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第一章:辺境の町 編
20:ハワードの相談
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街を見下ろす高台に佇むウィリアム邸は、丘陵の起伏を活かした静謐で威厳ある造りで、街の中心から馬車で二十分ほどの距離にある。
自然に囲まれた屋敷には、優雅な散策路と品のある噴水のある庭園、バラの小道、そして果樹園と温室などが広がっている。
さらに馬車で十分進んだ先には政務館があり、ユリウスは週の半分以上をここで過ごし領地の各種業務を精査するほか、必要に応じて王都へ出向き書類を提出する任務も担っていた。
そんなユリウスの公私両面を支える存在こそ、従者ユアンである。
衣服の準備や寝具の整え、朝夕の茶の用意といった日常の世話だけでなく、政務資料の分類整理、来客対応の補佐、必要に応じた文案の下案作成にも携わっている。
控えめながらも几帳面な性格と繊細な気配りは、ユリウスの多忙な日々を陰から支える不可欠な存在となっていた。
そんな整然とした日々に、今、小さな変化が訪れようとしている。
──その朝、家令ルイクスは、故ウィリアム伯爵の従者であったハワードからの内密な相談を受けていた。
「来年の春、ノア様という青年をこの屋敷へお迎えするということですね」
寝室の扉を控えめに閉じた後、ルイクスは確認するようにその言葉を繰り返した。
ウィリアム邸の人事と管理を一手に担う彼は、子爵家の三男という出自ながら年長の貴族の前でも動じぬ冷静さを身に着けている。
「はい。現在は西の辺境の町で暮らされておりますが、春には──」
ハワードは言葉を慎重に選びながら、ユリウスとノアの関係、そして寝室の準備状況について簡潔に伝えた。
「そのような方に、屋敷内の雑務をお任せしたいと?」
ルイクスは、柔らかに揺れる天蓋のレースに目をやりながら腕を組む。
「ユリウス様の伴誓とは明言されていないようですが、屋敷で共に暮らすとなれば、立場が曖昧なままでは困惑を招くでしょう。特に、使用人たちの間では」
貴族の恋人というのは正式な婚姻相手という扱いに近い"伴誓"という身分と比べると幅が広く、単なる遊び相手程度という場合もあった。
「えぇ、それが私の懸念でもあります」
ハワードは静かに頷いたが、その眼差しには複雑な思いが影のように宿っている。
「使用人たちが職務に集中できなくなるようでは、本末転倒です。家令として、それは避けたい」
ルイクスは明確にそう述べたあと、しばし思案し落ち着いた声で続けた。
「いっそ、屋敷から役目を強いるのではなく、ノア様ご自身が望まれることに、私たちが静かに手を添える。それが、最も自然な形ではないでしょうか」
ノアという青年が、この邸で果たすべき役割は決して単なる働き手ではない。
かといって、ただ保護されるだけの存在にもすべきではない。
だからこそこの屋敷で自らの手で何かを営むことを通じてノアにとっても意味ある時間となるよう、環境を整える必要があるだろう。
ルイクスは、そう考えた。
「確かにそれならば、ここで過ごす日々に小さな目的が出来ますね」
ハワードは深く納得したような表情を浮かべ、ルイクスの視線は庭の方角へと向けられた。
「裏庭の一角を、ノア様の場所として整えましょう。ご自由に料理が出来る空間も用意致します。必要であれば食材保管のための魔具庫も備えましょう。その旨をユリウス様にご提案させていただきます」
その言葉には、管理者としての誠実な姿勢が映し出されている。
ハワードは表情を和らげながら静かに頷いた。
「もし、その方が本当にこの屋敷で"必要とされる存在"であってほしいと望まれるのならば、ユリウス様と共に暮らす者として、リュカ様のお世話に関わるというのが、何よりも最適ではないでしょうか」
その言葉は淡々としながらも確かな熱が込められていた。
それは先日ハワードがユリウスに伝えた意見と同じ想いを宿している。
「私は以前ユリウス様に、ふたりをある程度、関わらせるようにして欲しいとお願いしました」
その言葉にルイクスは思案するように沈黙を挟んだ。
「勿論、リュカ様のお気持ちが何よりも大切です。こればかりは、その方が実際にいらっしゃるまで分からないことですね」
二人は静かに、視線を交わした。
それきり会話は自然と途絶え、その場には春を待つような穏やかな静寂さが漂っていた。
──それから、数日後の夜。
ルイクスはハワードの個人部屋を訪れていた。
この部屋は先代当主リオネルから与えられたもので、清潔に保たれ、品の良い調度品が置かれている。
ハワードは微笑みながらルイクスに湯気の立つ香り高い紅茶を差し出した。
「どうぞ、お飲みください」
ルイクスは円形のテーブルの前に座りながら、陶磁のカップへと口をつける。
「このようなことをしていただいて、申し訳ありません」
その言葉に、ハワードはゆるやかに首を横に振る。
「それで、内密な話というのは何でしょうか?」
ルイクスは、その問いかけにゆっくりと頷いた。
「率直に申し上げますと、ノア様はどのような青年なのでしょうか?これは家令としてというより、個人的に気になったことなのです」
ユリウスが、夜を共に過ごすために呼ぶ者たちは決まって美しい女たちだけだった。
胸は大きくくびれがあり足は長い、そんな女たちである。
だからこそ、次第に青年のことが個人的にも気になり始めてしまっていた。
余程、美しい青年ということなのだろうか。
「これでは詮索のようで、悩みもしたのですが……」
そう告げるルイクスは、普段よりもずっと人間らしかった。
「なるほど」
ハワードは、ルイクスのそれまでの言葉を聞いた後で黙していた。
その様子に、ルイクスが不安げな声で告げる。
「申し訳ありません。私としたことが、出過ぎた真似をしてしまいました」
「いえ、そうではなく……」
珍しく、ハワードの言葉が濁すようにして途中で止まる。
「……ハワード様、どうされたのですか?」
暫くの後、ハワードは躊躇いながらもこう告げた。
「青年と言われているノア様は、そもそも今、十四歳なのです」
「……そんなに、年若いのですか?」
ハワードは、驚きを隠せないその声に無言で頷く。
「そして、ユリウス様が手を出されたのは、彼が十三歳の時のようです」
その衝撃的な言葉に、ルイクスは呆然としてしまう。
「つまり、それが行われたのは、一年以上前ということですか?」
「事が起こってしまったのは、ノア様が十三歳になったばかりの頃のようです。それも、彼が生まれ育った酒場で、半ば無理矢理にお誘いをしたようで……」
──それでは、ただの悪党ではないか。
胸の内で思ってしまった言葉を必死に打ち消して、ルイクスはハワードへと更に問いかけた。
「……今は、それでも、互いに想いが通じ合っている状態ではあるのでしょうか?」
ハワードにはその言葉に対して、無言になる。
「正直に申し上げて、今後のことに関しては不安が多くあります」
ひとりで胸に抱えていたものを吐露しハワードは目を閉じる。
「……私は陰から、ノア様のことを全力でお支えします」
ルイクスは暫くの無言ののち、ようやくそう告げた。
「どうか、よろしくお願い致します」
二人の内密な話は、少しの緊張感を残しつつも穏やかに終わりを迎えた。
自然に囲まれた屋敷には、優雅な散策路と品のある噴水のある庭園、バラの小道、そして果樹園と温室などが広がっている。
さらに馬車で十分進んだ先には政務館があり、ユリウスは週の半分以上をここで過ごし領地の各種業務を精査するほか、必要に応じて王都へ出向き書類を提出する任務も担っていた。
そんなユリウスの公私両面を支える存在こそ、従者ユアンである。
衣服の準備や寝具の整え、朝夕の茶の用意といった日常の世話だけでなく、政務資料の分類整理、来客対応の補佐、必要に応じた文案の下案作成にも携わっている。
控えめながらも几帳面な性格と繊細な気配りは、ユリウスの多忙な日々を陰から支える不可欠な存在となっていた。
そんな整然とした日々に、今、小さな変化が訪れようとしている。
──その朝、家令ルイクスは、故ウィリアム伯爵の従者であったハワードからの内密な相談を受けていた。
「来年の春、ノア様という青年をこの屋敷へお迎えするということですね」
寝室の扉を控えめに閉じた後、ルイクスは確認するようにその言葉を繰り返した。
ウィリアム邸の人事と管理を一手に担う彼は、子爵家の三男という出自ながら年長の貴族の前でも動じぬ冷静さを身に着けている。
「はい。現在は西の辺境の町で暮らされておりますが、春には──」
ハワードは言葉を慎重に選びながら、ユリウスとノアの関係、そして寝室の準備状況について簡潔に伝えた。
「そのような方に、屋敷内の雑務をお任せしたいと?」
ルイクスは、柔らかに揺れる天蓋のレースに目をやりながら腕を組む。
「ユリウス様の伴誓とは明言されていないようですが、屋敷で共に暮らすとなれば、立場が曖昧なままでは困惑を招くでしょう。特に、使用人たちの間では」
貴族の恋人というのは正式な婚姻相手という扱いに近い"伴誓"という身分と比べると幅が広く、単なる遊び相手程度という場合もあった。
「えぇ、それが私の懸念でもあります」
ハワードは静かに頷いたが、その眼差しには複雑な思いが影のように宿っている。
「使用人たちが職務に集中できなくなるようでは、本末転倒です。家令として、それは避けたい」
