測量士と人外護衛

胃頭

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 目が覚めると空は赤と紫に染まっていた。
 エルはまだ目が覚めていないようでフジは不安になったが、手首から溢れ出ていた大量の血は止まっていた。ぶるりと体が震える。濡れたまま寝ていたせいで芯から冷えてしまったらしい。アンダーウェアとパンツを脱ぎ捨て湖に潜る前に置いておいたアウターとズボンを履き、エルの服はどうしようかと思案する。
 重そうな軍服もぐっしょりと濡れて体が冷えているはずだ。脱がせて大きめのタオルがあったからそれを巻いて、焚き火をして体を温めてやらないと。
 エルに近寄り服に手を掛けようとして、躊躇われる。彼は決して肌を見せようとしなかった。寝る時もこのままで、食事もストローでなにかを吸っているだけで口元さえ見せなかった。脱がしてもいいものか。悩んだがそれよりも冷えて凍えてしまうかもしれない彼の体への心配が勝る。後で怒られるのを覚悟しながら上着に手をかけようとしてピクリと肩が揺れた。

「エル…!」

 ゆっくりと起き上がり自分の体をペタペタと確認した後「ありがとう」とフジを見て頷くエルに様々な感情が昂り泣き出しそうになるのをグッと堪えた。
 醜態を見せ付けたことへの居た堪れなさ、自分を簡単に犠牲にするエルへの怒り、言いたい事はたくさんあった。だが今はとりあえず体を温め休むべきだろう。

 

 パチパチの火の粉が爆ぜるのをぼんやりと眺めた。向かいにいるはずのエルは居ない。血で汚れた服を洗いに近くに流れる小川へ行っている。
 今日はここを宿としようと決めてからいつも通りテキパキと火と寝床と食事の準備をし終えた彼はそそくさと逃げて行くように川へ向かってしまった。正直あの痴態を思い出すと顔から火が吹き出しそうなのでひとりの時間はありがたかったかもしれない。

「うっ…恥ずかしい…」

 初めて他人に性器を撫でられた感覚も尿道から這い上がる冷たい水の異物感、前立腺を捏ねられ膀胱を突かれ放尿した快感は今も体を震わせた。
 エルはどう思っただろうか。
 気まずそうに背を向けて行ってしまった彼を思い出しため息を吐いた。やはり顔も見たくないと思われているのかもしれない…それもそうだ、あんな恥ずかしい…。
 
 「はぁ…」

 深くため息を吐くフジの耳にガサガサと草木を分ける音が入る。すくりと立ち上がり暗い森の方へと警戒するように体を向ければヨタヨタと豚のような薄ピンク色の生き物が姿を現した。初めて見る動物らしい動物のソレは脇腹に怪我を負っているようでボタボタと血を流し森からゆっくりとフジのいる方に歩いて来た。

「お前、ケガを…」

 治癒出来る植物を咄嗟に手に取り子豚のような生き物に駆け寄ったフジはバチン!と鞭に打たれたような鋭い痛みと衝撃に思わずよろめき尻餅をつく。見上げると子豚のようなそいつの後ろからヒョロリと長い尻尾が伸びていた。皮膚が裂け真っ赤になった手の甲を抑えながら、警戒されているのだとその時気付いた。

「大丈夫だよこれで治すだけだから」

 「ほら」とシュワシュワと泡立ち手の甲が綺麗に癒えていく様を見せてやると、警戒を緩めたらしく鋭く目くじらを立てていた瞳は意識が朦朧としているようで重く閉じられた。フラフラと揺れ限界が来たのかやがてバタリとその場に倒れたそいつに慌てて近寄りフジは傷を癒してやる。腹の半分ほどが鋭い何かで抉られたのか皮膚は剥ぎ取られ内臓が剥き出しになっていた。
 (よく生きてここまで逃げてこれたな…)
 これほどの大きな傷を治すのにはどのくらい時間を要するのだろうか。明日の朝には出発する予定だとエルは言っていたが、このままの状態でこいつを置いて行ってしまうのは気が引けた。
 30センチほどの大きさで色は薄ピンク、手足が八本あることと長い尾があること以外はフジの知る豚と相違なかった。息苦しそうなそいつが可哀想で思わず頭を撫でてやる。小さく柔らかく温かい。動物を触ったのはいつぶりだろうか。
 この大陸にも命がある。
 人の命を奪う虫も、苗床にするキノコも、体液を栄養とする湖もみな生きようとしているだけだ。そこに勝手に人が入り込み新たな住処にしようとしていることへの違和感。フジは自分の中にあった疑問がジワジワと心に広がっていくのを感じた。
 
