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時は経ち
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アルサイドが家から去り、三年が過ぎるとクラウディオは村から離れる決意をする。
☆★
「アルサイドは国の為に頑張っているのかしらね!」
「アルサイドから連絡はないのか?」
「アルサイド、帰って来ないのか?忙しいんだなぁ。」
クラウディオが村を歩く時、相変わらず村中の人達からの挨拶と言えば、兄の事であった。今まで、一緒に住んでいた頃はまだうまく答える事が出来ていたが、全く音沙汰も無い兄の事を聞かれるのはだんだんと肩身が狭いと感じていた。なんて答えたらいいのか分からないし、だからと言って答えないのも違ったからだ。
両親も、夕飯にお祝いをしただけで、最初のうちは大金の入った巾着袋を使う事もなく大事そうに抱え、眺める日々を送っていた。
だが、やはり目の前にある大金に少しずつであればと贅沢をし始め、中身が尽きそうになってきていた。慎ましく暮らせば、当面困らないほどの金額であったはずなのだが、両親はお金の使い方を分かっていなかった為にみるみる中身が減っていった。なんせ、今までは自給自足で生活していたのだ。たいていのものは自分達で作り、身近にあるもので工夫をして生活していた。お金なんて手にする事はこれまでほとんどといっていいほど無かったし、必要もなかった。
それがいきなり、大金を手にしてしまった。隣の街へ行き酒などの嗜好品の味を一度でも覚えてしまえば、癖になってしまうというもの。
だんだんと減るその巾着袋の中身を見てはため息を吐き、アルサイドの名前を何度も繰り返したり、愚痴っている両親の姿を見る事は、クラウディオには辛かった。
そして、父親は飲み慣れていない強い度数の酒を浴びるように飲んだ事で体を壊して亡くなり、母も残っていた酒を飲んだあとに酔っていたのか足を滑らせ、打ち所が悪く後を追うように亡くなったのが引き金となり、クラウディオはとうとう、村を離れる事としたのだ。
両親を弔ったあと、残りがわずかとなった巾着袋の中身と、家も好きに使っていいと村の人達に伝えて渡し、クラウディオは数えるほどの手荷物を持ってその村をあとにした。
ーーー
ーー
ー
そしてさらに二年が過ぎ、クラウディオは十五歳となっていた。
クラウディオは、村を出て近くの集落などを転々としながらその日必要なだけのお金を日雇いで稼ぎ、市場や食堂などで食事を済ませて暮らしていた。クラウディオの村での生活は、全く楽でもなかったが今のこの生活の為だったのかと思うほど随分と役に立っていた。
本来であれば兄がするべき家の事の分までもいかに効率良く出来るかと日々考えながら行っていた為、腕や胸、足にも筋肉が大きな実のようにつきしっかりとした体つきとなっていた。背も一般的よりも高く伸び、昔から赤かった髪は変わらず肩まで無造作に伸びている。それは、傭兵といわれても違わないほどの体躯で、どこへ行っても力仕事をいとも簡単にこなす為、たいそう喜ばれ、給金もそれなりにもらえていた。その為、その日暮らしではあるが、村にいた頃に比べてずいぶんといい生活が出来ていた。
そして最近になり、アルサイドの噂もちらほらと聞くようになった。今までは聞かなかったが賑やかな街へ来たからなのかもしれないとクラウディオは思う。『奇跡の聖人があらゆる人を救った』だの、『奇跡の聖人が街を救った』だのと食堂、道端、商店のあらゆる場所で囁かれる。
だが、その度にクラウディオは自分の兄の話であるだろうと思い、むず痒い気持ちと、なんだか聞きたくない気持ちがせめぎ合いなんとも変な気持ちになり、毎回その話題が耳に入ると最後まで聞く事も無く席を立ったり、違う道に逸れたりしていた。
(夕飯は何にしようかな。やっぱり、簡単だし美味しいし、川魚を捕ろうかな!)
クラウディオは草木に囲まれた街道を歩いている。街の食堂ではさまざまな情報が入手出来るのは有難いが、兄の話題が上がる事もある為、こうやって外で一人で食べる方が気が楽だとクラウディオは良くこうしていた。
水音が聞こえるので、この街道を少し逸れると川があるのだろうと思っていたクラウディオは、何処からか聞こえてくる人の声に耳を澄ます。
「もう少し、そう!あ、もうちょっと…貸して!…わ!」
(なんだ?もうすぐ日没だけど…。)
女の子の声が聞こえたと思うと、バシャーンと水が勢いよく跳ねる音がし、叫び声が聞こえる。
「ミュリエル様!?いやー!!」
「え?おい!?」
(!?)
