72 / 138
偶然
5.
しおりを挟む
バイトを終えて帰宅した弟の七海が目にしたのは、久しぶりに玄関に出迎えたブランと、一目で質の良さが分かる靴とコート。次いで茶の間のコタツに書生さんのような男がひよを脚にのせノートパソコンに向かっている姿で。
千晶はそのはす向かいにカットソーにニットを羽織った姿でグロいテキストとレジュメを広げて……つまりいつも通りで。
「おかえり、お買い物ありがとね、鰤は煮たよ」
「おじゃましてます」
「いらっしゃい、何コレ」
「ああ、偶然会って猫が見たいって普段はアメリカだよ。で、ほら充電中」
挨拶もそこそこに七海の口から出たのは訝し気な批難と困惑。
「懐いてるねって、そうじゃなくてこの奇妙な絵面のことだよ」
七海は外の汚れを家に持ち込みたくないので帰宅後はすぐ着替える派、家族も協力してくれている。だが、客人にまで強制しない。
千晶が無言で鴨居に掛かったスーツを指さした。ささくれた畳に猫毛のついたこたつふとん、理由は分かるがそこじゃない。そうだろうと無言で頷いたどてら男は、仕事に戻る。
弟は隣りの和室からしじら織りの割烹着を持ってきて千晶に着せ、頭に手拭いを巻くと、少し離れて確認するように首をひねる。
「ん~、ちょっと物足りないね。ハチマキ巻いてろうそく挿してみようか」
「丑の刻参り?」
「八つ墓村」
「それ違くない?」千晶は首をひねりながらもわざわざ検索する。「懐中電灯…ヘッドライトはあったよね、なっちゃんの学ラン着られるかな、ゲートル…脚絆があったよね」
「模造刀はカズの部屋で見た、ベルトが」この家で一番まとなはずの弟も画面を覗き込み思案する。
(そんな仮装はしない、絶対に)おかしな流れに耐え切れず、拒否オーラをにじませてどてら男がタイピングの手も止めずに一言。
「……七海くん、キミもか」
「ナツでいいよ。兄貴は宇宙人、アキは左脳のネジがぶっ飛んでる、俺が正気を保てるとでも?」
慎一郎がやっと手を止め、それもそうだなという顔で同意した。
「どうせ私がオカシイんですよ」
(否定しないのか、異常だと自己認識できる脳は正常と言えるのでは――)
「ああ、ナツ君、これもパラドクスなの? 俺にはその猫が黒猫に見えるんだけど白って」
「え、そんなこと気にしてたの?」
そんなことじゃないだろうと弟は足元の黒猫から呆れ顔で千晶に目線をやり、次いで慎一郎に向かい説明を始める。
「そもそも白と黒は光の反射と吸収に過ぎない、あなたの見ている猫が黒だと証明――」
「んな難しいことじゃないから。ほら、ここに数本白い毛があるでしょ」
千晶は七海が語るのを無視し、黒猫を抱っこして慎一郎の前に近づけ首の下をさすって見せる。
「……あるね」
部分的に長毛になった胸当て部分に数本白い毛が見える。だからと言って黒猫は黒猫だ。
「黒猫の白い毛は幸福を呼ぶんだって」そこからだよ、と千晶がなんの曇りもない目で説明した。慎一郎は焦点の合わない目で弟に縋る。それらしい説明を台無しにされた弟も首を振って応えた。
名づけたのは拾ってきた千晶、クロだの昆布だのと黒猫にありがちな名は過去に使用済み、同じ名は付けない流儀に則り、熟慮を重ね(斜めに閃い)た結果。
「アキの出力が壊滅的におかしいのに重ねて、家族も『へー』『おもしろいな』って誰も反対しないの、どうかと思うでしょ」
「数の暴力か、ナツ君も苦労するね」
慎一郎もその場に居合わせたような落胆の声色だ。
そしてひよの名前の由来を聞き、日吉駅で保護したからひよ――その安直さに慎一郎が溜息をつくと、「アキは相手が猫なだけましだよ、詳細は省くけど父はもっと酷いから」と七海も溜息をついた。
不条理に抗う二人、二対一と分の悪くなった千晶は状況を変えようする。
「もういいじゃない、お風呂沸いてるから入っちゃって」
「ありがと、藤堂さん…だよね、お先にどうぞ。足がしびれたでしょ」
常識的な弟は客人に先に風呂を勧める。
「ありがとう、どうぞお構いなく」
もう暫くかかるから、と目線を少し下に移した意味を姉弟は見逃さなかった。慎一郎から夕飯のおこぼれをもらったひよはあっさり警戒を解き、食後、なんと自ら慎一郎の膝に乗って今に至る。
膝に乗ったひよは碧の瞳で一度瞬きしてみせた。
その様子をみた七海は俯いて笑った。(どっちが本体だよ)
*
七海が風呂から上がってきても猫と客人はそのままだった。再び風呂を勧めるも、また目線が下に泳ぐ。
「じゃ私入ってこよ。ねーこー、おねーちゃんはお風呂に入ってきますからね。猫なんて降ろしてもすぐまた乗ってくるのに。猫の尻に引かれちゃって」
「「……」」
七海と慎一郎が無表情に顔を見合わせてから、千晶を見る。
「なにその特大ブーメラン」
「何がー」
「藤堂さんもアキには言われたくないと思うよ、ねぇ」
「ああ、猫相手に丁寧語な誰かさんには言われたくないね」
「失礼しちゃう、私は猫の言いなりじゃないし」そう言い捨てて千晶は風呂へ行った。
操られてるけどね、と七海が笑いながら呟くと、またひよは瞬いた。
千晶はそのはす向かいにカットソーにニットを羽織った姿でグロいテキストとレジュメを広げて……つまりいつも通りで。
「おかえり、お買い物ありがとね、鰤は煮たよ」
「おじゃましてます」
「いらっしゃい、何コレ」
「ああ、偶然会って猫が見たいって普段はアメリカだよ。で、ほら充電中」
挨拶もそこそこに七海の口から出たのは訝し気な批難と困惑。
