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第3章
3-6
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それでも俺はいつの間にか寝てしまい、目がさめたら、まだセラスと手を繋いだままだった。……うわ、恥ずかしい……頭に血が上って、眠気が吹き飛んでしまった。セラスは顔を赤らめて、布団の中でもじもじと動く。俺の手はぎゅっと握ったまま。
うおっ? なんというか、あれだな? ゲームで見た、まるで、は、初めてお泊りして、朝一緒に起きた恋人同士みたいなシチュエーションだな?! そんな、さらに恥ずかしいことをつい考えてしまった俺は、自分でも分かるくらい顔が火照ってしまった。
「ちょ、朝食を作りますね、マスター……」
セラスが名残惜しそうに俺の手を離し、布団から起き上がった。そうだ、昨晩俺はセラスのマスターになったんだ……今更ながら、それを思い出した。
セラスが朝飯の準備に行ったので、ちらりと横を見ると、こころが俺の方に大分寄って来ていて、その、なんだ、可愛い寝顔がかなり間近だったので、昨日の様々な接触のことを思い出した俺はそれを観賞していることもできず、ちょっと早いけど布団から抜け出した。
顔を洗い、歯を磨き、寝床に戻って制服を取り、ちらりとまだ寝ているこころを見てから風呂場の脱衣所で着替え、キッチンに戻る。いつもこのくらいに起きれば朝の支度は楽なんだろうな、もうやらんけど。
セラスは味噌汁を掻き交ぜていたが、俺を見てにこりと微笑む。俺は恥ずかしくなって、もごもごと口を動かせてから、ちょっと顔を背ける。そんなことをしていると、寝室となった居間から、布団のずれる音がして、ふすまが開いた。
「おはよう~」
こころが寝乱れたパジャマのまま出てくる。って、うごっ! 少し、いや大分胸元が開いてるんですけど!
「お、おう……」
とか何とか、とりあえず返事をして、俺はセラスが朝飯を出すのを手伝う。そして、三人で、と言ってもセラスは食わんが、朝飯を頂き、こころが着替えて、セラスの髪をツーサイドアップに結うのを待って、三人でアパートの部屋を出る。
なんてことはない、最近の朝の日常風景だが、俺はやっぱり良いな、と思った。この三人で居る何気ない生活が。昨日壊れかけたけど、なんとかなって本当に良かった……
その時だ。左隣の、グロースさんの部屋のドアが開いた。そしてグロースさんが出てくる。ああ、そういえばグロースさんには最近会ってなかったな。久しぶりに美人お姉さんっぷりを堪能させてもらおう。
スーツ姿のグロースさんは、いつものように俺を見て微笑む。
「あら、おはよう、花咲君、春花さん……」
だが、いつものように笑顔で挨拶をくれたグロースさんは、言葉の途中で凍りついたように、止まる。
「あ、おはようございます……」
俺が何だろうと思いながら返事をすると、グロースさんはまるで耳に入らなかったようで、呟くように言った。
「せ、セラスチウム……」
な? グロースさんにセラスを会わせたことあったっけ? いろいろ考えた結果、ご近所にはあまり大っぴらにしていなかったような気がするのだが?
俺がセラスに目をやると、セラスも驚いたような顔をして、
「育子……育子・グロース……」
と小さな声で言った。育子? グロースさんって、そんな名前だったのか? あれ、そう言えばどこかで聞いたような……
「まさかこんなに近くに居たなんてね! あなたもどこかに居るはずだと思ってあちこち探していたのだけど。盲点というのはまさにこのことかしら!」
グロースさんは歓喜と興奮を綺麗な顔に隠すことなく現しながら、つかつかとセラスに歩み寄り、その両肩を強く捕まえ、
「あら、少し大きくなったの? どうやって? まあ、どうでもいいことだわ。さあ、帰りましょう、私達の宇宙へ。船体を出しなさい!」
と、上気した顔のまま、セラスに強く命令した。な、なんなんだ? なんでセラスが宇宙戦艦だってことまで知ってるんだ?
