測量士と人外護衛

胃頭

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 賑やかな声が上がり顔を向ければフジが川に尻餅を付き、その体に小さな豚が乗り上げている姿が目に入る。糸を飛ばしてはしゃぐ小豚をフジから引き離し、木の枝に吊るしてやればぷぎぷぎ!と非難するような鳴き声が聞こえてきたがエルはそれを無視した。バシャバシャと濡れ鼠になったフジが陸に上がって来る。タオルを渡してやれば彼は困った顔で笑った。

「びちゃびちゃです」
「今日は風があるから昼過ぎには乾くだろう」

 見上げるエルに釣られて空を仰げば川を挟んだ木と木を結ぶ糸に吊るされた衣服がはためいていた。確かにすぐ乾きそうないい風だ。ここで洗濯をできるとは思ってもいなかったのでとてもありがたい。
 ぷぎぃ…と悲しげな鳴き声にハッとし、ぷらぷらと吊られたままの子豚を助けてやれば喜びの声を上げうりうりと鼻をフジに擦り付けてくる。愛らしい姿に撫でてやろうとするもその手をエルに取られてしまった。

「エル」
「その豚を撫でるより私の手を握っておいた方が安全だ。またいつ昨夜の蛙のような危険生物に出くわすか分からない」
「交尾の邪魔だから吹き飛ばされただけですぐに逃げていれば攻撃して来ないって言ってませんでした?」
「あくまで推測の域を出ない。危険な可能性は十分にある」
「ではこのまま手を繋いで旅を?」
「私はそれでもいい」
「も~!冗談はやめて下さい!」

 パッと手を離し笑いながらフジは着替えに行ってしまう。冗談のつもりではなかったエルは少し寂しげな様子だが心は穏やかだった。愛する人に自分を受け入れてもらえる喜びを初めて知った彼は控えめに言っても浮かれている。

「朝ご飯にしましょー!」
「ああ」

 手を振るフジに呼ばれエルは笑った。
 

 焼き魚のいい匂い釣られぷぎゅぷぎゅと鼻を鳴らす子豚に身を取って食べさせてやるとお腹が空いていたのかまるまる一匹あっという間に平らげてしまう。植物の驚異的な治癒力で大きく切り裂かれていた腹の傷は綺麗さっぱりなくなっていた。
 
 あの後、ポロポロと泣いていたエルに抱き締められていたフジは疲労と安堵からそのまま眠りに付き気付けば朝になっていた。体を起こせば川辺に寝かされており、エルは普段通りのフルフェイスに戦闘服の姿で湖に置いてけぼりになっていた荷を全て運び終えたところだった。手際良く頼りになる姿が輝いて見えるのは惚れた欲目か。思い返せば出会った頃から頼り甲斐のある彼に惹かれていた気がする。恥ずかしいような、擽ったいような、甘酸っぱい気持ちで照れているとか細い鳴き声がどこかから聞こえた。

「ん?…って、わー!?」

 小枝に手足を縛られ丸焼きの準備をされている子豚に慌てて近寄るとぷぎ!ぷぎ!ぷぎ!と大粒の涙を流しながら子豚はフジに助けを乞う。

「食料を獲ってきてくれたのかと」

 そう答えるエルはいつも通り冷静でフジはホッとした。



 見渡す限り白が広がっている。風が吹くたびにゆらゆらと綿毛のような体毛を靡かせているのはこの大陸の羊のような生き物だった。膝下ほどの小さな白くて丸い生き物の間をピンクの子豚がチョロチョロと走る光景はなんだか可笑しかった。

「ファイ!おいで!」

 ぷぎぃ!と甲高く鳴き飛び込んできた子豚を抱え草原を歩いて行く。本当は置いて行った方がいいのだがこの豚は決してフジから離れようとしなかった。8本ある手足で器用に川を泳ぎ陸を走り山を登る機動力がある。さらに長く先端が鋭い尾っぽはフジに襲いかかる毒虫たちを突き刺し守ってくれるものだからエルも「非常食だな」と言いながらも子豚―ファイと名付けたその子を連れて行くことを渋々認めてくれた。
 高原をひたすら歩く。遠目に見える山脈の麓が6番になる。あの山を越えてしまうと第五区画外になってしまうので国によっては即射殺も有り得るらしい。
 と言ってもそこまで人類が到達しているかどうかも怪しいのが現状のため万が一区画外に出てしまったとしてもフジが人間に殺される可能性は殆どゼロに近い。殺されるなら人以外のこの地の生き物だ。

「エル、荷物は重くないですか?」
「大丈夫だ」
「でも私の分まで持たなくても…」
「その子豚を抱えてこれを背負うのは貴方には負担だろう。私は平気だ。言った通り人間よりも力があるんだ頼って欲しい」

