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第二章 異国の地にて
第四十八話
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「あ、れ……ここは天国?」
意識を失っていたクラッツ。ジルクとの戦闘により重傷となっていたが今は完全に傷が塞がっている。
「お望みなら送ってやろうか?」
「……間違えた。ここは地獄みたいだ」
衣類の切り傷が存在していることから記憶違いではない。確かに負傷していたはずだが体は問題なく動く。
「どうやって治療を……? もう助からないと思ってたのに」
「…………貴様が知る必要はない」
「? ……まさかッ⁉︎ 本部にあった超高級ポーションを勝手に使ったんじゃないよね⁉︎」
クラッツの言うポーションとは薬師と錬金術師の共同開発により製作された秘薬のことである。家が複数棟建つレベルの金額となる。
「駄目じゃないか、そんなことしたら……。あぁ今度こそお終いだ」
項垂れるクラッツ。一生借金生活? とぶつぶつ呟いている。
「貴様は幸せそうだな」
「君のおかげでね。……お礼がまだだったね、ありがとう。でも、どうしてここに?」
明確な拒絶があった。この場に現れるとは考えもしなかった。
「それにペンダントが無いとここに入ることは出来ない。そもそも牢屋からどうやって出てきたの?」
「あれが牢屋だと? 笑えるな」
拘束具や牢は粉々に砕いた。ペンダントはホフランから奪ったとジークは話す。
「やってることがもう凶悪犯のそれだよ……」
「その凶悪犯といる貴様も同罪だ。良かったな」
何が同罪なのかクラッツにはよく分からなかったが、救われた事実に変わりはない。拾った命。まだ自分はやれる。
「それで、外はどういう状況なんだい?」
「ふん、好き勝手しているようだな」
留置所で脱走騒ぎを起こしても兵士が現れることはなかった。兵の離反が相次ぎ軍全体に混乱が生じている。議事堂が占拠されたという話もあるようだ。
「滅茶苦茶だ。もう裏切りなんてレベルじゃない。どうしてこんなことに……」
「長年のツケだ。貴様も身の振り方を考えておくんだな」
「……僕がすることは変わらないよ。君はどうするの?」
一瞬ではあるが目を少し見開くジーク。出会った当初からでは考えられない程のクラッツから感じる意志の強さ。何が平凡な兵士を変えたのか。少しだけ気になった。
「何度も同じことを言わせるな。俺は俺の都合で動く。奴らは目障りだ」
奥にある巨大な宝玉へと視線を向ける。青き光を放っていたそれは今では輝きが小さくなっている。嵐の前の静けさとでも言うべきか。
「さっきまで戦っていた貴族派が言ってたんだけど……」
宝玉の役割を説明する。貴族派の力の根源であり切り札でもある。膨大な運河さえコントロール可能な宝玉を手中に収めた。ジルクはそう語っていた。
「……やはり、ゼーファ様の読み通りとなったか」
「ジルクッ⁉︎ まだ動けたのか……!」
血塗れになりながらもフラフラと歩くジルク。片腕は力なくぶら下がり、足を引きずっている。クラッツ同様にジルクもまた強い執念を持ち合わせていたようだ。
「丁重に持て成せか……。悪い人だ。だが、これで」
「何を言っている? もう止めるんだ、死んでしまうぞ!」
ぶつぶつと呟き瞳には狂喜の色が浮かんでいる。何がおかしいのか笑みが溢れていた。
「足りなかったのだよ。長年集めてきた民の魔力とホフラン達の生命力では……」
「だから……何を言ってるんだ?」
宝玉の光は次第に色を失う。何かの前触れなのか。嫌な空気が漂いだす。
「人は見ず知らずのうちに魔力を放出している。日常的に微量な物から、戦闘時における多量な物まで」