「……」
セラスは困ったような顔をして、グロースさんを見上げている。
「あ、思い出した! 育子って、カルティさんやサレナさんが言ってた、セラスちゃんのマスターだった人だよ!」
こころが大きな声を上げる。あ、そうか! カルティやセラスの会話で出て来たな、育子って人の名前が。それがグロースさん? グロースさんも別の宇宙から来たひとだったのか?
「あら、カルティ達に会ったの?」
グロースさん、いや育子さんは一瞬驚いたような顔をして、それから苦虫を噛み潰したような表情へとその美貌を変化させた。
「だったらあなたはなぜこんなところに居るの。放任主義も良いところだわ……あの人、本当に帰るつもりが無いのね……」
育子さんはそう言うと、掴んだままだったセラスを強く揺さぶり始めた。
「それなら私だけでも戻るわ。さあ、セラスチウム、早く船体を!」
セラスは怯えたような顔をすると、育子さんを振りほどいて逃げると、俺の後ろに隠れた。
「ど、どうしたんですか。や、やめて下さいよ!」
俺も淑やかだった育子さんの変貌にビビりながらだが、セラスを庇うように育子さんの前へ出る。
「あら? カルティと会ったのなら、だいたいの事情は知っているのでしょう? あなた達この宇宙の人には関係のないことだわ?」
育子さんは冷笑する。うわっ美人がそう笑うと怖えぇ!? 育子さんってこんな風に笑うひとだったのか……?
「か、関係あります! 俺はセラスのマスターだ!」
一瞬ひるんでしまったが、俺は必死に言い返す。
「そうです。今の私のマスターはコーイチ。もうあなたの指示は受け付けられません」
どうも育ての親である育子さんには弱いのか、セラスは俺の背中からちょっとだけ顔を出して、そう言った。
「ふうん、そう・・・そう言うことなの……」
育子さんは冷笑を止め、氷のような冷たい表情で、俺とセラスを睨む。こ、怖えぇ!
「じゃあ、こうしましょうか」
育子さんは一瞬の間のあと、今度はいつものように優しく微笑むと、すっと俺に向けて手を出す。
なっ? 俺はびくっと身構える。が、育子さんの手は俺の顔を通り過ぎて俺の頭の後ろに回り、ぐっと俺の頭を引き寄せる。そして、俺の顔を育子さんの豊かな胸に埋めさせた。
圧倒的なボリュームと沈み込む柔らかさ。そして大人の女性の香り。う、うごっ、な、なんだ、良く分からんが堪らん! こんな状況なのに、俺は頬に初めて感じた素晴らしい感触に動きが止まる。
「動かないでね?」
頭の上から聞こえる、育子さんの優しげな声と共に、俺のこめかみに何か堅いものが押し当てられた。俺は横目でそれを見る。黒い、何か金属のようなもの。マンガとか映画とかでしか見たことの無い物。け、拳銃?
