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必然
4.
しおりを挟む通りががっただけ、そういうことにしておこう。千晶はバイトを終えて駅へ向かう道中だった。
「今は病棟実習って言ったけ」
「そう、色んな科を回るの、三週ずつだからほんのさわりだけね」
慎一郎がやや疲労の滲んだ横顔に尋ねると、千晶は実習はもらえる単位が少な過ぎるとぶー垂れて見せた。
「始まったばかりだし、語る程のことはまだないな。興味あるの? おススメはしないよ。うちは新しいほうだから七不思議ネタは少ないんだよ、下々なネタばっかりでよければ、聞く?」
角の立たない笑い話がエログロに行き着いてしまうのは当然の成り行き。但し語り手を選ぶネタでもある。
「…アキの口からは止めとく。
前もきいたけどどうして医者なの? 受かっちゃったにしても」
ふと口をついた疑問。彼女の仕事先へ足が向いたのも、なんとなくだった。
崇高な理念はなくても千晶が向いていないとは思わない、勉強が出来ただけで続くほど甘くはないだろう、が、もっと楽な道はあったろうに。
今のパートタイム――一般企業の事務を大変だけど楽しいという彼女には。
産休代替、といっても業務は社員が分担して引き継いでいるので、千晶は彼らの負担を減らすアシスタント。小さい会社だから何でも、資料作成から掃除、時には夜食作りまで。大企業の一部署だけで働くのとは違って会社全体の流れがよくわかる、あたりまえの社会人の感覚をお金をもらって体験させてもらえるありがたさと、仕事を覚えきる前に終了してしまう申し訳なさとを口にした。
「んー…、それはなってみないと。というかそこでやっとスタートラインだから、そこに立たないうちは何も言えない。他の道でも食べていけるようにってのは常に頭にあるし」
慎一郎の問いかけには目を向けたが、答えるときには視線を外した。
「オフィスワーカーの道もあるんでしょ?」
「うん、それでも初期研修後になるから当分先だねー」
そしてまた視線を戻してから、ちょっと嫌そうに付け足した。
「あ、受験した直接の原因は兄なんだけど、麗しき感動兄妹秘話とかじゃないからね」
「だろうね」
誠仁といい、千晶を重宝したがったのは想像に難くない。口八丁で丸め込まれたんだろうと語尾に笑いが混じってしまった。耳ざとい千晶は不満げに鼻を鳴らす。
「兄が何か企んでるにしろ、とりあえず免許取っちゃえばこっちのもん」
(…そういう気負い過ぎないところが誠仁そっくりなのに)
「免許にも更新制が…」
「そんなこと言ったら誰もやらないよ」
「…闇深い発言だね」
「生存欲求は本能だしね、色や金など可愛いもんよ。
そっちの世界の本物を見たわけじゃないけれど、他の欲とは一線を画してると感じるよ」
見なくてもいい世界を、嫌でも非日常を見聞きする機会が増えたのだと思えばどこか投げやりな言い方を責められない。
「――俺も人伝にしか聞いてない、そこと関わらずにいられるのは爺さんと、親父にも感謝してるよ。健康あっての七欲か」
この時間ならどの電車も到着時刻は同じ、一旦東京駅へ出て快速の始発へ、座って帰れる。駅構内の通路、掲示されたパネルが壁のタイルの無機質さを強調させる。
「何かあったの?」
「?」
「前から落ち着いてはいたけれど、なんていうのかな」
――彼女と風景の間にブロックノイズが、境界があいまいに感じる。煙幕が濃くなる。
顔色が悪い、痩せた、そう分かりやすく表現できない、何か。誠仁もそう、二人とも苦労が顔に出にくい性質なんだろう。ただ、存在を危うくする何か。
車窓に映る姿と、つり革を握る手、どちらが実体なのか。
慎一郎が思わず手を伸ばせばそこにあって、髪に触れた。
千晶は触れられたことへの反応も見せず、曖昧な問いかけに、特に何も大きな出来事は無かったと答えた。
「猫も家族も元気だし。過失を負うことも、――電車で人命救助とかもないから」
隠している響きはない、すべてを話す義理はないし、言いたくなければ「ちょっとね」で事足りる。
そしてふと思いついたように言葉を重ねた。
「私自身は変わったつもりはないけど、周囲は変わったね。あなたの言ったとおり」
「ああ、そうか」
具体的な話の代わりに、すこしだけ困ったような視線を交わす。
「学内は平和で、親しい友人も変わらずにいてくれるから」十分だと、千晶は微笑んだ。
「変わらないと言えば誠仁も――ただ、この頃はまれに人扱いされてる節があって気味が悪いんだよ」
散々な言い様だが、慎一郎は笑みを浮かべながら頷いた。たとえ一人でも変わらずにいてくれたら心強い。
「俺にもアキと誠仁のような関係になれる相手がいるだろうか」
「いるでしょ、シンとこの大学の綺麗系女子ってそんな感じ、他の大学の経済の子と違うよねー」
「……」
「あはは、ほら同属嫌悪」
自分のことは自分じゃ分からないというけれど、珍しく反論の言葉もない慎一郎。
「ついでにうちの綺麗系女子と彼女らも仲良くないよ、複雑だね」
「……」
慎一郎は口に手を当てて黙り込んだまま。
千晶は何か地雷を踏んだかと、見上げた顔から視線を落とした。
「あなたも意外と変わらないね」
「……成長してない?」
「いいえ、ただ淡々とこなしていく感じが変わってない」
「まだレポートの草案つくってるだけだからね。俺が見て感じたのとボスの意見は違う。あまり主観を入れずにこなすようにしてる」
「自分ならこう、ってのはまだ先なんだ」
「それはいつも頭に浮かんでしまう、性質なんだろうね、そこを冷静に客観的に見るのはいい訓練になるよ。ただ事実の積み重ねだけでは説明できない勘をどう伝えるかが難しい。今はこっちのスタッフとも廻って――」
慎一郎はやりがいのあるニュアンスで話を続ける。下積み作業も役不足と驕ること謙虚だ。
「私はその客観的な事象から異なった予測が出てくる過程と背景の差が知りたい」
「その目なんだよ、アキや、ナツ君の一歩引いた視点、視座か、には私情が絡まない。先生方のように純粋な研究対象として切り離せる。予測は直感と言っていいのか、未自覚な経験則なんだろう。その直感に合うようデータを拾いがちな自分に気づく」
「私はあなたのように人を動かして采配を揮うことは求められてこなかったもの。
今までを分析するのが学問、これからを予測するのはまったく別なんだろね。続けていくことも。でも利益を求めるのが命題なら単純でもある。あなたが前に言った相互の利益になるよう持っていく。信念だの道義を旗に掲げると拗れる気がする」
「商売のセンスは天性のものだろうね、継続していくのに学と道義が必要になるだけ。歴史に学んでも現実は遥か上を行く、相手は魔物だ、そして――勘に」
そう言って自分の言葉を反芻する。
「直感に戻るか、遡って行くほどわからなくもなる」
「物事に明確な始まりはないんじゃない? ――あってもきっかけは小さいもの」
「カオスか」
千晶と会話は成立している、でも実体があやふやに感じるのは彼女が物事から距離を置く客観性からなのか。
慎一郎は瞬きを二度繰り返し、自分の感覚を問う。
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