魔力は人間の体だけではなく大気や大地、自然そのものにも存在する。魔力が人の体を循環するように自然界でもまた同様の事象が起きている。
「自然界、いや世界には膨大な魔力が存在するが、人が持てる魔力量には限界があり個人差がある」
「……個人差か。後半の話はよく知っているよ」
魔力量は生まれ持った才能に左右されやすいことで有名な話である。クラッツが何度己の無力さを嘆いたことか。
「そう個人差があるのだ。君が連れて来た異国の少年のようにね」
「⁉︎ まさか……」
ジルクの顔が狂喜で歪む。
「この力を制御するのは過程であって目的ではない! 必要な魔力を集めることこそが本願なのだ!」
宝玉は完全に色を失う。
同時に大きな揺れが起き断続的に振動が続く。
「発した魔力は少年からすれば僅かかもしれない。だが、十分であった。ゼーファ様の目に狂いはなかったのだ!」
血を吐き出しながら歓喜に震えるジルク。
「ありがとうクラッツ卿。君のおかげで我々は神を降ろすことが出来るのだ。そして、感謝申し上げる異国の少年よ。上手く踊ってくれたことを……」
「くそッ……奥の宝玉を壊せばまだ!」
「別に構わんよ。それは既に抜け殻だ」
揺れは激しさを増し、壁が砕け大量の水が流れ込んでくる。この空間はもう長くは持ちそうにないようだ。
「水神リヴァイアサンの復活だ! ああ、我らの同胞よ。遂に悲願を成し遂げたぞ」
「そんなことさせな……ぐへッ⁉︎」
首根っこを掴まれ無理矢理移動させられるクラッツ。振り向けばジークの姿があった。
「何をしている、死にたいのか? 直にここは沈むぞ」
「でもジルクが……」
「放っておけ。奴が言うようにあの物体からはもう何も感じん」
ジークに引きずられる形で出口へと向かうクラッツ。転移の間まであっという間に辿り着いたがクラッツの臀部が犠牲になってしまった。
「お、お尻が……」
「知るかそんなこと。さっさとずらかるぞ」
幸いなことに術式はまだ生きていた。転移によって二人の姿は消える。
✳︎✳︎✳︎✳︎
倒壊した建物から外へ出た二人。転移する前は雲ひとつない晴天であったが今では様子が異なり、空は分厚く黒い雲に覆われていた。
「こんな急激に変わるなんて……」
「異常気象なんぞ珍しくもない」
「……珍しいよ。運河を流れる水の量が多い。明らかな異常だよ……」
嵐のような空模様であるが雨風はまるでない。目につく点は水路から今にも溢れそうな水である。平常とは異なる激しい水の流れにクラッツは困惑していた。
「どうでもいいが住民共の姿がないな」
「多分避難したんだよ。有事の際は結界のある高台に集まるんだ」
複数の島からなるワーテル。区画ごとに避難場所が決められている。高台に作られた避難所は緊急時に水害から身を守る結界が張る仕組みとなっているのだ。
「ここからなら第四避難所かな、僕達も急ごう。議事堂も近いはずだよ」
「野次馬共を脅して情報を奪うとするか……」
「だから、いちいち君は発言が物騒なんだよ」
クラッツの案内で避難場所へ向かおうとするが背後に影が現れる。同伴者はもう一人いるようだ。
「ジルク……まだ生きていたのか」
「ハァハァ……当然だ。水神をこの目に焼き付けるまでは死ねないさ」
満身創痍ではあるが目に浮かんだ狂喜は消えていない。このまま放置すれば何をしでかすか分からない危うさを感じる。
「もう、ここで僕が……」
「いや、好きにさせろ」
意外なことにジークの制止が入る。思わぬ行動に目を丸くするクラッツ。
「こいつらは何も理解していない。自らがしでかした過ちを」
「過ち? それはどういう意味だい?」
「黙ってその避難所とやらに案内しろ。面白いものを見せてやる」
「負け惜しみか……神の威光にひれ伏すがいい」
✳︎✳︎✳︎✳︎
奇妙な組み合わせで第四避難所へ移動してきたジーク達。高台に建設された避難所の屋上には多くの人々が避難していた。民間人や兵士だけではなく、議員と思われる人間、そしてゼーファ率いる貴族派の姿もあった。
「これはこれは、お揃いのようだな。……ジルク、よくぞ大義を果たした」
恭しく跪くジルク。誇らしげな表情をしていた。
「ファルダーさん……どうしてあなたが」
「クラッツ。貴公の滑稽さにはいつも楽しませてもらっていた。余興としては十分であった」
普段着ている軍服でなければ口調や髪型にも変化がある。面識のある者でなければ別人と判断したかもしれない。
「それから、御機嫌よう。愚かなる道化よ。貴公の存在が我らに光を与えてくれたのだ」
「……」
ゼーファに視線を向けることなくジークは運河を見つめている。
「そう落胆することはない。経験の差とでも言うべきか。……さて、観衆は揃った。水神に御登場頂こうか……!」
ゼーファが首に下げたペンダント。クラッツが所持している物とは異なり青い宝石がはめ込まれている。宝石に刻まれた模様は術式なのか、ペンダントが輝き出し周囲を青く染め上げる。
暗雲が垂れ込め運河は激しく波打つ。色鮮やかな青い水面は黒く変わり果て、嵐の様相となる。
そして、黒き運河を裂くように現れるのはこの世のものとは思えない程の巨大な竜の見た目をした何かであった。
「ハ、ハハハッ……! これが水神リヴァイアサンか。……我らを導く水神か!」
――リヴァイアサン。全身を覆うのは傷一つ無い鉱物を連想させる頑丈な鱗。そして膨大な魔力を内包した水を纏っている。生半可な攻撃では本体にすら届くことのない、生物の頂点に君臨する竜である。
リヴァイアサンが現れたことで水面は大きく揺れ大波となる。多くの島は飲み込まれ各地の結界が発動する。今目視出来ている結界が避難所でありワーテルの人々の生命線となっていた。
「何てことをしでかした……。お前達はこの国を滅ぼすつもりか?」
「リーデル殿……多少の犠牲は必要なのだよ。心配しなくとも貴公には晴れ舞台を用意するつもりだ。国のリーダーとしての最後に相応しい場をな」
恐怖の余り腰を抜かす者がいれば少しでも遠くにと屋上の端まで移動する者までいる。
「水神リヴァイアサンよ。我が其方を再び現世へ呼び寄せた者であり、契約者となる。その力の一端を公国の為に振るうのだ」
目視出来る胴体の一部分ですら百メートルは軽く超える。頭部には凶悪な瞳に鋭い牙。
口を大きく開き魔力を集め始める。
「高密度に圧縮された魔力の塊だ。自身の魔力だけではなく、大気に含まれた物まで己の力とする。これが神の力か……」
恍惚とした表情でリヴァイアサンを見つめるジルク。今にも昇天しそうである。
「……大気に含まれる魔力を集める、か。……使えるな」
小さく呟くジーク。その言葉が誰かの耳に入ることはなかった。
「愚かなる民達よ。その目に焼き付けるが良い。これが国を統べる神の力だ……! リヴァイアサンよ! 其方の力を先ずは空へと放て!」
圧縮された魔力の塊は巨大なリヴァイアサンの頭部並みの大きさとなる。
力が溜まり切ったのか顔を傾け放出の態勢を取る。その照準は空ではなく一つの避難所へと向いていた。
力が放たれる。
世界から音が消え光によって視界が遮られる。
遅れて届く爆音に衝撃。
避難所があった場所とその背後に存在した島々は、全てが消滅し運河の一部となっていた。
「――は?」
何が起きたのか。人々が正しく理解出来たのは数刻後であった。
「何を、している? リヴァイアサンよ。我はそのような指示は出して……」
巨大な尾をしならせ避難所を攻撃する。結界ごと建物を破壊し運河の底へ沈めてしまう。反応出来た者は皆無であった。