「セラスチウム、下がりなさい。一応言っておくけど、変な真似をすると花咲君の頭が無くなっちゃうわよ?」
育子さんは優しげな声でおっかないことを言った。空間を歪ませ、巨大な機銃のようなものを出そうとしていたセラスは、悔しそうに顔を歪ませて、それを引っ込める。
「さあ、花咲君。セラスチウムとのマスター登録を解除してちょうだい」
セラスを下がらせると、育子さんは微笑みながら俺に言った。
「解除?」
「そう、解除。大して難しいことはないわ。セラスチウムにマスター登録を解除すると、言葉で言うだけ。簡単でしょ?」
「そ、それでどうするつもりだ!」
「あなたのマスター登録が消えれば、開発者権限で設定した、私の仮マスター登録が再度有効になるから。それで全て解決よ」
「ち、違う! セラスに何をさせるつもりなんだ!」
「何って……私は自分達の宇宙へ帰るの。そしてセラスチウムを研究しなおして、対ヴァルミン用の決戦兵器を私が造るわ。こんな不良品じゃなくてね!」
ち、ちくしょう、セラスを不良品と言いやがった。たまらなく悔しい。だが、俺にはどうしたら良いのか分からない。
こめかみに付きつけられた銃。こんな状況に追い込まれて初めて分かったが、銃ってのは怖い。とんでもない威圧感だ。しかも引き金には育子さんの細い指がぴたっと掛かっていて、俺が乱暴に逃げようとすれば、はずみで発射されてしまいそうだ。今更ながらに足に震えが来た。
「別に良いのよ? そんなに嫌だったら解除してくれなくても」
俺が逡巡していると、育子さんはさっきの冷たい声で言った。
「このままあなたを殺してしまっても、結果は同じだから。どうするの?」
「コーイチに何かしたら、私はあなたを許しません!」
セラスが必死に怒鳴る。だが、育子さんは、
「ふふふ、別に許してくれなくても良いのよ? 命令さえ聞いてくれれば」
と、冷たい声で笑う。
「さあ、花咲君、言いなさい。あなた達には関係の無い、別の宇宙の問題なのよ? こんなことは忘れて、春花さんと仲良く暮らしなさい?」
ち、ちくしょう。こころと仲良くってのは良いが、セラスだけ見捨てられるかよ!
「だめだ! 俺はセラスに、無理矢理戦いなんてさせないって約束した!」
俺は叫んだ。だが、何か出来るってわけじゃない。まじで情けない、俺。情けなくて悔しくて、涙が出て来た。
「そう、残念ね」
育子さんは冷笑して言う。
「それじゃあ、さよなら、花咲君」
育子さんの引き金に掛かった指が、僅かに動く。お、終わりなのか、こんな情けない状況で。セラスに何もしてやれないままで!
「逃げろ! セラス! こころ!」
俺はせめて二人だけでも逃げて欲しいと、必死に叫んだ。
「コーイチを置いて逃げられません!」
セラスが泣きそうな顔で答える。だけど、だけど、もうどうしようもないだろう? お前らだけでも逃げてくれよ! 俺とセラスの意識は繋がっているらしい。だから俺はそれを強く念じて伝えようとした。セラスと何かが接触するような感覚が一瞬する。
「こ、コーイチ……」
伝わったようだが、セラスはやはり動かない。
「あら、大分人間くさくなったのね。私と一緒の時は機械か人形そのものだったくせに。まあ、どうでも良いことだけど。それに今は好都合だしね」
育子さんは冷笑しながら言う。
「動かないで下さい、育子さん」
その時だ。今まで黙っていたこころが、グロースさんのこめかみに、何かを付きつける。深い緑色の小さな拳銃だ! な、なんでこころがあんなもの持ってるんだ?
「そんなおもちゃで私を脅すつもり?」
育子さんが、少し顔を引き攣らせながら、こころを睨む。
「おもちゃじゃありませんよ? それに小さいけど、多分育子さんのより威力もありますし」
こころはにこっと微笑んで、
「試してみましょうか?」
と言った。銃口がすっと育子さんのこめかみからそれる。
すると、まばゆい閃光が音も無く、こころの銃から放たれた。閃光は育子さんの前髪をかすめ、地上から空へ星が流れたように、虚空へと消えて行った。な、なんだ? すごい銃だな?
こころは発砲を終えると、静かに、だが素早く、銃口を育子さんのこめかみへと戻す。すべて一瞬の出来事だ。育子さんはあっけにとられて、何も出来ないでいる。す、すごいぞ、こころ。なんだか銃を扱い慣れてるって感じだ!
「プラズマガン……」
育子さんがぽつりと呟く。そして、
「そう、あなたもこの宇宙の人間じゃないってことね」
と小さな声で続けた。え、こころがこの宇宙の人間じゃない? ど、どういうことだよ!
