親愛なる風の騎士様へ

筺 柚人

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18 日常に火気

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「ついにやったな!」



 ミランはちょうど、最後の客を見送り、店じまいを終わらせたところだった。

 入口の近くに置いてある飾り看板を中にしまい、ドアにかけているプレートをオープンからクローズへ、軒先にある小物類は籠ごと店に入れる。



 やけに明るい夜だと思ったが、今日は月が丸かった。青白い月をぼうっと見ていたら、そんな声が聞こえて意識を向けると、マルティンが大きく手を振っていた。仕事終わりのようで騎士服で、後ろには同じ衣を身にまとい、片手で額あたりを抑えているアデルもいる。



 挨拶もそこそこに、マルティンはミランの肩をねぎらう様に、しかし雑に揉んだ。



「ミランはよくやった! すごいぞ! これで俺の苦難の日々は終わるよ! これからもその調子でアデルの機嫌を取り続けてくれ!」

「えっと……?」

「顔を見た瞬間にわかったよ、アデルのやつ、やたらキラキラしてたから。目が潰れるとか言って新入りが逆に逃げてたのは笑ったけど」



 その時、やっと追いついたアデルはマルティンの両手を容赦なく張り飛ばし、ミランの肩に自分の手を置いた。

 マルティンといえばいつもなら痛いと悲鳴を上げるのに、頗る機嫌がいいようで、「今日は許す!」と晴れやかに笑っている。

 どうやら自分たちがどうにかまとまったことは知られているようだ。でも、アデルが言ったのではなく、マルティンに気づかれたというのが正しいらしい。

 

「……アデルさん、同僚の皆さんを困らせるのはよくないですよ」

「自覚がないから直せないんだ。俺はどこかおかしいだろうか」



 よく見てほしいと言わんばかりにぐいと顔が近づいた。いつ見ても惚れ惚れするような美貌だ。

 吊った目じりの上には自然とカーブを描く眉、鼻筋は高く、神様が他の人より念入りに作ったんじゃないかと思うつくり。シミ一つない肌はなめらかだ。



「今日もその……かっこいいです」



 そう言うと、アデルは嬉しいような困ったような、子どもが大好きな先生に褒められて素直になれない時みたいな微妙な表情をした。



「……自分から顔近づけといて何を照れてんだこのおっさんは」

「さっきからうるさいな。お前は何をしにここに来たんだ?」

「ダメダメなお前のために、恋人にわざわざ挨拶しに来てやったんだろうが! ミラン、困ったことがあったらいつでも言えよ。こいつはどうせ俺の言うことは聞かないから口は出してあげられないけど、操縦するための案なら出してやれるから」

「はい。ないとは思いますけど、もしもの時はお願いします」



 アデルはいつでもマルティンにはぞんざいで、「もういいだろう、帰れ」と肘で脇腹をぐいぐい押した。



「ガキかお前は! その口は何のためについてるん……あ、いい、色ボケしてる奴からは疲れる言葉しか返ってこなさそう」

「お前はいつも色ボケしてるが?」

「トリシャは女神なんだから仕方ないだろ!」



 言い合いするみたいに肘を組んで向かい合う彼らはやっぱり仲がいい。喧嘩するほどなんとやらというやつだろう。ミランにはそんな風に気の置けない友人はいないけれど、彼らのやりとりを見ているだけで満足だ。眺めているのが面白いのである。



