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人違いでございます

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 昨夜までの雨は朝方に上がり、空にはまぶしいくらいの太陽が昇っている。
 左右対称に造られた庭園の薔薇はまだ新芽が出たばかり。生け垣の葉に残った雫が何かの拍子に流れ落ち、地面の水たまりに波紋を残す。

「ステラ様、大変でございます!」

 メイドを束ねるハウスキーパーの焦った声に、ステラは小首を傾げた。招待客が来る時間まで数時間の猶予がある。何か不測の事態が起きたとしても、まだ挽回は可能だろう。

「一体、どうしたというの。あなたがそんなに驚くなんて」
「落ち着いて聞いてください。今し方、ルフェルド殿下がお越しになりました。なんでも、お嬢様の誕生日を祝いにいらっしゃったと」

 ステラは無言で自分の姿を見下ろした。瞳と同じ若草色の生地に、檸檬色のリボンをあしらったドレスは落ち着いたデザインだ。フリルも最小限に抑えている。
 本日の主役にはいささか地味な装いだが、引きこもりの自分にはこのくらいがちょうどいい。今日の招待客だって、親しい友人が数人来る程度だったのだから。
 だが、そこに王子が加わるとなると、話は別だ。

「……ルフェルド殿下ですって? 隣国で長期静養なさっているという、第三王子の?」
「さようでございます。数日前に帰国されたそうです」
「本当に? よく似た別人ではなく?」
「間違いなく、本人です」

 大きく頷かれ、ステラは絶句した。

(嘘でしょ……? だって、殿下と話したことなんて一度もないのに……。まったく接点がない人が、わたくしの誕生日を祝いに来たですって?)

 何かの間違いではないだろうか。だが、ここで議論している暇はない。
 事前の知らせがなかったにせよ、王族の訪問があったのだ。ひょっとして、本来の目的は違うものかもしれない。だったら、早く用件を聞き出さなければ。
 淑女の最大速度で応接間に急ぐと、そこには見目麗しい王子が座っていた。その後ろには若い護衛騎士が二人立っている。目が合うと、静かに目礼された。
 ステラは唇を引き結ぶ。ドレスの裾をひとつかみし、目元を伏せて腰を低くした。

「ルフェルド殿下、ようこそお越しくださいました。ステラ・ヴェルハイムでございます」
「あなたが……」

 さらさらの銀髪から覗いたアクアマリンの瞳が、こちらをまっすぐに見つめてくる。透明感のある藍緑色に視線が縫い付けられ、目がそらせない。
 ルフェルドは長テーブルを回り込み、動けないステラの前に跪いた。かと思えば、視界を白が覆い尽くした。瞬くと、目の前を覆っていたのはカスミソウの花束だと気づく。

(どうして、カスミソウ……?)

 脳内では疑問符がいっぱいだ。一体何が起きているのか、脳が理解するのを拒んでいる。
 当惑するステラに気づいた様子はなく、ルフェルドは形のよい薄い唇を開いた。

「十六歳の誕生日、おめでとうございます。あのときの約束を覚えていますか? 俺はあのときのことを忘れたことはありません。もう一度、改めてプロポーズさせてください。どうか、俺の妃になっていただけませんか」

 突然の求婚に、ステラは目を丸くした。
 目の前には、薔薇の花束ではなく、カスミソウの花束がある。

(約束……って……なんのこと? 殿下は何の話をしていらっしゃるの?)

 それとも、自分が忘れているだけで、本当に何か約束をしたのだろうか。記憶を呼び起こすが、まったく覚えがない。
 だいたい、自分は家で本ばかりを読んでいる、引きこもり令嬢だ。
 目鼻立ちは悪くはないが特徴のない顔に内気な性格のため、社交界から足は遠のくばかり。お茶会や夜会にはほとんど出席していない。そもそも、名前を覚えられているかも疑問だ。
 当然ながら、彼と出会う機会もごく限られているはず。
 なのに、覚えがない。
 ということは、答えは一つだ。

