俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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58.水面下の攻防

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 間接照明が壁を照らす明かりだけが頼りの部屋にマリナはいた。
 猫足の一人掛けのソファーに腰掛け、オットマンに脚を投げ出していた。
 
「良いよ、手を引きなよ。……言い訳はいいって。僕の目の前に二度と現れないでね」

 耳に当てた携帯電話を気怠そうに手放した。溢れ落とすように、繊細な指の間からすり抜けた携帯電話は毛足の長い絨毯に沈んだ。
 
 マリナはとある会員制のバーの最奥にいた。区切られた部屋は車内ほどしかないが、外聞の悪い話をするときや、孤独に一杯飲みたい人間が利用する。半円を描く出入り口には紐の暖簾が垂れ下がり、細やかな目隠しが圧迫感を軽減してくれる。

 マリナは舌打ちを打つとグラスに入っていたウイスキーを一気に呷った。グラスを壁に投げつけようと振りかぶったが、すんでのところで踏みとどまった。

「あり得ない。ゼロさまはともかく……黒龍会まで……」
「随分と飲み過ぎではありませんか?」

 照明を絞った部屋に似つかわしくない明るい声に、マリナは即座に銃を構えた。銃口を向けた先には細身のシーツを着こなした、いけ好かない男が立っていた。口元に電子タバコを咥えて笑っているが、その眼光は鋭い。
 黒龍会桜庭組の若頭──所沢浩一郎、そして、今回マリナの邪魔をした張本人だった。今、最も会いたくない男だ。

「何ですか、一体何の御用でしょうか? 桜庭組の若頭さまが通うような店ではございませんよ」
「おうおう、子猫が毛を逆立てるようですねぇ、ふふ。私がここに来た理由は貴方が一番ご存知では?」
「さぁ?」

 沈黙がややあってマリナはグラスを叩きつけるようにテーブルに置いた。
 所沢は咥えていた電子タバコを指に挟むと再び口を開いた。

「困るんですよね、せっかく京の刺客を殲滅したと言うのに、男娼好きのエロだぬきを焚き付けられては」

 マリナは怒りで顔を引き攣らせた。
 京を殺すことは現状不可能に近い。伝説級の殺し屋であるゼロと天下の黒龍会傘下、桜庭組に守られているのだから。堅牢な城にいる姫の如く。
 だが、マリナは諦めなかった。ならばと、黒龍会と敵対している組の男に京の情報を流した。小柄な美少年を手籠にしては飼育する危ない趣味を持った男に京の写真を見せたのだ。
 案の定エロだぬきは躍起になり京を拉致しようとあの手のこの手で接触を試みた。
 ただ、桜庭組の統制は乱れなかった。

「ウチの若い衆が優秀でしたのでね? 宅急便を使おうが、大家と偽って訪問しようが、買い物中だろうが、隣の部屋から侵入しようとしたりだとか、京の仕事先の先輩のIDを乗っ取って接触を試みようとも、問題ないのです。……ですが、正直、鬱陶しいのですよねぇ。しかも、最後のあれは何です? 京の実の父親を装って接触しようと画策していたでしょう? あぁ、ああいうのはいけせんね、実にいけ好かない」

 京の自宅に届いた白封筒。それは京の父親からの手紙だった。もちろん、偽物の父親だ。ただ、使用した送り主の名は、はるか昔、京の母親と親交があった男のものだった。真実と偽りを混ぜた、詐欺師仕込みな餌だった。
 機転を利かした壱也のおかげで、京に内容が知られることは免れたが。万が一開封されていれば京の心をひどく傷つけただろう。封筒の中身は子を思う親の心情が書かれており、証拠とばかりに若かりし頃の京の母親の写真が同封されていた。

 父親の顔も知らない京。名乗り出た父親が詐欺師だと知った時、京は悲しみのどん底に突き落とされるのだ。

「本物の父親の可能性だってあるんじゃないですか」
「あの男は京の母親の作ったクッキーが好きだと言っていたが、京曰く、母親は小麦アレルギーだった。だから家の料理は和食が主だったと……。もし、本物の京の父親ならと思い、うちの構成員に会いに行かせました。最終的には金に困っていたと、父親のふりをして取り入るように依頼されたようです──貴方にね」

 マリナが小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。

「ご苦労様でした。東北まで確認しに行くとは随分とご熱心だこと」
「顔も知らない父親に会えるかもしれない──この思いは決して汚してはいけない。決して土足で踏み込んではいけない、聖域です」

 所沢がマリナに近づく。突きつけられた銃のことなど見えていないように、飄々とした態度でマリナの脚を撥ね除けて、オットマンに腰掛けた。

「……ケツの青いガキが。しつけ直してやろうか?」

 所沢が忌々しく呟いた。

 長い足がマリナの胸めがけて振り下ろされた。ずれ落ちそうな姿勢のまま胸を強く押し付けられ、マリナは顔を歪ませつつも、銃の引き金を引いた。
 銃弾は所沢の身体を掠り、壁に飾られた抽象画を貫いた。所沢は優雅な動きで身を翻し、椅子ごとマリナを倒すと馬乗りになり手首を張り付けにした。
 マリナが猫のようにしなやかな身体を活かし、拘束から逃れようとするも、所沢の手に鋭い凶器が握られているのを確認し動きを止めた。

「っ……、死ぬのが怖くないのですかッ、銃を向けられているんですよ⁉︎」
「銃口が外れていましたしね。貴方も、死を恐れないと言っていましたが。……あぁ、ゼロに、殺されたらの話でしたかね」

 面白おかしく話す所沢にマリナは眉根を寄せた。
 所沢は組み敷いたマリナの胸に刃先を移し、困りましたねぇと呟いた。

「貴方の熱意は素晴らしいですが、ウチの組の仕事を増やされるのは困るんですよね。私も組では品行方正で通っていますし、イメージが変わってしまったらどうしてくださるのですか? 京の件で色々と処理するのに忙しいのに、貴方のせいで京のご飯を二食食い損ねてしまったのですよ、ハンバーグに、あぁ、そうそう、カニクリーミーコロッケでしたかね……あぁ、美味しかったでしょう、ね?」

 健啖家である所沢の恨みつらみが止まらない。

「我々黒龍会を、敵に回したいのですか? そんなことをしたってゼロは貴方をそばに置きませんよ」
「うるさい……どけ、苦しい」

 心臓を狙う刃先の存在を無視してマリナは勢いよく跳ね起きた。
 面倒くさそうに衣服を整えるとマリナは荷物を手にして個室を出る。暗闇に輪郭が滲んで消えていく。その姿はまるで中世の悪魔のようだった。

「所沢さん、追い込まれた動物は、最後にどうするか知ってますか?……有象無象の人間にすら、牙を向きたくなるんだそうですよ」
「貴方、正気ですか?」
「ええ、もちろん。でも、ゼロさまは俺を見てくれる……かもしれないでしょう」

 マリナは妖艶な笑みを浮かべると今度こそ暗闇に溶け込むように消えた。
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