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第1話
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結婚式まで、あと二ヶ月。
白いカーテンが朝の光にふわりと揺れ、私の心もふわふわと浮かれていた。鏡の前で、静かに髪を撫でるように整えながら、自然と緩んでしまう頬を両手でぱちんと叩く。だめだめ、まだ結婚したわけじゃないのに。にやけすぎ。
「大神官フレッド様の妻、か……」
マリア・フォン・アルンハイム伯爵令嬢から、大神官夫人へ。その響きに、まだ少しだけくすぐったさを感じてしまうのは、夢が現実になった実感が、まだ私の心に追いついていないからかもしれない。
だって、あのフレッド様だ。民からの信頼も厚く、清廉潔白で、神に仕える身でありながら誰にでも分け隔てなく微笑みかける、慈愛に満ちた人。そんな彼が、数多いる令嬢の中から私を選んでくれたのだ。
『君の瞳を見ていると、心が洗われるようだ。マリア、私のそばにいてくれないか』
神殿の薔薇園で、夕陽に照らされながらそう告げられた日のことを、私は一生忘れないだろう。彼の少しかすれた真摯な声。私の手を取った、ごつごつとして、けれど温かい手。思い出すだけで、胸がきゅんと音を立てる。
けれど。
「最近、会えてないな……」
そう、ぽつりとつぶやいた声は、思っていたよりもずっと寂しげに部屋の空気に溶けていった。
フレッド様は忙しい。大神官という立場は、この信仰深い国において王侯貴族にも匹敵する重責を担う。神殿の務めが立て込んでいるのは当たり前のことだし、私との逢瀬より、民の祈りを優先する方こそ、真に尊敬される聖職者なのだと、頭ではちゃんとわかっている。
うん、わかっている、はず。
初めて会ったのも、神殿が主催する慈善市だった。貴族の子弟も手伝いをするのが慣わしで、私も父に言われて売り子として参加していた。慣れない仕事に失敗ばかりで、売り物のジャムの瓶をひっくり返してしまった私を、誰もが遠巻きに見ているだけだったとき。さっと現れて、静かに後片付けを手伝ってくれたのがフレッド様だった。
『大丈夫かい、お嬢さん。怪我は?』
『だ、大丈夫です! ごめんなさい……』
『気にする必要はないよ。誰にだって失敗はある。さあ、新しい布巾を持ってきたから、一緒に片付けよう』
彼の微笑みは、まるで春の陽だまりのようだった。その日から、私の心はすっかり彼に奪われてしまったのだ。
交際が始まってからも、彼はいつも穏やかで優しかった。デートといえば、華やかな夜会よりも、神殿の庭でハーブティーを飲みながら静かに語り合うような、そんなささやかな時間ばかり。
ある日、私が『たまには街へお出かけとか……してみたい、ですか?』なんておずおずと尋ねると、彼は少し困ったように眉を下げて、私の手を握った。
『すまない、マリア。私はどうも、ああいう華やかな場所は苦手でね。それに、君といると、この静かな時間こそが何よりの宝物だと感じるんだ。君の素朴な魅力に触れると、神殿での慌ただしい毎日も忘れられるよ』
そんなことを言われたら、もう何も言えなくなる。むしろ、この人の特別になれているんだって、胸がいっぱいになった。私の素朴さを愛してくれる。着飾った他の令嬢たちにはない、私だけの価値を認めてくれた。そう、信じていた。
だから、今のこの寂しさも、大神官の妻になるための試練みたいなもの。そう自分に言い聞かせる。
それでも……ねえ、もう少しだけ。ほんの少しだけ、私のことも見ていてほしいの。大神官様じゃない、ただのフレッドとして、私の隣で笑っていてほしい。
そんなわがままな願いが、心の深いところで、微かな痛みが波紋のように広がった。
白いカーテンが朝の光にふわりと揺れ、私の心もふわふわと浮かれていた。鏡の前で、静かに髪を撫でるように整えながら、自然と緩んでしまう頬を両手でぱちんと叩く。だめだめ、まだ結婚したわけじゃないのに。にやけすぎ。
「大神官フレッド様の妻、か……」
マリア・フォン・アルンハイム伯爵令嬢から、大神官夫人へ。その響きに、まだ少しだけくすぐったさを感じてしまうのは、夢が現実になった実感が、まだ私の心に追いついていないからかもしれない。
だって、あのフレッド様だ。民からの信頼も厚く、清廉潔白で、神に仕える身でありながら誰にでも分け隔てなく微笑みかける、慈愛に満ちた人。そんな彼が、数多いる令嬢の中から私を選んでくれたのだ。
『君の瞳を見ていると、心が洗われるようだ。マリア、私のそばにいてくれないか』
神殿の薔薇園で、夕陽に照らされながらそう告げられた日のことを、私は一生忘れないだろう。彼の少しかすれた真摯な声。私の手を取った、ごつごつとして、けれど温かい手。思い出すだけで、胸がきゅんと音を立てる。
けれど。
「最近、会えてないな……」
そう、ぽつりとつぶやいた声は、思っていたよりもずっと寂しげに部屋の空気に溶けていった。
フレッド様は忙しい。大神官という立場は、この信仰深い国において王侯貴族にも匹敵する重責を担う。神殿の務めが立て込んでいるのは当たり前のことだし、私との逢瀬より、民の祈りを優先する方こそ、真に尊敬される聖職者なのだと、頭ではちゃんとわかっている。
うん、わかっている、はず。
初めて会ったのも、神殿が主催する慈善市だった。貴族の子弟も手伝いをするのが慣わしで、私も父に言われて売り子として参加していた。慣れない仕事に失敗ばかりで、売り物のジャムの瓶をひっくり返してしまった私を、誰もが遠巻きに見ているだけだったとき。さっと現れて、静かに後片付けを手伝ってくれたのがフレッド様だった。
『大丈夫かい、お嬢さん。怪我は?』
『だ、大丈夫です! ごめんなさい……』
『気にする必要はないよ。誰にだって失敗はある。さあ、新しい布巾を持ってきたから、一緒に片付けよう』
彼の微笑みは、まるで春の陽だまりのようだった。その日から、私の心はすっかり彼に奪われてしまったのだ。
交際が始まってからも、彼はいつも穏やかで優しかった。デートといえば、華やかな夜会よりも、神殿の庭でハーブティーを飲みながら静かに語り合うような、そんなささやかな時間ばかり。
ある日、私が『たまには街へお出かけとか……してみたい、ですか?』なんておずおずと尋ねると、彼は少し困ったように眉を下げて、私の手を握った。
『すまない、マリア。私はどうも、ああいう華やかな場所は苦手でね。それに、君といると、この静かな時間こそが何よりの宝物だと感じるんだ。君の素朴な魅力に触れると、神殿での慌ただしい毎日も忘れられるよ』
そんなことを言われたら、もう何も言えなくなる。むしろ、この人の特別になれているんだって、胸がいっぱいになった。私の素朴さを愛してくれる。着飾った他の令嬢たちにはない、私だけの価値を認めてくれた。そう、信じていた。
だから、今のこの寂しさも、大神官の妻になるための試練みたいなもの。そう自分に言い聞かせる。
それでも……ねえ、もう少しだけ。ほんの少しだけ、私のことも見ていてほしいの。大神官様じゃない、ただのフレッドとして、私の隣で笑っていてほしい。
そんなわがままな願いが、心の深いところで、微かな痛みが波紋のように広がった。
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