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11月
7.
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千晶はテストの書き込みから直嗣の傾向がわかったようで、さっと解説していく。口調はオニなのに直嗣も素直に頷いて従っている。過去問題も取り出して付箋を貼ったところの教えを乞う。兄は含み笑いで、千晶にだけ見えるようキッチンの向こうから紅茶の缶と袋を掲げた。
「――教えるの上手いね、アキは家庭教師しないの?」
「平日の隙間時間を有効に使うならそこなんだよねぇ」
大学生のバイトと言ったら家庭教師。
千晶は、自分は面倒見が悪いから向いていない、高校の時小中生を教えたけど時間外に資料を準備するのも大変だし、頼りにされるのもこそばゆく苦手で、何より父兄の話が長いのに辟易したという。
「子供より保護者のほうに疲れてね、って、そこをうまく切り抜けるスキルを身に着けるべきなんだろうなー」
「人当りがいいのが裏目に出るか。はい、今日はユーハ〇ムに合わせてロンネフェ〇トにしたよ」
「ありがとう、私にはこういうお茶飲みの程度の無責任な相手が向いてるのよ。他所じゃこんなに美味しいお茶はなかなか飲めないもの、対価として申し分ないわ」
弟も千晶が許可を出すとカップを手にした。二人が目線を見合わせ、弟を観察する。今日もまた気づいてないようで口角が少し上がる。兄をまるっと信じる愚か者め。
「…でもこのひと分かりやすい」
「皆で教えあってきたから。バカに教えるほうが難しいって聞くよね、その点弟ちゃんは理解が早いから楽よ」
「……」
「賢いだけに納得しないと次へ行けないのね」
「……」
「ほら、次。んー、モンブラン美味しいなぁ」
終わるまでお預け中の弟の目の前で、これ見よがしに美味しそうに頬張る。
もう一切れと手を伸ばすと、まさかそのロールケーキ全部食べたりしないだろうな、と甘党らしい弟の顔が歪んだ。ちなみに買ってきたのは千晶で優待割引券の出どころは慎一郎。
鼻先にケーキをぶら下げられた直嗣の手元がスピードアップする。兄はおかしそうに目を細め、ケーキを口に運んだ。
模擬試験のおさらいが済み、弟にもケーキが切り分けられ一息ついたところで、慎一郎が神妙な顔で一言。
「直嗣、今まで黙ってたけれどアキは俺の生き別れの姉さんなんだよ」
「え…っ」突然の告白に弟は困惑した顔で千晶を見つめる。
千晶がそっと目を伏せると、弟は視線をぎこちなくさまよわせる。
「僕…ごめんなさい…色々…」
(え、信じちゃった?)千晶は内心驚きながらも、申し訳なさそうに微笑んでみせる。
「いいのよ、急に言われても戸惑うだけよね。今までどおりおばちゃんでいいの、でも、もしよかったら…名前…アキコって呼んでもらえると嬉しいな」
「アキコさん…」
「直くん…」
「信じられないだろうけれど、直嗣は最初に…相手の親御さんを確認しておいて…ね…」
「そんな…」
「恵美子さんはそんなことないだろうけど、親父はさ」
テーブルに肘をついて俯いた慎一郎の肩が震える。悲しみをこらえて――いない。声も震えている――けどもちろん笑いをこらえてるだけ。
「私も両親のことは実の親だと思っていたの、――」
話は似た者が惹かれ合うのは当然の摂理、否、出会いは必然で神様は残酷なのだ、という昼ドラ展開から始まり、愛の逃避行は周囲を巻き込み泥沼のサスペンスへ、真実を知ったものが一人、また一人と消えてゆく。そして復讐に燃えるダークヒーロー編からスプラッタ・ホラーへと変貌していき、逃げ回っていただけの直嗣がただ一人寂寥とした大地に呆然と佇んだのち、新たな一歩を踏み出すところで三文劇場は締めくくられた。
「直嗣、俺たちの分まで生きてね…」
兄は懇願するような目で弟を見る。
「そんな終わり方嫌だよ、なんで僕だけ…僕のせいで皆…」
「もしもの話よ、事実は小説より奇なりっていうでしょう」
千晶は友人の母親がメロドラマ好きで、遊びに行くたびに熱烈に語るのを聞かされ、観たこともないドラマのあらすじがいくつも諳んじられる。妄想三文劇場の展開にとても役立ったのは言うまでもない。
「僕はどうでもいいから…こんなのは嫌だ…皆…血の繋がりなんてどうでもいいじゃないか」
「ありがとう、直くんがそう言ってくれただけで嬉しい」
「だってアキコさんは悪くないじゃないか、」
慎一郎はまた顔を伏せ、肩を震わせる。
「直嗣が最初からお姉さんって呼んでいたら、…こんなことにはならなかっ…たのに」
「…えっ」
「今となってはどうでもいいわ、お茶が美味しく頂けたから」
「え?」
千晶もテーブルに肘を付いて笑う。
「いやぁね、泥沼愛憎劇はおばちゃんの大好物だもん。次は直ちゃんが実は女の子でお兄ちゃん大好きで設定でいってみようか」
「……っ」
弟は今日も顔を赤くしたり青くしたりと忙しい、また赤くなっていく。
「付き合ってらんない、帰る」
まんまと担がれた弟は、おばさん覚えてろよって三文芝居の捨て台詞を残し帰っていった。
「っっは、今日の録画しておけば良かった」
「お兄ちゃん、今日も笑いすぎ」
勿論二人は今日も何一つ打ち合わせをしていない。
「――教えるの上手いね、アキは家庭教師しないの?」
「平日の隙間時間を有効に使うならそこなんだよねぇ」
大学生のバイトと言ったら家庭教師。
千晶は、自分は面倒見が悪いから向いていない、高校の時小中生を教えたけど時間外に資料を準備するのも大変だし、頼りにされるのもこそばゆく苦手で、何より父兄の話が長いのに辟易したという。
「子供より保護者のほうに疲れてね、って、そこをうまく切り抜けるスキルを身に着けるべきなんだろうなー」
「人当りがいいのが裏目に出るか。はい、今日はユーハ〇ムに合わせてロンネフェ〇トにしたよ」
「ありがとう、私にはこういうお茶飲みの程度の無責任な相手が向いてるのよ。他所じゃこんなに美味しいお茶はなかなか飲めないもの、対価として申し分ないわ」
弟も千晶が許可を出すとカップを手にした。二人が目線を見合わせ、弟を観察する。今日もまた気づいてないようで口角が少し上がる。兄をまるっと信じる愚か者め。
「…でもこのひと分かりやすい」
「皆で教えあってきたから。バカに教えるほうが難しいって聞くよね、その点弟ちゃんは理解が早いから楽よ」
「……」
「賢いだけに納得しないと次へ行けないのね」
「……」
「ほら、次。んー、モンブラン美味しいなぁ」
終わるまでお預け中の弟の目の前で、これ見よがしに美味しそうに頬張る。
もう一切れと手を伸ばすと、まさかそのロールケーキ全部食べたりしないだろうな、と甘党らしい弟の顔が歪んだ。ちなみに買ってきたのは千晶で優待割引券の出どころは慎一郎。
鼻先にケーキをぶら下げられた直嗣の手元がスピードアップする。兄はおかしそうに目を細め、ケーキを口に運んだ。
模擬試験のおさらいが済み、弟にもケーキが切り分けられ一息ついたところで、慎一郎が神妙な顔で一言。
「直嗣、今まで黙ってたけれどアキは俺の生き別れの姉さんなんだよ」
「え…っ」突然の告白に弟は困惑した顔で千晶を見つめる。
千晶がそっと目を伏せると、弟は視線をぎこちなくさまよわせる。
「僕…ごめんなさい…色々…」
(え、信じちゃった?)千晶は内心驚きながらも、申し訳なさそうに微笑んでみせる。
「いいのよ、急に言われても戸惑うだけよね。今までどおりおばちゃんでいいの、でも、もしよかったら…名前…アキコって呼んでもらえると嬉しいな」
「アキコさん…」
「直くん…」
「信じられないだろうけれど、直嗣は最初に…相手の親御さんを確認しておいて…ね…」
「そんな…」
「恵美子さんはそんなことないだろうけど、親父はさ」
テーブルに肘をついて俯いた慎一郎の肩が震える。悲しみをこらえて――いない。声も震えている――けどもちろん笑いをこらえてるだけ。
「私も両親のことは実の親だと思っていたの、――」
話は似た者が惹かれ合うのは当然の摂理、否、出会いは必然で神様は残酷なのだ、という昼ドラ展開から始まり、愛の逃避行は周囲を巻き込み泥沼のサスペンスへ、真実を知ったものが一人、また一人と消えてゆく。そして復讐に燃えるダークヒーロー編からスプラッタ・ホラーへと変貌していき、逃げ回っていただけの直嗣がただ一人寂寥とした大地に呆然と佇んだのち、新たな一歩を踏み出すところで三文劇場は締めくくられた。
「直嗣、俺たちの分まで生きてね…」
兄は懇願するような目で弟を見る。
「そんな終わり方嫌だよ、なんで僕だけ…僕のせいで皆…」
「もしもの話よ、事実は小説より奇なりっていうでしょう」
千晶は友人の母親がメロドラマ好きで、遊びに行くたびに熱烈に語るのを聞かされ、観たこともないドラマのあらすじがいくつも諳んじられる。妄想三文劇場の展開にとても役立ったのは言うまでもない。
「僕はどうでもいいから…こんなのは嫌だ…皆…血の繋がりなんてどうでもいいじゃないか」
「ありがとう、直くんがそう言ってくれただけで嬉しい」
「だってアキコさんは悪くないじゃないか、」
慎一郎はまた顔を伏せ、肩を震わせる。
「直嗣が最初からお姉さんって呼んでいたら、…こんなことにはならなかっ…たのに」
「…えっ」
「今となってはどうでもいいわ、お茶が美味しく頂けたから」
「え?」
千晶もテーブルに肘を付いて笑う。
「いやぁね、泥沼愛憎劇はおばちゃんの大好物だもん。次は直ちゃんが実は女の子でお兄ちゃん大好きで設定でいってみようか」
「……っ」
弟は今日も顔を赤くしたり青くしたりと忙しい、また赤くなっていく。
「付き合ってらんない、帰る」
まんまと担がれた弟は、おばさん覚えてろよって三文芝居の捨て台詞を残し帰っていった。
「っっは、今日の録画しておけば良かった」
「お兄ちゃん、今日も笑いすぎ」
勿論二人は今日も何一つ打ち合わせをしていない。
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