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番外編⑤
しおりを挟む「あの…フ、フジ…」
「どうしたんです?」
「えっとォ、その、ちょっと、近い?かなァ~なンて…」
「今更恥ずかしいんですか?私とクレスの仲じゃないですか」
「ええ!そ、そうだけどォ…」
不穏な空気を感じる。
真っ暗な森をランタン片手に進み周辺に置いてある獣避けの為の松明に近付くほど聞こえてくる何やら甘さを含んだ会話に槇尾は足を止めた。
「クレスの嘴ってカッコいいですね」
「そ、そうかなァ」
「この先で肉を裂いたり出来るんですか?あ、歯はないんですね。舌はあるんだ…ちっちゃくて可愛いですね」
「ぅ…フジ…あんまり触ると、あ、あぶないよぉ…」
「嘴鋭いんですね。そう言えばクレスの体をじっくり見たことなかったな…私興味あります」
「フジ酔ってるンでしょ…ほら水飲もォ?」
「酔ってません。それよりお酒が飲みたいです」
「ネー!絶対に酔ってるンだってぇ…」
「ほらクレスも飲みましょう。あ、コップ持てないですもんね…飲ませてあげますね」
「ッ、フ、フジ…!」
「何やってんだお前らー!」
ただごとならぬ雰囲気に槇尾が急いでふたりの前へと飛び出せば丸太を加工して作った大きめの椅子に座るクレスと膝を付きクレスの顔を覗き込むように近付くフジがいた。
「ギャーー!マ、マ、マキオ!?」
怒声を上げながらやって来た槇尾に驚いたクレスがピンと背筋を伸ばせば目の前にいたフジの体に胸板がドンと当たってしまう。その衝撃でフジがよろけ転けそうになるのを咄嗟にクレスは羽でフジを抱き留めフジもクレスにしがみ付いた。
「ワッ、びっくりした。ありがとうございますクレス。優しいんですね」
「い、いや…エヘヘ…」
「コラ!クレスを誘惑すんな!」
むんずと猫のようにフジを持ち上げいつもなら風の如くフジを奪い去る男を見れば釣って来た魚に衣を付けパチパチと揚げているではないか。おかしい、と思いつつも今の槇尾の頭にはクレスとフジを引き離すことしかなかった。
クレスから離され槇尾の腕の力だけで持ち上げられたフジはその力強さ感動しているようで目をキラキラと輝かせ振り返ると楽しげに声を上げる。
「すごい!槇尾さんって力持ちなんですね」
「は?お、おお~…まぁな…」
「すごいすごい!腕の筋肉触ってみてもいいですか?」
「あー…仕方ねぇなちょっとだけだからな」
すごい!と余りにも褒めるのでフジを降ろし自慢気に腕を捲ろうとする槇尾だったが背後からグイと襟を引かれフジから離される。ふわりと揚げ物の匂い。
「フジ小魚の天ぷらだ」
「わ!美味しそうですね」
「そろそろ帰ろう」
「美味しいです」
紙に包まれた天ぷらを美味しそうに食べるフジを片手で抱き上げ、置いてあった二人分の荷を軽々と背負うとエルはクレスと槇尾をチラリと見遣り何も言わずに去ってしまう。
「おやすみなさい!」
エルの大きな背中からひょこりと顔を出し手を振るフジを無言で見送るしかなかった。
「…」
「…」
どちらから何を話すか、探り合うような空気になり決して目は合わせないものの意識は確実にお互いに向いていた。恐らくフジのアレはわざとだ。エルも分かってて好きにさせていたのだろう。あの二人にはまだ居て貰う予定だったのにいきなりはいどうぞとクレスとふたりきりにされ槇尾の頭ではぐるぐると思考が巡る。いつも単純明快であまり物事を深く考えるタチではないのだが、恋は人を馬鹿にするとはよく言ったものでこんな状況でいつも通りの振る舞いを出来る豪胆さがあればきっとここまで追い詰められていなかっただろう。感情に振り回され格好悪くても本音を吐き出さなければならない。
相手の為だと嘘付いて逃げて来た自分に喝を入れ拳を握り締めた。
「あのよ」
「あのサァ」
同じタイミングで口を開き言葉が被ってしまう。
張り詰めていた緊張の糸がそれだけで解けてなんだか槇尾は可笑しくなって笑った。するとクレスも同じ気持ちだったのか笑い出しふたりはしばらく子どものようにはしゃいでそれから少し泣いた。
ずっと一緒に居たのに。
馬鹿だなと思うし、俺ららしいとも思う。
よそ様の色恋にあてられてようやっと進むような臆病でマヌケな恋愛だ。
「愛してるクレス」
「ウン…ウン…」
「あー…長い間お前の気持ちに気付いてた癖に放置してた俺が言ってもアレなんだが…」
「ウウン。マキオがちゃんとオレのこと好きなンだってことは知ってるよォ」
確信めいた言い方に首を傾げればモゴモゴと言いにくそうにしながら「あの時に…」とクレスは話し出す。
人型の蜂にマキオを奪われ食事も碌にしていないことに気付いた。マキオを取り返す素振りさえ見せなければ彼は自傷行為をしないのでクレスは定期的にマキオの元を訪れ何とか食べ物を口にさせた。嘴で啄み親鳥が雛鳥に餌をやるようマキオの口元に魚や肉や果実を運んでやるもうまく咀嚼出来ないのか何度も口から溢れてしまう。普段マキオが食べる量まで必死に食べさせた。それでもマキオは日に日にやつれクレスは焦ったがどうしても人間を捕まえられない。強行してやろうかと考えたこともあったがやはり幾重にも重なる糸の罠をすり抜けあの男から人間を掠め取るのは不可能だ。死んだら元も子もない。マキオを絶対に救うのだとクレスは決めていた。
槇尾には弟がいると聞いたことがある。
他の家族のことは何も言わなかった。死んだのか、元々いないのか、話したくないのかそれだけしか言わなかったが槇尾には確かに家族がいるらしい。
クレスは物心ついた時からひとりだ。
別に何も思わない。最初からそうなのだから失う悲しみも、共に分かち合う喜びもそもそも知らない。これが当たり前で、生きていく上で支障は無かった。空を舞い風を切り光を浴びて自由に生きた。
時折り動物たちの家族や群れを見かけ観察していると親が子を守り、仲間同士で支え合い助け合って生きているらしいと知った。クレスは強い。ひとりでも生きていける。互いが居ないと生きていけない関係性など窮屈で弱い生き物だと思うけどそれと同時に尊いものだなとぼんやり感じた。羨ましくはないがそういった生き方もあるのだと何となく理解している。
マキオは強い。心も体も強かった。それでもクレスよりも弱くてこの大陸をひとりでは生きていけない。マキオはクレスがいないと死ぬ。それはあの時見ていた家族に近いのかな。親が子を守るようにクレスがマキオを守る…のは少し違うが、クレスもマキオがいないとつまらないからお互いがお互いを補って生きてる。そんな感じだなと思っていた。
「…ヒロ…ごめんな…」
殆ど話さないマキオがぼそりと溢した言葉は誰かへの謝罪。多分あの時に言ってた弟だろう。クレスの名前ではないことが悲しかったがやはり本物の家族には敵わない。だから何としてもマキオを助けて彼を故郷に帰してあげたかった。クレスじゃない本当の家族に会わせてあげたい。だってマキオはクレスの為にこの大陸に残ったのだ。
何年も何年も聞く謝罪の言葉にクレスは心が締め付けられた。可哀想に。何があったかわからないけどこんなにも苦しんで。早くマキオを解放してあげたいのにクレスには何も出来なかった。
自分は強いと慢心していた。
この大陸をひとりで生きていけると。
マキオを守れると。
「…クレス」
ある日、マキオが自分の名を呼んだ。
「マキオ…?」
「クレス…クレス…」
「マキオ!いるよ、ここにオレ…ねェ」
「…クレス…」
声をかけても返事はなくただクレスの名を虚ろに呼ぶだけだ。なにか夢でも見ているのか生気のない目から感情は読み取れない。それから何日かマキオはクレスの名前を呼ぶようになりそれだけでも嬉しかった。
何年振りにマキオに呼ばれただろうか。
彼が付けたのだ。
名前の意味は聞いていないが音の響きが気に入っている。名を呼ばれるのは好きだ。数多に生息する大陸の生き物から『クレス』と言うひとつの個として確立されたような明確に存在できたような気がして嬉しかった。
マキオはいつもクレスに特別をくれる。
「クレス…」
「ウン、いるよォ」
「…クレス…」
「早く人間捕まえて来るからねェ」
いつものように名を呼ばれウンウンと頷きながらも果物を食べさせてやろうとしている時だった。
「好きだ」
「…ッ」
ああ駄目だ。
泣くな。
もう枯れるほど泣いて泣いてマキオを助けるまで涙は流さないと決めたのに。
「好きだクレス」
ぼたり、ぼたりと木の根の表面が濡れていく。
手のないクレスにはこれを拭ってくれる誰かがいないと困る。器用に料理も出来ないし、酒だって飲めない。
ひとりで生きて来れたのに。
今はもう何もかもが無理だ。
失う悲しみも分かち合う喜びも名を呼ばれる擽ったさも全て、全て、知ってしまった。
「好きだ」
オレだって好きだ。マキオが大好きだ。
マキオに面と向かって気持ちを伝えたことはない。この好きがどんな好きなのか最初はわからなかったけど今は断言できる。マキオを愛している。きっとマキオもクレスを愛しているのだろう。そうじゃなければこんな危険な大陸に残らないしこんなにも愛を溢さない。
「好きだよマキオ」
人間のように柔らかな唇を持たない。
ただの真似事だとわかってながらも嘴をマキオの口に少しだけあてた。食事を取らせる目的ではなく求愛の意味を込めて。
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