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3月
1.
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3月下旬の晴れた日、千晶と弟の七海は大振りのスーツケースと紙袋と共に道をゆく。桜は開花したものの寒の戻りがあって一分咲き、ちょうど七海の入学式の頃に満開予想だ。
「桜はもう少しだね、カズどんな格好してんだろ」
「白のダブルだったら笑うわ」
「ボルサリーノに赤いバラとか、ってかほんとに来てるのかな」
せっかく弟妹がこの日のために紋付と学ランを用意しておいたのに、着るべき兄は何かを察知したのか帰ってこなかった。
ここだよ、そう弟が案内する。なぜ弟のほうが詳しいのかは置いておいて、千晶が初めて来た大学の正門にはたくさんの人があった。そう、今日は卒業式だ。
「混んでるねー、別の所から入ろう」
テレビクルーや記念撮影をする人々を避けを避けさらに奥の別の門から敷地に入る。
さて、弟はともかく千晶が素直に兄の卒業を祝いに来たのかって? 兄という生き物は褒めれば付け上がり、貶せば倍返しで碌なもんじゃない。
卒業を祝うために駆け付けたのは両親(だけ)で、二人がやってきたのはその両親へのサプライズの為だ。
晴れ晴れした顔の卒業生とその家族らしき人々は暫しの再会に花を咲かせ、そこかしこで記念撮影をしている。その人混みから離れ、植え込みの縁に二人腰かけ、両親(と兄)を待つ。
「遅いなー」
「講内見たいって言ってから案内してるんじゃない。どんなの買ったの?」
「これこれ」
「どうする? 弟か妹が出来ちゃったら」
千晶が操作したスマホの画面を七海が覗き込む。似てるとはいえないせいで姉弟には見られない。そんな二人に躊躇なく近づくのは親しいものか。気配に気づいた千晶が顔を上げれば、そこには
チャコールグレーの上下にシルバーグレイのベスト、ブルーのソリッドタイ。相変わらず感情の読めない顔。
「仮装しなかったんだ? 一万円札のパネルとかさ」
「…それ違う大学だから」
くだらない一声にやや眉を下げ答える慎一郎。
卒業式は文理で時間帯が違うし敷地も広い。会うとはお互い――少なくとも千晶は帰ってくることさえ知らなかった。式に出なくても学位は送ってもらえるのに、わざわざ帰ってくるのは慎一郎らしい。
「あいつら探してくるよ、――Bless you」
「Thanks」
七海が気をきかせて立ち去ると、慎一郎が千晶の隣に腰かける。
「トンボ返り?」
「朝の便で着いて、今カレー食べてきたところ。役立たずな泡沫学部は最後だからね。そのあと謝恩会に出て戻るよ」
「カレー好きだねぇ」
卒業式は卒業生の人数が多いため、会場の都合で入れ替え三部制だ。理系学部、文系が更に二部に分かれている。慎一郎が自虐的に言うのはここが世間一般の学部ヒエラルキーとは違っているからだろう。
「なんにもないけど、」
慎一郎はガサゴソとバッグを探す千晶の口から舐めているキャンディを取り上げる。
「これでいいよ」
「新しいのもあるよ、はい、卒業おめでとう」
「うん、ありがとう、チェリーだ」
差し出された棒付きのキャンディ二本を、少し目を細めながら受け取ってポケットチーフの間に刺す。内心の喜びが透けてみえるのは千晶の服装が小綺麗にまとまっているから。今まで会ってきたなかで一番フォーマルといってもいいだろう、彼が会いにきてくれたと誤解するのも無理はない。実際は部屋着にトレンチコートを羽織って胡麻化した姉を弟が見咎めて着替えさせたのだ。千晶も姉弟二人で出かけるときはおしゃれな弟に合わせてはいたものの、今日はあの兄の件だから小綺麗にするものしゃくなのだった。
「荷物は? このあと付いて来てくれるの?」