「ゼ、ゼーファ様? これは……一体?」
「従えッ! リヴァイアサン! 契約者である我の声を聞け、命令に背くな!」
ペンダントをリヴァイアサンに見せ付けるように頭上に掲げるが変化は無い。結界の張られた避難所を次から次へと攻撃している。多くの命が一瞬のうちに消失してゆく。
「何なんだこれは……? このような話、我は聞いてない」
「ふざけるな! 早く攻撃を止めさせろッ! これがお前の言う多少の犠牲なのか⁉︎」
リーデルがゼーファに詰め寄るが望む結果は得られそうにない。ゼーファやジルクは放心状態となり、他の貴族派は恐怖に呑まれ言葉を失っていた。
天を切り裂くような咆哮が響き渡る。衝撃によって避難所を覆っていた結界の全てが砕け散る。ワーテルの生命線は失われてしまう。
「や、めろ。止めてくれ。避難所には父さんや母さんが……」
放心しているのはクラッツも同様であった。顔を青くし遠く離れた避難所を見つめている。
「こ、こんなはずでは。我は公国の栄光を取り戻す為に……」
「いい加減現実を見ろ」
放心状態のゼーファにジークが近付く。瞳に怒りの感情は無い。含まれていたのは憐れみだけであった。
「地下の宝玉の存在を知らない間抜けがいたように、アレの実態を正しく認識していなかった間抜けもいた。ただ、それだけだ」
残酷な真実を冷淡に告げる。
「貴様の先祖はアレを制御しようとしたのではなく、この国を滅ぼす為に画策していたんだろうな。そもそも、その玩具で縛れるようなゴミで国を取れるわけがない」
革命によりこれまで治めてきた国の全権を奪われる。
地位や立場に金。それらを再び取り戻すのではなく破壊してしまう。長い年月により大願は捻じ曲がり、今の貴族派へと伝わったのではないか。
「本当に踊らされていたのは誰なんだろうな」
ジークから伝わる感情は憐れみのみである。それだけでゼーファやジルク、貴族派の心を折るには十分であった。
意識を失っていたクラッツ。ジルクとの戦闘により重傷となっていたが今は完全に傷が塞がっている。
「お望みなら送ってやろうか?」
「……間違えた。ここは地獄みたいだ」
衣類の切り傷が存在していることから記憶違いではない。確かに負傷していたはずだが体は問題なく動く。
「どうやって治療を……? もう助からないと思ってたのに」
「…………貴様が知る必要はない」
「? ……まさかッ⁉︎ 本部にあった超高級ポーションを勝手に使ったんじゃないよね⁉︎」
クラッツの言うポーションとは薬師と錬金術師の共同開発により製作された秘薬のことである。家が複数棟建つレベルの金額となる。
「駄目じゃないか、そんなことしたら……。あぁ今度こそお終いだ」
項垂れるクラッツ。一生借金生活? とぶつぶつ呟いている。
「貴様は幸せそうだな」
「君のおかげでね。……お礼がまだだったね、ありがとう。でも、どうしてここに?」
明確な拒絶があった。この場に現れるとは考えもしなかった。
「それにペンダントが無いとここに入ることは出来ない。そもそも牢屋からどうやって出てきたの?」
「あれが牢屋だと? 笑えるな」
拘束具や牢は粉々に砕いた。ペンダントはホフランから奪ったとジークは話す。
「やってることがもう凶悪犯のそれだよ……」
「その凶悪犯といる貴様も同罪だ。良かったな」
何が同罪なのかクラッツにはよく分からなかったが、救われた事実に変わりはない。拾った命。まだ自分はやれる。
「それで、外はどういう状況なんだい?」
「ふん、好き勝手しているようだな」
留置所で脱走騒ぎを起こしても兵士が現れることはなかった。兵の離反が相次ぎ軍全体に混乱が生じている。議事堂が占拠されたという話もあるようだ。
