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帝国・教国編
父と娘の茶会(ミュリエル・カイン視点)
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前半ミュリエル視点、後半カイン視点です。前後半で視点が変わります。
ーーーーーーーーーー
秋が過ぎゆく温室に差し込む光はやわらかく濾過されて、私の目には暖色を帯びて見えた。
カイン様の真剣かつ優しい眼差しに、外を吹き抜ける風が一瞬やんで静かで温かい時間が流れている。
「素晴らしい」
対面して座るのは、私とカイン様だけ。本日はお招きに預かり、元からあった温室・・・以前3人でお茶会をしたテーブルで、薬草の相談をしていました。
大変興味深いお話と、お時間をいただいたお礼に午後のお茶の準備と、頼まれていた糸を渡したのが数分前です。受け取ったカイン様はその場でじっくりと陽の光にかざした後に、目を細めて喜んで下さった。
ほっとして、いつの間にか短くなっていた呼吸を落ち着かせる。
「よかったです・・・」
「貴女が配合した黒羽色はさることながら、紫陽花色も可愛らしい発色です。そして・・・瑠璃色には、何度も挑戦してくれたようですね。本当に想像した通りで、感謝申し上げます」
「いえっ、ご要望に応えられたのなら、嬉しいです」
カイン様から作成依頼のあった糸の中で、特に瑠璃色・・・夜の海のように深い青については、何度か私の工房で実物を見に来て下さったのを思い出す。
そういえば、以前いただいてアルの香袋と一緒に懐に入れてある薬瓶と、同じ色。それだけ思い入れのある色を託してもらえて、褒めてもらえたことに頬が少し熱くなる。
大切そうに、懐にしまわれた糸の行き先を想像する。薬師として繊細かつ慎重な作業を行われるカイン様は手先が器用で、どんなものを作られるのか少し興味をそそられます。
「何を作るか、気になりますか?」
「あの・・・はい、すみません」
「ふふ、謝る必要はありませんよ。出来上がったらご覧に入れましょう」
「ありがとうございます。楽しみに、待っておりますね」
指先を、まじまじと見つめていたのに気づかれてしまい、恥ずかしさを誤魔化して笑う。それにも優しく笑い返してくださるその眼差しは、父性を向けられているように感じられて・・・胸の奥が嬉しさと、ためらいに揺れた。
「さて、今日はちょうど材料が手に入ったので、ブレンドティーを用意しました。リンゴの夢という紅茶です」
2人で浮かべる笑みの間、レネが静かに茶会の用意を整え、私の後ろに下がる。カイン様てずから茶器に紅茶を注ぎ、ふわりと立ちのぼる湯気越しにカップを差し出してくれた。
「みずみずしいりんごの香り・・・とても優しい香りですね」
「ええ。アルも幼い頃、好んで飲んでいました」
カイン様は、懐かしい記憶を浮かべるように温かい表情をしている。長く、結ってある黒の髪は絹のように美しく揺れる。私もこっそり、幼いアルを想像した。
今でこそ、包容力たっぷりで凛々しく素敵な彼も、きっと子供の頃は・・・目もクリクリで可愛かったはず。今度、姿絵を見させてもらえないかしら。
「まあ・・・そうだったんですね。今も紅茶は好きで、食後やお茶の時間に一緒に飲みます」
「ほう、相変わらず仲睦まじいようで何よりです・・・ところで、せっかく2人きりのお茶会です。ここで、彼の弱みでも握っておきませんか? 幼少期の失敗談など、いくらでも話せますが」
カイン様は少し茶目っ気を含ませて、ふふふと悪い笑みを浮かべている。きっと力が入っていた私に気づいて、空気を和ませようとして下さっているのでしょう。
その気遣いをありがたく思いつつ、小さく首を横に振った。
「カイン様の、お気遣い感謝いたします。でも、過去のことは・・・聞きたいことがあれば、直接アルに尋ねます」
「そうですか。リエルは、いい子ですね」
だって・・・アルが私の過去を尋ねることは、今日まで一度たりともなかったから。
