26 / 50
芦原大地編
第26話 褒めとは何ですか[3]
しおりを挟む
「レビューは、相手の評価軸です。私は芦原さんの言葉の中だけで拾います」
沈黙が落ちた。
芦原は沈黙に弱いタイプではない。
むしろ、沈黙があると情報を整理し始めるタイプだ。
「じゃあ、僕のメモの中から拾ってください」
しのは頷いた。
「メモの中に何度も“怖い”が出てきます」
芦原は息を止めた。
「……書いてました?」
「書いてました。『怖いけど、やる』と。『怖いから、確かめたくなる』と」
芦原は、少しだけ目を細める。
自分の文章が、意図しない形で鏡になって返ってくる瞬間。
「それを、褒めるんですか」
「事実です。怖いと言語化できています。怖いのに、行動もしています」
芦原は笑いそうになった。だけど笑えなかった。
「それ、褒めなんですか。なんか……当たり前のこと言われてる気がする」
しのは、否定しない。
「当たり前だと思えるところが、芦原さんの強さです」
芦原の指が止まった。
「……強さ?」
「怖いのにやっているのを当たり前にしている。だから続けられている」
芦原は視線を逸らした。
褒められ慣れていない人ではない。
でも、褒めを“評価”として受け取ってきた人だ。
評価は、次の行動を縛る。
褒めは、自由にする。
その違いが怖い。
芦原は、少し早口になった。
「じゃあ、単価の話、してもいいですか。僕、最近上げたんです。上げたら案件が減って、でも空いた時間で営業して、結果的に……えっと」
“結果的に”の言い方が、少し焦っていた。
正当化。
決めたことを、後から安全にしたい。
そういった心理。
しのは遮らず、ただ一つだけ置く。
「単価を上げたのは、芦原さんが決めたことですね」
芦原は一瞬黙った。
「……はい。決めました」
「決めた理由は」
「……怖かったから」
しのは頷いた。
「怖いから、決めた」
芦原は困った顔をした。
「それ、良いのか悪いのか分からない言い方ですね」
「良い悪いではなく、順番の話です。怖い→決める、を選べた。怖い→流される、じゃなかった」
しのは、ここで一度だけ“褒めとして言い切る”。
「芦原さんは、“選んだ”んです。怖さのせいにして逃げたんじゃなく、怖さの中で選んだ」
芦原は、そこでようやく息を吐いた。
小さく。
「……それ、救われる言い方ですね」
自分でも驚いたような声だった。
“褒め”ではない。
“正解”でもない。
ただ、順番が整理された。
芦原は、目元をこする。
「僕、ずっと“合ってるか”を外に聞いてたんですよね。でも、フリーランスだと同僚っていなくて。だから身近な人には聞けなくて」
「外に聞くこと自体は悪くないです。ただ、外に渡す割合が増えると、判断が薄くなります」
芦原は頷く。
理解が早い。
理解が早い人は、ここで“結論”を欲しがる。
「じゃあ、どうしたらいいですか」
――来た。
しのは、返答を急がない。
「今、どうしたらいいですか、と言いました」
芦原は、しまった、という顔をした。
自分で自分の癖に気づいてしまうと恥ずかしい。
「……すみません。癖ですね」
「癖です。悪い癖ではないです。便利な癖です。ただ、癖は疲れると強く出ます」
芦原は、しばらく黙った。
「……最近、疲れてるんだと思います」
「そう言いました。それも事実です」
しのはそこで、少しだけ“褒め”に寄せる。
「芦原さんは、自分の状態を言葉にするのが上手です。上手だから、ちゃんと止まれます」
芦原の表情が、初めて崩れた。
泣き顔ではない。
笑顔でもない。
ただ、固さがほどけた顔。
「……止まれてないから来たのに」
「来た、というのが止まる動きです」
芦原は、小さく頷いた。
その後の時間は、目立つ事件は起きなかった。
泣き崩れることもない。
劇的な救いもない。
ただ、芦原は何度か“合ってますか”と言いかけて、言い直した。
「僕は、どう思ってるんだろう」
「僕は、何を怖がってるんだろう」
「僕は、どこまでを自分で決めたいんだろう」
しのは、その言い直しをその都度、事実として置いた。
褒めるというより、“戻す”。
一時間が来る。
しのが時計を見ると、芦原も自然に時計を見た。
「……終わりですね」
「はい。今日はここまでです」
芦原は、椅子から立ち上がってから、少しだけ迷った。
礼を言うべきか。
感想を言うべきか。
“良かったです”と言えば、まとめになる。
まとめると、また外に預ける。
芦原は口を開いて閉じて、結局こう言った。
「……今日のこれ、僕はどう扱えばいいですか」
しのは、短く答えた。
