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1月
1.
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赤々と燃える暖炉の火が照らす。
「ちょっと出かけよう」それだけで、いつもと同じでいいと言った千晶が連れられてきたのはあの別荘だった。千晶の家の最寄り駅から車で一時間半ならちょっとに間違いはないのかもしれない。
雪が降らなくて良かったと抜かすこの面倒くさい男は、タイヤチェーンもスタッドレスタイヤも持ってはいなかった。それほど、このネイビーブルーの車がお気に入りなのだ。
「ご両親は大丈夫だった?」
「うん、よろしくって、これ」
風呂敷包みを手に答える。
友達と出掛けると言ったら意味深な目で見送られたのは黙っていた。兄もいたし家までの迎えを断って正解だ。とにかく絶対に会わせたくない。
もちろん箱入りじゃない、正月に家にこもる大学生など逆に心配されるような家だから問題はないと言い添える。
「うちの両親は二人で世界が完結してるからいいの。子供はおまけなんだよ、だから三人も…」
「派閥の最小単位でもあるね」
「まーね」
年始だけは管理人に暇が与えられ、館内は冷え切っていた。山羊は牧場へ里帰り中、犬猫鶏は小屋にヒーターとエサがセットされていた。
暖房は廊下と居間の暖炉が全てだった。器用に火をおこす慎一郎と千晶は、お互いに意外そうに褒め合う。
「上げ膳据え膳のボンボンだと思ってたね」
千晶が笑いながら頷く。知識はあっても実践とは無縁だと思っていた。
「まず生き延びること、それからさ」
二人だけの別荘は秘密基地のようでもあり、探検にかくれんぼに、居間にあった年代物の自動ピアノは少し音調がずれていて千晶は楽しそうにペダルを踏んで慎一郎を悶えさせた。
それから買い込んできた食材と千晶が家から持ってきたお重とをつつく。
「カレーはよかったの?」
「いつもなんとなくで、あれば食べる」
「ふーん」
暖炉なら具沢山のスープをコトコト煮るべきだと、材料を買ってこなかった千晶が残念そうにする横で、慎一郎は林檎を火にあぶっている。
二人はいつかのように毛布にくるまって過ごした。
千晶は気になっていたこと、ベルがバンダナの下に隠し持ってる鍵についてどこのものか尋ねると、慎一郎も知らなかった。歴代の犬が引き継いでいて、先々代のわんこ――マックスの首にもぶら下がっていたのを、慎一郎もずいぶん探索したけれど見つからなかったそうだ。
「秘密の花園か、宝箱かな、どこかに埋めたのかな」
「地下室かもしれないよ」
夢見がちな千晶の想像とは反対の慎一郎。
「閉じ込めるの?」
「俺が地下でもいい、ただ訪れを待つ」
千晶は何も言わずに慎一郎の髪を後ろ手に撫でた。
暫くして千晶は歌いはじめる。そのお腹に回した手の先で慎一郎はリズムをとる。炎の揺らぎと薪のはぜる音。
どこかに入り口があるのか、犬と猫もやって来て二人と暖炉の間に陣取ると寝息を立て始めた。
***
いっぱい、並々と注がれた盃から零れた滴はまた海へ還るのか。海の端っこから流れ落ちた水は何処へ消えるのか。
正月休みのマンションはいつもより静かだ。窓辺に立つ千晶は人気の少ない街を眺める。
暮れ行く日のなか慎一郎は思い出したように千晶を誘う。
「出掛けよう」
どこへ、今日も千晶は尋ねない。
電車に乗り、着いたのは夜遅くまでやっている水族館。
人工の光のなか泳ぐ魚たち、ちょっと過剰な光の演出にお上りさんは珍しく口が開いたまま。間抜け顔と笑いながらその口をつまんで閉じさせる慎一郎。
『飼われているのは僕らのほうなのなのかな』
あの日、あのガラス張りのリビングを水槽に例えた千晶に返ってきた言葉。巨大なドームの水槽の下ではどちらが見られているのかわからない。大海原より管理された水槽の中は安全で快適だ。
ゆっくりと眺めていく、なんとなくふたり移動のタイミングが合う。それがとても心地いい。