クラウディオは咄嗟に体が動いていた。
声のする方へ駆け出すと、川辺でクラウディオと同じく若者の男女が二人、立っていて川を焦った様子で見ている。川では、顔がかろうじて見える人がバタバタと手を動かしている。
女の方は未だ叫び声を上げていて、男の方は持っていた袋をその場に投げ、川へと手を伸ばしているが届かないらしく、空を切っていた。
クラウディオは手荷物を傍に落とすように置き、躊躇せずザブザブと川へと入っていった。
「おい!大丈夫か!?」
川に入ると、すでに人がゆっくりと流れていた為に慌ててクラウディオがその体をがっしりと片手で掴み、もう片方の手で水を掻いて川から引っ張り上げ、横抱きにして立ち上がったところでもう一度声を掛ける。
「しっかりしろよ。」
クラウディオは少し川から離れたところまで行き、抱えていた人を川原に下ろした。
「大丈夫か?」
「ミュリエル様ぁ!」
「あの、ありがとうございます!」
傍に寄って来た二人は、しきりにクラウディオへとお礼を言ったが、クラウディオはそれには答えず、こちらを急いだ方が良いと溺れかかっていた人を横向きにして背中を軽く叩く。
「ゲホッゲホッ!」
と、水を吐き出してやっと意識を取り戻した事に安堵すると、クラウディオは膝をついて一息つく。
「何をやっていたんだ?」
息を吹き返した事でやっとクラウディオは、振り向いてお礼を言ってきた二人に問いかけた。
(川に抱えるほどの大きな袋を置いていたのか?何故だ?)
先ほど彼らがいた所には、川辺の水面との境に麻袋がいくつも並べられて置いてある。
「土嚢を置いていました。水害対策です。」
「水害…」
川辺で、ミュリエル様と叫び声を上げていた女性の方がクラウディオの質問に答える。
「ありがとうございます!!ミュリエル様を助けて下さいまして、本当になんとお礼を言えばよろしいのやら…!」
そして、目に涙を浮かべながらそのようにまた声を上げる。
「ゴホッゴホッ…あ、ありがとうございます。」
溺れた、ミュリエルと言われた女性は息を整えつつ礼を口にする。
「おい、ミュリエル、だから言っただろう!オレらには無理だって!」
安心したからなのか、男性の方はミュリエルに向かって苦言を呈している。
「何言ってるのよ!バスコはミュリエル様をお守りするのが仕事でしょうに!」
「はぁ?だけどよオデット、オレ、泳いだ事ないんだから仕方ないだろ!?」
「ゴホッ…バスコ…オデット…止めなさい。
ふぅ…私、ミュリエル=ロマーノと申します。こちらはオデット、そしてバスコです。
この度は助けていただき本当に助かりました。先日の雨で、水嵩がいつもより増えていたので不覚にも足を取られてしまいました。ありがとうございます。」
「僕はクラウディオ。水害対策をしていたの?君たちが?」
クラウディオは、話し振りからしてミュリエルは何処かのお嬢様で、オデットとバスコはその世話係なのだろうと理解する。年齢も、クラウディオと同じくらいではないかと推測する。
ロマーノとはこのロマーノ領を管理している貴族の家名であったが、小さな村の出身で、学問も受けていないクラウディオにはそんな事知る由もなかった。
しかし、見た所自分と同じくらいの子がそんな事をなぜするのだろうと疑問に思った。
「ええ。お父様は忙しいの。ですから私が出来る事は進んで手伝おうと思ったのよ。」
「結果的に、出来る事ではなかったんだよ。」
「こら、バスコ!なんでいつもミュリエル様にそんな口をきくのよ!」
「…ここ辺り一面を、土嚢で?」
ここがどのような災害に見舞われるのかクラウディオは初めて来た場所であった為に分からなかったが、土嚢を川辺に敷き詰めるにはいささか無謀ではないかと思った。見れば周りには人はいない。やるにしても、もう少し人手を増やすとか、力仕事が出来る男にやらせるとかいくらでも他にやり方はあるだろうと思ったのだ。
「そうよ。やらないよりはマシでしょ?ここの川は普段は穏やかなの。でももう少しすると長雨の時期になるわ。大雨が降るとしばしば流れ出てくるのよ。この前は良かったけど、いつ向こうに溢れるか分からないもの。対策は必要でしょ?」