「それこそ本当にどうでも良いことですよ」
こころが少し悲しそうに微笑む。
「育子さん、提案があります」
こころは微笑んだまま言う。
「このままじゃ学校に遅れちゃうし、学校に行く前に人を殺すのも嫌だし。今日はこんなところで解散にしませんか? 銃口は向けたままで良いから、好一君を離して、ゆっくりと距離を取って下さい。育子さんが打たない限り、私も打ちませんから」
育子さんはちっと舌打ちをして、一瞬考えてから、俺から手を離す。そして
俺に銃口を向けたまま、俺達からゆっくりと離れて行く。
「セラスちゃん、道を開けてあげて」
こころがセラスにそう言うと、セラスはすっと立つ位置を変え、俺達の方へ来る。
育子さんは俺に銃を向けたまま後ずさりし、道路の近くまで来ると、さっと駆け出して、姿を消した。
「ふ、ふぇぇ……」
銃を静かに構えていたこころは、グロースさんが見えなくなると、とたんにそんな声を上げて、尻餅をついた。
「だ、大丈夫か?」
俺は慌ててこころに手を差し出す。
「う、うん、大丈夫。ちょっと緊張しただけ」
そう言って俺の手を取ったこころの手は、少し汗ばんでいた。
「あ、ありがとう、助かった」
俺はこころを引き起こしながら、礼を言う。それにしても……気になる女子を守るんじゃなくて守ってもらうなんて……なんてダメダメな俺……
「うん……」
こころは小さな声で返事をした。
「ところで、その銃はどうしたんだ? あとこの宇宙の人間じゃないってどういうことだ?」
俺は尋ねた。聞かない方が良いような気もしたが、こんな状況だし、何でも知っておいた方が良いかと思ったからだ。
「うん……」
こころは寂しそうに微笑むと、
「今は聞かないで……そのうち話すから……」
と言った。俺はそれに頷いた。まあ、別に、別の宇宙の人間だかなんだか分らんが、こころはこころだ。話したくないのならそれでも良いだろう、俺はそう思った。
「迷惑は絶対に掛けないから、もう少しだけ、このままで居させてね」
こころは寂しそうな顔をしたまま、そう言葉を続けた。
もう少しだけ? なんのことだか分からなかったが、俺はもう一度頷いた。
うおっ? なんというか、あれだな? ゲームで見た、まるで、は、初めてお泊りして、朝一緒に起きた恋人同士みたいなシチュエーションだな?! そんな、さらに恥ずかしいことをつい考えてしまった俺は、自分でも分かるくらい顔が火照ってしまった。
「ちょ、朝食を作りますね、マスター……」
セラスが名残惜しそうに俺の手を離し、布団から起き上がった。そうだ、昨晩俺はセラスのマスターになったんだ……今更ながら、それを思い出した。
セラスが朝飯の準備に行ったので、ちらりと横を見ると、こころが俺の方に大分寄って来ていて、その、なんだ、可愛い寝顔がかなり間近だったので、昨日の様々な接触のことを思い出した俺はそれを観賞していることもできず、ちょっと早いけど布団から抜け出した。
顔を洗い、歯を磨き、寝床に戻って制服を取り、ちらりとまだ寝ているこころを見てから風呂場の脱衣所で着替え、キッチンに戻る。いつもこのくらいに起きれば朝の支度は楽なんだろうな、もうやらんけど。
セラスは味噌汁を掻き交ぜていたが、俺を見てにこりと微笑む。俺は恥ずかしくなって、もごもごと口を動かせてから、ちょっと顔を背ける。そんなことをしていると、寝室となった居間から、布団のずれる音がして、ふすまが開いた。
「おはよう~」
こころが寝乱れたパジャマのまま出てくる。って、うごっ! 少し、いや大分胸元が開いてるんですけど!
