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むき出しだからだよ
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「失恋した」
真夜中の公園のブランコでは、ほんとうのことだけが声になる気がする。沙織の顔が見えないせいなのか、いつもの妙な居心地のわるさもなかった。沙織は急に呼び出したのに来てくれて、「退屈していたから」と言ってすこし口角をあげた。たぶん本当に退屈していたのだろう。眠そうにしながら前後に揺れている。
「茶髪くん?」
「光くん。サークル同じなんでしょ」
まあね、と沙織は言った。ブランコが揺れてきゅい、と音を立てた。わたしのみずいろのワンピースに、錆の色がうつる。
「灯里はよく失恋しているよね、むかしから」
「もう傷つきたくないっていつも思うのにね」
「むき出しだからでしょ」
前後にゆれるのをやめて、沙織を見る。睫毛が光ってみえる。蝶が羽ばたくときのような、ゆったりとしたまばたき。空気が乱れる。どこかでハリケーンが発生しているかもしれない、と思う。
「なに?」
沙織もゆれるのをやめる。視線がまじわって、落ちる。足元を見ていても、沙織がわたしを見ているということがはっきりとわかる。
「いや、べつに」
ふうん、と沙織は言う。まあね、と言ったときと全くおなじトーンで。
「むかしブランコで勢いをつけて飛んで、すごい怪我をしたことがあるんだよね」
「昔から飛びたがる性格だったの?」
「昼間なのに月が透けて見えてて、行けると思ったの。月まで」
そう言いながら、どんどん振り幅を大きくしていく。沙織のまっすぐな視線の先には、欠けた月がうすくひかっている。
「月って行ける月と行けない月とがあるよね」
縮尺みたいな、とわたしは言った。沙織の背中がとおくなって、つぎの瞬間にはうしろへ振れる。
「ちょっとわかるかも。ブランコから飛んだら月を握れる気がするけど、ブランコから飛んでもニール・アームストロングにはなれないもんね」
「誰?」
「はじめて月に行った人」
しらないの? と笑う声。いよいよ振り幅が大きくなる。見えないけれど、目が月のかたちと同じようにしなっているのだろうということはわかる。
「飛ばないでよ」
「なんでわかったの」
残念そうな声色とともに、沙織は地面に足の裏をつけて勢いをおとしていく。ざりざりと砂のこすれる音。錆のにおい、夏の夜のにおい。
「わかるよ」
少しだけ勢いをつけて、ブランコから飛びおりる。わかるよ。みずいろのスカートがふくらむ。どこにも繋がっていない状態になれたのはほんの一瞬のことで、着地に失敗して砂ぼこりが舞う。うしろで沙織の笑う声がきこえる。
「来てくれてありがとう」
「ちょうど退屈してたから。それより、コンビニ寄っていい?」
コンビニの入店音が頭の中で何度か反射する。ショートパンツからのびる沙織の脚は、ひとつの迷いもなくまっすぐに店内をすすんでいく。三五〇ミリリットルのスポーツドリンクとソーダ味のアイスキャンディーを手にとって、レジ前のチロルチョコを見て少しだけ迷ったそぶりをみせた。結局チロルチョコは買わずに会計を終える。外に出ると、入店するまえとは決定的になにかが違う気がした。湿度のせいかもしれない、と思う。なにか買えばよかった。手持ち無沙汰になってしまった。
「あげる」
予想していなかった声に顔をあげると、おおきな瞳がわたしを見ていた。
「沙織が食べたかったんじゃないの」
「ふたつ持ってたら塞がるでしょ、手が」
食べ合わせもたぶん悪いし、と沙織は言った。アイスキャンディーを受け取る。つめたい手。しゃくしゃく噛むと、歯のうらがじんわり痛くなる。
「知覚過敏?」
沙織はガードレールに背中をあずけて、わたしを見ないまま言った。わたしはアイスキャンディーを齧りかけて、あいまいな声を返す。
「どうやって失恋したのかとか、訊かないの?」
「聞いても意味ないでしょ」
しゃく。車もほとんど通らないせいで、わたしが咀嚼する音とふたりの会話だけがひびいている。
「あるかもしれない」
「訊いてほしいなら訊くけど」
しゃく、しゃくしゃく。
「そういうのじゃない」
ふうん、と沙織は言った。わたしを見ないまま。
いつも羨ましがってばかりいる。光くんのやわらかそうな茶色の癖毛も、あまり脈絡がなさそうに感じられる沙織の言動も。沙織の隣で、ゆっくりとアイスキャンディーをとかす。自分にないものばかりはっきりと見える。夜の景色が、暗いせいでむしろくっきりとするように。
わたしだって飛びたいし、わたしだって光くんに好きだと思われたい。光くんのやわらかそうな癖毛に、「やわらかいね」って言いたい。でも、沙織はたぶんそれをしないのだろうとおもう。なかば確信にちかい固さで。からだを覆うみずいろのワンピースがくすんでみえる。きょう脱げば、たぶんもう二度と着ないワンピース。むなしさとはすこし違う灰色が、息をするたびに肺をじわじわと染める。
涙の出ない失恋と、行くことのできない月は同じだろうか。話さないことと、どうせわからない癖にと思うことは。沙織はなんて言うだろう。わたしの声に、見えているものに、何色を塗るだろう。そんなこと、絶対に沙織には話さないけれど。
真夜中の公園のブランコでは、ほんとうのことだけが声になる気がする。沙織の顔が見えないせいなのか、いつもの妙な居心地のわるさもなかった。沙織は急に呼び出したのに来てくれて、「退屈していたから」と言ってすこし口角をあげた。たぶん本当に退屈していたのだろう。眠そうにしながら前後に揺れている。
「茶髪くん?」
「光くん。サークル同じなんでしょ」
まあね、と沙織は言った。ブランコが揺れてきゅい、と音を立てた。わたしのみずいろのワンピースに、錆の色がうつる。
「灯里はよく失恋しているよね、むかしから」
「もう傷つきたくないっていつも思うのにね」
「むき出しだからでしょ」
前後にゆれるのをやめて、沙織を見る。睫毛が光ってみえる。蝶が羽ばたくときのような、ゆったりとしたまばたき。空気が乱れる。どこかでハリケーンが発生しているかもしれない、と思う。
「なに?」
沙織もゆれるのをやめる。視線がまじわって、落ちる。足元を見ていても、沙織がわたしを見ているということがはっきりとわかる。
「いや、べつに」
ふうん、と沙織は言う。まあね、と言ったときと全くおなじトーンで。
「むかしブランコで勢いをつけて飛んで、すごい怪我をしたことがあるんだよね」
「昔から飛びたがる性格だったの?」
「昼間なのに月が透けて見えてて、行けると思ったの。月まで」
そう言いながら、どんどん振り幅を大きくしていく。沙織のまっすぐな視線の先には、欠けた月がうすくひかっている。
「月って行ける月と行けない月とがあるよね」
縮尺みたいな、とわたしは言った。沙織の背中がとおくなって、つぎの瞬間にはうしろへ振れる。
「ちょっとわかるかも。ブランコから飛んだら月を握れる気がするけど、ブランコから飛んでもニール・アームストロングにはなれないもんね」
「誰?」
「はじめて月に行った人」
しらないの? と笑う声。いよいよ振り幅が大きくなる。見えないけれど、目が月のかたちと同じようにしなっているのだろうということはわかる。
「飛ばないでよ」
「なんでわかったの」
残念そうな声色とともに、沙織は地面に足の裏をつけて勢いをおとしていく。ざりざりと砂のこすれる音。錆のにおい、夏の夜のにおい。
「わかるよ」
少しだけ勢いをつけて、ブランコから飛びおりる。わかるよ。みずいろのスカートがふくらむ。どこにも繋がっていない状態になれたのはほんの一瞬のことで、着地に失敗して砂ぼこりが舞う。うしろで沙織の笑う声がきこえる。
「来てくれてありがとう」
「ちょうど退屈してたから。それより、コンビニ寄っていい?」
コンビニの入店音が頭の中で何度か反射する。ショートパンツからのびる沙織の脚は、ひとつの迷いもなくまっすぐに店内をすすんでいく。三五〇ミリリットルのスポーツドリンクとソーダ味のアイスキャンディーを手にとって、レジ前のチロルチョコを見て少しだけ迷ったそぶりをみせた。結局チロルチョコは買わずに会計を終える。外に出ると、入店するまえとは決定的になにかが違う気がした。湿度のせいかもしれない、と思う。なにか買えばよかった。手持ち無沙汰になってしまった。
「あげる」
予想していなかった声に顔をあげると、おおきな瞳がわたしを見ていた。
「沙織が食べたかったんじゃないの」
「ふたつ持ってたら塞がるでしょ、手が」
食べ合わせもたぶん悪いし、と沙織は言った。アイスキャンディーを受け取る。つめたい手。しゃくしゃく噛むと、歯のうらがじんわり痛くなる。
「知覚過敏?」
沙織はガードレールに背中をあずけて、わたしを見ないまま言った。わたしはアイスキャンディーを齧りかけて、あいまいな声を返す。
「どうやって失恋したのかとか、訊かないの?」
「聞いても意味ないでしょ」
しゃく。車もほとんど通らないせいで、わたしが咀嚼する音とふたりの会話だけがひびいている。
「あるかもしれない」
「訊いてほしいなら訊くけど」
しゃく、しゃくしゃく。
「そういうのじゃない」
ふうん、と沙織は言った。わたしを見ないまま。
いつも羨ましがってばかりいる。光くんのやわらかそうな茶色の癖毛も、あまり脈絡がなさそうに感じられる沙織の言動も。沙織の隣で、ゆっくりとアイスキャンディーをとかす。自分にないものばかりはっきりと見える。夜の景色が、暗いせいでむしろくっきりとするように。
わたしだって飛びたいし、わたしだって光くんに好きだと思われたい。光くんのやわらかそうな癖毛に、「やわらかいね」って言いたい。でも、沙織はたぶんそれをしないのだろうとおもう。なかば確信にちかい固さで。からだを覆うみずいろのワンピースがくすんでみえる。きょう脱げば、たぶんもう二度と着ないワンピース。むなしさとはすこし違う灰色が、息をするたびに肺をじわじわと染める。
涙の出ない失恋と、行くことのできない月は同じだろうか。話さないことと、どうせわからない癖にと思うことは。沙織はなんて言うだろう。わたしの声に、見えているものに、何色を塗るだろう。そんなこと、絶対に沙織には話さないけれど。
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