それはきっと、真綿に包まれるような彼の愛情。私が、魔の国に来た経緯を知っているから、聞かないでいてくれる。
それに・・・もし、尋ねられても。私自身ちゃんと話ができるのか、今でもわからないでいる。
命日を一緒に悼んだあの日をきっかけに、お母様と過ごした日々のことはなんでも話せるようになった。ふと思い出したときに、ぼんやりとした幼少期の話をアルは寄り添いながら聞いてくれる。
けれど、それ以外のことを口にしようとするたびに・・・気のせいではない、震えと痛みがこの身を襲った。
実は、カイン様が『リエル』と呼ぶその愛称は、お母様と同じ響き。
夏の頃、アルを通じて私さえ良ければ愛称で呼びたいと申し出があり、頷いてからは呼ばれるたびに懐かしく思う反面、ほっこりと温かい気持ちになる。
私は確かに、カイン様に深い尊敬と庇護を感じている。なのに・・・まだ、『お父様』と呼ぶ勇気が持てないでいた。
・・・私にとって、かつていた『お父様』は。一度も私を見てくれたことがない。顔も、声も思い出すことができない。遠くて、よくわからない人だったから。
『ミュリエルが呼びたいと思った時に、呼べばいいよ。僕と違って父さんは気の長い方だし』
どうしたらいいのか、悶々と考え尽くして相談した夜。髪を撫でながら落とされた、アルの言葉を思い出す。優しく励ましてもらった言葉を支えに、膝の上に乗せた手に力を込めた。
普段は旅に出ていることの多いカイン様は、城にいらっしゃることの方が珍しい。今日は、せっかくの機会。気持ちさえ、タイミングさえ掴めればカイン様を父と、呼びたい。
口を開いて、喉の渇きを自覚する。私は紅茶で癒して、少し咳払いして一旦会話を続けることにした。
「でも、せっかくのお申し出なので1つだけ・・・お聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、なんでも聞いてください」
「その・・・アルに、嫌いな食べ物はあるのでしょうか? 実は、どんなメニューを作っても美味しいと完食してくださるのですが・・・」
無理して食べているときもあるのではと、少しの不安がずっとあった。
確かに、リエルに出されたものなら炭だろうが毒だろうが喜んで食べそうですねぇ、と苦笑する彼に乾笑いを返すしかない。
「なるほど。ではご希望に沿って・・・ヤギのチーズです」
「えっ」
「食材として、クセや香りが強いものが苦手なようですね。そういった意味で言うと、パクチーもかな」
ちょうど、テーブルにも並んでいるりんごの角切り入りのチーズケーキは・・・昨日一緒に味見をしたときに、嬉しそうに微笑んで完食していた。その顔を思い出して、ヒヤリと背中に汗が流れた。
「カイン様、その、チーズは、全般的に・・・?」
「いいえ。牛のものは好きだったはずですよ。今日のケーキのようなクリーム系は特に」
「あ・・・よかった、です」
「そもそも食の好みは料理長が把握していますから、城内にあまりないと思いますがね」
そうした会話を続けつつ、しばし茶菓子や茶を味わいながら穏やかな時間が流れた。
・・・ちなみにカイン様は、すでに2ピース目のケーキを完食されている。気に入られたようで、ほっと息をつくことができました。
△▼△
「この温室は・・・何度来ても落ち着きますね。私の温室とはまた違って、静かで、でも力強い感じがします」
「そういっていただけると、先輩冥利に尽きます。こちらは研究用ですから、少々無骨でしょうが・・・植物たちにとっては居心地が良いようです」
ミュリエルは興味深そうに、視線を巡らせる。長年培ってきた植物たちが、まるで家族のようにそこに根づいている。季節の花をメインとして植え、趣味を深めるための彼女の温室とは対照的に、この場所はエリクサー再現のための『研究と成果』のための場だ。それでも紫陽花色の瞳は柔らかな眼差しで見てくれる。
今日、彼女は時折真っ直ぐ私を見つめて、口を開きかけてを何度か繰り返している。きっと、何かを決めてここにきてくれたのでしょう。その心が整うまでは、視線1つ、ソーサーを持つ手にも神経を尖らせる。