「お、おう……」
とか何とか、とりあえず返事をして、俺はセラスが朝飯を出すのを手伝う。そして、三人で、と言ってもセラスは食わんが、朝飯を頂き、こころが着替えて、セラスの髪をツーサイドアップに結うのを待って、三人でアパートの部屋を出る。
なんてことはない、最近の朝の日常風景だが、俺はやっぱり良いな、と思った。この三人で居る何気ない生活が。昨日壊れかけたけど、なんとかなって本当に良かった……
その時だ。左隣の、グロースさんの部屋のドアが開いた。そしてグロースさんが出てくる。ああ、そういえばグロースさんには最近会ってなかったな。久しぶりに美人お姉さんっぷりを堪能させてもらおう。
スーツ姿のグロースさんは、いつものように俺を見て微笑む。
「あら、おはよう、花咲君、春花さん……」
だが、いつものように笑顔で挨拶をくれたグロースさんは、言葉の途中で凍りついたように、止まる。
「あ、おはようございます……」
俺が何だろうと思いながら返事をすると、グロースさんはまるで耳に入らなかったようで、呟くように言った。
「せ、セラスチウム……」
な? グロースさんにセラスを会わせたことあったっけ? いろいろ考えた結果、ご近所にはあまり大っぴらにしていなかったような気がするのだが?
俺がセラスに目をやると、セラスも驚いたような顔をして、
「育子……育子・グロース……」
と小さな声で言った。育子? グロースさんって、そんな名前だったのか? あれ、そう言えばどこかで聞いたような……
「まさかこんなに近くに居たなんてね! あなたもどこかに居るはずだと思ってあちこち探していたのだけど。盲点というのはまさにこのことかしら!」
グロースさんは歓喜と興奮を綺麗な顔に隠すことなく現しながら、つかつかとセラスに歩み寄り、その両肩を強く捕まえ、
「あら、少し大きくなったの? どうやって? まあ、どうでもいいことだわ。さあ、帰りましょう、私達の宇宙へ。船体を出しなさい!」
と、上気した顔のまま、セラスに強く命令した。な、なんなんだ? なんでセラスが宇宙戦艦だってことまで知ってるんだ?
「……」
セラスは困ったような顔をして、グロースさんを見上げている。
「あ、思い出した! 育子って、カルティさんやサレナさんが言ってた、セラスちゃんのマスターだった人だよ!」
こころが大きな声を上げる。あ、そうか! カルティやセラスの会話で出て来たな、育子って人の名前が。それがグロースさん? グロースさんも別の宇宙から来たひとだったのか?
「あら、カルティ達に会ったの?」
グロースさん、いや育子さんは一瞬驚いたような顔をして、それから苦虫を噛み潰したような表情へとその美貌を変化させた。
「だったらあなたはなぜこんなところに居るの。放任主義も良いところだわ……あの人、本当に帰るつもりが無いのね……」
育子さんはそう言うと、掴んだままだったセラスを強く揺さぶり始めた。
「それなら私だけでも戻るわ。さあ、セラスチウム、早く船体を!」
セラスは怯えたような顔をすると、育子さんを振りほどいて逃げると、俺の後ろに隠れた。
「ど、どうしたんですか。や、やめて下さいよ!」
俺も淑やかだった育子さんの変貌にビビりながらだが、セラスを庇うように育子さんの前へ出る。
「あら? カルティと会ったのなら、だいたいの事情は知っているのでしょう? あなた達この宇宙の人には関係のないことだわ?」
育子さんは冷笑する。うわっ美人がそう笑うと怖えぇ!? 育子さんってこんな風に笑うひとだったのか……?
「か、関係あります! 俺はセラスのマスターだ!」
一瞬ひるんでしまったが、俺は必死に言い返す。
「そうです。今の私のマスターはコーイチ。もうあなたの指示は受け付けられません」
どうも育ての親である育子さんには弱いのか、セラスは俺の背中からちょっとだけ顔を出して、そう言った。
「ふうん、そう・・・そう言うことなの……」
育子さんは冷笑を止め、氷のような冷たい表情で、俺とセラスを睨む。こ、怖えぇ!