「私じゃないの。ちょっとナイショで旅行を計画してね。これから驚かそうとしてるところ」
「喜ぶだろうね」
「だといいな、オーロラ犬ぞりツアーだから」
千晶はにやっと笑い、こっちは出発用の着替え、と紙袋を示す。
「いいね、俺も一度は…って日本で見られるようになったの? まさか北欧?カナダ?」
「カナダ、見られないとただの寒空の下の罰ゲームだよね、エコノミーだし」
一応所要時間最短で手配したからと、見られなくてもどうでもいい他人事感が滲み出た言い方に、慎一郎は頭を抱えた。エコノミーや自由席に抵抗はない、が、長時間ともなれば別だ。言葉を選んでアップグレードを申し出るが、千晶は笑って首を振る。
「…内緒じゃだめでしょ、大丈夫なの?」
「本人たちがお金を出してまで行かない所に絞ったんだから。海外だから色々根回しや手続きが大変でね、一応ナイショの旅行だとは片方ずつに言ってあるから平気でしょ」
(片方ずつ、って二人か。変なことだけは計画的なんだな、その用意周到な労力の一割でも自分に向けたらいいのに)
「サプライズは計画者の自己満足の最たるものでしょ」
「どの口が言うんだか。28日が新月なんだ、見られるといいね」
「…そうだね」
(弟くんも一緒だったから身内だろうか、それにしても国内旅行とは訳が違うだろう。お気の毒に)、と慎一郎は自分を棚に上げ。
ターゲットの渡航歴がグアム一度きりで、オーロラが見たいと言ったことすら一度もないことは知らぬが仏。
「直嗣さんはどうしたかな?」
「今日後期の発表なんだけど、まだ連絡が無いんだ」
「あー」
「まぁ、理工は(一般で)受かってるから」
いい経験だったよねと残念そうに二人は目を合わせる。まだ確定していないのに失礼な。
「慎一郎さんはどう? 向こうは」
「走ってたら散歩中のセッターに突進されて、下の部屋のロットワイラーには抱きつかれて腰振られちゃってね」
「あはは、貞操の危機だね」
「上の部屋には30ポンド以上ありそうなデブ猫がいて――」
なぜか犬や猫からのモテ期到来中、街の移動は自転車で大学にジムがあるとかそんな他愛もない話。ついていくのに必死だなんて言わない。
「桜はもう少しだね、カズどんな格好してんだろ」
「白のダブルだったら笑うわ」
「ボルサリーノに赤いバラとか、ってかほんとに来てるのかな」
せっかく弟妹がこの日のために紋付と学ランを用意しておいたのに、着るべき兄は何かを察知したのか帰ってこなかった。
ここだよ、そう弟が案内する。なぜ弟のほうが詳しいのかは置いておいて、千晶が初めて来た大学の正門にはたくさんの人があった。そう、今日は卒業式だ。
「混んでるねー、別の所から入ろう」
テレビクルーや記念撮影をする人々を避けを避けさらに奥の別の門から敷地に入る。
さて、弟はともかく千晶が素直に兄の卒業を祝いに来たのかって? 兄という生き物は褒めれば付け上がり、貶せば倍返しで碌なもんじゃない。
卒業を祝うために駆け付けたのは両親(だけ)で、二人がやってきたのはその両親へのサプライズの為だ。
晴れ晴れした顔の卒業生とその家族らしき人々は暫しの再会に花を咲かせ、そこかしこで記念撮影をしている。その人混みから離れ、植え込みの縁に二人腰かけ、両親(と兄)を待つ。
「遅いなー」
「講内見たいって言ってから案内してるんじゃない。どんなの買ったの?」
「これこれ」
「どうする? 弟か妹が出来ちゃったら」
千晶が操作したスマホの画面を七海が覗き込む。似てるとはいえないせいで姉弟には見られない。そんな二人に躊躇なく近づくのは親しいものか。気配に気づいた千晶が顔を上げれば、そこには
チャコールグレーの上下にシルバーグレイのベスト、ブルーのソリッドタイ。相変わらず感情の読めない顔。
「仮装しなかったんだ? 一万円札のパネルとかさ」
「…それ違う大学だから」