 膝の上に子豚を乗せ回復を待っているとまたガサリと音が鳴る。
 今度はエルかと期待して目を向ければそこに居たのは蛙だった。と言ってもフジの知る蛙ではない、大きいのだ、とんでもなく。フジの腰ほどの大きさの蛙に驚いていると、ガサリ、ガサリと次々と同じ大きさの蛙が森から湖畔へとピョンピョンと飛び出してくる。あっという間にぐるりと湖を囲うように現れた大量の蛙たちは途端にゲコゲコゲコゲコと鳴き出すもその音量に鼓膜が破けそうだった。数十匹はいるであろう蛙たちはそのまま湖へと跳ねボチャン!ボチャン!と飛び込んで行く。
 その光景を呆然と見ているフジの目の前でゲコ!と大きく鳴いた蛙に驚く。まさかこちらに興味を示すとは思わなかったのだ。

「っ、ぅわ!」

 折り畳まれた筋肉質な足が伸び、子豚を抱えるフジの尻をポーンと蹴り上げ背中に乗せられた。大きく広い蛙の背中はゴムのようにぶにぶにと弾力性がある。手負いの子豚を落とさないよう必死に抱き込み何をされるかわからない不安と恐怖でいっぱいになっていると蛙はグググ…と屈伸し思い切り、跳ねた。



 

「え…?」

 浮遊感。
 気付けば森の木々を越え大陸を一望できるほどの高さまで飛ばされていた。一面真っ暗な大陸だったが海の際では人工的な光がチラホラ見えた。きっとあの光は人が介入した証なのだろう。
 そんな事を思ったのも束の間、重力のままに落下する。腕の中の子豚を怪我をしているのも忘れ思いっきり抱き締めてしまう。
 
 落ちる、
 
 落ちる!
 
 落ちる!!
 
 (エル…!!)
 ギュッと目を閉じ来る衝撃の恐怖へと心を縮こませていたフジはいつまでも来ない痛みにソッと目を開けた。
 ――……糸だ。
 格子状の糸がフジを包みぶらぶらと木にぶら下がって揺れる。ハッと子豚を見ればグースカと深い眠りのまま鼻ちょうちんを膨らましておりフジは安心した。
 キョロキョロと周りを見渡しても真っ暗な森の中ではよく分からないが、フジはエルの仕業だと確信していた。「エル!」呼んでも返事が無い。もう一度大きな声で呼ぶと長い沈黙の後ようやく声が聞こえた。

「フジ」
「ああやっぱり貴方でしたか…助かりました。大きな蛙に飛ばされて死んだかと思いました」
「…」
「エル?どうしたんですか?」

 いまだ姿を見せず沈黙を下すエルに不思議に思いながらも「降ろしてくれますか?」と網の中で尋ねてみても返ってきたのはやはり沈黙だった。
 
 
 「フジ」

 長い沈黙を粘着質な網の中で待っていればやっと彼は話し始める。

「どうして何も聞かない…」

 鈍い人間なのだと思っていた。
 重そうな装備を全く外す事なく素顔どころか素肌すら晒さない、食事も飲み物だけで人間離れした力を持つ護衛とやらに何の疑問も持たないこの男は少し鈍い男なのだと、そう思い込んでいた。そう思いたかった。そうでなきゃ『エルが人でないと知りながら』優しく接してくれているんじゃないかとまた期待してしまう自分がいる。

「私は…人ではない」
「ええ」
「やはり気付いていたのか」

 その問いにフジは困ったように笑う。

「どうして…何も言わない」
「逆に聞きますけどなんと言って欲しかったんですか。『貴方は人間じゃないですね』と?貴方は『そうだ』と答えて、私は『そうですか』で終わりです。それだけです」
「騙した、とか…殺さないでくれ、とか…そんな事は考えないのか。この大陸で危険な生き物を見て私もそういった類のものと同じだと思うだろう」
「皆生きようとしているだけです。それは人も同じでしょう。そこに優劣も区別もない」
「私は貴方を殺そうと思えば簡単に殺せるのだぞ」
「なんだそれ!エルがいなきゃ俺はもうとっくに死んでますよ!」

