19 / 29
第19話
しおりを挟む
セシリアが、かつての教え子レオナールに招かれ、王国直属の医療魔法師団で指南役に任じられてから、早くも一ヶ月が経った。田舎の医療魔法師が、王都の中心で名声を得るなど、誰が予想しただろう。
けれど、その快進撃は誰も止められなかった。
それというのも──
セシリアは、王太子エリアス殿下の命をじわじわと削っていた不治の病を、たった一度の術式で癒してしまったのだ。それは奇跡とも、神の御業ともたたえられ、瞬く間に彼女の名は王都中を駆け巡った。
だが、セシリアの目覚ましい活躍を、苦々しく思う者がひとりいた。
実の妹、ローラである。姉の婚約者だったエリオットを奪い、今や伯爵夫人として王都で贅沢のかぎりを尽くした日々を送っていた。
「……あの女さえいなければ」
屋敷の奥、厚いカーテンで日の光を閉ざした部屋で、ローラは深い怒りを燃やしていた。その声は低く湿っていて、誰かを呪うようだった。
机の上に並んだ香水瓶をなぎ払い、近くにいた侍女を怒鳴りつける。
「何度言えばわかるの!? このドレス、刺繍の位置が違うって言ってるでしょう!」
「も、申し訳ありません、奥様……っ」
「あいつなんて……消えてしまえばいいのに」
侍女の手は小刻みに震えていた。ローラは、聞きたくもない名前が耳に入るたびに、心を乱していた。ローラの目に浮かんでいたのは、単なる妬みではない。あれはもう、自分も他人も巻き込むような、危うい執念だった――
ぱりん、と甲高い音がした。
私が床に叩きつけたティーカップの、無惨な最後の悲鳴。白い陶器の破片が、小さな星たちがはじけたみたいに、艶やかな床にきらめいていた。
「またですか、奥様……」
侍女の呆れたような、それでいて怯えたような声が、やけに私の神経を逆撫でする。
うるさい。もう、本当にうっとうしいわ。
あんたなんかに、私の気持ちがわかってたまるものか。
「何か文句でもある?」
「い、いえ……奥様、滅相もございません」
怯えたように立ちすくむ侍女に目を向けて、私はなおも叫んだ。
「あいつの名前は出さないで!」
そう。元はと言えば、こいつらが悪いのだ。
ぺちゃくちゃと、聞きたくもない噂話に花を咲かせて。私の耳に入れて。私の心をかき乱して。
『セシリア様、すごいわね』
『王都中の噂ですもの。医療魔法師団の新しい指南役様』
『なんでも、誰も治せなかった第一王子の不治の病を、いとも簡単に治してしまわれたとか』
『まさに奇跡のお方ね』
――セシリア。
その名前を聞くたびに、胸の奥が煮え立つような思いがこみ上げてくる。
私の、姉。
いつも私の前を歩き、私の欲しいものをすべて、いとも簡単に手に入れていく女。
「いつまで私の邪魔をするの!」
ティーカップの次に何を投げつけてやろうかと部屋を見渡した時、がしりと腕を掴まれた。驚いて振り返ると、そこにいたのは愛しい旦那様。エリオット伯爵、その人だった。
「落ち着いて、ローラ! 君は悪くない!」
彼の焦ったような、でも優しい声が鼓膜を揺らす。
エリオット。私の、エリオット。
姉から奪い取った。唯一にして最高の戦利品。
「エリオット様……だって、あいつらが……」
「わかっている。だが、物に当たるのは感心しない。メイドたちも怖がっているだろう?」
彼は私の腕を掴んだまま、もう片方の手で侍女たちに下がれと合図する。彼女たちは、嵐が過ぎ去るのを待つ小動物みたいに、慌てて部屋から出ていった。
途端に、二人きりの静寂が訪れる。
エリオットは、私のめちゃくちゃなヒステリーを真正面から受け止めてくれる、唯一の人。
「すまない、皆。片付けは後で」
扉の向こうに聞こえるように彼が言うと、私はなんだか急に冷静になって、なんという愚かしい真似をしたのかと、自分を恥じて目を伏せた。
姉のことで頭に血が上って、またやってしまった。
最近、こればっかりだ。
けれど、その快進撃は誰も止められなかった。
それというのも──
セシリアは、王太子エリアス殿下の命をじわじわと削っていた不治の病を、たった一度の術式で癒してしまったのだ。それは奇跡とも、神の御業ともたたえられ、瞬く間に彼女の名は王都中を駆け巡った。
だが、セシリアの目覚ましい活躍を、苦々しく思う者がひとりいた。
実の妹、ローラである。姉の婚約者だったエリオットを奪い、今や伯爵夫人として王都で贅沢のかぎりを尽くした日々を送っていた。
「……あの女さえいなければ」
屋敷の奥、厚いカーテンで日の光を閉ざした部屋で、ローラは深い怒りを燃やしていた。その声は低く湿っていて、誰かを呪うようだった。
机の上に並んだ香水瓶をなぎ払い、近くにいた侍女を怒鳴りつける。
「何度言えばわかるの!? このドレス、刺繍の位置が違うって言ってるでしょう!」
「も、申し訳ありません、奥様……っ」
「あいつなんて……消えてしまえばいいのに」
侍女の手は小刻みに震えていた。ローラは、聞きたくもない名前が耳に入るたびに、心を乱していた。ローラの目に浮かんでいたのは、単なる妬みではない。あれはもう、自分も他人も巻き込むような、危うい執念だった――
ぱりん、と甲高い音がした。
私が床に叩きつけたティーカップの、無惨な最後の悲鳴。白い陶器の破片が、小さな星たちがはじけたみたいに、艶やかな床にきらめいていた。
