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最終章

71. 今日からお友達ですね

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 不安そうに見つめるナタリアと視線が交差する。彼女を安心させるため、イザベルは柔らかく微笑む。
 逡巡するように目を瞬かせていたナタリアは、ペンを手に取った。だがその時間は短く、すぐにスケッチブックを反転させる。
 そこには、飲みます、としっかりした文字で書かれていた。

(……断られたらどうしようかと思ったわ)

 丸薬が載った紙を差し出すと、ナタリアがそれをつまみあげる。その顔は少しこわばっていたが、迷いを断ち切るように薬を口の中に放り込む。
 驚いていると、いち早く正気を取り戻したフローリアが、水差しからコップに水を注いで急いで渡す。ナタリアはすぐにそれを飲み干した。
 喉が上下したのを見届け、イザベルに緊張が走る。誰もが息をのんで事態の急変を恐れる中、第一声を発したのはベッドの主だった。

「……あ……」

 かすれた声は少し低い。しかし、記憶と同じ声色だ。

「ナタリア様、声が……?」

 聞き間違えでなければいいと願いながら、ナタリアを注視する。
 彼女は喉に手を当てて、何かを確かめるように、ゆっくりと口を動かす。

「こえ、が……ちゃんと……声が出ます……」

 幻聴ではない。彼女の口から発せられた言葉をしっかりと聞き届け、イザベルはフローリアと手を取り合った。

「よかった。本当に……」
「私にもちゃんと聞こえました。よかったですね!」

 喜びを分かち合う隣では、クラウドが驚いたように目を見開いている。彼には予想外の光景だったのだろう。
 ナタリアも戸惑いが残っているようで、しきりに喉をさすっている。

「……ありがとうございます。イザベル様のおかげです」
「薬が効いてよかったです」
「なんと表現してよいのか……正直びっくりですけど、助かりましたわ。後日、ちゃんとお礼をいたします」

 いつもの調子を取り戻してきたのか、ナタリアの声はしっかりとしていた。
 だが、今回の原因は自分にある。これは言わばお詫びなのだ。
 イザベルは首を横に振り、申し出を断る。

「今回のお礼は特に必要ありません。わたくしが助けたいと思ったから行動したまでです。それより、何か違和感などはありませんか?」
「……いえ、特には。魔法みたいにスッと声が出るようになりました」

 その言葉を心の中で反芻する。

(やはり、彼女は正真正銘の魔女なのね)

 普通は薬を飲んでも、すぐに効果は現れない。早くとも三十分ほど時間がかかる。効果がたちまち出るなんてこと、それこそ魔法でなければあり得ない。
 魔女の力をまざまざと見せつけられたようで、感動と同時に畏怖の念を抱く。
 ナタリアは無言でうつむいていたが、やがて意を決したように顔を上げた。

「でも、やはり何かお礼はしたいですわ」
「……どうしてもおっしゃるのでしたら、フローリア様と親睦を深めていただけませんか? 彼女はあなたと仲良くなりたいと言っています」

 イザベルの横に戻ってきたフローリアを見つめると、同意するようにこくりと頷く。
 それを見てもなお、ナタリアは信じられない、とばかりに声を張り上げる。

「で、ですが……今までしてきたことは事実ですし……いまさら、許していただけるはずがないでしょう!」
「それは本人に聞いてみないとわかりませんわよ」

 視線を横に転じると、フローリアは意を汲んだように口を開いた。

「謝罪を受け入れます。私は……ナタリア様と仲良くなれると思っています。ナタリア様はいかがですか?」
「…………否定はしませんわ」
「では、今日からお友達ですね。よろしくお願いします!」
「お、お友達!? あなた、それは時期尚早というものではなくって?」

 意表を突かれたのか、ナタリアが目に見えて動揺している。

「そうですか……私たちは、まだお友達には早いのですね……」
「お、落ち込まないでちょうだい! 仲を深めるには時間が必要だと言いたかっただけで……!」
「よかった。では、いずれは正式にお友達になってくださるのですね」
「ぐっ……」

 あの強気なナタリアが、フローリアのペースにのまれようとしている。いつもと立場が逆転だ。
 不思議な心地で見守っていると、クラウドがこそっと耳打ちしてきた。

「……どうなることかと思ったけど、イザベルは物語の魔法使いみたいだね」
「どういう意味?」
「不可能を可能にするって意味だよ」

 クラウドは意味深に笑い、降参したようにフローリアと握手を交わすナタリアを見やる。
 悪役令嬢とヒロインの友好条約締結。そんなナレーションが脳内で流れた。

      *

 夕食を終えて自室に戻る途中、階段脇で控えていた専属執事が一歩足を踏み出した。
 ピュアを装った笑顔は封印して、真面目な顔つきで声量を落として言う。

「解毒薬が見つかったのですね」

 帰りの車内で、フローリアたちと喋っていた話を聞いていたのだろう。
 家に着いてからも一切触れてこないから様子見をしていたが、ここで探りを入れてきたか。もしかしたら、気がゆるむタイミングを見計らっていたのかもしれない。
 リシャールはあの場にいなかった。車内の会話でもその件には触れていなかったし、魔法みたいな即効性については、まだ知らないはずだ。

(魔女の秘薬であることは隠しておきたいわね……)

 イザベルは動揺を悟られないように、肩にかかった髪の毛を後ろに払う。

「ええ。ルーウェン様にご協力いただいたの。薬がちゃんと効いてよかったわ」
「…………」

 疑うような目を向けたものの、リシャールはそれ以上言葉を重ねることはなかった。
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