「じゃあ、こうしましょうか」
育子さんは一瞬の間のあと、今度はいつものように優しく微笑むと、すっと俺に向けて手を出す。
なっ? 俺はびくっと身構える。が、育子さんの手は俺の顔を通り過ぎて俺の頭の後ろに回り、ぐっと俺の頭を引き寄せる。そして、俺の顔を育子さんの豊かな胸に埋めさせた。
圧倒的なボリュームと沈み込む柔らかさ。そして大人の女性の香り。う、うごっ、な、なんだ、良く分からんが堪らん! こんな状況なのに、俺は頬に初めて感じた素晴らしい感触に動きが止まる。
「動かないでね?」
頭の上から聞こえる、育子さんの優しげな声と共に、俺のこめかみに何か堅いものが押し当てられた。俺は横目でそれを見る。黒い、何か金属のようなもの。マンガとか映画とかでしか見たことの無い物。け、拳銃?
「セラスチウム、下がりなさい。一応言っておくけど、変な真似をすると花咲君の頭が無くなっちゃうわよ?」
育子さんは優しげな声でおっかないことを言った。空間を歪ませ、巨大な機銃のようなものを出そうとしていたセラスは、悔しそうに顔を歪ませて、それを引っ込める。
「さあ、花咲君。セラスチウムとのマスター登録を解除してちょうだい」
セラスを下がらせると、育子さんは微笑みながら俺に言った。
「解除?」
「そう、解除。大して難しいことはないわ。セラスチウムにマスター登録を解除すると、言葉で言うだけ。簡単でしょ?」
「そ、それでどうするつもりだ!」
「あなたのマスター登録が消えれば、開発者権限で設定した、私の仮マスター登録が再度有効になるから。それで全て解決よ」
「ち、違う! セラスに何をさせるつもりなんだ!」
「何って……私は自分達の宇宙へ帰るの。そしてセラスチウムを研究しなおして、対ヴァルミン用の決戦兵器を私が造るわ。こんな不良品じゃなくてね!」
ち、ちくしょう、セラスを不良品と言いやがった。たまらなく悔しい。だが、俺にはどうしたら良いのか分からない。
こめかみに付きつけられた銃。こんな状況に追い込まれて初めて分かったが、銃ってのは怖い。とんでもない威圧感だ。しかも引き金には育子さんの細い指がぴたっと掛かっていて、俺が乱暴に逃げようとすれば、はずみで発射されてしまいそうだ。今更ながらに足に震えが来た。
「別に良いのよ? そんなに嫌だったら解除してくれなくても」
俺が逡巡していると、育子さんはさっきの冷たい声で言った。
「このままあなたを殺してしまっても、結果は同じだから。どうするの?」
「コーイチに何かしたら、私はあなたを許しません!」
セラスが必死に怒鳴る。だが、育子さんは、
「ふふふ、別に許してくれなくても良いのよ? 命令さえ聞いてくれれば」
と、冷たい声で笑う。
「さあ、花咲君、言いなさい。あなた達には関係の無い、別の宇宙の問題なのよ? こんなことは忘れて、春花さんと仲良く暮らしなさい?」
ち、ちくしょう。こころと仲良くってのは良いが、セラスだけ見捨てられるかよ!
「だめだ! 俺はセラスに、無理矢理戦いなんてさせないって約束した!」
俺は叫んだ。だが、何か出来るってわけじゃない。まじで情けない、俺。情けなくて悔しくて、涙が出て来た。
「そう、残念ね」
育子さんは冷笑して言う。
「それじゃあ、さよなら、花咲君」
育子さんの引き金に掛かった指が、僅かに動く。お、終わりなのか、こんな情けない状況で。セラスに何もしてやれないままで!