そうは言っても、土嚢でなんとかなるものなのかとクラウディオは思う。
クラウディオの村では足首ほどの水量の小さな川しかなく、水が溢れ出た事はなかった為に想像が出来なかった。
ここの川は、対岸までは五メートル以上はありそうで、深さもそれなりにありそうだと見てとれ、こんなに大きな川を土嚢で囲うのはとてつもなく大変だろうと思ったたからだ。
「…そう。とにかく、土嚢を並べるのならもう少し人手があった方がいいんじゃないかな。でも日も暮れるし、風邪を引くといけないからもう今日は帰った方がいいと思う。」
「そうしましょう!ミュリエル様、帰ったら温かいお風呂を急いで沸かしますから!」
「ミュリエル、歩けるか?オレがおぶって行くか?」
「自分で歩けるわ。
それよりクラウディオ、あなたはどうしてここに居るの?」
「?どうして、とは?」
「うちに御用だったの?それとも旅人なのかしら。もしよければ、うちに来てくれない?せめてものお礼として、夕食に招待するわ。」
「…いや、遠慮しておく。それより、家は近いのかい?溺れ掛けたのだから無理をするのは良くない。見たところ彼が君を運べるとは思えないんだが、僕が運ぼうか。」
バスコの背丈はミュリエルより少し高いくらいで細身であった。それなら体躯のしっかりした自分がと思い口に出したクラウディオ。意味はそれ以上でも以下でもなく、ただ体が大きい自分がした方がいいと申し出ただけであったのだが。
「はぁ?お前、喧嘩売ってんのか!?」
口の悪いバスコはそのように掴みかかる勢いで言う。
「バスコ!
クラウディオ、ありがとう。心遣いは嬉しいけれど、恥ずかしいから歩いて帰るわ。…ねぇ、本当に来てくれないの?」
上目遣いでそのようにミュリエルに見られたクラウディオは、不覚にも胸が高鳴った。ミュリエルは腰までの長さの金髪が水に濡れてキラキラと輝いている。幼さが残るミュリエルの顔は目がくりくりとしていて鼻筋は通っており口は小さく、とても可愛いと思ったのだ。
だが、自分はお礼をして欲しいから助けたわけではないと、かぶりを振って再度口に出した。
「…では、気をつけて。」
そういって、名残惜しそうに見つめてくるミュリエルに背を向けてクラウディオはいそいそとその場を去った。
☆★
「アルサイドは国の為に頑張っているのかしらね!」
「アルサイドから連絡はないのか?」
「アルサイド、帰って来ないのか?忙しいんだなぁ。」
クラウディオが村を歩く時、相変わらず村中の人達からの挨拶と言えば、兄の事であった。今まで、一緒に住んでいた頃はまだうまく答える事が出来ていたが、全く音沙汰も無い兄の事を聞かれるのはだんだんと肩身が狭いと感じていた。なんて答えたらいいのか分からないし、だからと言って答えないのも違ったからだ。
両親も、夕飯にお祝いをしただけで、最初のうちは大金の入った巾着袋を使う事もなく大事そうに抱え、眺める日々を送っていた。
だが、やはり目の前にある大金に少しずつであればと贅沢をし始め、中身が尽きそうになってきていた。慎ましく暮らせば、当面困らないほどの金額であったはずなのだが、両親はお金の使い方を分かっていなかった為にみるみる中身が減っていった。なんせ、今までは自給自足で生活していたのだ。たいていのものは自分達で作り、身近にあるもので工夫をして生活していた。お金なんて手にする事はこれまでほとんどといっていいほど無かったし、必要もなかった。
それがいきなり、大金を手にしてしまった。隣の街へ行き酒などの嗜好品の味を一度でも覚えてしまえば、癖になってしまうというもの。
だんだんと減るその巾着袋の中身を見てはため息を吐き、アルサイドの名前を何度も繰り返したり、愚痴っている両親の姿を見る事は、クラウディオには辛かった。
そして、父親は飲み慣れていない強い度数の酒を浴びるように飲んだ事で体を壊して亡くなり、母も残っていた酒を飲んだあとに酔っていたのか足を滑らせ、打ち所が悪く後を追うように亡くなったのが引き金となり、クラウディオはとうとう、村を離れる事としたのだ。