「ミラン、店じまいは終わったのかい? ……って、ああ、騎士様がた!」



 急に店の扉が開いて、母が出てきた。アデルたちの姿を認めると、ぱっと目を輝かせる。

 訳知り顔のマルティンと目くばせしていたのが印象的だ。母はトリシャを経由して、ミランが知らないうちに、思ったより深く状況を理解しているのかもしれなかった。



 マルティンが恋人云々と言い出さないか心配したけれど、ただの喧嘩ということになっているらしい。母は頬に手を当てて、



「ミランに喧嘩できるような気概があるなんて、母親として驚きましたよ。この子は反抗期もたいしてなくて、ずっと心配だったんです」

「……なかったっけ? 俺、母さんに挨拶返さなかったりしたと思うよ」

「あんなの反抗期に入るもんかい! 女の母さんですら食器を投げたり椅子をひっくり返したりしたもんだよ!」



 それは母の反抗期像が激しいだけの気がする。とはいえ指摘しても仕方ないので、ミランは苦笑いを浮かべてさらりと水に流した。



「騎士様方が来るならもう少し材料を買っておけばよかったね。寄って行かれるんでしょう?」

「あ、俺はトリシャが待ってるからお暇します」

「あらまあ、残念だわ。今度トリシャちゃんと一緒にいらしてくださいな。先生の舌を満足させられるような大したものは出せないけれどさ」

「とんでもない。教室でもいつも手際がいいって聞いてますよ、さすがミランの母上だ」

「いやだ、お上手だこと」



 マルティンは片手をぴしりと上げると、頭のてっぺんで括った髪を靡かせて去っていった。



「……俺にたらしって言うくせに、あいつこそたらしじゃないか?」

「いえ、マルティン様のは気安いって感じです」

「どう違うっていうんだ……」 



 真剣に考えこんでしまったアデルの背をぐいぐい押して、ミランは店に押し込んだ。



「食事の準備ができるまで、じいちゃんのチェスの相手をしてあげてください」

「いや、手土産も何もないんだが」

「騎士様はいっつもそれだね! いつもこんな不出来な息子を構ってくれてるお礼だと思って、気にしなくていいんだから!」

「……いいや、母上。ミランは不出来ではない、むしろ俺のほうが情けなくて……」

「アデルさん! そういうのは話さなくていいから、母さんのことは無視してください!」

「おや、遅い反抗期かい?」

「からかうのは止めてくれよ!」



 アデルはやはり、自分の台詞選びが周囲の人に与える影響力がちっともわからない。特にもうミランへの好意を隠そうとしていないいま、こうして止めなければ絶対にめんどくさいことになっていた。既にからかわれているのに、親の前で顔を真っ赤にするなんて真似は絶対に避けたい。



「母さん、今日の夕飯は何?」

「特製の煮込みハンバーグだよ。玉ねぎは任せたからね!」

「はいはい」



 店を通り抜けて家に上がり、ミランと母は台所に入った。

 食卓では、既に一杯ひっかけていた父が、アデルと祖父のチェス対決が見られると知って興奮している。なんでもアデルは、騎士団でも相当な腕前のようで、父の期待値が跳ね上がっているようだ。



「じいさんに勝てる人は見たことがない。騎士様がどれだけやれるか見ものだな」

「若い時分ならまだしも、もうわしはおいぼれじゃよ。騎士様、お手柔らかにのう」

「こちらこそ。胸をかりるつもりで挑みます」



 時折すっとぼけたことを言うようになっていても、祖父のチェスの腕は本物らしかった。ミランが大量の玉ねぎのみじん切りをフライパンで炒め、材料を混ぜて肉を成形し終わったころに、アデルの「負けました」の声が聞こえてきたから。



「本当に素晴らしい腕です。この思い切りのよさはさすがミランのおじい様と言ったところですね」

「褒めるでないわい。しかし、騎士様の手は堅実じゃが守りを固めようとするあまり、余計な痛手を負っているようじゃな」

「中途半端と言われます。そのあたりの騎士よりは打てるものの、強い相手とやると負けますので」

「こういうのは性格が出るからのう。騎士様がお優しい人なのはよくわかったよ」

「おう、凄かったな! ようし騎士様、俺ともやってみますかい? これでも小さいころはじいさんに仕込まれた腕よ」

「是非ともお相手願いたい」 



 こう盛り上がっているのを聞くと、ミランもチェスを勉強しようかと思ってしまった。母と同じく、駒の動きを覚えるのが面倒で挫折していた身ではあるが、今なら頑張れる気がする。しかし今更始めたところでこてんぱんにされる未来しか見えない。

 そんな葛藤に苛まれるミランの横で、ふいに母が吹き出した。



「嬉しそうにしちゃって」

「……そんな顔してた?」

「そりゃもうしてたさ。なんだい、気づいてないのかい?」

「自覚はない」

「騎士様もあんたも、凄く機嫌が良さそうだよ」



 母はもしかしたら、アデルと付き合い始めたことを気づいているのかもしれなかった。けれど何も言わないでいてくれる。

 この間は衝動のまま身を繋げたけれど、妊娠もできないのに行われる行為を嫌悪する人も当然いる。なんせ同性同士なのだ。自然に逆らうと言われても反論はできない。

 それでもミランは彼に恋をしてしまった。臆病な彼のこころに寄り添っていたいと思った。性別で選んだのではなく、彼が彼であるから一緒にいたいと思ったのだ。



「あんたたちが毎日楽しく笑って過ごせていられたら、それでいいんだよ。親はそれだけ祈ってるんだからね」

「……うん。ありがとう」

「なんだい、水臭い。ほら、焼いていくから付け合わせは頼んだよ」



 台所の窓から、黒々と緑を茂らせる木が見えている。

 やっと春が来た――ミランはどこか誇らしい気持ちで、湯に野菜を放り込んだ。







  **







 けれど春は、新たな問題を連れてくる季節でもある。

 長い冬が終わり、皆の気力が戻ってくれば、世界が変わるのもまた道理ということか。



「戦争……ですか?」

「いや、そこまではいかない。小競り合いと言えばいいかな。軍備に関することだから詳しくは言えないのだけれど……」



 ここから北に三つ離れた街に属する山の終わりには、国境線がある。街には国境警備隊がいるのだが、最近その出動が増えているとアデルは語った。

 隣国は農業や畜産がさかんで、牧歌的な国民は穏やかだと知られている。しかし、その国の第三王子が強い魔力を持っており、権威にものを言わせて軍拡に力を入れ始め、それに伴い国境のにらみ合いも激しくなってきた。