「逃げろ! セラス! こころ!」
俺はせめて二人だけでも逃げて欲しいと、必死に叫んだ。
「コーイチを置いて逃げられません!」
セラスが泣きそうな顔で答える。だけど、だけど、もうどうしようもないだろう? お前らだけでも逃げてくれよ! 俺とセラスの意識は繋がっているらしい。だから俺はそれを強く念じて伝えようとした。セラスと何かが接触するような感覚が一瞬する。
「こ、コーイチ……」
伝わったようだが、セラスはやはり動かない。
「あら、大分人間くさくなったのね。私と一緒の時は機械か人形そのものだったくせに。まあ、どうでも良いことだけど。それに今は好都合だしね」
育子さんは冷笑しながら言う。
「動かないで下さい、育子さん」
その時だ。今まで黙っていたこころが、グロースさんのこめかみに、何かを付きつける。深い緑色の小さな拳銃だ! な、なんでこころがあんなもの持ってるんだ?
「そんなおもちゃで私を脅すつもり?」
育子さんが、少し顔を引き攣らせながら、こころを睨む。
「おもちゃじゃありませんよ? それに小さいけど、多分育子さんのより威力もありますし」
こころはにこっと微笑んで、
「試してみましょうか?」
と言った。銃口がすっと育子さんのこめかみからそれる。
すると、まばゆい閃光が音も無く、こころの銃から放たれた。閃光は育子さんの前髪をかすめ、地上から空へ星が流れたように、虚空へと消えて行った。な、なんだ? すごい銃だな?
こころは発砲を終えると、静かに、だが素早く、銃口を育子さんのこめかみへと戻す。すべて一瞬の出来事だ。育子さんはあっけにとられて、何も出来ないでいる。す、すごいぞ、こころ。なんだか銃を扱い慣れてるって感じだ!
「プラズマガン……」
育子さんがぽつりと呟く。そして、
「そう、あなたもこの宇宙の人間じゃないってことね」
と小さな声で続けた。え、こころがこの宇宙の人間じゃない? ど、どういうことだよ!
「それこそ本当にどうでも良いことですよ」
こころが少し悲しそうに微笑む。
「育子さん、提案があります」
こころは微笑んだまま言う。
「このままじゃ学校に遅れちゃうし、学校に行く前に人を殺すのも嫌だし。今日はこんなところで解散にしませんか? 銃口は向けたままで良いから、好一君を離して、ゆっくりと距離を取って下さい。育子さんが打たない限り、私も打ちませんから」
育子さんはちっと舌打ちをして、一瞬考えてから、俺から手を離す。そして
俺に銃口を向けたまま、俺達からゆっくりと離れて行く。
「セラスちゃん、道を開けてあげて」
こころがセラスにそう言うと、セラスはすっと立つ位置を変え、俺達の方へ来る。
育子さんは俺に銃を向けたまま後ずさりし、道路の近くまで来ると、さっと駆け出して、姿を消した。
「ふ、ふぇぇ……」
銃を静かに構えていたこころは、グロースさんが見えなくなると、とたんにそんな声を上げて、尻餅をついた。
「だ、大丈夫か?」
俺は慌ててこころに手を差し出す。
「う、うん、大丈夫。ちょっと緊張しただけ」
そう言って俺の手を取ったこころの手は、少し汗ばんでいた。
「あ、ありがとう、助かった」
俺はこころを引き起こしながら、礼を言う。それにしても……気になる女子を守るんじゃなくて守ってもらうなんて……なんてダメダメな俺……
「うん……」
こころは小さな声で返事をした。
「ところで、その銃はどうしたんだ? あとこの宇宙の人間じゃないってどういうことだ?」
俺は尋ねた。聞かない方が良いような気もしたが、こんな状況だし、何でも知っておいた方が良いかと思ったからだ。
「うん……」
こころは寂しそうに微笑むと、
「今は聞かないで……そのうち話すから……」
と言った。俺はそれに頷いた。まあ、別に、別の宇宙の人間だかなんだか分らんが、こころはこころだ。話したくないのならそれでも良いだろう、俺はそう思った。
「迷惑は絶対に掛けないから、もう少しだけ、このままで居させてね」
こころは寂しそうな顔をしたまま、そう言葉を続けた。
もう少しだけ? なんのことだか分からなかったが、俺はもう一度頷いた。
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