・・・彼女は純粋に、義父との茶会を楽しんでくれている。年甲斐もなく揺れている心情を知られてしまうのは、恥ずかしいですからね。
「そういえば、先日は青リンゴのジャムをいただき、ありがとうございました。あれもとても美味しくて、旅の道中でアルと取り合いになりましたよ」
「お口に合って良かったです。また、旅に出られると聞いたので保存がきくものを、と思っただけで・・・」
きっと、私が王城に戻ったことも不思議だろうに、彼女は褒められたことに照れるだけで聞こうとはしない。その距離感は心地よく、リエルを好ましいと思う一因になっていた。
過去の仔細を知らぬ私には邪推することしかできないが、彼女の思慮深さは高潔でもあり、優しさでもある。その瑞々しさに、思わず口元がほころぶ。
「胃袋をつかまれる、とは私のような事を言うのですね。とても、良いものをいただき嬉しかったです。糸の件にしかり、愛称で呼ぶことを許してもらったことも含めて・・・何か望みはありますか?」
「でしたら、アプフェルトラウム・・・この紅茶の配合を、教えていただきたいです。以前いただいたノートには載っていなかったので」
その返事を聞きながら、苦笑しつつもやっぱりという感情が胸の内に広がっていく。
彼女は、自分の欲というものに淡白すぎる。
それこそ、宝石でも衣でも求めることはできただろうに。紅茶の調合など、いつでも与えられるささやかな知識にすぎない。
しかも願いの裏に、彼女が考えているのはアルのことだとすぐにわかった。
きっと私がいない折にも、彼に淹れてやりたいと、一緒に飲みたいと思ったのだろう。
胸の奥に、温かいものが広がる。欲のなさと、気遣い。そのどちらもが愛おしく、庇護欲をそそる。
――本当に、よくもまぁあの子はこんな娘を選んだものだ。そして、魔の国にとってはこの上ない僥倖だ。
なにせ彼女が平穏無事である限り、国の存続発展も安泰なのだから。
蜂蜜を垂らした茶を一口含んでから、口を開いた。
「それならば、この後メモをお渡ししましょう。それに、アプフェルミンティはこの温室にありますから株分けもしましょうね」
「ありがとうございますっ・・・おとうさま」
その言葉を耳にした瞬間、目の奥が熱くなり喉の奥が震えた。
きっとだらしなく、頬も緩んでいただろう。けれど、それでよかった。彼女がゆっくりと目を見開いて、ふにゃりとはにかんでくれたから。
感極まった私は、思わず身を乗り出してリエルの頭に手を置いていた。往復三度までと、アルと交わした約束を破るわけにはいかぬと自制はした。だが、気づけば五度。指先が銀の髪を梳くたび、柔らかさと温もりが心に沁みた。
「・・・リエル」
「はい」
「夢だったんです。お父様と呼ばれるのは」
「え、でも、アルは・・・?」
「幼少期は父上か陛下でした。今では彼が王ですし、父さんとしか呼んでくれません」
子どもの頃のアルに『父上』と呼ばれることは幾度もあった。だが『お父様』とは、ついぞ聞いた覚えはない。
息子がどう呼ぼうと構わないつもりでいたが、いざ耳にするとどうしようもなく胸に迫るものがある。
別に、敬意が足りないなどというつもりはない。どちらかと言うとこれは、父親のプライドのようなものだ。
「ふふ・・・くすぐったいです」
小鳥のように笑う声に、こちらまで口元が緩む。
ああ、この娘を――リエルを、何があっても守る。役職など関係なく、国のための存在でもなく、息子が選び、私が娘と認めた存在であることが理由だ。
嬉しそうに、恥ずかしそうに見上げる彼女に誓う。
たとえ世界が彼女を奪おうとしても、私は立ちはだかろう。
リエル、お前は私の愛娘だ。
この命を賭してでも守るべき、かけがえのない家族だ。
ーーーーーーーーーー
メモ:アプフェルトラウムの配合
ダージリン・セカンドフラッシュ(ベース)/乾燥りんご片(3ミリ角にする。皮付きのものが望ましい)/アプフェルミンティの葉/シナモン/ローズヒップ
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秋が過ぎゆく温室に差し込む光はやわらかく濾過されて、私の目には暖色を帯びて見えた。
カイン様の真剣かつ優しい眼差しに、外を吹き抜ける風が一瞬やんで静かで温かい時間が流れている。
「素晴らしい」
対面して座るのは、私とカイン様だけ。本日はお招きに預かり、元からあった温室・・・以前3人でお茶会をしたテーブルで、薬草の相談をしていました。
大変興味深いお話と、お時間をいただいたお礼に午後のお茶の準備と、頼まれていた糸を渡したのが数分前です。受け取ったカイン様はその場でじっくりと陽の光にかざした後に、目を細めて喜んで下さった。
ほっとして、いつの間にか短くなっていた呼吸を落ち着かせる。
「よかったです・・・」
「貴女が配合した黒羽色はさることながら、紫陽花色も可愛らしい発色です。そして・・・瑠璃色には、何度も挑戦してくれたようですね。本当に想像した通りで、感謝申し上げます」
「いえっ、ご要望に応えられたのなら、嬉しいです」
カイン様から作成依頼のあった糸の中で、特に瑠璃色・・・夜の海のように深い青については、何度か私の工房で実物を見に来て下さったのを思い出す。
そういえば、以前いただいてアルの香袋と一緒に懐に入れてある薬瓶と、同じ色。それだけ思い入れのある色を託してもらえて、褒めてもらえたことに頬が少し熱くなる。
大切そうに、懐にしまわれた糸の行き先を想像する。薬師として繊細かつ慎重な作業を行われるカイン様は手先が器用で、どんなものを作られるのか少し興味をそそられます。
「何を作るか、気になりますか?」
「あの・・・はい、すみません」
「ふふ、謝る必要はありませんよ。出来上がったらご覧に入れましょう」
「ありがとうございます。楽しみに、待っておりますね」
指先を、まじまじと見つめていたのに気づかれてしまい、恥ずかしさを誤魔化して笑う。それにも優しく笑い返してくださるその眼差しは、父性を向けられているように感じられて・・・胸の奥が嬉しさと、ためらいに揺れた。
「さて、今日はちょうど材料が手に入ったので、ブレンドティーを用意しました。リンゴの夢という紅茶です」
2人で浮かべる笑みの間、レネが静かに茶会の用意を整え、私の後ろに下がる。カイン様てずから茶器に紅茶を注ぎ、ふわりと立ちのぼる湯気越しにカップを差し出してくれた。
「みずみずしいりんごの香り・・・とても優しい香りですね」
「ええ。アルも幼い頃、好んで飲んでいました」
カイン様は、懐かしい記憶を浮かべるように温かい表情をしている。長く、結ってある黒の髪は絹のように美しく揺れる。私もこっそり、幼いアルを想像した。
今でこそ、包容力たっぷりで凛々しく素敵な彼も、きっと子供の頃は・・・目もクリクリで可愛かったはず。今度、姿絵を見させてもらえないかしら。
「まあ・・・そうだったんですね。今も紅茶は好きで、食後やお茶の時間に一緒に飲みます」
「ほう、相変わらず仲睦まじいようで何よりです・・・ところで、せっかく2人きりのお茶会です。ここで、彼の弱みでも握っておきませんか? 幼少期の失敗談など、いくらでも話せますが」
カイン様は少し茶目っ気を含ませて、ふふふと悪い笑みを浮かべている。きっと力が入っていた私に気づいて、空気を和ませようとして下さっているのでしょう。
その気遣いをありがたく思いつつ、小さく首を横に振った。
「カイン様の、お気遣い感謝いたします。でも、過去のことは・・・聞きたいことがあれば、直接アルに尋ねます」
「そうですか。リエルは、いい子ですね」
だって・・・アルが私の過去を尋ねることは、今日まで一度たりともなかったから。
それはきっと、真綿に包まれるような彼の愛情。私が、魔の国に来た経緯を知っているから、聞かないでいてくれる。
それに・・・もし、尋ねられても。私自身ちゃんと話ができるのか、今でもわからないでいる。