両親を弔ったあと、残りがわずかとなった巾着袋の中身と、家も好きに使っていいと村の人達に伝えて渡し、クラウディオは数えるほどの手荷物を持ってその村をあとにした。
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そしてさらに二年が過ぎ、クラウディオは十五歳となっていた。
クラウディオは、村を出て近くの集落などを転々としながらその日必要なだけのお金を日雇いで稼ぎ、市場や食堂などで食事を済ませて暮らしていた。クラウディオの村での生活は、全く楽でもなかったが今のこの生活の為だったのかと思うほど随分と役に立っていた。
本来であれば兄がするべき家の事の分までもいかに効率良く出来るかと日々考えながら行っていた為、腕や胸、足にも筋肉が大きな実のようにつきしっかりとした体つきとなっていた。背も一般的よりも高く伸び、昔から赤かった髪は変わらず肩まで無造作に伸びている。それは、傭兵といわれても違わないほどの体躯で、どこへ行っても力仕事をいとも簡単にこなす為、たいそう喜ばれ、給金もそれなりにもらえていた。その為、その日暮らしではあるが、村にいた頃に比べてずいぶんといい生活が出来ていた。
そして最近になり、アルサイドの噂もちらほらと聞くようになった。今までは聞かなかったが賑やかな街へ来たからなのかもしれないとクラウディオは思う。『奇跡の聖人があらゆる人を救った』だの、『奇跡の聖人が街を救った』だのと食堂、道端、商店のあらゆる場所で囁かれる。
だが、その度にクラウディオは自分の兄の話であるだろうと思い、むず痒い気持ちと、なんだか聞きたくない気持ちがせめぎ合いなんとも変な気持ちになり、毎回その話題が耳に入ると最後まで聞く事も無く席を立ったり、違う道に逸れたりしていた。
(夕飯は何にしようかな。やっぱり、簡単だし美味しいし、川魚を捕ろうかな!)
クラウディオは草木に囲まれた街道を歩いている。街の食堂ではさまざまな情報が入手出来るのは有難いが、兄の話題が上がる事もある為、こうやって外で一人で食べる方が気が楽だとクラウディオは良くこうしていた。
水音が聞こえるので、この街道を少し逸れると川があるのだろうと思っていたクラウディオは、何処からか聞こえてくる人の声に耳を澄ます。
「もう少し、そう!あ、もうちょっと…貸して!…わ!」
(なんだ?もうすぐ日没だけど…。)
女の子の声が聞こえたと思うと、バシャーンと水が勢いよく跳ねる音がし、叫び声が聞こえる。
「ミュリエル様!?いやー!!」
「え?おい!?」
(!?)
クラウディオは咄嗟に体が動いていた。
声のする方へ駆け出すと、川辺でクラウディオと同じく若者の男女が二人、立っていて川を焦った様子で見ている。川では、顔がかろうじて見える人がバタバタと手を動かしている。
女の方は未だ叫び声を上げていて、男の方は持っていた袋をその場に投げ、川へと手を伸ばしているが届かないらしく、空を切っていた。
クラウディオは手荷物を傍に落とすように置き、躊躇せずザブザブと川へと入っていった。
「おい!大丈夫か!?」
川に入ると、すでに人がゆっくりと流れていた為に慌ててクラウディオがその体をがっしりと片手で掴み、もう片方の手で水を掻いて川から引っ張り上げ、横抱きにして立ち上がったところでもう一度声を掛ける。
「しっかりしろよ。」
クラウディオは少し川から離れたところまで行き、抱えていた人を川原に下ろした。
「大丈夫か?」
「ミュリエル様ぁ!」
「あの、ありがとうございます!」
傍に寄って来た二人は、しきりにクラウディオへとお礼を言ったが、クラウディオはそれには答えず、こちらを急いだ方が良いと溺れかかっていた人を横向きにして背中を軽く叩く。
「ゲホッゲホッ!」
と、水を吐き出してやっと意識を取り戻した事に安堵すると、クラウディオは膝をついて一息つく。
「何をやっていたんだ?」
息を吹き返した事でやっとクラウディオは、振り向いてお礼を言ってきた二人に問いかけた。
(川に抱えるほどの大きな袋を置いていたのか?何故だ?)