くだらない一声にやや眉を下げ答える慎一郎。
卒業式は文理で時間帯が違うし敷地も広い。会うとはお互い――少なくとも千晶は帰ってくることさえ知らなかった。式に出なくても学位は送ってもらえるのに、わざわざ帰ってくるのは慎一郎らしい。
「あいつら探してくるよ、――Bless you」
「Thanks」
七海が気をきかせて立ち去ると、慎一郎が千晶の隣に腰かける。
「トンボ返り?」
「朝の便で着いて、今カレー食べてきたところ。役立たずな泡沫学部は最後だからね。そのあと謝恩会に出て戻るよ」
「カレー好きだねぇ」
卒業式は卒業生の人数が多いため、会場の都合で入れ替え三部制だ。理系学部、文系が更に二部に分かれている。慎一郎が自虐的に言うのはここが世間一般の学部ヒエラルキーとは違っているからだろう。
「なんにもないけど、」
慎一郎はガサゴソとバッグを探す千晶の口から舐めているキャンディを取り上げる。
「これでいいよ」
「新しいのもあるよ、はい、卒業おめでとう」
「うん、ありがとう、チェリーだ」
差し出された棒付きのキャンディ二本を、少し目を細めながら受け取ってポケットチーフの間に刺す。内心の喜びが透けてみえるのは千晶の服装が小綺麗にまとまっているから。今まで会ってきたなかで一番フォーマルといってもいいだろう、彼が会いにきてくれたと誤解するのも無理はない。実際は部屋着にトレンチコートを羽織って胡麻化した姉を弟が見咎めて着替えさせたのだ。千晶も姉弟二人で出かけるときはおしゃれな弟に合わせてはいたものの、今日はあの兄の件だから小綺麗にするものしゃくなのだった。
「荷物は? このあと付いて来てくれるの?」
「私じゃないの。ちょっとナイショで旅行を計画してね。これから驚かそうとしてるところ」
「喜ぶだろうね」
「だといいな、オーロラ犬ぞりツアーだから」
千晶はにやっと笑い、こっちは出発用の着替え、と紙袋を示す。
「いいね、俺も一度は…って日本で見られるようになったの? まさか北欧?カナダ?」
「カナダ、見られないとただの寒空の下の罰ゲームだよね、エコノミーだし」
一応所要時間最短で手配したからと、見られなくてもどうでもいい他人事感が滲み出た言い方に、慎一郎は頭を抱えた。エコノミーや自由席に抵抗はない、が、長時間ともなれば別だ。言葉を選んでアップグレードを申し出るが、千晶は笑って首を振る。
「…内緒じゃだめでしょ、大丈夫なの?」
「本人たちがお金を出してまで行かない所に絞ったんだから。海外だから色々根回しや手続きが大変でね、一応ナイショの旅行だとは片方ずつに言ってあるから平気でしょ」
(片方ずつ、って二人か。変なことだけは計画的なんだな、その用意周到な労力の一割でも自分に向けたらいいのに)
「サプライズは計画者の自己満足の最たるものでしょ」
「どの口が言うんだか。28日が新月なんだ、見られるといいね」
「…そうだね」
(弟くんも一緒だったから身内だろうか、それにしても国内旅行とは訳が違うだろう。お気の毒に)、と慎一郎は自分を棚に上げ。
ターゲットの渡航歴がグアム一度きりで、オーロラが見たいと言ったことすら一度もないことは知らぬが仏。
「直嗣さんはどうしたかな?」
「今日後期の発表なんだけど、まだ連絡が無いんだ」
「あー」
「まぁ、理工は(一般で)受かってるから」
いい経験だったよねと残念そうに二人は目を合わせる。まだ確定していないのに失礼な。
「慎一郎さんはどう? 向こうは」
「走ってたら散歩中のセッターに突進されて、下の部屋のロットワイラーには抱きつかれて腰振られちゃってね」
「あはは、貞操の危機だね」
「上の部屋には30ポンド以上ありそうなデブ猫がいて――」
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