「殿下、あなたが求婚した相手はわたくしではありません」

 ステラが言葉を返すと、ルフェルドは瞬いた。
 しばらく放心状態のように固まっていたが、護衛騎士の咳払いで、息を吹き返したように目に生気が戻る。

「ですが、あなたは赤みがかった金髪に緑の瞳。俺の記憶にいる女の子と同じ特徴です。覚えていませんか? あなたが五歳のときです。あなたも、王宮主催のお茶会に招かれていたはずです」

 お茶会に参加した記憶はある。
 たくさんの令嬢がいたせいで、めまいがして別室で休んでいた記憶なら。

「……殿下とは話したことはございません」
「俺は覚えています。ピンクの花とともにプロポーズをしたら、あなたはこう返しました。『十六歳になったとき、まだ同じ気持ちだったら、あなたの妻にしてください』と。ですから、このときをずっと待っていたのです」

 切々と語る様子は冗談を言っている雰囲気はなく、ステラはただただ困惑した。
 どうして、彼は自分だと思ったのだろう。
 可憐な容姿でもない、目を引く美しさもない、特徴という特徴がない自分に求婚する理由なんてないだろうに。

「王宮のお茶会には一度だけ参加したことがございます。しかしながら、わたくしは立ちくらみがして早々に退室しました。ですから、本当に殿下とは面識がないのです」
「そんな……まさか」
「まさかも何も。人違いです」

 とどめを刺すと、殿下は長い睫毛をそっと伏せ、後ろに体勢を崩した。床にぶつかる寸前で、すっと護衛騎士が受け止める。

「殿下!?」

 ステラが声を荒らげるが、目覚める気配はない。柳眉は苦しげに少し寄っている。慌てたステラを手で制し、黒髪の騎士が慣れたような動きでルフェルドを横抱きにする。
 その表情には焦りや不安は一切なく、淡々とした口調で言う。

「大丈夫です。ショックが大きかっただけですから。きっと、すぐに目覚めます」
「は、はあ……」

 メイドに客間のベッドまで案内するように頼み、ステラは近くのソファの背に手を伸ばした。張り詰めていた緊張の糸がゆるみ、へろへろとその場にしゃがみ込む。

(人違いの求婚も困ったものだけど……本当に病弱なのね……)

 第三王子は生まれつき病弱で、人前にはめったに顔を出さない。それゆえ、妖精に魅入られたような美貌を持つとか、天使のような歌声を持つとか、目が合った者の心を操ることができるとか、さまざまな噂を耳にしてきた。
 どれも信憑性がないと思っていたが、体が弱いのは本当らしい。
 退室した護衛騎士は眉一つ動かさなかった。主が倒れることも、珍しくないのだろう。

(それにしても……殿下は誰とわたくしを間違えたのかしら……?)

 この国で赤みがかった金髪は珍しい。他に、同じ特徴を持った令嬢はいなかっただろうか。けれど、すぐには思いつかない。
 ステラはため息をついた。問題はそれだけではない。
 彼は思い出を美化してしまっている節がある。だが、それも無理からぬ話かもしれない。ルフェルドが涼しい気候の隣国に長期滞在するようになったのは、あのお茶会のすぐ後だったと記憶している。

(十年以上も思いを寄せていた相手が別人だったなんて、ショックを受けて当然よね)

 どんな出会いを果たしたのかは知らないが、とても大事な思い出だったのだろう。自分には関係ないが。そのときのステラはそう思っていた。

 ◇◇◆◇◇

 ベッド脇で読書をしていると、かすかな身じろぎの音がして目線を上げる。うっすらと開いたアクアマリンの瞳がゆっくりと瞬いているのを確認し、ステラは本を閉じた。

「ご気分はいかがですか?」
「……ここは?」

 かすれた声に、緑の髪の騎士が水差しを傾けてグラスに水を注ぐ。黒髪の騎士がルフェルドを抱き起こすのを手伝い、横からグラスが差し出される。無駄のない連携だ。

「ヴェルハイム家の客間です。殿下は気を失われて、三十分ほど寝ていらっしゃいました」
「ああ……思い出しました。これはとんだご迷惑を……申し訳ありません」
「いえ、どうぞお気になさらず」