命日を一緒に悼んだあの日をきっかけに、お母様と過ごした日々のことはなんでも話せるようになった。ふと思い出したときに、ぼんやりとした幼少期の話をアルは寄り添いながら聞いてくれる。
けれど、それ以外のことを口にしようとするたびに・・・気のせいではない、震えと痛みがこの身を襲った。
実は、カイン様が『リエル』と呼ぶその愛称は、お母様と同じ響き。
夏の頃、アルを通じて私さえ良ければ愛称で呼びたいと申し出があり、頷いてからは呼ばれるたびに懐かしく思う反面、ほっこりと温かい気持ちになる。
私は確かに、カイン様に深い尊敬と庇護を感じている。なのに・・・まだ、『お父様』と呼ぶ勇気が持てないでいた。
・・・私にとって、かつていた『お父様』は。一度も私を見てくれたことがない。顔も、声も思い出すことができない。遠くて、よくわからない人だったから。
『ミュリエルが呼びたいと思った時に、呼べばいいよ。僕と違って父さんは気の長い方だし』
どうしたらいいのか、悶々と考え尽くして相談した夜。髪を撫でながら落とされた、アルの言葉を思い出す。優しく励ましてもらった言葉を支えに、膝の上に乗せた手に力を込めた。
普段は旅に出ていることの多いカイン様は、城にいらっしゃることの方が珍しい。今日は、せっかくの機会。気持ちさえ、タイミングさえ掴めればカイン様を父と、呼びたい。
口を開いて、喉の渇きを自覚する。私は紅茶で癒して、少し咳払いして一旦会話を続けることにした。
「でも、せっかくのお申し出なので1つだけ・・・お聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、なんでも聞いてください」
「その・・・アルに、嫌いな食べ物はあるのでしょうか? 実は、どんなメニューを作っても美味しいと完食してくださるのですが・・・」
無理して食べているときもあるのではと、少しの不安がずっとあった。
確かに、リエルに出されたものなら炭だろうが毒だろうが喜んで食べそうですねぇ、と苦笑する彼に乾笑いを返すしかない。
「なるほど。ではご希望に沿って・・・ヤギのチーズです」
「えっ」
「食材として、クセや香りが強いものが苦手なようですね。そういった意味で言うと、パクチーもかな」
ちょうど、テーブルにも並んでいるりんごの角切り入りのチーズケーキは・・・昨日一緒に味見をしたときに、嬉しそうに微笑んで完食していた。その顔を思い出して、ヒヤリと背中に汗が流れた。
「カイン様、その、チーズは、全般的に・・・?」
「いいえ。牛のものは好きだったはずですよ。今日のケーキのようなクリーム系は特に」
「あ・・・よかった、です」
「そもそも食の好みは料理長が把握していますから、城内にあまりないと思いますがね」
そうした会話を続けつつ、しばし茶菓子や茶を味わいながら穏やかな時間が流れた。
・・・ちなみにカイン様は、すでに2ピース目のケーキを完食されている。気に入られたようで、ほっと息をつくことができました。
△▼△
「この温室は・・・何度来ても落ち着きますね。私の温室とはまた違って、静かで、でも力強い感じがします」
「そういっていただけると、先輩冥利に尽きます。こちらは研究用ですから、少々無骨でしょうが・・・植物たちにとっては居心地が良いようです」
ミュリエルは興味深そうに、視線を巡らせる。長年培ってきた植物たちが、まるで家族のようにそこに根づいている。季節の花をメインとして植え、趣味を深めるための彼女の温室とは対照的に、この場所はエリクサー再現のための『研究と成果』のための場だ。それでも紫陽花色の瞳は柔らかな眼差しで見てくれる。
今日、彼女は時折真っ直ぐ私を見つめて、口を開きかけてを何度か繰り返している。きっと、何かを決めてここにきてくれたのでしょう。その心が整うまでは、視線1つ、ソーサーを持つ手にも神経を尖らせる。
・・・彼女は純粋に、義父との茶会を楽しんでくれている。年甲斐もなく揺れている心情を知られてしまうのは、恥ずかしいですからね。