「またですか、奥様……」
侍女の呆れたような、それでいて怯えたような声が、やけに私の神経を逆撫でする。
うるさい。もう、本当にうっとうしいわ。
あんたなんかに、私の気持ちがわかってたまるものか。
「何か文句でもある?」
「い、いえ……奥様、滅相もございません」
怯えたように立ちすくむ侍女に目を向けて、私はなおも叫んだ。
「あいつの名前は出さないで!」
そう。元はと言えば、こいつらが悪いのだ。
ぺちゃくちゃと、聞きたくもない噂話に花を咲かせて。私の耳に入れて。私の心をかき乱して。
『セシリア様、すごいわね』
『王都中の噂ですもの。医療魔法師団の新しい指南役様』
『なんでも、誰も治せなかった第一王子の不治の病を、いとも簡単に治してしまわれたとか』
『まさに奇跡のお方ね』
――セシリア。
その名前を聞くたびに、胸の奥が煮え立つような思いがこみ上げてくる。
私の、姉。
いつも私の前を歩き、私の欲しいものをすべて、いとも簡単に手に入れていく女。
「いつまで私の邪魔をするの!」
ティーカップの次に何を投げつけてやろうかと部屋を見渡した時、がしりと腕を掴まれた。驚いて振り返ると、そこにいたのは愛しい旦那様。エリオット伯爵、その人だった。
「落ち着いて、ローラ! 君は悪くない!」
彼の焦ったような、でも優しい声が鼓膜を揺らす。
エリオット。私の、エリオット。
姉から奪い取った。唯一にして最高の戦利品。
「エリオット様……だって、あいつらが……」
「わかっている。だが、物に当たるのは感心しない。メイドたちも怖がっているだろう?」
彼は私の腕を掴んだまま、もう片方の手で侍女たちに下がれと合図する。彼女たちは、嵐が過ぎ去るのを待つ小動物みたいに、慌てて部屋から出ていった。
途端に、二人きりの静寂が訪れる。
エリオットは、私のめちゃくちゃなヒステリーを真正面から受け止めてくれる、唯一の人。
「すまない、皆。片付けは後で」
扉の向こうに聞こえるように彼が言うと、私はなんだか急に冷静になって、なんという愚かしい真似をしたのかと、自分を恥じて目を伏せた。
姉のことで頭に血が上って、またやってしまった。
最近、こればっかりだ。
442
あなたにおすすめの小説
〖完結〗旦那様には本命がいるようですので、復讐してからお別れします。
藍川みいな
恋愛
憧れのセイバン・スコフィールド侯爵に嫁いだ伯爵令嬢のレイチェルは、良い妻になろうと努力していた。
だがセイバンには結婚前から付き合っていた女性がいて、レイチェルとの結婚はお金の為だった。
レイチェルには指一本触れることもなく、愛人の家に入り浸るセイバンと離縁を決意したレイチェルだったが、愛人からお金が必要だから離縁はしないでと言われる。
レイチェルは身勝手な愛人とセイバンに、反撃を開始するのだった。
設定はゆるゆるです。
本編10話で完結になります。
妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです
藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。
――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。
妹は父の愛人の子。
身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、
彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。
婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、
当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。
一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。
だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。
これは、誰かが罰した物語ではない。
ただ、選んだ道の先にあった現実の話。
覚悟のなかった婚約者が、
自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。
義母と義妹に虐げられていましたが、陰からじっくり復讐させていただきます〜おしとやか令嬢の裏の顔〜
有賀冬馬
ファンタジー
貴族の令嬢リディアは、父の再婚によりやってきた継母と義妹から、日々いじめと侮蔑を受けていた。
「あら、またそのみすぼらしいドレス? まるで使用人ね」
本当の母は早くに亡くなり、父も病死。残されたのは、冷たい屋敷と陰湿な支配。
けれど、リディアは泣き寝入りする女じゃなかった――。
おしとやかで無力な令嬢を演じながら、彼女はじわじわと仕返しを始める。
貴族社会の裏の裏。人の噂。人間関係。
「ふふ、気づいた時には遅いのよ」
優しげな仮面の下に、冷たい微笑みを宿すリディアの復讐劇が今、始まる。
ざまぁ×恋愛×ファンタジーの三拍子で贈る、スカッと復讐劇!