「懐いてるねって、そうじゃなくてこの奇妙な絵面のことだよ」
七海は外の汚れを家に持ち込みたくないので帰宅後はすぐ着替える派、家族も協力してくれている。だが、客人にまで強制しない。
千晶が無言で鴨居に掛かったスーツを指さした。ささくれた畳に猫毛のついたこたつふとん、理由は分かるがそこじゃない。そうだろうと無言で頷いたどてら男は、仕事に戻る。
弟は隣りの和室からしじら織りの割烹着を持ってきて千晶に着せ、頭に手拭いを巻くと、少し離れて確認するように首をひねる。
「ん~、ちょっと物足りないね。ハチマキ巻いてろうそく挿してみようか」
「丑の刻参り?」
「八つ墓村」
「それ違くない?」千晶は首をひねりながらもわざわざ検索する。「懐中電灯…ヘッドライトはあったよね、なっちゃんの学ラン着られるかな、ゲートル…脚絆があったよね」
「模造刀はカズの部屋で見た、ベルトが」この家で一番まとなはずの弟も画面を覗き込み思案する。
(そんな仮装はしない、絶対に)おかしな流れに耐え切れず、拒否オーラをにじませてどてら男がタイピングの手も止めずに一言。
「……七海くん、キミもか」
「ナツでいいよ。兄貴は宇宙人、アキは左脳のネジがぶっ飛んでる、俺が正気を保てるとでも?」
慎一郎がやっと手を止め、それもそうだなという顔で同意した。
「どうせ私がオカシイんですよ」
(否定しないのか、異常だと自己認識できる脳は正常と言えるのでは――)
「ああ、ナツ君、これもパラドクスなの? 俺にはその猫が黒猫に見えるんだけど白って」
「え、そんなこと気にしてたの?」
そんなことじゃないだろうと弟は足元の黒猫から呆れ顔で千晶に目線をやり、次いで慎一郎に向かい説明を始める。
「そもそも白と黒は光の反射と吸収に過ぎない、あなたの見ている猫が黒だと証明――」
「んな難しいことじゃないから。ほら、ここに数本白い毛があるでしょ」
千晶は七海が語るのを無視し、黒猫を抱っこして慎一郎の前に近づけ首の下をさすって見せる。
「……あるね」
部分的に長毛になった胸当て部分に数本白い毛が見える。だからと言って黒猫は黒猫だ。
「黒猫の白い毛は幸福を呼ぶんだって」そこからだよ、と千晶がなんの曇りもない目で説明した。慎一郎は焦点の合わない目で弟に縋る。それらしい説明を台無しにされた弟も首を振って応えた。
名づけたのは拾ってきた千晶、クロだの昆布だのと黒猫にありがちな名は過去に使用済み、同じ名は付けない流儀に則り、熟慮を重ね(斜めに閃い)た結果。
「アキの出力が壊滅的におかしいのに重ねて、家族も『へー』『おもしろいな』って誰も反対しないの、どうかと思うでしょ」
「数の暴力か、ナツ君も苦労するね」
慎一郎もその場に居合わせたような落胆の声色だ。
そしてひよの名前の由来を聞き、日吉駅で保護したからひよ――その安直さに慎一郎が溜息をつくと、「アキは相手が猫なだけましだよ、詳細は省くけど父はもっと酷いから」と七海も溜息をついた。
不条理に抗う二人、二対一と分の悪くなった千晶は状況を変えようする。
「もういいじゃない、お風呂沸いてるから入っちゃって」
「ありがと、藤堂さん…だよね、お先にどうぞ。足がしびれたでしょ」
常識的な弟は客人に先に風呂を勧める。
「ありがとう、どうぞお構いなく」
もう暫くかかるから、と目線を少し下に移した意味を姉弟は見逃さなかった。慎一郎から夕飯のおこぼれをもらったひよはあっさり警戒を解き、食後、なんと自ら慎一郎の膝に乗って今に至る。
膝に乗ったひよは碧の瞳で一度瞬きしてみせた。
その様子をみた七海は俯いて笑った。(どっちが本体だよ)
*
七海が風呂から上がってきても猫と客人はそのままだった。再び風呂を勧めるも、また目線が下に泳ぐ。
「じゃ私入ってこよ。ねーこー、おねーちゃんはお風呂に入ってきますからね。猫なんて降ろしてもすぐまた乗ってくるのに。猫の尻に引かれちゃって」
「「……」」
七海と慎一郎が無表情に顔を見合わせてから、千晶を見る。
「なにその特大ブーメラン」
「何がー」
「藤堂さんもアキには言われたくないと思うよ、ねぇ」
「ああ、猫相手に丁寧語な誰かさんには言われたくないね」
「失礼しちゃう、私は猫の言いなりじゃないし」そう言い捨てて千晶は風呂へ行った。
操られてるけどね、と七海が笑いながら呟くと、またひよは瞬いた。
0
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】
その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。
片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。
でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。
なのに、この呼び出しは一体、なんですか……?
笹岡花重
24歳、食品卸会社営業部勤務。
真面目で頑張り屋さん。
嫌と言えない性格。
あとは平凡な女子。
×
片桐樹馬
29歳、食品卸会社勤務。
3課課長兼部長代理
高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。
もちろん、仕事できる。
ただし、俺様。
俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる