Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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10月

5.

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「運動したからお腹が空いたね」
「はぁ…」

 千晶は空腹より喉の渇きを訴えた。疲労感はあるのに空腹感はまだない。のんきに食欲の沸いた慎一郎から水をもらって喉を潤す。

「何か取ろうか」
「もう帰るからいいです」
「遠慮しなくても、別になにか作れってんじゃないよ」
「そうじゃないです」

 慎一郎は千晶の言いたいこと、一晩中付き合わされては堪らないと分かったようで、食べたら送っていくから心配しなくていいと笑う。それならばと千晶にしては珍しくなんでもいいと答えた。
 
 注文を済ませて戻ると、千晶がスマートフォンに向かい何か呼び掛けている。例の猫かと慎一郎が覗き込むと輪郭のぼやけた白とブルーと黒い何かが画面に揺れていた。

「――混んでる、30分以上掛かるって」

 含みを持たせた目で慎一郎が告げた。夕餉の時間帯だから混んでいて当然と千晶は頷く。
 
 慎一郎が千晶の手から水を取り飲む、その喉の動きを千晶がぼうっと見ている。喉が二三度上下して止まった。もう一口、大きく振りかぶって水を含むと、千晶の顎を上向かせて少しずつ流し込む。その度に頬が桜色に差していく。
 全て飲み干すと伏し目がちに恥じらう、慎一郎はそれが面白くて仕方ない。嗜虐趣味はない――はず。そしてもういらいないという千晶に再び強引に飲ませると、硬水で酩酊した千晶が出来上がった。

 また新しく封を切る渇いたセロファンの音がして、千晶の頭が覚醒してきた。

「エ? ナニシテルノカナ」
「身体の負担も――」

 ここで口にすると殴られそうな予感がして慎一郎は裏の箱書きを見せる。再び顔を赤らめながらも批難めいた目で睨まれると、返事の代わりに舌を突き出して上下左右に動かしてみせる。

「ま、両方でも俺はいいよ?」

 下か上か、どっちにしてもいたずらなのに代わりはない、が。
 千晶がどう答えざるを得ないか分かっていての強攻だ。
 千晶は箱から潤滑剤多めのそれをひとつ取り出して、慎一郎に手渡した。ふと気になって下半身に目をやるともうすっかり元気なハーイ君がいた。ハローアゲイン。

「恥ずかしいから見てなくていいよ」

 視線に気づくと千晶の顔を横に向けさせた。

 ――さっき私に何をさせた? 自分はどこか異次元にでも飛ばされていたのかと、もう訳がわからず千晶は目が点になる。目が点って瞳孔が狭まって思考が停止していく表現だったんだ、と体感した。
 微妙な男心か単純に揶揄われただけなのか。気の抜けたように横を向いたままベッドに突っ伏した。

 うつ伏せの状態から腰を引かれ千晶が異を唱えると、今度は優しい目で仰向けに縫い留めた。ゆったりした抽送に、ちょっとばかり面倒で危ういこの男のどこを掴んでいいものか、千晶はほんのちょっとだけ迷う。

 真意をと目を合わせてもいつもの冷静な瞳が少し目を細めて見せるだけ。

 つかみどころのないのはどちらの躯か。ゆらゆらと漂う影が同時に果てる寸前、「――」片方が小さく何か呟いた。


 ――名前を呼ぶなんて反則だ。どんどん敏感になる身体も、飽きるどころか勘違いしてしまいそうで困る。でもこの香りと熱はずっと心地よい、
 言葉の代わりに千晶はそっと慎一郎の背に手をまわした。



「はい、あーん」

 しっかり服を着込んだ慎一郎が折り詰めを片手に面白そうに餌付けをする。ただ口をあけて咀嚼するだけの千晶。目の前の男が疲労の影もなく、見様によってはご機嫌ともとれる様子に任せるだけ。鍛えてはあるだろう体形から予想される体力は平均より上だろうが、その体力差に千晶は打ちひしがれた。

「美味しい?」

 口にいれたままの千晶は大きく頷く。よかった、と満足そうに慎一郎も一切れ口にすると、頷いた。


***

 
 週に一度、開けても二週でなんとなく合う関係は続く。
 慎一郎は卒論と大学院の課題――どちらも千晶には理解が難しい――とその他諸々に忙しい。そして大学生活総仕上げとでもいうように多方面へ交流を深めている。経済状況は低迷したままだが、慎一郎の周辺はほぼ就職先が内定したのもあって、マンションに人を招くことも増えた。気後れすると言っていた千晶には、無理強いはせず予定を告げるだけに留めてあった。
 それでもたまに長引いて、千晶とゲストとが顔を合わせることもあった。そんな時でも千晶は卆なく対応していた。客は男も女も、少ないが先輩も後輩もいる。相手に合わせつつ地味にふるまい上手く気遣って、つまりホスト側でもありゲストでもあるように擬態し、うまく馴染んでいた。

 千晶もその場に耐えているつもりではない、ただ雰囲気を知っておこうというだけで無理はしていない。話が合うかと言われると微妙だけれど、人見知りはしないし好奇心は強い。特に慎一郎の大学関係は話好きで一を問えば延々と論じてるようなタイプなので聞き役に回っていた。

 慎一郎の友人と紹介されながら千晶は色香を一切排除していて、邪推してくる者は相手にしなかった。

「そんなに他人っぽく振舞わなくても」
「とりあえずまだ階段落ちはしたくないもん」

 独占欲を丸出しにベタベタと彼女面をされても嫌だが、あっさりし過ぎても自分がたいした存在でないと軽んじられているようで男心は複雑だ。

「あからさまなのは来ないと思うけど?」
「良き友人知人のポジションにいる相手が一番怖いじゃない、かといって露骨に牽制されるのも面倒だし――、ま、冗談だけど知人の知人くらいのほうが忌憚きたんなく色んな話が聞けるでしょ」
 
「まぁね」慎一郎は自分に向けられる秋波をいい気になってそのままにしておくほどアホではなかった。
 人との距離をややこしくする最たるものが色事だ。しかし、人を動かす原動力でもある。異性の前なら張り切る者が多いのも現実で、男だけより男女合わせて声を掛けたほうが集まりがいいし、交流も広がるのだ。
 
 ――確かに誠仁が言うように色々惜しいんだろう、見ていると警戒心を解くのがうまい、話を引き出すのも、そして人を動かすのも。ただ、都合の良い存在であっても千晶を駒にする気はない自分に苦笑する。

 一方の千晶は自身の色恋――そもそも恋愛向きの性格ではないのは置いといて――で学んだのではなく、無駄に見た目の良い兄弟でちょっぴり苦労した末に回避スキルが身についただけ。
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