測量士と人外護衛

胃頭

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 エメラルドグリーンの水面に落ちた尿は拡がることなく渦巻いて綺麗に消えていく。また一段と澄んだ湖は輝きを増し浮葉植物の周りに瑠璃色の小さな花が咲いた。
 エルに抱き付いたままフジは動けないでいる。
 顔を上げて、表情は読めないがきっとエルに引かれている。なんたって目の前で知り合ったばかりの男が連続射精に尿道責めからの放尿だ。彼は自分を好きだと言ってくれた。だからと言って見せ付けるには余りにも品が無い喘ぎ声だった。
 エルを好きかと聞かれたら好きだと答えられる。しかし愛しているかと聞かれたらどう答えたらいいかわからない。フジは今まで恋愛をしたことがない。お人好しで愛想が良い割に淡白な性格で人と深い関係になることが少なかったのもあるがいちばん大きな要因は置かれた環境だ。

 フジの祖父と父は国に数十人しか存在しない測量士だった。フジも幼い頃、測量の依頼で色んな土地に赴くふたりに着いて周り様々なことを教わった。その頃はまだ環境汚染も進んでおらず区間を跨いで移動も出来たし、庶民でも飛行機や電車、船に車なんでも乗れた。北に行けば北にしか咲かない花があり、南に行けば南にしか生息しない生き物がいた。自分もふたりのような測量士になると幼いフジは信じて疑わなかった。
 フジが十歳を迎えた頃、世界は一変する。
 土壌が死に絶え人々が住める地域が縮小し、新たな建設は禁止された。交通機関も廃止され道路やトンネルはもちろん必要なくなった。祖父と父は職を失った。祖父はもういい歳だからとそのまま隠居し、父は日雇い労働で日々の金を稼いでいたが不景気のその時代金払いは悪く、それでも母と二馬力でなんとかフジは小学校を卒業できた。
 だが地球環境は悪化の一途を辿る。
 その年の冬は例年になく寒かった。空気が汚れ太陽を見たのはもうどのくらい前か分からない日々が続いたある日、祖父母が死んだ。
 祖父母は自宅で餓死していた。職も無く金は底をつき、必死に働き幼い子どもがいる息子夫婦に無心するのも躊躇われそのまま飢え死んだらしい。父も母も、勿論フジも泣いた。しかし現実は残酷で葬儀してあげられる金もなく、野外焼却は法律で厳しく禁止されていたので二人の遺体は庭に埋める他なかった。
 翌年、母が死んだ。不整脈による突然死だ。痩せ細った母の遺体は見るも無惨で大気汚染によるアレルギー疾患で手足は掻きむしられ皮膚炎を起こしていた。思い出すは苦しいだろうに、お腹も空いてるだろうに、食事を多めによそってくれる母の笑顔だ。綺麗な人だった。黒髪が美しく、肌も白く滑らかで健康的な人だった。それが、どうして、乾燥した白髪混じりの髪と赤くボロボロに荒れた肌、骨と皮だけの体に言葉が出ない。母も祖父母と同じように庭に埋めた。
 父がおかしくなり始めたのはその頃だ。
 穏やかな父はもういない。怒鳴り散らし暴れ家中のものを壊したかと思えば子どものように大泣きしてフジを抱き締めた。お前だけだ、お前だけなんだと何度も何度も泣き叫んでいた悲痛の声を今でも覚えている。
 そんな折、父が慌てて家に帰って来た。
 
『未知の新大陸発見!人類の希望エスポワ大陸探索第一陣募集中!』

 募集要項に測量士と書かれたそれを持って来た父は喜んでいた。期間は最大1ヶ月、給与は…父が日雇い労働で2年間働き続けて手に入る金だった。危険な場所ではないのか、今の精神状態の父が行っても大丈夫なのだろうかとフジは心配したが測量士の仕事だと、金が手に入ると、美味しいもの食べようなと楽しげに笑う父を見てフジは何も言えなかった。昔母にもらった手作りの御守り、ずっと持っていたそれを父に渡し渡航を見送った。
 1ヶ月後、帰還した父は気が狂っていた。
 総勢50名で上陸し帰還したのは測量士の父と軍人の二人だけだった。正気を失った父の記憶と心は在りし日の幸せだったあの頃に囚われ朝起きて測量の仕事だと区間を出て行こうとしたり、母を仕切りに探したり、祖父母に会いに行こうとフジを誘う。そんな日はまだマシな方で大気汚染された空気を目一杯吸い込んだり、枯れ果てた野菜のカスを美味しそうに食べたり、腐乱死体が浮く川の水を飲もうとする時もあった。フジひとりでは見切れず父の稼いだ金で病院に入れ、仕事が休みの日には何度も会いに行ったが日に日にやつれ遂に父はフジを息子と認識しなくなった。
「ハルコ」
 母の名を呼ばれ「違うよ父さん」と何回否定したかもう覚えていない。10年経った。それでも父は良くならない。入院費もバカにならず、幼馴染に紹介された事務仕事で何とか平均より高い金を貰っているお陰でなんとか父もフジも生き延びている。
 相変わらず人類は衰退していた。
 結婚の禁止、子作りの禁止、同性愛推奨、自殺推奨、この世の終わりだと思った。



「フジ」

 掴んでいた体が揺れ動く。フジはまだエルの顔を見る勇気が無くて彼にしがみついたままひたすら水面だけを見つめた。ポタリ、ポタリ、と赤が落ちる。

「どうやら貴方の力だけでは足りなかったらしい。貴方の頑張りを無碍にしたくない、すまないが後は頼んだ」

 鮮紅が飛ぶ。ボタ、ボタボタボタと流れる赤に驚いて顔を見上げるとエルが手首を短剣で切り裂いていた。目を見開くフジの腕の中でガクリと体が落ちるのを必死に支えるも体格差があり抱えきれない。水面にエルを仰向けに浮かせ腰回りを掴みながらゆっくりと陸地へ運んで行く。ゆらゆらと足跡のように流れていく血はくるりと渦巻き、エルの命を吸い取った湖はますます光り輝き透き通る。
 ほとりまでエルを運び上半身だけでもと陸に上げようと試みる。長時間水の中にいたせいで足の裏がふやけ痛みが増し力が入らなかったが、ドクドクと流れ続ける血の量にゾッとして不格好ながらなんとか持ち上げた。急いでフジも陸に上がり植物を四つん這いで取りに行きエルの側で葉を膨らませパチンと弾けさせるとシュワシュワと音を立て傷が癒えていく。フジの足は数分で元に戻ったがエル手首の傷は深いのかまだ光の粒は泡立ったままだった。
 速く浅かった呼吸が徐々に落ち着くのを見てホッとする。下半身も陸に上げてやり湖畔まで移動しようかと考えて無理に動かすのを躊躇われやめた。

「エル…」

 死にゆく人をたくさん見てきた。
 今の時代じゃ生きてる知人より死んだ知人の方が多いのは珍しい話じゃない。いつしか『死は別れではない、再会なのだ』と説き始めた宗教家がいた。いずれ地球は滅び人類は絶滅するのだと。だからこの世に生きる全ての者の行きつく先は皆同じだと路上で語っていたのを見かけたことがある。
 エルに寄り添うように横たわり静かな湖畔でひとり泣いた。

 
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