勧善懲悪が好きな方、読後感すっきりしたい方にオススメです!
姉から奪うことしかできない妹は、ザマァされました
饕餮
ファンタジー
わたくしは、オフィリア。ジョンパルト伯爵家の長女です。
わたくしには双子の妹がいるのですが、使用人を含めた全員が妹を溺愛するあまり、我儘に育ちました。
しかもわたくしと色違いのものを両親から与えられているにもかかわらず、なぜかわたくしのものを欲しがるのです。
末っ子故に甘やかされ、泣いて喚いて駄々をこね、暴れるという貴族女性としてはあるまじき行為をずっとしてきたからなのか、手に入らないものはないと考えているようです。
そんなあざといどころかあさましい性根を持つ妹ですから、いつの間にか両親も兄も、使用人たちですらも絆されてしまい、たとえ嘘であったとしても妹の言葉を鵜呑みにするようになってしまいました。
それから数年が経ち、学園に入学できる年齢になりました。が、そこで兄と妹は――
n番煎じのよくある妹が姉からものを奪うことしかしない系の話です。
全15話。
※カクヨムでも公開しています
悪女と呼ばれた聖女が、聖女と呼ばれた悪女になるまで
渡里あずま
恋愛
アデライトは婚約者である王太子に無実の罪を着せられ、婚約破棄の後に断頭台へと送られた。
……だが、気づけば彼女は七歳に巻き戻っていた。そしてアデライトの傍らには、彼女以外には見えない神がいた。
「見たくなったんだ。悪を知った君が、どう生きるかを。もっとも、今後はほとんど干渉出来ないけどね」
「……十分です。神よ、感謝します。彼らを滅ぼす機会を与えてくれて」
※※※
冤罪で父と共に殺された少女が、巻き戻った先で復讐を果たす物語(大団円に非ず)
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
〖完結〗醜いと虐げられて来た令嬢~本当は美しかった~
藍川みいな
恋愛
「お前は醜い。」ずっとそう言われてきたメリッサは、ずっと部屋に閉じこもっていた。
幼い頃から母や妹に、醜いと言われ続け、父テイラー侯爵はメリッサを見ようともしなかった。
心の支えは毎日食事を運んでくれるティナだけだったが、サマーの命令で優しいふりをしていただけだった。
何もかも信じられなくなったメリッサは邸を出る。邸を出たメリッサを助けてくれたのは…
設定はゆるゆるです。
本編8話+番外編2話で完結です。
王子に婚約破棄されて国を追放「魔法が使えない女は必要ない!」彼女の隠された能力と本来の姿がわかり誰もが泣き叫ぶ。
佐藤 美奈
恋愛
クロエ・エルフェシウス公爵令嬢とガブリエル・フォートグランデ王太子殿下は婚約が内定する。まだ公の場で発表してないだけで、王家と公爵家の間で約束を取り交わしていた。
だが帝立魔法学園の創立記念パーティーで婚約破棄を宣言されてしまった。ガブリエルは魔法の才能がある幼馴染のアンジェリカ男爵令嬢を溺愛して結婚を決めたのです。
その理由は、ディオール帝国は魔法至上主義で魔法帝国と称される。クロエは魔法が一番大切な国で一人だけ魔法が全然使えない女性だった。
クロエは魔法が使えないことに、特に気にしていませんでしたが、日常的に家族から無能と言われて、赤の他人までに冷たい目で見られてしまう。
ところがクロエは魔法帝国に、なくてはならない女性でした。絶対に必要な隠された能力を持っていた。彼女の真の姿が明らかになると、誰もが彼女に泣いて謝罪を繰り返し助けてと悲鳴を上げ続けた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる