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執事のジーク
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が、そんな私にも一人だけ最後まで優しくしてくれた執事がいた。
あれは多分ちょうど去年ぐらいのことだったと思う。
「お姉様、こんないいものを持っていたのですね。私にくださらない?」
確かその時、私は何かの用事で他家に出向き、そこでお土産にきれいな宝石の着いた髪飾りをもらった。私も気に入ったので、それをつけて居間で一人でお茶していたところにリリーがやってきたという訳である。
「いや、それは」
くださらない、と問いかけた割にリリーは私の返事を待たずに髪飾りに手を伸ばす。その時から彼女の中に私がリリーの頼みを拒否する、という選択肢はないようだった。
反射的に私は身をよじって避けようとし、体勢を崩したリリーはよろけた。そしてテーブルの上にあったティーカップに体をぶつける。
「あ……」
次の瞬間、カシャーン、という音とともにティーカップは粉々に砕け散った。
「大丈夫ですか!?」
そこに駆け寄って来たのが、たまたま近くにいたのであろうジークという二十ぐらいの若い執事であった。
エルガルド公爵家にはたくさんの使用人が仕えており、執事やメイドだけでも数十人に上る。そのため、私やリリーの専属となるメイド、父上の業務を手伝う執事、料理をするメイドなど役割は細分化されている。そのため、私も顔しか知らないような人物も結構いる。ジークもそんな執事のうちの一人であった。
そんなジークにリリーは反射的に言う。
「すみません、姉上がカップを落としてしまって。私は大丈夫ですわ」
基本的にリリーがこういう粗相をすることはないので、たまにこういうことがあったとき、両親だけでなく執事もメイドも皆リリーを信じ、私に呆れた視線を送る。
その年齢にもなって落ち着きがないのではないか、と。
どうせ今回もそうなのだろう、と私が諦めていると意外なことにジークはこちらを向いて尋ねた。
「わたくしにはリリーお嬢様の手が触れて落ちたように見えましたが、違うのですか?」
「いえ、そうです」
私はジークの言葉に困惑しながらも頷く。ジークが本当にそれを見たのかは分からないが、そんな風に言ってくれる人は初めてだった。
一方のリリーも、一瞬呆然としたが、やがて驚きが怒りに変わっていったのだろう、顔を真っ赤にして言う。
「ちょっと! これはお姉様が落としたって言ったのが聞こえなかったの!?」
「ですがわたくしは見てしまいましたので」
ジークは丁寧に、しかし毅然と言った。これまで自分が言ったことが全て正しくなったリリーは、彼の正面からの反論に顔を真っ赤にした。
が、やがて「見間違えですわ」と言い残すと憤然としてその場を離れていった。
「大丈夫ですか?」
残された私にジークは尋ねる。
「うん。あなたは私を信じてくれるの?」
「はい、屋敷内で様々な噂は耳にしますが、私は自分の見たものしか信じませんので」
ジークは毅然として言った。
それから私は周囲の目を盗んで彼と話すようになった。私が執事と仲良くしているところを見られれば、リリーあたりが悪意のある噂を流しかねない。
ジークは唯一私の話をきちんと聞いてくれた。もちろん彼にもこの状況をどうすることも出来なかったが、自分の話を聞いて共感してくれる人がいるだけでも十分救われるというものである。たったそれだけのことで、そのころの私は幸せだった。
それから数週間後のことである。
私はいつものようにジークの姿を探したが、一向に見つからない。
翌日も、その翌日も、翌々日も。
たまりかねた私は父上に尋ねた。
「あのジークという執事はどうしましたか?」
「ああ、彼はクビになったよ。何でもメイドにセクハラしたらしい」
何でもないように話す父上の言葉を聞いて私は愕然とした。
そしてすぐに、あの優しかったジークがそんなことをする訳がない、という思いが込み上げてくる。
「そ、それは本当ですか!?」
「ああ、本当だ」
そう言って父上は一人のメイドの名を挙げる。彼女はリリーに親しく、よく仲良く話しているメイドだった。
続いてあの時のリリーの怒った顔を思い出す。
「リリー!?」
これまで何をされても怒らなかった私もこの時ばかりは怒った。
すぐに部屋を出ると、慌ててリリーの部屋に押し入る。
荒々しくドアを開けて乗り込んできた私に、呆気にとられた表情でリリーは尋ねる。
「どうしましたか? そんなに慌てて」
「リリー! ジークをクビにしたのはあなたの仕業!?」
「ああ、その話ですか……さあ、何のことでしょう?」
そう言ってリリーは可愛らしく小首をかしげてみせる。
それを見て私は確信した。これは彼女がしてやった、と思っている時の表情だと。たった一人の味方すらリリーの陰謀で追い出されてしまった。無力感に苛まれた私はその場にへなへなと崩れ落ちる。
私のせいだ。きっとあの時彼は私に味方してリリーに楯突いたからこんなことになってしまったんだ、と。
あれは多分ちょうど去年ぐらいのことだったと思う。
「お姉様、こんないいものを持っていたのですね。私にくださらない?」
確かその時、私は何かの用事で他家に出向き、そこでお土産にきれいな宝石の着いた髪飾りをもらった。私も気に入ったので、それをつけて居間で一人でお茶していたところにリリーがやってきたという訳である。
「いや、それは」
くださらない、と問いかけた割にリリーは私の返事を待たずに髪飾りに手を伸ばす。その時から彼女の中に私がリリーの頼みを拒否する、という選択肢はないようだった。
反射的に私は身をよじって避けようとし、体勢を崩したリリーはよろけた。そしてテーブルの上にあったティーカップに体をぶつける。
「あ……」
次の瞬間、カシャーン、という音とともにティーカップは粉々に砕け散った。
「大丈夫ですか!?」
そこに駆け寄って来たのが、たまたま近くにいたのであろうジークという二十ぐらいの若い執事であった。
エルガルド公爵家にはたくさんの使用人が仕えており、執事やメイドだけでも数十人に上る。そのため、私やリリーの専属となるメイド、父上の業務を手伝う執事、料理をするメイドなど役割は細分化されている。そのため、私も顔しか知らないような人物も結構いる。ジークもそんな執事のうちの一人であった。
そんなジークにリリーは反射的に言う。
「すみません、姉上がカップを落としてしまって。私は大丈夫ですわ」
基本的にリリーがこういう粗相をすることはないので、たまにこういうことがあったとき、両親だけでなく執事もメイドも皆リリーを信じ、私に呆れた視線を送る。
その年齢にもなって落ち着きがないのではないか、と。
どうせ今回もそうなのだろう、と私が諦めていると意外なことにジークはこちらを向いて尋ねた。
「わたくしにはリリーお嬢様の手が触れて落ちたように見えましたが、違うのですか?」
「いえ、そうです」
私はジークの言葉に困惑しながらも頷く。ジークが本当にそれを見たのかは分からないが、そんな風に言ってくれる人は初めてだった。
一方のリリーも、一瞬呆然としたが、やがて驚きが怒りに変わっていったのだろう、顔を真っ赤にして言う。
「ちょっと! これはお姉様が落としたって言ったのが聞こえなかったの!?」
「ですがわたくしは見てしまいましたので」
ジークは丁寧に、しかし毅然と言った。これまで自分が言ったことが全て正しくなったリリーは、彼の正面からの反論に顔を真っ赤にした。
が、やがて「見間違えですわ」と言い残すと憤然としてその場を離れていった。
「大丈夫ですか?」
残された私にジークは尋ねる。
「うん。あなたは私を信じてくれるの?」
「はい、屋敷内で様々な噂は耳にしますが、私は自分の見たものしか信じませんので」
ジークは毅然として言った。
それから私は周囲の目を盗んで彼と話すようになった。私が執事と仲良くしているところを見られれば、リリーあたりが悪意のある噂を流しかねない。
ジークは唯一私の話をきちんと聞いてくれた。もちろん彼にもこの状況をどうすることも出来なかったが、自分の話を聞いて共感してくれる人がいるだけでも十分救われるというものである。たったそれだけのことで、そのころの私は幸せだった。
それから数週間後のことである。
私はいつものようにジークの姿を探したが、一向に見つからない。
翌日も、その翌日も、翌々日も。
たまりかねた私は父上に尋ねた。
「あのジークという執事はどうしましたか?」
「ああ、彼はクビになったよ。何でもメイドにセクハラしたらしい」
何でもないように話す父上の言葉を聞いて私は愕然とした。
そしてすぐに、あの優しかったジークがそんなことをする訳がない、という思いが込み上げてくる。
「そ、それは本当ですか!?」
「ああ、本当だ」
そう言って父上は一人のメイドの名を挙げる。彼女はリリーに親しく、よく仲良く話しているメイドだった。
続いてあの時のリリーの怒った顔を思い出す。
「リリー!?」
これまで何をされても怒らなかった私もこの時ばかりは怒った。
すぐに部屋を出ると、慌ててリリーの部屋に押し入る。
荒々しくドアを開けて乗り込んできた私に、呆気にとられた表情でリリーは尋ねる。
「どうしましたか? そんなに慌てて」
「リリー! ジークをクビにしたのはあなたの仕業!?」
「ああ、その話ですか……さあ、何のことでしょう?」
そう言ってリリーは可愛らしく小首をかしげてみせる。
それを見て私は確信した。これは彼女がしてやった、と思っている時の表情だと。たった一人の味方すらリリーの陰謀で追い出されてしまった。無力感に苛まれた私はその場にへなへなと崩れ落ちる。
私のせいだ。きっとあの時彼は私に味方してリリーに楯突いたからこんなことになってしまったんだ、と。
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