ルイクスは明確にそう述べたあと、しばし思案し落ち着いた声で続けた。
「いっそ、屋敷から役目を強いるのではなく、ノア様ご自身が望まれることに、私たちが静かに手を添える。それが、最も自然な形ではないでしょうか」
ノアという青年が、この邸で果たすべき役割は決して単なる働き手ではない。
かといって、ただ保護されるだけの存在にもすべきではない。
だからこそこの屋敷で自らの手で何かを営むことを通じてノアにとっても意味ある時間となるよう、環境を整える必要があるだろう。
ルイクスは、そう考えた。
「確かにそれならば、ここで過ごす日々に小さな目的が出来ますね」
ハワードは深く納得したような表情を浮かべ、ルイクスの視線は庭の方角へと向けられた。
「裏庭の一角を、ノア様の場所として整えましょう。ご自由に料理が出来る空間も用意致します。必要であれば食材保管のための魔具庫も備えましょう。その旨をユリウス様にご提案させていただきます」
その言葉には、管理者としての誠実な姿勢が映し出されている。
ハワードは表情を和らげながら静かに頷いた。
「もし、その方が本当にこの屋敷で"必要とされる存在"であってほしいと望まれるのならば、ユリウス様と共に暮らす者として、リュカ様のお世話に関わるというのが、何よりも最適ではないでしょうか」
その言葉は淡々としながらも確かな熱が込められていた。
それは先日ハワードがユリウスに伝えた意見と同じ想いを宿している。
「私は以前ユリウス様に、ふたりをある程度、関わらせるようにして欲しいとお願いしました」
その言葉にルイクスは思案するように沈黙を挟んだ。
「勿論、リュカ様のお気持ちが何よりも大切です。こればかりは、その方が実際にいらっしゃるまで分からないことですね」
二人は静かに、視線を交わした。
それきり会話は自然と途絶え、その場には春を待つような穏やかな静寂さが漂っていた。
──それから、数日後の夜。
ルイクスはハワードの個人部屋を訪れていた。
この部屋は先代当主リオネルから与えられたもので、清潔に保たれ、品の良い調度品が置かれている。
ハワードは微笑みながらルイクスに湯気の立つ香り高い紅茶を差し出した。
「どうぞ、お飲みください」
ルイクスは円形のテーブルの前に座りながら、陶磁のカップへと口をつける。
「このようなことをしていただいて、申し訳ありません」
その言葉に、ハワードはゆるやかに首を横に振る。
「それで、内密な話というのは何でしょうか?」
ルイクスは、その問いかけにゆっくりと頷いた。
「率直に申し上げますと、ノア様はどのような青年なのでしょうか?これは家令としてというより、個人的に気になったことなのです」
ユリウスが、夜を共に過ごすために呼ぶ者たちは決まって美しい女たちだけだった。
胸は大きくくびれがあり足は長い、そんな女たちである。
だからこそ、次第に青年のことが個人的にも気になり始めてしまっていた。
余程、美しい青年ということなのだろうか。
「これでは詮索のようで、悩みもしたのですが……」
そう告げるルイクスは、普段よりもずっと人間らしかった。
「なるほど」
ハワードは、ルイクスのそれまでの言葉を聞いた後で黙していた。
その様子に、ルイクスが不安げな声で告げる。
「申し訳ありません。私としたことが、出過ぎた真似をしてしまいました」
「いえ、そうではなく……」
珍しく、ハワードの言葉が濁すようにして途中で止まる。
「……ハワード様、どうされたのですか?」
暫くの後、ハワードは躊躇いながらもこう告げた。
「青年と言われているノア様は、そもそも今、十四歳なのです」
「……そんなに、年若いのですか?」
ハワードは、驚きを隠せないその声に無言で頷く。
「そして、ユリウス様が手を出されたのは、彼が十三歳の時のようです」
その衝撃的な言葉に、ルイクスは呆然としてしまう。
「つまり、それが行われたのは、一年以上前ということですか?」
「事が起こってしまったのは、ノア様が十三歳になったばかりの頃のようです。それも、彼が生まれ育った酒場で、半ば無理矢理にお誘いをしたようで……」
──それでは、ただの悪党ではないか。
胸の内で思ってしまった言葉を必死に打ち消して、ルイクスはハワードへと更に問いかけた。
「……今は、それでも、互いに想いが通じ合っている状態ではあるのでしょうか?」
ハワードにはその言葉に対して、無言になる。
「正直に申し上げて、今後のことに関しては不安が多くあります」
ひとりで胸に抱えていたものを吐露しハワードは目を閉じる。
「……私は陰から、ノア様のことを全力でお支えします」
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