思ったよりも館内は混んでいた。はぐれないようにどちらかともなく手をつないだ。
「チンアナゴ、ね、そっくり」
「……」
砂から伸びるにょろにょろに恥ずかしそうに俯く人と、わいわいと反応する人。千晶は後者だった。
慎一郎はかわいいにょろにょろに反応したら負けのような気がして無言を貫く。(※ちんは犬の狆です)
「カピバラ、いいなぁ」
「そっくりだね」
温泉に浸かりもしゃもしゃとリンゴをほおばる姿は誰に似たものか、慎一郎はカピバラと千晶を見比べて笑う。
「イルカの言語の視覚化が――(以下略」
イルカショーでまた二人が周囲の歓声に水を差すような会話をしていたのも例の如く。
ぐるっと一回り、気が付けば3時間も経っていた。
「トドいなかったね」
「……」
千晶は無邪気に同意求めるが、慎一郎はどんな顔をしていいのかわからない。
「ノリがわるいなぁ、ここにいるって言ってよ」
「……言ったら変な芸をさせられるからね」
「ちぇっ」
お土産コーナーに用途不明な細長いデザインのぬいぐるみが見えた。慎一郎が近寄っていく。
「おもしろいのあるじゃない。買う?」
ペンギンやイルカもいるのに、なぜそれを手に取るのか。チンアナゴ。ぶらぶら振ってみせる。
「いらない」
「俺より太いよ、でもこんなふにゃふにゃじゃ満足できないよね」
「サイテー」
*
水族館を出たところで声を掛けられた。
「よう藤堂、久しぶり。これから俺たち上行くけど、一緒にどう?」
両手に花の男性。水族館の入るビルの上はシティホテルだ。
「無理」「遠慮しておくよ」
笑顔できっぱりと断る千晶と苦笑しながら断る慎一郎。
「残念」
「ねー私たちだけじゃ不満なのー」
「ごめんごめん、またね」
そういうと軽く去っていった。
残された二人で顔を見合わせ、片方は肩をすくめ両手をあげ、もう片方は唇の前に人差し指を立て笑う。
「stay gold」(そのままで)
品川駅構内、千晶はこのまま山手線外回りで帰ると言う。
「楽しかったよ。なんて言ったらいいのか、いつもうまく言えないけれど、本当にありがとう」
「俺も、感謝してる」
慎一郎は千晶を見送り、向かいの内回りの列車に乗った。
「ちょっと出かけよう」それだけで、いつもと同じでいいと言った千晶が連れられてきたのはあの別荘だった。千晶の家の最寄り駅から車で一時間半ならちょっとに間違いはないのかもしれない。
雪が降らなくて良かったと抜かすこの面倒くさい男は、タイヤチェーンもスタッドレスタイヤも持ってはいなかった。それほど、このネイビーブルーの車がお気に入りなのだ。
「ご両親は大丈夫だった?」
「うん、よろしくって、これ」
風呂敷包みを手に答える。
友達と出掛けると言ったら意味深な目で見送られたのは黙っていた。兄もいたし家までの迎えを断って正解だ。とにかく絶対に会わせたくない。
もちろん箱入りじゃない、正月に家にこもる大学生など逆に心配されるような家だから問題はないと言い添える。
「うちの両親は二人で世界が完結してるからいいの。子供はおまけなんだよ、だから三人も…」
「派閥の最小単位でもあるね」
「まーね」
年始だけは管理人に暇が与えられ、館内は冷え切っていた。山羊は牧場へ里帰り中、犬猫鶏は小屋にヒーターとエサがセットされていた。
暖房は廊下と居間の暖炉が全てだった。器用に火をおこす慎一郎と千晶は、お互いに意外そうに褒め合う。
「上げ膳据え膳のボンボンだと思ってたね」
千晶が笑いながら頷く。知識はあっても実践とは無縁だと思っていた。
「まず生き延びること、それからさ」
二人だけの別荘は秘密基地のようでもあり、探検にかくれんぼに、居間にあった年代物の自動ピアノは少し音調がずれていて千晶は楽しそうにペダルを踏んで慎一郎を悶えさせた。
それから買い込んできた食材と千晶が家から持ってきたお重とをつつく。
「カレーはよかったの?」
「いつもなんとなくで、あれば食べる」
「ふーん」
