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第17話
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開始の合図と同時に、アナベルさんが動いた。速い!
彼女の手のひらから放たれた淡い緑色の魔力が、模擬患者の胸にある深い切り傷を包み込む。
「おおっ! さすがアナベル!」
「なんて速さだ! 一体目の治療、もう終わりそうだぞ!」
魅せられた観客たちが、思わず声を上げた。首席の実力は伊達じゃない。治療の光は力強く、迷いがない。
一方、私は。
とりあえず、私もアナベルさんと同じように、目の前の模擬患者を治療しなくちゃ。
ええと、この傷は……あら、結構深いのね。それに、骨にもひびが入ってるじゃない。おまけに、傷口の周りが少し化膿してる。これは、まず最初に膿を綺麗に取り除いてから、骨を繋いで、それから皮膚を再生させて……。
私の頭の中は、馴染みのレシピ本をめくるように、ごくごく当たり前の手順を組み立てていく。父様と母様から、口酸っぱく教えられた基本だ。
私の手のひらから、ふわりと、柔らかな光が溢れ出した。それは、アナベルさんのような力強い光じゃない。細くて、優美な、何百本もの絹糸のような光。その光の糸たちが、意思を持っているかのように、傷口の中へと潜り込んでいく。
「な……!?」
誰かが、息を呑む音が聞こえた。
私の光の糸は、化膿した部分だけを的確に選び出し、やがて光の粒となって空気に溶けていく。次に、ひびの入った骨を優しく包み込み、寸分の狂いもなく元の形へと繋ぎ合わせる。そして最後に、開いた皮膚を、熟達した技が流れるように布に息を吹き込むように、編み目が静かに重ねられていく。
治療の跡が、光のラインとして可視化されるこの試験。アナベルさんの光が、力任せに傷を塗りつぶしていくペンキだとしたら、私の光は、目に見えぬ図案に導かれるように編まれた繊細な光の織物だった、らしい。後から、オルフェウスが興奮気味にそう教えてくれた。
「一体目、完了……」
私がぽつりと呟いた時、アナベルさんはまだ、最初の一体に手こずっていた。
「うそ……だろ……?」
「今ので、終わり? 傷が跡形も、ない……」
観客のざわめきが、徐々に大きくなっていく。
二体目の模擬患者に表示されたのは、さらに複雑な症例だった。複数の臓器損傷に加え、呪いによる組織の壊死。これは、私の田舎町ではお目にかかれない厄介なパターンだ。
「くっ……!」
アナベルさんの手が、ここで初めて止まった。どこから手をつければいいのか、判断が追いつかないのだろう。彼女の額には、玉のような汗が浮かんでいる。
でも、私は迷わなかった。呪いの解呪と、臓器の修復、壊死部分の除去と再生。同時に、複数の術式を展開させるだけ。これも、母様が『どんな時も慌てないようにね』と、しつこく練習させてくれた応用の一つだ。
私の指先が、軽やかに宙を舞う。それに合わせて、何種類もの色とりどりの光の糸が生まれ、それぞれが的確な役割を果たしていく。
「なんだ、あれは……」
「複数の術式を、同時に、だと……!?」
「馬鹿な! あのレオナール様やアレリオ様でさえ、あの症例には五分以上かかっていたはずだ!」
「見てみろ! 三十秒も経っていないぞ!」
私の耳にも、反応の声が広がっていくのがわかった。え、そうなの? レオたちでも五分かかるの? じゃあ、父様と母様は一体何者だったんだろう……。
そんなことを考えていると、ふと、隣のアナベルさんの治療が目に入った。
「あら……」
彼女は、焦りのあまり、かなり強引な治療をしている。これじゃあ、治ったとしても後遺症が残ってしまう。
「そこの内出血、見落としてるわよ。そのまま塞いだら、後で大変なことになるわ。あと、その焼け跡の奥、このままだと感染の兆候が見えるのに……」
私の独り言のような指摘に、審査員役をしていた上級医療師たちが、ハッとした顔で模擬患者のデータを再確認し、そして絶句した。
「今の一瞬で完治した、だと!?」
「跡が……傷跡が、まったく残っていない!」
「魔力の消費量も、アナベルの十分の一以下だ……」
「こ、これは、神の御業だ……」
その頃にはもう、アナベルさんは完全に心が折れていた。
(な……なんて速さですの……? そもそも、次元が違う。私の知っている医療魔法じゃない……。このお方、本当に、人間なの……?)
