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しおりを挟む「なんっで否認なんだよ!」
「『長期間の臨床試験にて安全性及び有効性を立証しない限りは使用を許可出来るものではないと判断する』らしいっす」
舌打ちし苛立ちを隠しれない様子の上司に「厚生労働省」と記載された茶封筒を持つ男はため息吐いた。これで何度目だろう。確かに新しい治療法を普及させる前段階として慎重に試験を行いデータを集める必要性はある。だがそれは平和だった頃の話であり、今この世紀末とも呼べる世界で安全性云々をそこまで深く問うことに果たして意味はあるのか。
国立新大陸生物研究所が設立されて十年以上は経とうとしていた。以前ここに在籍していた『職員』の実地調査により研究は大幅に進み医療の概念を覆すような新薬を開発することに成功した。しかし実際問題それを国民の医療にまで届かせることが出来ていないのが現状だ。動物などを用いた非臨床試験はクリアし、職員での臨床試験も終えた。しかしあくまで健康的な人間に対しての試験であり重症患者への安全性と有効性はまだ確認出来ていない。だが効果はてきめんであることは確かなのだ。大陸から持ち込まれた傷を瞬時に癒す植物から作られた新薬は骨折した宇月の骨も数分で治したのだから。
問題は金だ。物資が困窮した現代では医者にかかるのも大金が必要だった。我が国において医療を受けられるような懐に余裕がある人間は上層階級のみ。それでは全く意味がない。人類を救う為にも国が財政を崩し無料で全国民にこの薬を届けられるようにしてくれさえすれば救える命があると言うのに。
「なにを考えてるんすかね上は」
「知らねー!あんのだんごっ鼻のクソ野郎!うちの子を軍に連れて行ったと思ったら大陸中歩かせて資源集めさせてる癖に!なんの為にアイツが…ぐぅぅうう!」
視察だとたまに顔を出す副大臣の顔を思い出しながら憎々しげにデスクに置いてあった小さめのビーズクッションを捏ねくり出す。こうなる度に男、宇月の怒りを受け止めていた白いウサギがプリントされたクッションは至る所で糸がほつれ散々な有様だった。
(可哀想に)
宇月がではない、ウサギがだ。
「所長」
ドアがノックされ二人が振り向くと「お客様です」職員がスーツ姿の男を所長室へと連れて来た。
――――
「それで?警察が何の用です」
「まあそう邪険にしないで下さいよ」
日高と名乗るその男の肩書は警視庁公安部。警察に、それも公安にお世話になる様な薄暗い話に心当たりは…ない訳ではないが、ともかく清廉潔白な身の宇月は背筋を伸ばし柔和な笑みを浮かべるその男と対峙した。
「…宇月所長にはお子さんが?」
「…は?いえ自分は独身ですが」
「そうでしたか…それは失礼しました。いえ、そちらに飾られてる御守りに見覚えがありまして。鬼子母神で有名な寺のものだったのでてっきりお子さんがいるのかと」
日高の視線を追えばデスクに飾られた紫色の御守りを見ていた。もう随分と色褪せてボロボロになったそれを捨てずに目の届く場所に置いてあればそう考える人もいるのも頷ける。
「懐かしいな…私の家の近所にあった寺なんです。今はもう誰にも管理されず廃寺になってしまいましたが」
「…実の子どもは、いませんが…子どものように大切にしている子はいます。あの御守りはその子と俺を繋いでくれた物で捨てるに捨てられず…」
「大切にされてるんですね」
「ええ…短い間しか一緒にいれませんでしたけど優しい子でした」
糸屑みたいな小さな小さな存在が驚異的なスピードで人間の骨格を形成していく様は今でも忘れない。驚きと恐怖に濡れた自分を優しく撫で懸命に何かを伝えようとする健気な姿を見た時に溢れ出た感情は間違いなく慈愛だった。宇月がもう十年も前になる在りし日のことを思い出し幸せそうに笑う様子に日高も微笑んだ。
「人の人ならざる者との親子愛、泣かせますね」
「ッ、あんた…」
「難しいところですね。研究資源の国内への持ち込みは認められていますが、それが人型となりあまつさえ働いているとなれば…不法入国、不法滞在、不法就労、罰は重そうだな」
柔らかな雰囲気を取っ払いニヤリと笑う日高に宇月はグッと押し黙る。ここで余計なことを言って不利になるような事だけは避けたい。宇月だけの話ではなく研究所にもエルにも迷惑をかけてしまうかもしれない。
だがエルの存在は政府に報告済みだ。国が認めているのに警察が介入する立場にあるのか。そもそも不法入国だの不法滞在だのそんなものをこの世界で取り締まる必要性など皆無だ。すでに機能していない形だけの警察が今更なんだと言うんだ。
「コーヒー淹れて来ましたっす~…ってなんすか、この雰囲気」
「ヒロくんお客様お帰りだから!お見送りしてあげて!」
「え、もうっすか?」
「コーヒー頂くよ」
「え、うっす」
「ヒロくん!」
「所長は飲まないんすか?」
「……………飲む」
珈琲などと嗜好品が味わえるのもここが政府により管理された施設だからだ。秩序が崩壊し法が法を成さずとも国の運営は政府であり意思決定権は上にある。最早国民は与えられた道を進むだけの奴隷、それは警察とて同じだった。
ゴクリの飲めば広がる苦味と香り。
冷静になれば政府管轄のこの施設に公安がひとりで尋ねてくることに疑問を覚えた。いや待て、そもそも来客は事前に予約が入るはずだ。普段から適当な宇月だが警察の訪問の予定を忘れるなんてことがあるだろうか。
(まさかコイツ…)
キッと優雅に珈琲を飲む男を睨めば奴は笑った。
「あはは!俺も不法侵入で逮捕だな!」
「ヒロくん!警察呼んで!!」
「ここにいるっすよ」
またコロリと雰囲気を変えた男に宇月はイライラした。なんなんだコイツは!何しに来たんだ!