「“扱わなくていい”です。残ったところだけ、残します」
芦原は苦笑した。
「それ、いちばん難しいやつ」
「難しいです。だから、できたら十分です」
芦原はもう一度、頷いた。
深くではない。
仕事の納得みたいな頷きではない。
少し、ゆっくりした頷き。
部屋を出る直前、芦原は振り返った。
「……SNSに書いてもいいですか」
しのは答える。
「止めません。ただ、書くなら“結論”は書かない方がいいです」
「結論を、書かない」
「はい。結論を書くと、結論に縛られます。今日は縛られない方がいい」
芦原は、少し考えてから言った。
「分かりました。……多分、書かない気がします」
「それも、判断です」
扉が閉まった。
部屋に静けさが戻る。
しのはメモ帳を閉じた。
今日の依頼は、危うさが小さくて、だからこそ厄介だった。
褒めを“確認”として買いに来る人。
自分の言葉で決めたいのに、決め方が分からなくなっている人。
しのは、スマホを手に取る。
SNSを開かない。
開かないことが、今日は正しい気がした。
――褒め屋にも、限界がある。
それは、依頼者が暴走したときだけじゃない。
“便利に使われた”ときにも、境界はすり減る。
しのは、机の上の紙コップを片づける。
淡々と。
いつも通りに。
その“いつも通り”が、少しだけ重かった。
沈黙が落ちた。
芦原は沈黙に弱いタイプではない。
むしろ、沈黙があると情報を整理し始めるタイプだ。
「じゃあ、僕のメモの中から拾ってください」
しのは頷いた。
「メモの中に何度も“怖い”が出てきます」
芦原は息を止めた。
「……書いてました?」
「書いてました。『怖いけど、やる』と。『怖いから、確かめたくなる』と」
芦原は、少しだけ目を細める。
自分の文章が、意図しない形で鏡になって返ってくる瞬間。
「それを、褒めるんですか」
「事実です。怖いと言語化できています。怖いのに、行動もしています」
芦原は笑いそうになった。だけど笑えなかった。
「それ、褒めなんですか。なんか……当たり前のこと言われてる気がする」
しのは、否定しない。
「当たり前だと思えるところが、芦原さんの強さです」
芦原の指が止まった。
「……強さ?」
「怖いのにやっているのを当たり前にしている。だから続けられている」
芦原は視線を逸らした。
褒められ慣れていない人ではない。
でも、褒めを“評価”として受け取ってきた人だ。
評価は、次の行動を縛る。
褒めは、自由にする。
その違いが怖い。
芦原は、少し早口になった。
「じゃあ、単価の話、してもいいですか。僕、最近上げたんです。上げたら案件が減って、でも空いた時間で営業して、結果的に……えっと」
“結果的に”の言い方が、少し焦っていた。
正当化。
決めたことを、後から安全にしたい。
そういった心理。
しのは遮らず、ただ一つだけ置く。
「単価を上げたのは、芦原さんが決めたことですね」
芦原は一瞬黙った。
「……はい。決めました」
「決めた理由は」
「……怖かったから」
しのは頷いた。
「怖いから、決めた」
芦原は困った顔をした。
「それ、良いのか悪いのか分からない言い方ですね」
「良い悪いではなく、順番の話です。怖い→決める、を選べた。怖い→流される、じゃなかった」
しのは、ここで一度だけ“褒めとして言い切る”。
「芦原さんは、“選んだ”んです。怖さのせいにして逃げたんじゃなく、怖さの中で選んだ」
芦原は、そこでようやく息を吐いた。
小さく。
「……それ、救われる言い方ですね」
自分でも驚いたような声だった。
“褒め”ではない。
“正解”でもない。
ただ、順番が整理された。
芦原は、目元をこする。
「僕、ずっと“合ってるか”を外に聞いてたんですよね。でも、フリーランスだと同僚っていなくて。だから身近な人には聞けなくて」
「外に聞くこと自体は悪くないです。ただ、外に渡す割合が増えると、判断が薄くなります」
芦原は頷く。
理解が早い。
理解が早い人は、ここで“結論”を欲しがる。
「じゃあ、どうしたらいいですか」
――来た。
しのは、返答を急がない。
「今、どうしたらいいですか、と言いました」
芦原は、しまった、という顔をした。
自分で自分の癖に気づいてしまうと恥ずかしい。
「……すみません。癖ですね」
「癖です。悪い癖ではないです。便利な癖です。ただ、癖は疲れると強く出ます」
芦原は、しばらく黙った。
「……最近、疲れてるんだと思います」
「そう言いました。それも事実です」
しのはそこで、少しだけ“褒め”に寄せる。
