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第一章:辺境の町 編
19:貴族としての良識
しおりを挟むウィリアム邸へと西の辺境から帰還してから、およそひと月が過ぎたある夜。
屋敷に夜の静寂が満ちる頃、ユリウスは書斎の扉の前に控えていたハワードを中へと呼び入れた。
「ハワード、入ってくれ」
重厚な扉が静かに開かれ、礼儀正しく一礼したハワードが室内へと足を踏み入れる。
その無駄のない所作に、故ウィリアム伯爵に長年仕えてきた者らしい、落ち着きと品格が表れていた。
「お呼びでしょうか、ユリウス様」
ハワードは一礼をして書斎の中へ進み、現ウィリアム伯爵当主の正面に控える位置で静かに佇んだ。
「リュカから聞いているかもしれないが、およそ一年後に、ある青年がこの屋敷へと来ることになっている」
ユリウスは、実の息子であるリュカに対しても"青年"という言葉を使ってノアのことを語っていた。
実際のところ、年齢的にはその呼び名には少し早い。
だが、屋敷に迎える頃には十五歳。
年齢の上では青年と呼んでも差し支えないだろう。
それが、ユリウスの胸の内にあるささやかな言い訳だった。
本来ならば、この話はもうしばらく伏せておきたかったが、迎える準備を進めたい故に、今日、そのことをハワードへと伝えることにしたという経緯がある。
ユリウスの話を聞きながらハワードは静かに頷く。
「西の地にいる、青年なのですね」
「そうだ、貴族の者では全くない」
書斎の傍らに立つハワードは、表情を崩すことなく再び小さく頷いた。
「なるほど。それでリュカ様が、私に"抱き合う関係って、どういうこと?"と尋ねてこられたのですね」
その声には、穏やかながらも皮肉と批判が滲んでいた。
「リュカが、余りにもしつこく聞いて来たのだ」
ユリウスは居心地の悪そうな表情を浮かべ少し視線を逸らした。
「名はノアと言う。リュカとは余り関わらせないつもりだ。あの子は、難しい」
「平民の中では、どのような身分の者なのですか?」
「辺境にある町で育ち、実家が酒場を営んでいるところの子供だ」
「子供?」
ハワードは鋭くその言葉を聞き返した。
「何歳なのですか?」
「ここに来る頃には、十五歳になっている」
ハワードはその言葉により何かを察し、表情を引き締めた。
「手を出されたのは、いつなのですか?」
「一年前だ」
「あえて申し上げますが、失望いたしました」
その言葉は、異例とも言える程に手厳しいものだった。
「何も知らぬ子供に、手を出されたのですか」
良識を持つ故に口にした、率直な言葉だった。
「同意はあった」
「ユリウス様、相手の方は立場が弱い平民ですよ?それは、本当に同意を取ったと言えるのですか」
ウィリアム伯爵家の当主が十三歳の少年に手を出したという事実に動揺しながらも、ハワードは努めて平静を装いながら必要な問いを投げかけた。
「勿論、伯爵家としての礼節を持って、ノア様のご家族には十分な礼金をお渡しになったのですよね?」
「ユアンを通して渡そうとしたが、拒絶された」
ハワードは沈黙する。
言葉の意味を、即座には受け入れられなかった。
「つまり、それすら受け取っていただけなかったと?」
ハワードの問いかけに、ユリウスは言葉を返さず頷いた。
「何度かユアンを行かせたが、ダメだった」
聞きながら、胸の奥で嫌な波紋がじわりと広がる。
「他領で、貴方は何をやっておられるのですか」
ウィリアム家として積み上げてきた信頼の糸が静かに断たれたような感覚に、しばし声を失った。
「あの時のことは、私も少し反省している」
「家族からの同意がない、そんな状態の子を連れてくるのですか?」
「それは、絶対に変わらない」
背後に控えていたユアンは、これから交わされるであろう対話を察し視線を逸らす。
「失礼ながら、西の地における一連のご事情を、更に詳細に、正直にお聞かせ願えますか」
その声は、氷の刃のような威圧を帯びていた。
「……分かった、私が全てを話す」
ハワードが話を聞き終えた時は、もはや言葉にできぬほどの凄みがその身に宿っていた。
「何日間もずっと返さず、部屋に連れ込んだままにしていたのですか?ご家族の方にも、快く思われていない中で」
「……私が予想していた以上に、行為をした後のノアは可愛かった」
「そんなことは、何の言い訳にもならないでしょう!」
この国で"行為"が問題とならないために重要なのは"同意"である。
同意があれば、若年での"結婚"も"行為"も基本的には咎められることはない。
