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番外編③
しおりを挟む「おい」
「…」
「おい無視すんなって!」
「何だ今忙しい」
月に照らされた小川で流れに逆らい泳ぐ光る小魚たちを糸を垂らし一匹、二匹、三匹と次々に釣り上げて行くフルフェイスは「あと何匹釣ればいい」と振り返りもせず槙尾に尋ねる。
「5、6匹まとめてかき揚げにするから…お前らが何個食うかによるな」
「ならば78匹だな」
「随分と正確な数字だな」
「フジはもう2個ほどしか食べられない。私はいらないが食べないとフジが気を使うのでひとつだけ食べよう。あのデカい鳥は10個は食べるだろうから合計13個だ」
「オイオイ俺は食うなってか」
川を覗き込み「ひでぇヤツ」と槇尾は笑いながら言う。
この光る小魚は上流に棲む雌に向かって求愛の為に必死に泳ぎ体を光らせアピールしている。光に誘われ上から流れて来た雌を捕まえ交尾できた雄だけが子孫を残せるらしい。他の雄の光に誘われた雌だとしてもここで奪えばそれはそいつの雌になる。だから中にはこうやって光るのをサボり雌を捕まえることだけに集中する雄もいるのだという。
この大陸にはこの大陸固有の生物が数多くいる。
未知の新大陸といえども同じ地球なのだから似た生き物が殆どだがクレスやあの人型の雌蜂のように恐ろしく知能が高い生物も存在することはふたりで証明されている。
クレスに同族はいない。
生まれた時から一人だったと言う。
『この大陸の生態系を私たちの都合でなるべく変えたくないんです…』
フジの言葉がずっと頭の中に巡っていた。あの言葉は今でも正しいと思っているし責めるつもりなど毛頭ない。
クレスは出会った頃とは見違えるほど柔らかな顔をするようになった。大穴に足を滑らせて落ちてしまった時はなんとかして登り隊に合流しようと必死だった。まだ15の弟がいる。両親に縁を切られもう何年も会っていない彼のことがだけが心残りだった。
足の骨が折れ上手くよじ登れない中、地上から顔を覗かせた巨大な人型の鳥に怯え思わず銃を向けたが弾は避けられ死を覚悟した。鋭い眼光と唸るような声に相手が怒っているのは一目瞭然だ。しかし不思議なことに槇尾を殺されなかった。次の日もソイツはやって来て銃を向けたがヒョイと簡単に避けられる。弾はもうない。いよいよか…と、殺すなら殺せとへたり込んだがその日も槇尾を殺されなかった。それから毎日毎日ソイツはやって来て槇尾の様子を眺めるだけ眺めて帰って行く。最初は意味が分からず恐怖した。弱りきったところを殺されるのかも知れない、飢え死んでから食うのかも知れない、そんな恐怖に怯えながらもひたすら穴を登ろうとした。
結果、その鳥に助けられた。
意味は分からなかったがその鳥は知能が高く人間の言葉を操り意思がとれるようになっていた。だから槇尾は『責任を取れ』と言った。その時は怪我を治して港まで送って貰おうなんて魂胆もあったのだ。
しばらくそこで暮らしてみて探索隊は全滅したのだろうなと冷静な頭で考え始めるようになった。この大陸に人類の移住は不可能だ。地球はきっと滅びる。槇尾は世界を諦めた。それに…楽しげに槇尾の隣で笑い全力で好意示してくる巨大な鳥を可愛いと思ってしまったのが運の尽きだ。こんな怖そうな見た目の鳥をどうやったら甘やかしてやろうとなどと思うだろうか。
クレスの気持ちには気付いていた。
いつから槇尾のことを好きになったのかはわからないがしかしそこに性欲はなく、ただ友のような家族のような相棒のような絶対的な存在として見られていることも知っていた。ならばそれでもいいと槇尾も思った。いつか槇尾と死別しその後クレスには子を産める誰かと結ばれて欲しい。クレスは種を残すべきだ。
『大陸の生態系を人間の都合で変えたくない』
フジのあの言葉を聞く前からずっと思っていた。
彼の命を確かに繋げて欲しいと。
「貴様がどうか知らないが」
もう釣り終えたらしいエルがバケツ一杯の小魚を手に言う。考え事からハッと意識を戻し顔を上げれば無機質なフルフェイスがつるりと月明かりに光っていた。
「腹を空けておくのは期待以外の何がある」
一瞬言われた意味が理解出来なかった。
そのあと言葉を噛み砕いてようやく理解し槇尾は頭を掻いた。お前はそう言う奴なんだなと少し悔しい。
「オメェはフジ以外に興味なさそうでよー…しっかり周りのこと見てんのな」
「フジに関わる全てを観察しておくのは結果フジの為になるからだ。勘違いするな貴様に興味などない」
「んでテメェは俺にだけ当たりが強ェんだよ…」
小魚の食べる数に槇尾をカウントしていなかったのは嫌がらせかと思っていた。エルはどうやら槇尾が果実だけしか口にしておらず後は酒しか飲んでいないことに気付いていたらしい。
浅はかにも期待している。
クレスには子孫を残して欲しいと傲慢にも願いながら、槙尾とは家族愛で終わらせてもいいと偉そうに言いながら、このままでいいと、このままの関係性の俺たちでいいんだと笑いながらクレスとの性行為を期待している浅ましく卑怯な自分がいる。
クレスを抱くにはリスクが大きい。彼は仮にも鳥だから内臓がどうなっているか検査しない限り不安が残る。ならば槇尾が受け入れるしかない。いつかクレスとそう言う関係性になる日が来るかも知れないと恥も外聞も無くコッソリと一人の時間に肛門を拡張し続けた日々を思い返すと羞恥に暴れ出しそうになる。
性行為など求めていないと、家族愛だとどの口が言えるだろうか。クレスに直接話すことも出来ず、クレスが無自覚なのをいいことにぬるま湯に浸かる生活を送りながら心の奥底では醜悪な欲望が渦巻いていた。
クレスとセックスがしてみたい。
どうしてそんな汚いことを思いながら彼にはいつか彼の子どもが産める雌と番って欲しいと願えるのか。
「…フジとヤんの怖くなかったのかよ」
「怖いに決まってる。傷付けないか気持ちよくさせることが出来ているのか不安しかない。フジが痛いと言うならば私が受け入れる側になってもいいとすら思っている」
「それは…ちょっと想像つかねぇな…」
「フジで卑猥な妄想をするな」
「いだっ!…お前が言い出したんだろーがよ!…ってなんだこれ」
カツンと頭に投げ付けられた小瓶を掴み中を月に照らせばドロリと粘性のある液体。その後またポイと渡されたのは薄い箱型の『激薄0.01ミリ!X X L』と書かれたパッケージ。
「…お前持ち歩いてんのかよ」
「うるさい。なら返せ」
「ワー!すまんすまん!ありがとよ!助かるわ」
もう話すことはないとばかりに顔を背けスタスタと森へと帰って行く背中を見て槇尾は深く息を吐いた。
フジとクレスはどんな話をしているだろうか。
フジは面白い男だ。鈍そうに見えて本質を捉えるのが上手く、人の痛みに聡い。酒の勢いで猥談になりクレスが槇尾をそう言った意味で意識し始めるかも知れないと思っていたのは事実だ。だがフジから話を投げかけてくるのは予想外だった。
(ついフジに任せちまったな…)
クレスの意識がどちらに向いているか。
緊張と期待が混じり合った胸を抑え槇尾は森の中へと歩き出した。
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