 何がおかしいのか手を叩き楽しげに笑う人間に月の光が当たらない木の陰に息を潜めていたエルは困惑する。何故笑っているのか、何故怯えないのか。

「人か人じゃないかなんてこの世界でそこまで大切なことなんでしょうか。人の皮を被った獣などそこら辺にゴロゴロといるでしょうに。エルは何をもって人を人とするのですか?」
「炭素原子が50%。酸素原子が20%、水素原子が10%、窒素原子が8.5%、カルシウム原子が4%、リン原子が2.5%、カリウム原子が1%…あと水が60%」
「いいですねわかりやすくて」

 人と人でないモノとの境界線など曖昧で、理性があれば、感情があれば、愛があれば、思いやりがあれば人なのか。何をもって人を人とするのか終焉を迎えた世界でひとり考えたこともあった。フジには結果何もわからなかった。
 空が澄んで月が綺麗だと思った。
 遥か昔祖父に星座を教えて貰ったがもうすっかり忘れてしまったのを今更になって後悔している。

「貴方は人じゃない。ただそれだけでしょう」
「…それだけな訳がない。貴方は私を知らないからそんなことが言えるんだ」
「教えてくださいよ」
「駄目だ…貴方を怖がらせてしまう、から…」
「怖がりませんよエルでしょう?」
「私の本当の姿を見ていないからだ!」
「じゃあ見せてよ」

 沈黙。

「エル」
「駄目だ…貴方にまであの目を向けられたらと思うと…私はきっと狂う。嫌悪と憎悪に満ちた目で見られ背中を向けて逃げて行かれたら私は貴方を捕まえて誰にも見つからないところにずっと閉じ込めてどこにも行かないようにしてしまう…」
「いいですよ。私がもし逃げたらそうしましょう」
「だから駄目なんだ。貴方に、そんな、酷いこと…したくない」
「酷いことなんですか?私の大陸よりずっと環境がいいしご飯もエルが用意してくれて働かなくてもいいなんて天国では」
「…またそんなことを言う。私のような化け物に囲われてしまえば貴方も頭がおかしくなってしまうに決まってる。私はそんな貴方を見たくない」
「だからなりませんって…ねえエルさっきから堂々巡りですよ、貴方の本音ハッキリ聞かせて貰えません?」
「………わたしは……貴方がすきだ…」

 震えた声だったが真っ直ぐな気持ちにフジは心が温かくなるのを今度はちゃんと自覚した。
 風もない穏やかな夜だ。環境破壊によりほぼ真夏と冬だけになってしまった人類の住む大陸と同じ地球とは思えないほど穏やかで、静かで、美しい夜だった。
 暗闇からゆっくりと出てくる黒。濡れた軍服は脱いであるらしく体にフィットしたトレーニングウェアを着た人間の体をしたソレが現れる。闇に溶け込む黒の中につるりと光る8個の赤にフジの顔を写した。
 ゆっくり、ゆっくりと近付いて来る彼を見ているとフジを吊るしていた糸の網がほろほろと解けていく。体が落ちる前に背中と膝裏に腕を回され横抱きで受け止められる。

「またお姫様抱っこだ…」
「フジ」
「ああすみません、ははっ…ほら大丈夫でしょ」
「怖くないのか……」
「怯えてるのは貴方でしょエル」

 抱かれる腕が小さく震えていた。こんな大きな体で、フジよりも強いのに、どうしてこんなに繊細で優しいのだろうか。

「…エル?」

 また黙り込むエルを見上げれ反転して映る自分の姿が見えた。彼にはどう見えているのか興味がある。

「わたしを…受け入れて欲しい…」
「ええ受け入れますよ。貴方を怖がらないし逃げないし気も狂いません。安心して俺に愛されましょうね」

 ポタリ、ポタリと落ちてきた涙と漏れ出る声を指摘するのは不躾だろう。フジはただ暖かな胸に体を預け彼が落ち着くまで側にいた。

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