先ほど彼らがいた所には、川辺の水面との境に麻袋がいくつも並べられて置いてある。
「土嚢を置いていました。水害対策です。」
「水害…」
川辺で、ミュリエル様と叫び声を上げていた女性の方がクラウディオの質問に答える。
「ありがとうございます!!ミュリエル様を助けて下さいまして、本当になんとお礼を言えばよろしいのやら…!」
そして、目に涙を浮かべながらそのようにまた声を上げる。
「ゴホッゴホッ…あ、ありがとうございます。」
溺れた、ミュリエルと言われた女性は息を整えつつ礼を口にする。
「おい、ミュリエル、だから言っただろう!オレらには無理だって!」
安心したからなのか、男性の方はミュリエルに向かって苦言を呈している。
「何言ってるのよ!バスコはミュリエル様をお守りするのが仕事でしょうに!」
「はぁ?だけどよオデット、オレ、泳いだ事ないんだから仕方ないだろ!?」
「ゴホッ…バスコ…オデット…止めなさい。
ふぅ…私、ミュリエル=ロマーノと申します。こちらはオデット、そしてバスコです。
この度は助けていただき本当に助かりました。先日の雨で、水嵩がいつもより増えていたので不覚にも足を取られてしまいました。ありがとうございます。」
「僕はクラウディオ。水害対策をしていたの?君たちが?」
クラウディオは、話し振りからしてミュリエルは何処かのお嬢様で、オデットとバスコはその世話係なのだろうと理解する。年齢も、クラウディオと同じくらいではないかと推測する。
ロマーノとはこのロマーノ領を管理している貴族の家名であったが、小さな村の出身で、学問も受けていないクラウディオにはそんな事知る由もなかった。
しかし、見た所自分と同じくらいの子がそんな事をなぜするのだろうと疑問に思った。
「ええ。お父様は忙しいの。ですから私が出来る事は進んで手伝おうと思ったのよ。」
「結果的に、出来る事ではなかったんだよ。」
「こら、バスコ!なんでいつもミュリエル様にそんな口をきくのよ!」
「…ここ辺り一面を、土嚢で?」
ここがどのような災害に見舞われるのかクラウディオは初めて来た場所であった為に分からなかったが、土嚢を川辺に敷き詰めるにはいささか無謀ではないかと思った。見れば周りには人はいない。やるにしても、もう少し人手を増やすとか、力仕事が出来る男にやらせるとかいくらでも他にやり方はあるだろうと思ったのだ。
「そうよ。やらないよりはマシでしょ?ここの川は普段は穏やかなの。でももう少しすると長雨の時期になるわ。大雨が降るとしばしば流れ出てくるのよ。この前は良かったけど、いつ向こうに溢れるか分からないもの。対策は必要でしょ?」
そうは言っても、土嚢でなんとかなるものなのかとクラウディオは思う。
クラウディオの村では足首ほどの水量の小さな川しかなく、水が溢れ出た事はなかった為に想像が出来なかった。
ここの川は、対岸までは五メートル以上はありそうで、深さもそれなりにありそうだと見てとれ、こんなに大きな川を土嚢で囲うのはとてつもなく大変だろうと思ったたからだ。
「…そう。とにかく、土嚢を並べるのならもう少し人手があった方がいいんじゃないかな。でも日も暮れるし、風邪を引くといけないからもう今日は帰った方がいいと思う。」
「そうしましょう!ミュリエル様、帰ったら温かいお風呂を急いで沸かしますから!」
「ミュリエル、歩けるか?オレがおぶって行くか?」
「自分で歩けるわ。
それよりクラウディオ、あなたはどうしてここに居るの?」
「?どうして、とは?」
「うちに御用だったの?それとも旅人なのかしら。もしよければ、うちに来てくれない?せめてものお礼として、夕食に招待するわ。」
「…いや、遠慮しておく。それより、家は近いのかい?溺れ掛けたのだから無理をするのは良くない。見たところ彼が君を運べるとは思えないんだが、僕が運ぼうか。」
バスコの背丈はミュリエルより少し高いくらいで細身であった。それなら体躯のしっかりした自分がと思い口に出したクラウディオ。意味はそれ以上でも以下でもなく、ただ体が大きい自分がした方がいいと申し出ただけであったのだが。
「はぁ?お前、喧嘩売ってんのか!?」
口の悪いバスコはそのように掴みかかる勢いで言う。
「バスコ!
クラウディオ、ありがとう。心遣いは嬉しいけれど、恥ずかしいから歩いて帰るわ。…ねぇ、本当に来てくれないの?」
上目遣いでそのようにミュリエルに見られたクラウディオは、不覚にも胸が高鳴った。ミュリエルは腰までの長さの金髪が水に濡れてキラキラと輝いている。幼さが残るミュリエルの顔は目がくりくりとしていて鼻筋は通っており口は小さく、とても可愛いと思ったのだ。
だが、自分はお礼をして欲しいから助けたわけではないと、かぶりを振って再度口に出した。
「…では、気をつけて。」
そういって、名残惜しそうに見つめてくるミュリエルに背を向けてクラウディオはいそいそとその場を去った。
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