「滅茶苦茶だ。もう裏切りなんてレベルじゃない。どうしてこんなことに……」
「長年のツケだ。貴様も身の振り方を考えておくんだな」
「……僕がすることは変わらないよ。君はどうするの?」
一瞬ではあるが目を少し見開くジーク。出会った当初からでは考えられない程のクラッツから感じる意志の強さ。何が平凡な兵士を変えたのか。少しだけ気になった。
「何度も同じことを言わせるな。俺は俺の都合で動く。奴らは目障りだ」
奥にある巨大な宝玉へと視線を向ける。青き光を放っていたそれは今では輝きが小さくなっている。嵐の前の静けさとでも言うべきか。
「さっきまで戦っていた貴族派が言ってたんだけど……」
宝玉の役割を説明する。貴族派の力の根源であり切り札でもある。膨大な運河さえコントロール可能な宝玉を手中に収めた。ジルクはそう語っていた。
「……やはり、ゼーファ様の読み通りとなったか」
「ジルクッ⁉︎ まだ動けたのか……!」
血塗れになりながらもフラフラと歩くジルク。片腕は力なくぶら下がり、足を引きずっている。クラッツ同様にジルクもまた強い執念を持ち合わせていたようだ。
「丁重に持て成せか……。悪い人だ。だが、これで」
「何を言っている? もう止めるんだ、死んでしまうぞ!」
ぶつぶつと呟き瞳には狂喜の色が浮かんでいる。何がおかしいのか笑みが溢れていた。
「足りなかったのだよ。長年集めてきた民の魔力とホフラン達の生命力では……」
「だから……何を言ってるんだ?」
宝玉の光は次第に色を失う。何かの前触れなのか。嫌な空気が漂いだす。
「人は見ず知らずのうちに魔力を放出している。日常的に微量な物から、戦闘時における多量な物まで」
魔力は人間の体だけではなく大気や大地、自然そのものにも存在する。魔力が人の体を循環するように自然界でもまた同様の事象が起きている。
「自然界、いや世界には膨大な魔力が存在するが、人が持てる魔力量には限界があり個人差がある」
「……個人差か。後半の話はよく知っているよ」
魔力量は生まれ持った才能に左右されやすいことで有名な話である。クラッツが何度己の無力さを嘆いたことか。
「そう個人差があるのだ。君が連れて来た異国の少年のようにね」
「⁉︎ まさか……」
ジルクの顔が狂喜で歪む。
「この力を制御するのは過程であって目的ではない! 必要な魔力を集めることこそが本願なのだ!」
宝玉は完全に色を失う。
同時に大きな揺れが起き断続的に振動が続く。
「発した魔力は少年からすれば僅かかもしれない。だが、十分であった。ゼーファ様の目に狂いはなかったのだ!」
血を吐き出しながら歓喜に震えるジルク。
「ありがとうクラッツ卿。君のおかげで我々は神を降ろすことが出来るのだ。そして、感謝申し上げる異国の少年よ。上手く踊ってくれたことを……」
「くそッ……奥の宝玉を壊せばまだ!」
「別に構わんよ。それは既に抜け殻だ」
揺れは激しさを増し、壁が砕け大量の水が流れ込んでくる。この空間はもう長くは持ちそうにないようだ。
「水神リヴァイアサンの復活だ! ああ、我らの同胞よ。遂に悲願を成し遂げたぞ」
「そんなことさせな……ぐへッ⁉︎」
首根っこを掴まれ無理矢理移動させられるクラッツ。振り向けばジークの姿があった。
「何をしている、死にたいのか? 直にここは沈むぞ」
「でもジルクが……」
「放っておけ。奴が言うようにあの物体からはもう何も感じん」
ジークに引きずられる形で出口へと向かうクラッツ。転移の間まであっという間に辿り着いたがクラッツの臀部が犠牲になってしまった。
「お、お尻が……」
「知るかそんなこと。さっさとずらかるぞ」
幸いなことに術式はまだ生きていた。転移によって二人の姿は消える。
✳︎✳︎✳︎✳︎
倒壊した建物から外へ出た二人。転移する前は雲ひとつない晴天であったが今では様子が異なり、空は分厚く黒い雲に覆われていた。
「こんな急激に変わるなんて……」
「異常気象なんぞ珍しくもない」
「……珍しいよ。運河を流れる水の量が多い。明らかな異常だよ……」
嵐のような空模様であるが雨風はまるでない。目につく点は水路から今にも溢れそうな水である。平常とは異なる激しい水の流れにクラッツは困惑していた。
「どうでもいいが住民共の姿がないな」
「多分避難したんだよ。有事の際は結界のある高台に集まるんだ」
複数の島からなるワーテル。区画ごとに避難場所が決められている。高台に作られた避難所は緊急時に水害から身を守る結界が張る仕組みとなっているのだ。
「ここからなら第四避難所かな、僕達も急ごう。議事堂も近いはずだよ」
「野次馬共を脅して情報を奪うとするか……」
「だから、いちいち君は発言が物騒なんだよ」
クラッツの案内で避難場所へ向かおうとするが背後に影が現れる。同伴者はもう一人いるようだ。
「ジルク……まだ生きていたのか」
「ハァハァ……当然だ。水神をこの目に焼き付けるまでは死ねないさ」
満身創痍ではあるが目に浮かんだ狂喜は消えていない。このまま放置すれば何をしでかすか分からない危うさを感じる。
「もう、ここで僕が……」
「いや、好きにさせろ」
意外なことにジークの制止が入る。思わぬ行動に目を丸くするクラッツ。
「こいつらは何も理解していない。自らがしでかした過ちを」
「過ち? それはどういう意味だい?」
「黙ってその避難所とやらに案内しろ。面白いものを見せてやる」
「負け惜しみか……神の威光にひれ伏すがいい」
✳︎✳︎✳︎✳︎
奇妙な組み合わせで第四避難所へ移動してきたジーク達。高台に建設された避難所の屋上には多くの人々が避難していた。民間人や兵士だけではなく、議員と思われる人間、そしてゼーファ率いる貴族派の姿もあった。
「これはこれは、お揃いのようだな。……ジルク、よくぞ大義を果たした」
恭しく跪くジルク。誇らしげな表情をしていた。
「ファルダーさん……どうしてあなたが」
「クラッツ。貴公の滑稽さにはいつも楽しませてもらっていた。余興としては十分であった」
普段着ている軍服でなければ口調や髪型にも変化がある。面識のある者でなければ別人と判断したかもしれない。
「それから、御機嫌よう。愚かなる道化よ。貴公の存在が我らに光を与えてくれたのだ」
「……」
ゼーファに視線を向けることなくジークは運河を見つめている。
「そう落胆することはない。経験の差とでも言うべきか。……さて、観衆は揃った。水神に御登場頂こうか……!」
ゼーファが首に下げたペンダント。クラッツが所持している物とは異なり青い宝石がはめ込まれている。宝石に刻まれた模様は術式なのか、ペンダントが輝き出し周囲を青く染め上げる。
暗雲が垂れ込め運河は激しく波打つ。色鮮やかな青い水面は黒く変わり果て、嵐の様相となる。
そして、黒き運河を裂くように現れるのはこの世のものとは思えない程の巨大な竜の見た目をした何かであった。
「ハ、ハハハッ……! これが水神リヴァイアサンか。……我らを導く水神か!」
――リヴァイアサン。全身を覆うのは傷一つ無い鉱物を連想させる頑丈な鱗。そして膨大な魔力を内包した水を纏っている。生半可な攻撃では本体にすら届くことのない、生物の頂点に君臨する竜である。
リヴァイアサンが現れたことで水面は大きく揺れ大波となる。多くの島は飲み込まれ各地の結界が発動する。今目視出来ている結界が避難所でありワーテルの人々の生命線となっていた。
「何てことをしでかした……。お前達はこの国を滅ぼすつもりか?」
「リーデル殿……多少の犠牲は必要なのだよ。心配しなくとも貴公には晴れ舞台を用意するつもりだ。国のリーダーとしての最後に相応しい場をな」
恐怖の余り腰を抜かす者がいれば少しでも遠くにと屋上の端まで移動する者までいる。
「水神リヴァイアサンよ。我が其方を再び現世へ呼び寄せた者であり、契約者となる。その力の一端を公国の為に振るうのだ」
目視出来る胴体の一部分ですら百メートルは軽く超える。頭部には凶悪な瞳に鋭い牙。
口を大きく開き魔力を集め始める。
「高密度に圧縮された魔力の塊だ。自身の魔力だけではなく、大気に含まれた物まで己の力とする。これが神の力か……」
恍惚とした表情でリヴァイアサンを見つめるジルク。今にも昇天しそうである。
「……大気に含まれる魔力を集める、か。……使えるな」
小さく呟くジーク。その言葉が誰かの耳に入ることはなかった。
「愚かなる民達よ。その目に焼き付けるが良い。これが国を統べる神の力だ……! リヴァイアサンよ! 其方の力を先ずは空へと放て!」
圧縮された魔力の塊は巨大なリヴァイアサンの頭部並みの大きさとなる。
力が溜まり切ったのか顔を傾け放出の態勢を取る。その照準は空ではなく一つの避難所へと向いていた。
力が放たれる。
世界から音が消え光によって視界が遮られる。
遅れて届く爆音に衝撃。
避難所があった場所とその背後に存在した島々は、全てが消滅し運河の一部となっていた。
「――は?」
何が起きたのか。人々が正しく理解出来たのは数刻後であった。
「何を、している? リヴァイアサンよ。我はそのような指示は出して……」
巨大な尾をしならせ避難所を攻撃する。結界ごと建物を破壊し運河の底へ沈めてしまう。反応出来た者は皆無であった。
「ゼ、ゼーファ様? これは……一体?」
「従えッ! リヴァイアサン! 契約者である我の声を聞け、命令に背くな!」
ペンダントをリヴァイアサンに見せ付けるように頭上に掲げるが変化は無い。結界の張られた避難所を次から次へと攻撃している。多くの命が一瞬のうちに消失してゆく。
「何なんだこれは……? このような話、我は聞いてない」
「ふざけるな! 早く攻撃を止めさせろッ! これがお前の言う多少の犠牲なのか⁉︎」
リーデルがゼーファに詰め寄るが望む結果は得られそうにない。ゼーファやジルクは放心状態となり、他の貴族派は恐怖に呑まれ言葉を失っていた。
天を切り裂くような咆哮が響き渡る。衝撃によって避難所を覆っていた結界の全てが砕け散る。ワーテルの生命線は失われてしまう。
「や、めろ。止めてくれ。避難所には父さんや母さんが……」
放心しているのはクラッツも同様であった。顔を青くし遠く離れた避難所を見つめている。
「こ、こんなはずでは。我は公国の栄光を取り戻す為に……」
「いい加減現実を見ろ」
放心状態のゼーファにジークが近付く。瞳に怒りの感情は無い。含まれていたのは憐れみだけであった。
「地下の宝玉の存在を知らない間抜けがいたように、アレの実態を正しく認識していなかった間抜けもいた。ただ、それだけだ」
残酷な真実を冷淡に告げる。
「貴様の先祖はアレを制御しようとしたのではなく、この国を滅ぼす為に画策していたんだろうな。そもそも、その玩具で縛れるようなゴミで国を取れるわけがない」
革命によりこれまで治めてきた国の全権を奪われる。
地位や立場に金。それらを再び取り戻すのではなく破壊してしまう。長い年月により大願は捻じ曲がり、今の貴族派へと伝わったのではないか。
「本当に踊らされていたのは誰なんだろうな」
ジークから伝わる感情は憐れみのみである。それだけでゼーファやジルク、貴族派の心を折るには十分であった。
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