暖炉なら具沢山のスープをコトコト煮るべきだと、材料を買ってこなかった千晶が残念そうにする横で、慎一郎は林檎を火にあぶっている。
二人はいつかのように毛布にくるまって過ごした。
千晶は気になっていたこと、ベルがバンダナの下に隠し持ってる鍵についてどこのものか尋ねると、慎一郎も知らなかった。歴代の犬が引き継いでいて、先々代のわんこ――マックスの首にもぶら下がっていたのを、慎一郎もずいぶん探索したけれど見つからなかったそうだ。
「秘密の花園か、宝箱かな、どこかに埋めたのかな」
「地下室かもしれないよ」
夢見がちな千晶の想像とは反対の慎一郎。
「閉じ込めるの?」
「俺が地下でもいい、ただ訪れを待つ」
千晶は何も言わずに慎一郎の髪を後ろ手に撫でた。
暫くして千晶は歌いはじめる。そのお腹に回した手の先で慎一郎はリズムをとる。炎の揺らぎと薪のはぜる音。
どこかに入り口があるのか、犬と猫もやって来て二人と暖炉の間に陣取ると寝息を立て始めた。
***
いっぱい、並々と注がれた盃から零れた滴はまた海へ還るのか。海の端っこから流れ落ちた水は何処へ消えるのか。
正月休みのマンションはいつもより静かだ。窓辺に立つ千晶は人気の少ない街を眺める。
暮れ行く日のなか慎一郎は思い出したように千晶を誘う。
「出掛けよう」
どこへ、今日も千晶は尋ねない。
電車に乗り、着いたのは夜遅くまでやっている水族館。
人工の光のなか泳ぐ魚たち、ちょっと過剰な光の演出にお上りさんは珍しく口が開いたまま。間抜け顔と笑いながらその口をつまんで閉じさせる慎一郎。
『飼われているのは僕らのほうなのなのかな』
あの日、あのガラス張りのリビングを水槽に例えた千晶に返ってきた言葉。巨大なドームの水槽の下ではどちらが見られているのかわからない。大海原より管理された水槽の中は安全で快適だ。
ゆっくりと眺めていく、なんとなくふたり移動のタイミングが合う。それがとても心地いい。
思ったよりも館内は混んでいた。はぐれないようにどちらかともなく手をつないだ。
「チンアナゴ、ね、そっくり」
「……」
砂から伸びるにょろにょろに恥ずかしそうに俯く人と、わいわいと反応する人。千晶は後者だった。
慎一郎はかわいいにょろにょろに反応したら負けのような気がして無言を貫く。(※ちんは犬の狆です)
「カピバラ、いいなぁ」
「そっくりだね」
温泉に浸かりもしゃもしゃとリンゴをほおばる姿は誰に似たものか、慎一郎はカピバラと千晶を見比べて笑う。
「イルカの言語の視覚化が――(以下略」
イルカショーでまた二人が周囲の歓声に水を差すような会話をしていたのも例の如く。
ぐるっと一回り、気が付けば3時間も経っていた。
「トドいなかったね」
「……」
千晶は無邪気に同意求めるが、慎一郎はどんな顔をしていいのかわからない。
「ノリがわるいなぁ、ここにいるって言ってよ」
「……言ったら変な芸をさせられるからね」
「ちぇっ」
お土産コーナーに用途不明な細長いデザインのぬいぐるみが見えた。慎一郎が近寄っていく。
「おもしろいのあるじゃない。買う?」
ペンギンやイルカもいるのに、なぜそれを手に取るのか。チンアナゴ。ぶらぶら振ってみせる。
「いらない」
「俺より太いよ、でもこんなふにゃふにゃじゃ満足できないよね」
「サイテー」
*
水族館を出たところで声を掛けられた。
「よう藤堂、久しぶり。これから俺たち上行くけど、一緒にどう?」
両手に花の男性。水族館の入るビルの上はシティホテルだ。
「無理」「遠慮しておくよ」
笑顔できっぱりと断る千晶と苦笑しながら断る慎一郎。
「残念」
「ねー私たちだけじゃ不満なのー」
「ごめんごめん、またね」
そういうと軽く去っていった。
残された二人で顔を見合わせ、片方は肩をすくめ両手をあげ、もう片方は唇の前に人差し指を立て笑う。
「stay gold」(そのままで)
品川駅構内、千晶はこのまま山手線外回りで帰ると言う。
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