「そういえば、先日は青リンゴのジャムをいただき、ありがとうございました。あれもとても美味しくて、旅の道中でアルと取り合いになりましたよ」
「お口に合って良かったです。また、旅に出られると聞いたので保存がきくものを、と思っただけで・・・」
きっと、私が王城に戻ったことも不思議だろうに、彼女は褒められたことに照れるだけで聞こうとはしない。その距離感は心地よく、リエルを好ましいと思う一因になっていた。
過去の仔細を知らぬ私には邪推することしかできないが、彼女の思慮深さは高潔でもあり、優しさでもある。その瑞々しさに、思わず口元がほころぶ。
「胃袋をつかまれる、とは私のような事を言うのですね。とても、良いものをいただき嬉しかったです。糸の件にしかり、愛称で呼ぶことを許してもらったことも含めて・・・何か望みはありますか?」
「でしたら、アプフェルトラウム・・・この紅茶の配合を、教えていただきたいです。以前いただいたノートには載っていなかったので」
その返事を聞きながら、苦笑しつつもやっぱりという感情が胸の内に広がっていく。
彼女は、自分の欲というものに淡白すぎる。
それこそ、宝石でも衣でも求めることはできただろうに。紅茶の調合など、いつでも与えられるささやかな知識にすぎない。
しかも願いの裏に、彼女が考えているのはアルのことだとすぐにわかった。
きっと私がいない折にも、彼に淹れてやりたいと、一緒に飲みたいと思ったのだろう。
胸の奥に、温かいものが広がる。欲のなさと、気遣い。そのどちらもが愛おしく、庇護欲をそそる。
――本当に、よくもまぁあの子はこんな娘を選んだものだ。そして、魔の国にとってはこの上ない僥倖だ。
なにせ彼女が平穏無事である限り、国の存続発展も安泰なのだから。
蜂蜜を垂らした茶を一口含んでから、口を開いた。
「それならば、この後メモをお渡ししましょう。それに、アプフェルミンティはこの温室にありますから株分けもしましょうね」
「ありがとうございますっ・・・おとうさま」
その言葉を耳にした瞬間、目の奥が熱くなり喉の奥が震えた。
きっとだらしなく、頬も緩んでいただろう。けれど、それでよかった。彼女がゆっくりと目を見開いて、ふにゃりとはにかんでくれたから。
感極まった私は、思わず身を乗り出してリエルの頭に手を置いていた。往復三度までと、アルと交わした約束を破るわけにはいかぬと自制はした。だが、気づけば五度。指先が銀の髪を梳くたび、柔らかさと温もりが心に沁みた。
「・・・リエル」
「はい」
「夢だったんです。お父様と呼ばれるのは」
「え、でも、アルは・・・?」
「幼少期は父上か陛下でした。今では彼が王ですし、父さんとしか呼んでくれません」
子どもの頃のアルに『父上』と呼ばれることは幾度もあった。だが『お父様』とは、ついぞ聞いた覚えはない。
息子がどう呼ぼうと構わないつもりでいたが、いざ耳にするとどうしようもなく胸に迫るものがある。
別に、敬意が足りないなどというつもりはない。どちらかと言うとこれは、父親のプライドのようなものだ。
「ふふ・・・くすぐったいです」
小鳥のように笑う声に、こちらまで口元が緩む。
ああ、この娘を――リエルを、何があっても守る。役職など関係なく、国のための存在でもなく、息子が選び、私が娘と認めた存在であることが理由だ。
嬉しそうに、恥ずかしそうに見上げる彼女に誓う。
たとえ世界が彼女を奪おうとしても、私は立ちはだかろう。
リエル、お前は私の愛娘だ。
この命を賭してでも守るべき、かけがえのない家族だ。
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メモ:アプフェルトラウムの配合
ダージリン・セカンドフラッシュ(ベース)/乾燥りんご片(3ミリ角にする。皮付きのものが望ましい)/アプフェルミンティの葉/シナモン/ローズヒップ
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