彼女の瞳から、光が消えていく。プライドも、自信も、全てが粉々に砕け散った音が、聞こえたような気がした。
「この人は……本物、ですわ……。完、敗、です……」
か細い声でそう呟くと、アナベルさんの体は、糸が切れた人形のように、ゆっくりと傾いて……。
バタッ。
魔力切れと、精神的なショック。その両方だろう。彼女は、そのまま気を失ってしまった。
彼女の手のひらから放たれた淡い緑色の魔力が、模擬患者の胸にある深い切り傷を包み込む。
「おおっ! さすがアナベル!」
「なんて速さだ! 一体目の治療、もう終わりそうだぞ!」
魅せられた観客たちが、思わず声を上げた。首席の実力は伊達じゃない。治療の光は力強く、迷いがない。
一方、私は。
とりあえず、私もアナベルさんと同じように、目の前の模擬患者を治療しなくちゃ。
ええと、この傷は……あら、結構深いのね。それに、骨にもひびが入ってるじゃない。おまけに、傷口の周りが少し化膿してる。これは、まず最初に膿を綺麗に取り除いてから、骨を繋いで、それから皮膚を再生させて……。
私の頭の中は、馴染みのレシピ本をめくるように、ごくごく当たり前の手順を組み立てていく。父様と母様から、口酸っぱく教えられた基本だ。
私の手のひらから、ふわりと、柔らかな光が溢れ出した。それは、アナベルさんのような力強い光じゃない。細くて、優美な、何百本もの絹糸のような光。その光の糸たちが、意思を持っているかのように、傷口の中へと潜り込んでいく。
「な……!?」
誰かが、息を呑む音が聞こえた。
私の光の糸は、化膿した部分だけを的確に選び出し、やがて光の粒となって空気に溶けていく。次に、ひびの入った骨を優しく包み込み、寸分の狂いもなく元の形へと繋ぎ合わせる。そして最後に、開いた皮膚を、熟達した技が流れるように布に息を吹き込むように、編み目が静かに重ねられていく。
治療の跡が、光のラインとして可視化されるこの試験。アナベルさんの光が、力任せに傷を塗りつぶしていくペンキだとしたら、私の光は、目に見えぬ図案に導かれるように編まれた繊細な光の織物だった、らしい。後から、オルフェウスが興奮気味にそう教えてくれた。
「一体目、完了……」
私がぽつりと呟いた時、アナベルさんはまだ、最初の一体に手こずっていた。
「うそ……だろ……?」
「今ので、終わり? 傷が跡形も、ない……」
観客のざわめきが、徐々に大きくなっていく。
二体目の模擬患者に表示されたのは、さらに複雑な症例だった。複数の臓器損傷に加え、呪いによる組織の壊死。これは、私の田舎町ではお目にかかれない厄介なパターンだ。
「くっ……!」
アナベルさんの手が、ここで初めて止まった。どこから手をつければいいのか、判断が追いつかないのだろう。彼女の額には、玉のような汗が浮かんでいる。
でも、私は迷わなかった。呪いの解呪と、臓器の修復、壊死部分の除去と再生。同時に、複数の術式を展開させるだけ。これも、母様が『どんな時も慌てないようにね』と、しつこく練習させてくれた応用の一つだ。
私の指先が、軽やかに宙を舞う。それに合わせて、何種類もの色とりどりの光の糸が生まれ、それぞれが的確な役割を果たしていく。
「なんだ、あれは……」
「複数の術式を、同時に、だと……!?」
「馬鹿な! あのレオナール様やアレリオ様でさえ、あの症例には五分以上かかっていたはずだ!」
「見てみろ! 三十秒も経っていないぞ!」
私の耳にも、反応の声が広がっていくのがわかった。え、そうなの? レオたちでも五分かかるの? じゃあ、父様と母様は一体何者だったんだろう……。
そんなことを考えていると、ふと、隣のアナベルさんの治療が目に入った。
「あら……」
彼女は、焦りのあまり、かなり強引な治療をしている。これじゃあ、治ったとしても後遺症が残ってしまう。
「そこの内出血、見落としてるわよ。そのまま塞いだら、後で大変なことになるわ。あと、その焼け跡の奥、このままだと感染の兆候が見えるのに……」
私の独り言のような指摘に、審査員役をしていた上級医療師たちが、ハッとした顔で模擬患者のデータを再確認し、そして絶句した。
「今の一瞬で完治した、だと!?」
「跡が……傷跡が、まったく残っていない!」
「魔力の消費量も、アナベルの十分の一以下だ……」
「こ、これは、神の御業だ……」
その頃にはもう、アナベルさんは完全に心が折れていた。
(な……なんて速さですの……? そもそも、次元が違う。私の知っている医療魔法じゃない……。このお方、本当に、人間なの……?)
彼女の瞳から、光が消えていく。プライドも、自信も、全てが粉々に砕け散った音が、聞こえたような気がした。
「この人は……本物、ですわ……。完、敗、です……」
か細い声でそう呟くと、アナベルさんの体は、糸が切れた人形のように、ゆっくりと傾いて……。
バタッ。
魔力切れと、精神的なショック。その両方だろう。彼女は、そのまま気を失ってしまった。
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