相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

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29 微かな予兆

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 たっぷり一時間かけてシャワーを浴びた結果、俺は湯あたりを起こしてエントランスのソファで一人項垂れていた。


「確かに誘ったのは俺だが……」

 フロントで手続きを進めている男に恨みがましい視線を向ける。
 白とブラウンを基調とした服に身を包んだ月島は、涼しい顔で微笑んでいた。

「あの体力馬鹿め」

 未だ火照っている頬を膨らませてそっぽを向く。
 ふと、エントランスの窓に映った自分の姿が目に入り、そっと黒いハイネックの首元を引き上げた。……赤い跡が覗いていたのだ。
 普段は苦手で着ないハイネックも、今日ばかりはありがたい。

 余談だが、今日の服装も月島によって選ばれたものである。濃紺のジャケットと細身のパンツは華美ではないものの高級そうで、買い手の趣味嗜好を大いに反映していた。
 素肌はほとんど見えないが、恐ろしく体の線が出る服装だ。何故かあつらえたかのように全身にフィットしていることも相まって、服を着ているというのに身体のラインがそのまま曝け出されていた。

 こうしてみると、月島との体格差を嫌でも思い知って腹が立つ。俺も身長は高い方だし、そんなに華奢でもないはずなんだが。

「篠崎君、終わったぞ」
「……はぁ」
「何故溜息……?」

 まず肩幅からして違うのだ。どうあがいても張り合えそうになかった。

「無いものねだりはやめようって諦めただけだ。行くか」
「むう」

 適当にお茶を濁して立ち上がる。
 月島の先導で駐車場に向かうと、そこには真っ赤なスポーツカーが一台停まっていた。 

「この鍵は、もしかしなくても……?」
「ふふ、確かめてみるといい」

 車を目にしてすぐに機嫌を取り直し、口元を緩ませながら運転席のドアに手を伸ばす。手に持ったままの鍵に反応してドアが開いた瞬間、俺は思わず心の中で喝采を叫んでいた。

「如何かな?」
「お前、分かってるわ……」

 月島が用意していたのは、二人乗りのオープンカーだった。この季節、風を感じながら走ったらさぞ気持ちが良いだろう。昔から憧れていたのだ。

 維持が大変という理由で購入は諦めたのだが、街中で見かける度に後ろ髪を引かれる思いをしていた。思い返せばそんな話を神原に話していたような気がする。そこから聞いたのか、はたまた偶然か。
 どちらにせよ、まさかこんな形で夢が叶うとは思っていなかった。

「喜んでもらえたようで何よりだ」
 静かに、しかし熱く喜びを噛みしめる俺を見て、月島が満足そうに胸を張る。その胸を軽く叩いて、俺は早速車に乗り込んだ。


  ◆


「篠崎君、次のインターで降りてくれ」
「はいよ」

 ホテルを後にした俺たちは、自宅とは正反対の方向へ車を走らせていた。

「目的地までは片道三時間くらいか。やはり遠いな」
「道路も空いてるし、この調子ならもう少し早めに着くだろ」

「……悪いね、付き合わせてしまって」
「いいんだよ、俺の方がそうしたいってごねたんだから」

 遠路はるばる目指しているのは鉱物の博物館である。月島が一度は行きたいと思っていたというその場所は、辺り一帯が鉱物の産地であり、専門店も建ち並んでいるとか。

「せっかく苦労してお前の希望を聞き出したんだ、行くしかないだろ」
「それにしたって……やはり遠すぎると思うんだが」
「まあまあ、滅多にない連休だ。ぱーっと行こうぜ」

 まだ申し訳なさそうに眉を垂れている月島を見て苦笑いを浮かべる。この話を聞き出すまでに、散々苦労させられたのを思い出してしまった。 

 月島が事前に用意していたデートプランは、どれも俺の趣味を考えてよく練られたものだった。それをまたの機会に回したのはほかでもない。初めてのデートは、月島と共に楽しみたかったのだ。
 そう素直に伝えると、月島は口の端を緩めながらも困ったように言った。

「君の為に休みを取って、君の為に車を用意したんだ。君の行きたいところに行こうではないか。山を走るのが趣味なんだろう?」
「山に行くのは夜でいいから、昼間はお前の行きたいところに行こうぜ。そもそも俺は、車走らせてるだけでも楽しいからな」
「私のことは気にしなくていい」
「お前が好きなものを、俺も楽しみたいんだ。分かるだろ、亮介」

「……ここでそう呼ぶのは、狡いぞ」

 結局、あの手この手で希望を聞き出すまで、どれほどかかっただろうか。月島の表情は最後まで渋く、根負けといった表現がぴったりくる様子だったが。

 どうにもコイツは、俺ばかりを優先しようとする悪い癖がある。周到な先回りといい、辺り構わずの嫉妬といい、俺を中心に物事を考え過ぎである。
 大切にされて悪い気はしないのだが、自分を蔑ろにはして欲しくない。俺だって、月島の喜ぶ顔が見たいと思っているのだから。

「まさか、まだ観念してないのか?」
「そんな目で見ないでくれ。ここまで来たら、私も素直に楽しませてもらうよ」
「ふん、仕事のときより強情だったな」

 苦く笑った月島を横目に下道へ降り、路肩に車を寄せる。
 オープンカーの屋根を開くと、暑い日差しと共に涼し気な秋風が頬を撫でた。

「この解放感が堪らないんだよ!」
「そうだね。私も初めて乗ったが、想像以上だ」
 テンションの高い俺に釣られているのか、月島もいつもより声を張って返してくる。

 月島も楽しんでくれていることに気分を良くして、鼻歌交じりにアクセルを踏み込んだ。
 森の湿った香り、鳥の鳴き声、抜けるような空。窓の外を流れるだけだった風景がダイレクトに感じられる爽快感は、他に代えがたいものがある。

 ちょっと、いやかなり心惹かれてしまい、心の中で愛車に詫びた。
 お前のことはもちろん大好きだけど、やっぱりオープンカーも好きだわ……などと浮気男じみた台詞を思い浮かべながら、笑み崩れるのを抑えることが出来なかった。
 喜ぶ俺を見て、月島も嬉しそうに笑っている。

「気に入ってもらえて良かった」
「ずっと憧れていたんだよ。小さい頃に見て一目惚れしてさ。あの時の感動を思い出すなぁ」

 あれはまだ幼稚園の頃だっただろうか。街中で真っ赤なオープンカーを初めて目にした俺は、一緒にいた両親にも構わず駆け出して後を追った。
 幸い車道に出る寸前で引き止められ、大事には至らなかったのだが、こっぴどく怒られたことを覚えている。

 もう遠い昔のようだ。今まで両親との記憶は思い返さないようにしていたのも相まって、随分と懐かしく感じられた。

「ちなみに、お前が鉱物を集め始めたのは何時からなんだ?」
「小学校に入ったばかりの頃だったかな。図書室で鉱物の図鑑を見て、とても魅力を感じてね。ある時、遠足のお土産にアメジストの飾り物を買ってきたんだ」
「ほう、それからコレクションを始めたのか」

 俺の相槌に、月島は首を横に振る。
 話は終わっていなかったようで、僅かに表情を曇らせながら続けた。

「結局、それは弟に奪われてしまったのだ。物心ついてから、弟には色んな物を分け与えてきたが、あれほど落ち込んだのは初めてだったな。そんな私に父が買い与えてくれたアメジストの原石……それが、始めてのコレクションだよ」
「そう、だったのか」
「ふ、昔の話だ。私にもそんな、子どもらしい時期があったのだよ」

 そう軽い口調で締めくくられたが、一連の出来事が月島の柔らかい部分に未だ傷を残していることは明らかだった。
 思い掛けず湿っぽくなってしまった空気を霧散させるように、月島が殊更明るい口調で前方を指差す。

「さて、そろそろお昼にしようではないか。もうすぐ道の駅があるらしいぞ」
「そうだな、到着まではまだかかるからガッツリ食べておこうぜ」


 月島に合わせて俺も声を張り上げる。

 過去の傷に触れられたくない気持ちは、俺も充分過ぎるほど分かっていたから。
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