 そう言われてしまえばフジはなにも言えずただ感謝の言葉を返し彼を追った。
 
 この草原で二人はたくさん話をした。自分の正体を晒した今、隠すことなど何もなくエルは現在に至るまでのことをフジに教えてくれた。
 エルは蜘蛛だった。
 最初は本当に小さな小さな蜘蛛でエスポワ大陸で生まれた。しかし生まれた頃の記憶は無く大陸のことは勿論、同族のことも何も覚えてはいない。
 エルが自我を持ったのはとある研究室の瓶の中。
 目の前には白衣を来た人間が動いて、話して、考えて、エルを研究して、毎日毎日同じような景色だった。エルの種族は仮定でしかないが『他種族の真似をする』能力を持った生物なのだろう、エルは毎日視界に入れていた人間の姿を模してその小さな体を作り変えた。
 言葉を覚え感情や思考までも人間となったエルだったが、体内組織、構成する元素、血液成分など細かく分析すれば様々な点が人のそれとは違い、また肌の色は漆黒で蜘蛛の特性である粘着性のある糸を体から放出することができた。そして何より最大の相違点は顔だ。そこだけはどうしても真似できず中途半端な醜い姿になってしまった。一部の変態研究者はエルを好意的に受け入れてくれたが、やはり皆が皆そうとは限らない。化け物への憎悪や悪意に苛まれながらも行く宛もなく研究所で己の生態研究と雑務、時々研究者と雑談しながら淡々と日々を過ごした。
 研究所に来て数ヶ月経ったある日。
 生まれた日、家族のことなどなにも知らないエルに研究者のひとりが今日この日を誕生日にしようと言い出した。次の日には見た目を気にしていたエルにフルスモークのヘルメットをプレゼントしてくれた。また次の日にはボディスーツをくれ、その次の日にはバイクをくれた。動画で何度かバイクの乗り方を見てその学習能力の高さで数時間で乗りこなすようになったエルは許可を得て初めて外の世界に出かけた。外は思ったよりも汚くて感動なんてものとは縁遠い世界だったがエルはとても楽しかった。風を切る感覚もあんなスピードで動くのも胸に響くエンジン音も全てが初めてだった。
 人類はいつか絶滅するらしい。
 そうならないよう新大陸の植物、生物を研究し人類の役に立てないかと日々模索するのがこの研究所の役目だ。しかし最近ではめっきり職員の数も研究室を稼働する日も減った。大陸調査が芳しくないのだ。今でこそ港を建設し、大陸特有の生物が近寄らない策を講じているがその頃の人類は海岸沿いに上陸するのがやっとだった。
 このままでは大陸を探索し終え移住できるよう開拓するよりも人類が滅亡するスピードの方が圧倒的に速い。
 だが政府はそれを容認していた。危険を承知で人々を移住させ無駄に物資を減らすくらいなら、安全を確約した上で幸運にも生き残った庶民と上層階級の人間だけ移住できればいい。
 それが内情を知る政府の見解だ。

「そこからどうしてエルが軍に?」
「政府に進言したんだ。私を使えば大陸探索スピードが大幅に上昇すると。予想よりもこの大陸が未知に溢れた世界だったことに上も焦っていたのだろうすぐに承認され私は研究所から海軍に」

 そこで言葉を止めるとエルは「あまり面白い話ではないが…」とまた話し始めた。

 研究所から出たエルは世間を混乱させてはならないとその正体は秘匿にされた。エルとしても見世物になる気はさらさらなかったのでそれ自体は問題なかったが、エルが予想していた以上に政府はエルを危険視していたらしい。軍支給の戦闘服とヘルメット、それにプラスして渡された首輪に疑問を呈すると「保険だ」と言われた。
 一部の政府関係者からエルはエスポワ大陸から人類を滅ぼしに来た危険生物じゃないかと意見が上がった。大陸に行きたがるのも仲間を連れ帰るためじゃないか、と。
 馬鹿げた話だとエルは笑ったが彼等は本気だった。
 一、政府・軍関係者に危害を加えない。
 二、大陸には決して一人で上陸せず、探索者の護衛として同行すること。
 三、探索者がロストした場合のみ一人での行動を許可する。
 四、また上陸から半年間戻って来ない場合は反逆行動とみなす。
 五、大陸探索及び生態調査に積極的に協力する。
 首輪には即効性の毒が仕込まれておりエルがそれらを破れば直ぐに打ち込まれる仕組みになっている。重々しい文言が羅列された紙を破り、ならば協力はしないと出て行こうとするエルに政府の人間は笑った。
 
「可哀想に」
「なに?」
「あの研究所は私が建てたんだ。大陸発見に伴い持ち帰った生物研究をしてもらう為に優秀な人間を集めたが…成果が芳しくない。今は金も時間も惜しい。彼等には直接大陸に赴き実地調査をしてもらうしか無い。君の協力があれば別だが…仕方ないね」
「外道が…」

 恩義など感じたことはない。ただの研究対象だ。管に繋がれ体を開かれ限界まで体力を削られ24時間監視下に置かれた日もあった。バケモノだと蔑まれたことも、人として扱われないことも多かった。
『名前、名前ねぇ…名前あった方がいいよな?蜘蛛…蜘蛛男?ダメ?うーん、スパイダーマ…え、ダメ?うーん、うーん、あ!そうだ!LSにしよう!学習する蜘蛛ってこと!は?ダサい?いや聞いてよ他にも意味あるから、俺が昔乗ってた車が…あ、おい!待てよLS!…ん?呼びにくいな、エル!』
 LSなどと人間社会に馴染めない名を付け、パパと呼べと強要し、いい年した男が甘えたで泣き虫、頭がおかしいとしか思えない男を思い出しエルは踵を返した。
 恩義などと思ってはいない。

「やる」
「そう君ならそう言ってくれると思ったよ」

 仮にも故郷の地にあんな頭のおかしい人間を降り立たせたくなかっただけだ。

 
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