病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します

元婚約者に仕返し

セフィーナに厳しい言葉を浴びせられたアルディンの脳裏には、伯爵家当主の父と母の怒声が響いていた。

『愚息が！　幼馴染のリーシャ嬢なんかに溺れて、我が家を破滅させる気か！』

『取引先は次々と手を引き、借金の返済も滞っているのですよ！　ああ、私の宝石も、ドレスも、すべて差し押さえられてしまうのですね……』

『いいか、アルディン。何をしてでも、セフィーナ嬢の許しを乞え。グラディウス家の支援を取り付けろ。もし、それができなければ……我が家は取り潰しだ。そしてお前は勘当。奴隷にでもなって、己の愚かさを一生後悔しながら生きるがいい！」

父はアルディンの胸ぐらを掴み、最後の通告を突きつけた。母はその場で泣き崩れ、その嘆きがアルディンの罪悪感を深く抉る。奴隷――その言葉が、現実味を帯びて頭の中に浮かぶ。華やかな貴族社会から追放され、名もなき者として生きる。その未来は、死よりも恐ろしかった。

脳裏に、リーシャの儚い笑顔が浮かぶ。病弱な彼女を守ることが、自分の使命だと信じて疑わなかった。彼女の我儘を笑って許し、彼女の涙を拭うためなら何だってした。それが、セフィーナをどれだけ傷つけているかに気づかないまま。

（今は家族を、家を救わなければならない。そのためなら、どんな屈辱にも耐えよう）

アルディンは、プライドも何もかも捨てて、その場に膝をついた。

「セフィーナ！　本当に、すまなかった！　君を深く傷つけたことを、心から謝罪する。どうか、許してほしい」

床に額をこすりつけ、必死に許しを乞う。しかし、セフィーナから返ってきたのは、ため息まじりの冷たい声だった。

「許す？　あなたのその言葉で、私の十年が返ってくるのかしら」
「返す！　これからは、君だけを生涯大切にすると誓う！　だから、どうか……」
「もう遅いわ。私がシャール殿下と婚約したこと、あなたも知っているでしょう？」

セフィーナは素っ気なく応じる。こんな男に対して冷たいのは当然だろう。セフィーナは、すでにシャール王子と婚約している。アルディンは、そのニュースに衝撃を受けたのだ。

「あなたの心には、いつだってリーシャ様がいた。私は、ただの便利な婚約者に過ぎなかった。その事実に、もううんざりしたの」

アルディンはそれでも諦めきれず、藁にもすがる思いで口を開いた。

「どうすれば……どうすれば、君は許してくれるんだ？　何でもする。どんなことでも！」

セフィーナはしばらく黙り込んでいたが、やがて嘲るような笑みを浮かべた。

「そうね。では、リーシャ様が、私の前で心から謝罪をするのなら、あるいは許す可能性くらいは、私がお父様に伯爵家の支援を進言してあげてもいいかもしれないわ」

その言葉に、アルディンの顔に一瞬、希望の光が差した。リーシャを説得すれば、まだ道は残されているのかもしれない。だが、その淡い期待は、セフィーナの次の一言で無慈悲に打ち砕かれた。

「……もっとも、あの我儘で感情的、そして負けず嫌いな性格のリーシャ様が、私に頭を下げるとでも？」

彼女の目は、すべてを見透かしていた。

（そうだ、リーシャが誰かに謝る姿など、想像もできない）

セフィーナは、アルディンに不可能な課題を突きつけ、それを楽しんでいるのだ。彼の謝罪は、彼女の心を溶かすどころか、さらに固く凍らせてしまっただけだった。