「隣国は魔法の研究がほとんどされていない。それよりも、より多くの実りを育てるために心血を注いできたお国柄だった」

「うちの店でも扱ってます。お菓子とか、果物の加工品とか。……言われてみれば、少しずつ物量が減っているのは全てあの国からのものでした」



 国土の半分が海に面しており、夏は暑く、乾燥しやすい。そのかわりに、光をいっぱいに吸って育つから、あの場所の果物は味がぎゅっとつまっておいしかった。そんな栄養価が高い果物を食べながら育つ動物たちのおかげで、牛の乳は濃く、身がしまる。

 店で買い付けている風車印の製品はあの国のものだ。不作の年もあるからと問題として考えていなかったものが、そういう話ではなかったということになる。



「それまでの平和な意識を変えてしまうくらい強い魔力を持つ第三王子って、どんな方なんでしょうか」

「とても強い火の魔力を持つときいている。……魔法の中でも火は厄介なんだ。どんどん燃え広がるから手に負えない。一番攻撃力が高いと言われているんだ」

「一番……?」

「火は酸素があれば燃え広がっていくだろう? 対して水や土は、ある程度の量がなければ脅威になりえない。雨が降るとか、場所が山とか、そういう条件が重ならないと対抗手段にはなりえないということだ」



 ミランにとって魔法は生活の手段のうちの一つで、属性の相性について考えたことはなかった。しかし、戦いの手段として考えるなら、確かに有利不利があるのはわかる。

 そして風は、とアデルは静かに続けた。



「火を煽って強めてしまうから一番相性が悪い」

「フリューゲルは物語で火の魔法使いを退けてましたけど、現実は違うんですか」

「あの場面に関して言えば、現実には即していないと言えるだろうね。彼は火をかき消していたけれど、大きくなった火を消すほどの風を起こせば、魔法使いのほうが危険だよ。そもそもの話、そんなことをしたらその場には何も残らない」



 強い風は全てを巻き上げ、地に立つ人も、建物も、植物も、土だってどこかに飛ばしてしまうだろう。

 魔法をかけた魔法使いもろとも……。ミランはぞっと背筋を震わせた。

 同時に、彼に視線を向けた。万が一戦争になったら、魔法使いの彼は勿論、矢面に立たされるだろうから。

 国境警備隊が機能しなくなれば、当然近隣の街から騎士を募る。それで間に合わないなら国民だ。ろくに訓練も受けないまま、火に身を投じろと言われる未来がもしかしたらあるかもしれない。

 ミランの憂いを帯びた瞳にアデルは気が付いたようで、淡い笑みを唇に佩きながら、肩を竦めた。



「四十年前に俺は生まれていなかったけれど、あの再来はさせたくない」

「戦争……ですね」



 祖父が時折遠い目をする理由。祖父だけでなく、人々に多くの傷をもたらした、それは人災と言える。だれかが始めようと決めなければ起こりえないことだからだ。

 以前は海の向こうの国が、船を駆って渡ってきた。この国だけではなく、隣国も被害にあったはずだ。それは領土を広げるための戦略の一つでしかなかった。けれど今回は、隣国は何を目的にそれを行うのだろう。

 力があるから振るいたい、そういう子どもじみた支配欲に起因するのだろうか?

 アデルもわからないようで、そっと目をそらした。



「……俺は騎士だから、君のそばにいられないこともある」

「勿論、わかってます」

「けれど俺は君を守るから。忘れないでいて」



 別れを告げたあの後も、ミランの身に風の息吹があったことを思い出す。自分ではわからないが、今ももしかしたらそうなのかもしれない――否、そうだろう。



「アデルさんってそういう決意みたいなことは言うのに、現実的な話はしないですよね」

「それは言葉足らずってこと? 行動足らずってこと?」



 アデルはミランが自らを守る風の存在を知っていると気づいていない。当然だろう、ミランはあえて言っていないのだから。もちろん指摘しても構わないのだけれど、不器用な彼らしさを感じているから、このままでいいと思っていた。



「いいえ。信念があって素敵だなって話ですよ」

「いったい何の話だい?」



 見回りの合間に足を伸ばした彼が不思議そうに首を傾げたのを、ミランは小さく浮かべた笑顔で煙に巻いた。



 ――しかしその一月後、アデルは国境の街に行く騎士として選ばれたと、ミランに淡々と伝えた。
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