貴族の中には、財力を用いてその同意を形式的に得るケースも少なくなかった。
「ユリウス様、その少年とそんな関係を持ちながら、屋敷へと、また懲りずに何人もの女性を呼んでいたのですか?」
「……あの時は、不安もあった」
規則にある程度の柔軟性を持たせているのは、水面下でより酷い行為が行われるのを防ぎ過度な抑圧を避けるための緩衝策でもあった。
「それは、何の不安ですか?その少年に対してそんなことをしながら、ご自分のことばかりなのですか?真に不安なのは、ノア様のご家族方でしょう」
それでも、貴族という立場にある者が守るべき品位と節度は確かに存在している。
「私は、十三歳の時にイザベラとの婚姻を結んだ」
ユリウスは、懸命に釈明の言葉を紡いだ。
「貴方様のした仕打ちが、そのご結婚と比べられるようなことだと本気でお思いですか?」
その一言に、ユリウスは口を閉ざした。
「ノア様のご実家へは、私より改めて謝罪の意を携えて伺わせていただきます」
「そうしてくれ」
ノアの父であるジェントのことは、ユリウスの中でずっと引っかかったままではあった。
『父さんとは、ずっと会ってないんです』
あの父子の関係にひびが入ったのは、明らかに自分の行いが原因である。
「伯爵家の名を背負うお立場であればこそ、その行動には、より一層の慎重さが求められた筈です」
ハワードの声は淡々としていながらも揺るぎない真剣さを帯びていた。
「二度と、このようなことはしない」
その語り口に触れながら、ユリウスはかつての出来事をゆるやかに思い出していた。
『……私は、ハインリヒ伯爵の言うことに従う』
それは、従兄弟の不始末の責を負いイザベラとの結婚を決めた時のことだった。
『ユリウス様、貴方がそのような結婚を行う必要などありません。そんなことをして、御父上が喜ぶと思っているのですか?』
『僕は、まだ何も出来ないから』
『いくら、ハインリヒ伯爵がそんな要求をしていると言っても、当の本人であるイザベラ様が、そのようなことをして嬉しがるとお思いですか?』
あの時のハワードは、鬼気迫る声で思い留まるように訴えていた。
『ユリウス様、どうかお考え直をお願い致します』
それでもふたりは、何度も話し合いを重ねた末に婚約という決断を下した。
『ハワード、すまない』
ユリウスはその選択をもって貴族社会でも異例とされる学園退学という道を自ら選び、ウィリアム伯爵家の当主として本格的に歩み始めることとなった。
『ハワード、書庫からこの件に関係する本を、探して持って来てくれないか』
年若い身で政務を担う重責の傍ら、彼は不足する教養を補うための勉学や家系に伝わる魔術の研鑽にも懸命に励み日々をひたむきに過ごしていた。
『ユリウス、娘を死なせたお前のことを、私は生涯許さない!』
ハインリヒ伯爵は、亡き娘の件について今なおユリウスに厳しい言葉を投げかけることがある。
『……ウィリアム家に害を成すことはしないでおいてやるが、お前個人には別だ』
ユリウスが下した"年上の、離縁歴のある女との結婚"という決断は、結果としてハインリヒ家とウィリアム家の結びつきを保ち、両家の関係を円滑に導いたのもまた紛れもない事実だった。
「私が、悪かった」
ユリウスは観念したように静かに告げた。
ハワードはその様子を見届けると、感情を抑えて現実的な話題へと舵を切る。
「ノア様は、この屋敷でどのように過ごすことになるのですか?」
ハワードの問いかけに、ユリウスはほんの少し思案するように目を伏せたあと、ゆっくりと口を開いた。
「ノアは今、第十三騎士団で食堂の手伝いや寮内の雑務を行っている。この屋敷でも、そのようなことを無理のない範囲でさせるつもりだ。することが何もないのでは、ノアの性格では逆に落ち着かないだろう」
贅沢な暮らしを与えることは容易いが、それを最初から受け入れるようには思えなかった。
「そのような方なのですね。部屋は、どちらをお使いいただくのですか?ユリウス様の近くが良いかとは、存じますが」
その問いに、ユリウスは一瞬だけ視線を逸らす。
躊躇いの色が、微かに瞳をよぎる。
「……私の寝室を、ノアの部屋とする」
声は低く落ち着いていたが、その響きの奥には後ろめたさと譲れない想いが滲んでいた。
「何かの拍子に、ノアが与えたひとり部屋に篭るようになったとしたら、私はきっと耐えきれない」
言いたいことは山ほどあった筈なのに、ハワードの口からは、もはや一言も出なかった。
「……承知しました」