「芦原さんは、自分の状態を言葉にするのが上手です。上手だから、ちゃんと止まれます」
芦原の表情が、初めて崩れた。
泣き顔ではない。
笑顔でもない。
ただ、固さがほどけた顔。
「……止まれてないから来たのに」
「来た、というのが止まる動きです」
芦原は、小さく頷いた。
その後の時間は、目立つ事件は起きなかった。
泣き崩れることもない。
劇的な救いもない。
ただ、芦原は何度か“合ってますか”と言いかけて、言い直した。
「僕は、どう思ってるんだろう」
「僕は、何を怖がってるんだろう」
「僕は、どこまでを自分で決めたいんだろう」
しのは、その言い直しをその都度、事実として置いた。
褒めるというより、“戻す”。
一時間が来る。
しのが時計を見ると、芦原も自然に時計を見た。
「……終わりですね」
「はい。今日はここまでです」
芦原は、椅子から立ち上がってから、少しだけ迷った。
礼を言うべきか。
感想を言うべきか。
“良かったです”と言えば、まとめになる。
まとめると、また外に預ける。
芦原は口を開いて閉じて、結局こう言った。
「……今日のこれ、僕はどう扱えばいいですか」
しのは、短く答えた。
「“扱わなくていい”です。残ったところだけ、残します」
芦原は苦笑した。
「それ、いちばん難しいやつ」
「難しいです。だから、できたら十分です」
芦原はもう一度、頷いた。
深くではない。
仕事の納得みたいな頷きではない。
少し、ゆっくりした頷き。
部屋を出る直前、芦原は振り返った。
「……SNSに書いてもいいですか」
しのは答える。
「止めません。ただ、書くなら“結論”は書かない方がいいです」
「結論を、書かない」
「はい。結論を書くと、結論に縛られます。今日は縛られない方がいい」
芦原は、少し考えてから言った。
「分かりました。……多分、書かない気がします」
「それも、判断です」
扉が閉まった。
部屋に静けさが戻る。
しのはメモ帳を閉じた。
今日の依頼は、危うさが小さくて、だからこそ厄介だった。
褒めを“確認”として買いに来る人。
自分の言葉で決めたいのに、決め方が分からなくなっている人。
しのは、スマホを手に取る。
SNSを開かない。
開かないことが、今日は正しい気がした。
――褒め屋にも、限界がある。
それは、依頼者が暴走したときだけじゃない。
“便利に使われた”ときにも、境界はすり減る。
しのは、机の上の紙コップを片づける。
淡々と。
いつも通りに。
その“いつも通り”が、少しだけ重かった。
0
あなたにおすすめの小説
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
思いを込めてあなたに贈る
あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります
なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。
忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。
「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」
私の答えは決まっていた。
受け入れられるはずがない。
自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。
◇◇◇
設定はゆるめです。
とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!
婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました
Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。
「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」
元婚約者である王子はそう言い放った。
十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。
その沈黙には、理由があった。
その夜、王都を照らす奇跡の光。
枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。
「真の聖女が目覚めた」と——
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる