平凡なアラサー女子ですが、ハイスペ同期と元カレに溺愛されています

優月紬

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嶺二side 捨てられないもの

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 俺は、沙羅しか要らない。
 ずっとそう思っていた。

 俺はピアスを買って家に帰った後、すぐに楽器が置いてある部屋を片付けようとした。沙羅のために、沙羅が住むための部屋を、用意しようとして。
 俺は音楽部屋の扉を開け、電気をつける。部屋の外に楽器を出そうと、まずはギターに手を伸ばした。俺はそのまま、動けなくなった。

「……嘘だろ」

 俺はそのまま、部屋の真ん中で立ち尽くしてしまった。全ての物を部屋の外に出さなければいけないのに、身体が動かない。どうしても、動かすことができなかった。
 ギターを手に持ったまま、心臓の鼓動が早くなった。俺はこれを外に出して捨ててしまうのではなく、今すぐ掻き鳴らしたい。ドクンドクンと、心臓の音が鳴る。俺はどうしようもなく、ギターを弾きたかった。
 時計を見ると、沙羅がこの家に来てしまう時間が迫っていた。一刻も早く片付けなければならない。それなのに。
 俺は、無意識に、泣いていた。勝手に、涙が出てきていた。俺はこの部屋を、片付けたくない。片付けなければ、確実に沙羅を失うのに。ただでさえ、沙羅は他の男の家に住んでいるというのに。俺は、沙羅が他の男の家に住んでいることよりも、楽器を捨てることの方が嫌なのか?そんなわけがない、はずだった。
 それなのに、俺は結局、沙羅が家に来てくれるまでに部屋を片付けることができなかった。

「嶺二、泣いてたの……?」
「え?……いや、ううん、全然。何でもないよ、目にゴミが入っただけ」

 沙羅は俺の家に来てすぐ、俺の様子のおかしさに気がついてしまった。沙羅に俺の頬に手を当てられ、涙の跡を見られた。俺はすぐに誤魔化して笑うけど、沙羅は納得してくれなかった。

「嶺二、ベッド行かない?」

 俺はすぐに、沙羅が自分を慰めてくれようとしているのが分かった。そうでもなければ、そんな直接的な誘い方はしてこないはずだから。このまま沙羅を抱いてしまえば、何も考えなくて良くなる、全て誤魔化せる。俺はそう思って、そのまま沙羅をベッドに押し倒した。
 だけど、沙羅に口付けようとして、気づく。このまま沙羅を抱いて、何か解決するのだろうか。沙羅だって、俺のことを好きなわけじゃないかもしれないのに。俺だって、沙羅よりも他のものを優先しているのに。

「……嶺二?」

 もう、誤魔化すのは限界だと思った。これ以上逃げ続けることは、できない。沙羅からも、俺自身からも。いい加減、向き合うしかない。

「ごめん。ごめんね、沙羅」

 俺は、最初に沙羅を抱いた時のことを思い出した。ただ、沙羅のことが愛おしくて、ただ、沙羅と一つになりたかっただけの、あの時のことを。俺は、鮮明に覚えているあの時を、なぞってみることにした。

「沙羅、頭撫でていい?」
「え?……うん」

 沙羅は、戸惑っていた。当然だ、俺も自分が今何をしているのかよく分かっていない。

「沙羅、俺、沙羅とキスしたい。沙羅は?」

 俺は、沙羅があの時をなぞっていることに気がついた気がした。気がついた上で断られたとしたら、俺はもう、本当に終わりだ。

「……沙羅は?」
「私も、嶺二とキスしたい」

 ただ、懐かしかった。沙羅の口を塞ぐためではなく、頷かせるためでもなく、ただ純粋にキスをしたのは、いつぶりだろう。
 あの頃と同じ、触れるだけのキス。それなのに、沙羅に触れた唇が、熱を帯びた。俺はただ、愛おしかった。俺が沙羅を好きな気持ちに、嘘はないと確信できた。

「沙羅、好きだよ。だから、沙羅と一つになりたい。沙羅は、俺のこと好き?」

 きっと沙羅は、この問いには答えられない。俺はそのことに気がついて、ただ涙がこぼれ落ちた。あの時は、頷いてくれる自信があった。だけど、今は違う。俺と沙羅はもう、あの時とは違うんだと自覚せざるを得なかった。
 沙羅は、やっぱり俺を好きだと言えなかった。しばらく待ってみたけれど、沙羅は口を開けては閉じてを繰り返し、泣き出してしまった。

「……沙羅、話そう。俺たちは今、抱き合うべきじゃない」

 俺は沙羅に、ただ正直に思っていること、今までのこと、嘘をついていたこと、沙羅よりも優先してしまうものがあること、全て話した。もうこれ以上誤魔化せないと思ったから。

『嶺二は、音楽しかできない、だから就職もできないよね。安定した仕事に就けない人と結婚はできないよ』

 あの時沙羅に言われ心に突き刺さっていたこの言葉は、沙羅にとっても呪いのようになっていたことを知った。沙羅は俺を傷つけたと思って、それをずっと気にしていたようだった。
 沙羅に言われた想いの全ては、俺の心をただ、溶かしてくれた。沙羅が俺自身のことを好きでいてくれたことを知れた。沙羅は、俺から音楽を奪いたかったわけではなく、自分の方を捨てて欲しかったと言った。俺はなぜか安堵していた。そんな自分が情けなかった。
 沙羅は無意識だろうが、俺のことが大好きだったと過去形ではスラスラと言える彼女を見て、自分が過去になっていることにも気がついた。受け止めるしかなかった。

「それで、沙羅は今は誰のことが好きなの?」

 沙羅にそう問いかけたのは、別に他の男が好きだと言わせたかったわけじゃない。どちらかと言えば、これをきっかけに浮気を問い詰めようという気持ちに近かった。俺も人のことは言えないが、沙羅だって俺を最優先にしていないのは分かっていたから。付き合っている、はずなのに。
 結局、沙羅は他の人が好きだと言って、俺の家から出て行った。

「行くなよ、沙羅」

 俺は沙羅に手を伸ばそうとして、やめた。

「……行くな」

 どうせ、もう間に合わない。何もかも。なのに、口だけは勝手に動き、行くなと沙羅を引き留めていた。

「俺、何やってんだ」

 俺はずっと、沙羅と一緒にいられたらそれでいいと思っていた。それなのに、ギターも捨てられず、やっぱり沙羅も諦めきれず、自分から手放すようなことをしておいて、引き留める。どっちつかずで中途半端。俺は結局、何がしたいんだろう。
 沙羅に誰が好きなのと聞いておきながら、俺こそ、誰が、何が好きなんだ。

「……忘れてた」

 沙羅がいなくなった部屋を見渡して、彼女に渡そうと思っていたピアスが入った紙袋が目に入る。渡しそびれたなと思った後に、ふと思う。これを渡し忘れたのを口実にすれば、少なくとも、もう一度沙羅に会える。それに、あの頃と同じように、明確に別れ話はしていない。
 俺はそのことに気がついて、自然と口元を緩めた。
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