服装に思えた。


「どうぞ」


 促されるまま女性は椅子に座り、テーブルを挟んだ向かいに据えられた椅子に、春香も腰を下ろした。
 女性と会ったのは初めてだが、電話で何度も話したことがあり、おおよその依頼内容も把握していた。
 音無探偵事務所も他の探偵社同様、調査に必要な時間や費用について、無料で見積もりを行っている。
 女性の名前は宮内奈々みやうちななだ。


「お願いしたものを、お持ちになりましたか?」


 そう訊くと、女性は思い出したかのように頷く。慌ててバッグの中をまさぐって、ひとつのファイルを取り出した。
 それはどうやらアルバムのようで、何ページかめくって奈々は一枚の写真を指さす。


「この人が夫です」


 春香はアルバムを覗き込む。その写真には、ひとりの男性が写っていた。年齢は奈々と同じか少し上くらい。
 爽やかな笑顔は、優しそうな好青年の印象を与える。春香はアルバムを手に取ってページを繰った。
 別の写真を見てみると、寄り添う男性と奈々が幸せそうに微笑んでいる。
 いま目の前にいる奈々との対比を考えると、男性の身長は一八〇センチを超えているのではないだろうか。


「名前は智春ともはるです。四年前に結婚しました」


 奈々はそう言って、左手薬指にはめた結婚指輪を見せた。男性が奈々の夫であることは、ほぼ間違いないだろう。
【探偵業の業務の適正化に関する法律】の第九条には、調査結果が違法行為や犯罪行為のために用いられることを知った場合は、探偵業務を行ってはいけないことになっている。
 つまり、関係者を装って身元調査を依頼するケースもあるため、探偵はそれらを見抜く目を養う必要がある。


 アルバムの次のページには、大きなリボンを頭につけた可愛らしい女の子が、着ぐるみとハグする写真があった。
 春香はたずねる。「こちらのお子さんは……?」


「ああ、娘です。今年で三歳になります」


 どことなく、ふたりの面影がある。奈々と智春、両方のいいところだけが遺伝したかのようだった。
 実情はわからないが、これらの写真を見る限り、幸せそうな家庭に思える。


 春香は奈々に訊ねた。「浮気を疑っていらっしゃるとのことでしたが、なにか気になる点でも?」


「……はい」神妙な面持ちで頷く。「夫のスマホなんですけど」


 ああ、やっぱりか、と春香は思った。携帯電話が原因で、浮気が発覚するケースはよくある。
 探偵業を一年してきて、浮気調査の依頼がたびたび舞い込んでくると、否が応でもパターンというものには気がつく。


「いままでは置きっぱなしだったんですけど、最近はトイレやお風呂に入るときも持ち歩くようになって……」
 きっと、夫のことを信じたい気持ちも入り混じった、複雑な心境なのだろう。
 うつむいたままスカートをぎゅっと握って、奈々はつけ加えた。
「しかも電話が鳴ったとき、夫は『出なくていい人だから』って言って電話を切ったんです……」


 いまにも泣き出しそうな奈々を気遣うように、春香は静かな声音で尋ねる。


「スマホに電話がかかってきたとき、あなたは画面をご覧になりましたか」


「あ、はい……女性の名前でした」


 スマホはガラケーと違って、受信や着信があったとき、画面に相手の名前が大きく表示される。
 これがバレる原因のひとつに数えられる。


「それと、昨日のことなんですけど」と前置きをして、奈々は再び口を開いた。
「オリヴァーランドのチケットを買ったみたいなんです」


 オリヴァーランドといえば、さっきアルバムに載っていた女の子とハグしていた、着ぐるみがトレードマークになっているテーマパークだ。


 バッグの中からスマホを取り出し、少し操作したあとテーブルに置く。
 そこに写し出された画像は、【オリヴァーeチケット 1デーパスポート 大人】と大書された、A4サイズのコピー用紙だった。
 購入者氏名は、宮内智春様。入園日および指定パークは、ご来園当日にお選びください、と書かれていた。
 有効期限は、購入から一年。確かに日付を見る限り、昨日購入したものに間違いない。


「これがプリンターに挟まっていて、見つけたことがバレないように、こっそり撮ったんです」


 スマホの画面を覗き込み、顎に手を当てたまま首を傾げる。春香は尋ねた。「これがなにか?」


「付き合いたての頃から、わたしも夫もオリヴァーランドが好きで、よくデートのときに行っていたんですけど……」
 スマホをスクロールして、奈々は別の画像を出して見せる。そこには、カップルが満面の笑みで写っていた。
 キャラクターの描かれた名刺大のチケットを、ふたりは顔の近くに持ってきている。
「思い出に残るし、日記にも貼りつけやすいので、普段は配送チケットを購入するんです。だけど、今回に限って……」


 オリヴァーチケットをオンラインで購入する場合、配送チケットとeチケットの二種類がある。
 あらかじめネットで購入することによって、当日は販売窓口に並ばず楽に入ることが可能だ。


 配送チケットのサイズは名刺ほどで、持ち歩くのにかさばらず、デザイン性も高く使用後は記念にとっておける。
 しかし、来園の一週間前まで購入しなくてはならず、購入後は変更もできない。おまけに送料がかかる。
 それに引き換え、eチケットは来園前日までに購入でき、オンラインでの変更も手軽にできる。
 しかし、プリンターを必要とするため、スマホでの購入はできない。しかも、クレジットカードでの支払いのみだ。


 スマホをスクロールして、奈々は次の画像を表示させる。
 そこには、同じeチケットが二枚、プリンターに挟まっていた。ほんのわずかにずらして、撮りやすいようにしてある。


「バレないように、撮ったあとは、もとに戻しておきました。ずっと昨日は、知らないフリをしていたんです……」


 なるほど。愛人と密会でもするのではないか、と奈々は勘ぐっているわけだ。


 話を聞いているうち、ひとつの考えに至った。春香は静かに告げる。


「普段は配送チケットということでしたが。奥さんとは別の誰かと一緒に行くのであれば、バレないためにも『eチケット』という手段は選びにくいのではないでしょうか?」


「じゃあ、なんで……?」


「メリットを考えた場合、やはり『来園直前まで購入すればよい』というのが大きいと思います」


「つ、つまり? 夫は一週間以内にオリヴァーランドに行くと?」


「はい。あくまでも可能性の話ですが、今日この瞬間に出かけている恐れも充分にあります」


 なぜ夫の智春は、ふたり分のチケットを購入したのか。いったい誰と行くつもりなのだろうか。


 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
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