「眠る時には、必ずその前に口付けをするつもりだ」
ユリウスの傍に控えていたユアンは悟る。
この場において、ユリウスのこの決断を覆せる者など、自分を含めて誰一人いないのだと。
「ユリウス様、一言申し上げてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「僭越ながら申し上げますと、ノア様をそれほどまでに大切にされるのであれば、リュカ様との関わりもお考えいただければと存じます」
「それは、なぜだ?」
ハワードは一拍おいてから、落ち着いた声で続ける。
「その方は、ユリウス様と親密な時間を過ごしながら、その輪から完全に外されてひとり除け者にされているリュカ様を見ても、平気なのでしょうか?」
ハワードの問いは鋭くも静かで責めるよりも憂う色を帯びていた。
その言葉の重みを前にユリウスは短く息を呑み、しばし言葉を探すように黙した。
「リュカか……」
そう呟いて、暫く考え込んだのちに口を開く。
「ノアには、折を見て手紙でリュカのことにも触れたものを出そう」
ノアであればあの気難しいリュカとも、少しずつ関係を築けるかもしれない。
そんな考えが、ふと胸に芽生えた。
──それから、およそ一ヶ月が過ぎた頃。
ユリウスの寝室では、美しく透き通った紺色のレースで縁取られた天蓋付きの大きなベッドが、職人たちの手によって設置されつつあった。
「印を付けたそこの角に合わせて、設置してくれ」
かつて黒を基調としていた重厚な内装も今では紺と白を中心にした、より柔らかで静謐な色調へと整えられている。
「こちらの配色も、ユリウス様に相応しいものです」
その変化の理由はただひとつ、ノアとこの空間を甘く共にするためである。
ベッド上に置かれた艶やかな光沢を放つ紺の枕の端にも、繊細なレースが施されていた。
「この枕は、私がデザインしたものだ」
その優美な様子にユアンはつい疑念を抱かずにはいられなかった。
「ノアの素朴さがお好きだったのでは?」
思わず漏れたその声にも、ユリウスは動じることなく寧ろ当然のように答える。
「それは、会ったばかりの頃に思ったことだ。それに、私と行為をする時のノアは、いつも色気を放つようになった」
ユリウスがユアンに準備することを命じた、艶のある紺色のネグリジェもノアには早すぎるように感じた。
「ハワード、これが新しい寝室の姿になる」
仕上がった寝室を一瞥したハワードは沈黙を守った。
その部屋に対する感想を何も述べずに、ノアの屋敷での今後のことについて尋ねる。
「ユリウス様が仰っていたノア様の雑務とは、具体的にはどのようなことをお考えですか?」
そう問われ、ユリウスはわずかに視線を落とし、思案するように間を置いた。
「そうだな。私の肩を優しく揉んだり、私に美味しい紅茶をいれたり、私の膝の上で……」
「……それは、雑務とは呼べません」
ハワードの声は穏やかだったが、言葉の芯には明確な拒絶の色が宿っている。
「ノア様の雑務の内容は、こちらで考えます」
そう言ってハワードは軽く一礼するだけで、それ以上の言葉を添えなかった。
その静かな一言が、会話の先を閉ざしていった。
──その数日後。
ユリウスの不在を見計らい、リュカが寝室の扉をそっと開けた。
「よし、父さまはいない」
部屋の中央に設置された天蓋付きの大きなベッドを見上げると、胸の奥に言葉にしにくい感情が渦巻いていく。
「ノアは、父さまの部屋で寝るの?」
小さな声で尋ねるリュカに、ユアンは言葉を選びながら答えた。
「はい、おふたりは仲が良いので」
「僕とは、一緒に寝たことなんてないのに」
その言葉にはほんの僅かな寂しさが滲んでいた。
「ノア様でしたら、お昼寝くらいは一緒にしてくださるかもしれませんよ」
「そうなんだ」
素っ気なく興味なさげに言いながらも、ユアンの返答からリュカはノアへ幼いながらに少しの期待を抱いてしまう。
新しい母親が出来るということは嫌だった。
そうなれば、自分以外の子供が出来るだろうということを、幼いながらに理解していた。
リュカにとっての母親は、白いくまのぬいぐるみを贈ってくれたイザベラだけである。
「……ノアは、男の子なんだよね?」
「はい、女性ではありません」
「うん」
リュカは新しくこの屋敷に来るノアへの想像を膨らませながら、ユリウスの寝室に新たに置かれた天蓋付きのベッドを白いくまのぬいぐるみを抱きしめながらじっと見つめた。
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