 淑女らしく控えめに微笑むと、ルフェルドが捨てられた子犬のように瞳を潤ませた。

「あなたにも失礼を……。重ね重ね、申し訳ありません」
「最初は驚きましたけど、大丈夫ですわ。どうか落ち込まないでくださいませ」
「ですが……俺が会った彼女は一体誰だったのか……確かに会話をしたのに」

 がっくりとうなだれて意気消沈する姿は見るに忍びない。
 自分が悪いわけではないのに、なぜか良心が締めつけられる気がした。

「よろしければ、お教えいただけませんか? 殿下が会った女の子について。及ばずながら、何か力になれるかもしれません」

 少しでも元気づけたくて発した言葉は、ルフェルドにとって予想外のものだったらしく、不思議そうに首を傾げていた。しばらくして、その意味を理解したのか、頬が少し紅く色づいた。それから、もごもごと口を動かす。

「俺の初恋の相手を探してくれるのですか……?」
「……え!? ええと……そ、そうですね。一緒に探しましょう!」

 こうなったら、乗りかかった船だ。この虚弱体質の王子一人では、見つけられるものも見つけられないだろう。仲間が必要だ。
 幸か不幸か、自分には家族という名の頼りになる情報源がいる。
 なんとかなると信じたい。

「お任せください。ステラ・ヴェルハイム、殿下のために力を尽くします!」

 ルフェルドは気圧されたように、よろしくお願いします、とつぶやいた。

 ◇◇◆◇◇

 王宮に勤めている官僚の父親と兄に手伝ってもらい、ルフェルドの初恋の君に関する情報を集めた。
 もともと、ヴェルハイム家の特徴のない顔つきは覚えられにくく、情報を集めるのに適していた。話の輪に紛れても、特に疑問を持たれることはない。そして外交官という職業柄、話を聞き出すのもうまい彼らに任せれば、大抵の情報はすぐに手に入る。
 赤みがかった金髪に緑の瞳という特徴に合致したのは二人。けれど、二人ともお茶会には出席しておらず、さらには生まれたときから定められた婚約者がいた。

(でも、殿下も隅に置けないわね。一目ぼれして、すぐにプロポーズをしたって話だったし。ただまあ、その後に高熱を出して、彼女の顔の記憶が曖昧になったというのは笑えない話だったけど……)

 しかも、肝心の名前を聞き出すのを忘れていたというのも痛い。覚えている特徴を伝えて側近に調べてもらったところ、条件に一致した令嬢は自分だけだったらしい。
 ちなみに、カスミソウはくだんの女の子が好きな花だったそうな。次のプロポーズのときはその花束を持ってきてほしいと、彼女からお願いされていたという。

(わたくしなら、チューリップの花束だと嬉しいけれど)

 不憫な王子をそのままにできず、成りゆきで手助けをすることになったが、すでに手詰まりだ。果たして、幻の令嬢は本当に実在したのだろうか。

「ステラってば、さっきからため息ばかりよ。そんなんじゃ、幸せが逃げていくわよ?」
「……セシリア……」
「何か悩み事? 話を聞くぐらいならできるけれど?」

 美しい金髪を複雑に編み込んだセシリアは、今日もきらきらと輝いて見える。
 自分磨きに妥協せず、朗らかな笑みで社交界を渡り歩く彼女は本来、自分と親しくなるはずのない人物だった。しかし、見た目は近寄りがたい存在でも、好きな本が被ったことで今では一番の友達だ。
 人は見かけで判断してはならないのだと、身をもって知った。
 今日はフォード子爵家で二人きりの読書会だ。持ち寄った珠玉の本を持ち込み、お互いのおすすめの小説を読みふける。時間はあっという間に過ぎていき、今は休憩の時間だ。
 テラス席で紅茶を飲みながら、目の前の親友をちらりと盗み見る。陽が傾き、オレンジから赤のグラデーションがかかった西日がテーブルを照らした。
 薔薇柄のティーカップが夕陽の色合いに染められているのに気づき、ふと視線を上げる。そして、ステラはセシリアの髪色に目が釘付けになった。

(赤みがかった金髪って、まさか……)

 彼女の髪は夕映えで赤みかがって見えた。神々しい金髪が一部染められ、光を反射して輝いている。その変化に心拍数が上がる。

「ね、ねえ。つかぬ事を聞くのだけど、昔、銀髪の男の子からプロポーズされたことはなかった?」

 セシリアは芽吹いた若葉のような緑色の瞳を瞬き、頬に手を当てる。

「……言われてみれば、そんな記憶もあったような……」
「そのとき、なんて答えたかは覚えている?」

 少し身を乗り出して尋ねると、セシリアは懸命に記憶を思い起こすように眉根を寄せて黙ってしまう。じれったいような間を置いて、ふとセシリアが声を上げる。

「ああ、思い出したわ。確か、お父様にプロポーズされたときにお母様が返した台詞を真似て言ったのよ。『十六歳になったとき、まだ同じ気持ちだったら、あなたの妻にしてください』って。そうしたら、わかりましたって言われて……。あの子、今頃どうしているかしら」

 ステラは空を仰いだ。茜色の空では、白い鳥が優雅に空を旋回していた。

(まさか、幻の令嬢がセシリアだったなんて……! 殿下はなんて不運なの。セシリアは一年前に婚約して、来年の春には結婚式が執り行われる予定なのに)

 彼の初恋は実らない。そもそも、大事な約束もステラが言うまで忘れ去られていたぐらいだ。セシリアの態度から、おままごとの延長だと思われていた可能性が高い。つくづく不憫だ。

「セシリア……ちょっと聞いてほしい話があるの……」

 先日、我が家を電撃訪問した第三王子とのやり取りを伝えると、セシリアが表情を曇らせた。自分の何気ない一言が、長年王子の心のよりどころになっていたのだ。無理もない。
 当惑する友人に、ステラは話の矛先を変えた。

「そういえば、どうしてカスミソウを指定したの? セシリアの好きな花って薔薇でしょう?」
「……昔はカスミソウが好きだったのよ。ひとつひとつは目立たなくても、何本も束ねたら豪華な花束になると思って。でも、ルフェルド殿下がそんなことまで覚えていたなんて。……どうしよう。どうしたらいいの、ステラ」

 珍しくうろたえる様子に、ステラもとっさにかける言葉が見つからない。
 だけど、友人として彼女を励まさなくては。覚悟を決め、ステラは口を開く。

「……正直にお話ししましょう。殿下は今も、あなたのことが好きだけど、その想いには応えられないでしょう? きっとわかってくださるわ」
「そう……かしら。許していただけるかしら」
「わたくしも同席するわ。一緒に謝りましょう」

 いつまでも初恋を引きずってばかりでは、お互いのためにならない。
 新しい恋を探すためにも、この恋にはしっかり終止符を打たなければ。

「いいの……? あなたは無関係なのに」
「何を言っているの。わたくしはもう立派な関係者よ。殿下にも初恋の君を探すと約束したのだし。早く種明かしをしなければ、殿下がかわいそうよ」
「そ、そうね……それなら、よろしく頼むわ」
「ええ。任せてちょうだい」

 大事な親友のためならば、何だってしてみせよう。二人の未来は交わらないが、それでも二人には幸せになってほしい。

 ◇◇◆◇◇

「……つまり、あなたがあのときの令嬢で間違いない、ということですか?」
「はい。本当に申し訳ございません」

 セシリアが申し訳なさそうに肯定すると、ルフェルドは明るく笑ってみせた。

「どうか気に病まないでください。そもそも、子供の口約束を本気にした俺が悪いのです。申し訳ありません。昔から同年代と遊ぶ機会もなくて、あれが遊びの一環だとは思い至らなくて……セシリア嬢にもステラ嬢にもご迷惑をおかけしました……」

 すべての事情を理解したルフェルドは頭を下げた。太ももの上に置かれた両手はぎゅっと握りしめられ、彼の本気度が伝わってくるようだった。
 だが、王子の謝罪に慣れていない二人は、おろおろと言葉を探す。

「どうか頭を上げてくださいませ……っ」
「そ、そうです。人違いくらい、どうってことありませんから……!」

 必死に言うと、その熱意が伝わったのか、ルフェルドが端正な顔を上げた。

「セシリア嬢。よろしければ、俺にもあなたの幸せを祈らせてください。ご婚約おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「……ステラ嬢。もしお好きな花があれば、教えていただけませんか?」
「え?」

 お詫びのつもりだろうか。その気持ちだけでいいのに。
 けれど、ルフェルドは熱心に見つめてくる。ステラは数秒悩んで、口を開いた。

「チューリップが好きです」
「そうですか。覚えておきます」

 ルフェルドが立ち上がり、護衛騎士が後に続く。ステラはセシリアと玄関先まで見送り、王族専用の馬車が小さくなるまで見届けた。
 そして、二人は目を見合わせて、はあああ、と大きく息をつく。

「終わったわね……」
「ええ。怒っていらしゃらなかったし、もう大丈夫でしょう」
「一時はどうなるかと思ったけれど、ステラのおかげで無事に生き延びられそうよ」
「それは大げさじゃない?」
「大げさなんかじゃないわ。だって、相手は王族よ? 私は生きた心地がしなかったわ」
「まあ、気持ちはわからなくはないけれど……」

 とにもかくにくも、問題は片付いた。
 ルフェルドとも、もう関わることもないだろう。その予想が早々に覆ることは露ほどにも思わなかった。

 ◇◇◆◇◇

 初恋の君騒動が落ち着き、二週間が経過した頃。
 ステラは王宮の西にある離宮にいた。この離宮で静養中のルフェルドからの招待だ。呼び出しの用件は前回のお詫びを兼ねて、ということだった。
 水が流れるようにドレープが重なったドレスを身に纏い、ステラは複雑な面持ちで女官の案内にしたがって廊下を歩いていた。

「こちらで殿下がお待ちです。どうぞお入りください」
「……ご案内、ありがとうございます」

 両開きのドアが開かれ、中から爽やかな風が吹き込んでくる。
 ルフェルドは革張りの椅子から立ち上がり、ステラを迎え入れた。騎士二人は壁際で待機している。
 丸テーブルの上には、ケーキスタンドと金地のティーカップが用意されていた。

「あの……せっかく招いていただいて恐縮ですが、わたくしはこういう場には不向きでして……」

 意を決して言うと、ルフェルドは首を傾げた。

「どうしてです? そのドレスもとてもお似合いですよ。あなたはヴェルハイム伯のご令嬢。どこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢ではありませんか」
「いえ、あの……わたくしはご覧の通り、地味な容姿です。ルフェルド殿下のような美しい方とお茶をするのもおこがましいと申しますか……世の女性が黙っていないと思います」

 いくら非公式であるとはいえ、場違いであることを暗に指摘したつもりだったのに、ルフェルドは意に介さないように反論した。

「ステラ嬢はとても可愛らしいですよ。ぱっちりとした二重の目も愛らしいですし、瑞々しい唇に白磁の肌をお持ちです。どうか自信を持ってください」

 隣国で培ってきたスキルだろうか。
 でも、この容姿だ。女性たちが放っておくはずがないと納得する。

「……っ……殿下は、女性を褒めるのがお上手なのですね」

 お世辞に慣れていないステラが苦し紛れに言うと、ルフェルドが首を横に振った。

「俺は思ったことを口にしたまでです。あなたは湖にたたずむ可憐な花のように静謐で、守ってあげたいような女性です」
「そ、そういうことは意中の女性に言ってあげてください」
「俺が口説きたいのはステラ嬢ですので、何も問題はありません」
「は……?」

 どうやら、耳がおかしくなってしまったらしい。今のは幻聴だと自分自身に言い聞かせていると、ルフェルドが花束を持って戻ってきた。

「ステラ嬢。あなたには散々迷惑をかけてしまいましたが、俺のために必死に探してくれる様子を見て心を動かされました。あなたさえよければ、どうか俺の横で過ごしてほしい。友や臣下としてではなく、新たな家族として」

 差し出された花束を見下ろす。
 ピンクのチューリップの花言葉は「愛の芽生え」だ。

(これは一体、どういうこと? セシリアがダメだったから、今度はわたくしにということ……?)

 確かに、初恋の君を探すために、ルフェルドとは何度か手紙のやり取りをした。けれど、それだけだ。恋が芽生えるような甘い時間を過ごした覚えはない。
 それとも、彼は惚れっぽい体質なのだろうか。そうだとすれば、この話を受けるわけにはいかない。

「……申し訳ございません。わたくしはその花を受け取ることはできません」
「他に気になる方がいらっしゃるということですか?」
「いいえ。ですが、殿下とは出会ってそんなに日が経っていません。わたくしには好かれるようなことをした覚えもありません。あなたの心がまた変わる可能性がある以上、この話はお受けできません」

 キッパリと拒絶すると、ルフェルドは焦ったように弁解を始めた。

「確かに、俺は勘違いであなたに求婚をしました。その後、想っていた相手とは別人だと知って愕然としました。初恋の君に会いたいという気持ちも本物でした。ですが、セシリア嬢と出会って、違和感に気づいたのです」

 そこで言葉を切り、ルフェルドは気持ちを落ち着かせるように深呼吸した。
 ステラはアクアマリンの瞳に映る自分の困惑した表情を見て、この言葉の続きを聞きたくない思いに駆られた。けれど、足がすくんで動けない。
 その胸中を読み取る気配はなく、ルフェルドは言葉を続けた。

「俺はあなたと会ったとき、恋に落ちていたのだと思います。思い出の彼女があなたでなくて残念でしたが、毎回励ます手書きのメッセージをいただいて、とても勇気づけられました。だから、セシリア嬢を見ても何も思いませんでした。それよりも、俺の心が動くのはあなただと気づいたからです」
「…………」
「俺は不誠実な男かもしれません。すぐには信じてもらえないのもわかります。ですが、俺が今、一番気になっているのはステラ嬢です」

 真摯な言葉の羅列に、ステラは唇を引き結んだ。
 小説のヒーローのように情熱的な愛の言葉だけではない。けれど、ありのままの言葉は心にまっすぐと届いて、彼の想いに応えたい衝動に駆られる。
 でも、それは――まだ選べない。

「ルフェルド殿下」
「はい」
「……その気持ち、とても嬉しく思います。ですが、やはり求婚の話はお受けできません」
「そう、ですか……」

 谷底に転落したかのような嘆きの気配に、ステラは明るく言った。

「ですから、まずはお友達から始めませんか?」
「え……?」
「お友達の証しとしてなら、その花束、受け取ってもいいですよ」

 両手を差し出すと、おずおずとチューリップの花束を手渡される。色はピンクで統一されているが、花の形はさまざまだ。見たことのない品種もいくつか混じっている。

「お友達から恋人に昇格できるかは、殿下の頑張り次第ですからね?」
「が、頑張ります!」

 素直な返答に、ステラは笑みをこぼした。
 人生は何が起こるかわからない。未来がどうなっているかなんて、まだわからなくて当然だ。これはステラの物語なのだから。
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みんなの感想(1件)

さやか
2020.06.23 さやか

ステラが王子からのプロポーズを、喜んで合意しない所が良かった。ステラは賢い!

仲室日月奈
2020.06.23 仲室日月奈

拙作をお読みいただき、ありがとうございます。

物語的には早く頷いてほしいところでしたが、執筆中、ステラがなかなかうんと言わないのでどうしようかと思いました……。結果的に保留という扱いに落ち着きましたが、ご納得いただけてホッとしました。

ご感想ありがとうございました!

解除
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