「まあ冗談はさておき…別に事情聴取だとか逮捕だとかそんなことする気はありませんから一旦落ち着きましょう」
「アンタなぁ!」
「貴方がどれだけ我が子だと言う彼を愛しているのか試してしまいました、すみません」
「試す?なんでアンタなんかにそんなことされなきゃならないんだ」
初対面の人間にエルとの関係をとやかく言われる筋合いはない。威嚇するように唸る宇月に日高は無言で書類を差し出した。
『新大陸調査報告書』と書かれたA4サイズの資料はこの部屋の棚にもファイリングされている。エルが任務終了後、軍に上げている報告書だ。その報告書を元に輸送されて来た植物や生物を研究しているため何度も読んでいる。これがなんだと言うのだ。
「貴方に届くのは恐らく生物調査のページだけだ。実際はもっと事細かに上げさせられてます」
確かに定期的に届く報告書よりも分厚い。
「とりあえず読んでみて下さい」
どうしてか嫌な予感がした。
この八年、エルは研究所に一度も顔を出さなかった。理由なんて山ほどある。ここに良い思い出はないだろう、当時は可哀想な目に遭わせた自覚はある。救えなかった自分を何度も責めた。その頃はまだ宇月もいち研究者に過ぎず国が進める研究に口出しなど出来る立場ではなかった。それでも実験以外の時間はなるべく人として接してあげたくて一方的に話しかけたりもしたが最終的に心を開いてくれたかどうかは正直わからない。
ペラリと表紙を捲り文字を目で追う。
「なんだ…これは…」
書かれた内容に眩暈がした。
「どうして…エルはこんなことを………なぜ逃げない…」
「彼が大陸調査を拒否した場合これを行うのは貴方がただからですよ」
「そんな…俺たちの為に…?エルはここでどんな目に…俺たちに何をされたか覚えてない訳がない…」
「それでも現に調査を続けている。それが彼の答えでしょう」
宇月はドカリとソファーに腰を下ろし呆然した。
守られていたなんて思ってもみなかった。てっきり嫌われているのだと…だって手紙を出しても返事もない、顔だって見せやしない。別れの時だってサッサと行って振り返りもしなかったのに。
「…宇月所長、貴方に会いに来たのは彼のことを伝えに来たのともう一つお願いがあるからなんです」
「お願い…?」
「この研究所で開発している新薬をある患者に投与してもらいたい」
「どこで薬の話を…いや、今更だな…それは構わないが一体誰に…」
「天馬カズキ、藤ショウタロウ両名に」
「…待てその名前聞いたことがあるぞ、確か」
「新大陸第一探索隊っすね」
「それだ、新聞で見た記憶がある。しかし隊は全滅だと…まさか生きているのか」
「ええ。しかし藤ショウタロウは記憶障害、異常行動が見られる為に精神科にいます。天馬カズキは内臓損傷、両脚の複雑骨折、多量出血、凍傷による炎症、気管支炎…大陸でなにが起こったのかは不明ですが生還後に意識を失い今も寝たきりです」
「なんてことだ…」
「天馬には娘がいますがその子は当時まだ15歳。その歳の子が10年もの間高額な医療費を払い続けていたんです」
この世界で女が大きな金を稼げる仕事などひとつしかない。15の子が十年間も…と思うと心が潰されるように痛んだ。
「この研究所が政府のものであることは重々承知してます。ここで私の頼みを聞けば万が一バレた時は貴方がたに多大なる迷惑をかけるでしょう。それも承知の上でお願いします、どうか力を貸して頂けないでしょうか」
「ま、待ってくれ、頼みは分かった。そこまで話を聞けば俺も鬼じゃないもちろん協力するさ。でも聞かせてくれなんでアンタがここまでするんだ?エルのことも、その二人のことも善意で動いてるってだけじゃリスキー過ぎる」
「…このまま政府の好きにさせてしまえばこの国だけでなく本当に世界は終わる。天馬カズキと藤ショウタロウを起こして大陸での出来事を世間に話す生き証人になって貰います。後は国内の軍事力を我々が掌握出来れば…」
「我々って…警察は何をする気なんだ」
日高の真っ直ぐ射る目が宇月を貫いた。
「クーデターを起こします」
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