Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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蓋然

4.

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 慎一郎は七海を手伝い、ネギを切る。独立した台所は、高めにしつらえ直してあり、腰にやさしい。エプロンは七海が授業で作ったものだと言われて、家庭科でミシンを操ったのは楽しかったことを思い出した。調理実習? なんだっけそれ。

「兄貴は世間をやり過ごして生きてきた、高校も中堅クラス。だから大学には驚いたんです。医者ってのはわからなくもない、あの外見でリーマンはね。趣味と実益と、俺らへの社会的信用を付加する狙いがあったんでしょう。それならもっと無難な大学とこがある」

 慎一郎は否定せず頷いた。金もコネもない相手に綺麗事を語るほど傲慢ではない。

「でも、半分は期待してた」
「…敵わないな」

 兄貴なら最後はやってくれる、でしょ? 野暮なことは口にせず少し微笑んだ。
 弟は照れと誇らしさを隠すよう俯いて、話を続けた。

「さらに驚いたのがアキを巻きこんだこと」
 七海は一旦息を吐いた。それから「3年の、――ああ、もうどうでもいいか、過ぎた話ですよ、俺も読みが甘かった」と遠い目をして帰ってきた。
 これには慎一郎も軽く目を閉じた。言い方からして予想通りの無茶ぶりだったのだろう。落ちて後期で本来の志望大を受けるつもりだったとは聞いた。そこに今七海が通う。

「もっと驚いてるのは、今こうして、これでよかったのかと思ってる俺自身なんです」
「君は誰にいわれずとも少しルートを変えた。二人の進路は君の妨げにはならないのに」
「俺自身の正当化か」
「変化できる、大事な能力だろう。影響を受けながらも依存しない。君たちが身を潜め力を付けてきた理由は理解しているつもりだよ。俺は――それなりの子弟で集まる中で過ごしてきた。その内でも居たんだね、やっと気づいたよ、否、認めたくなかったんだ。どこか退屈そうな彼らを」

 ただ、彼らには与えられた役割があった。むき出しの才は――ああ、確かに自由は無力だ。

「自由って? リバティ? フリーダム?」
「――そこから違ったんだな」

 口に出てしまったことさえ気づかなかった、七海はどこか不思議な青年だ。彼なら千晶の言葉をどう解釈するだろうか、慎一郎は以前千晶に進路を問うた時の会話を伝えた。

「――ふうん、アキがそんなことをね」

 千晶の言葉ならそのままの意味だろう、兄は千晶の言葉を理解するが、教えてくれない。千晶は兄の考えが読めるらしいが、説明する手段を持たない。七海は少し考え、核心めいた言い方をした。

「フリーだと認識するのは他者だ、違う?」
「確かに、」

 千晶は自身のことではなく誰かを指していたのか。彼女を自由と言ったのは慎一郎だ。自由を欲した時点で自由ではない、それは渇望リバティだ。 

「自由な自己は自然状態を認識できず、自由粒子は安定を求め―― 三人か」

 大きな粒に小さな粒が二つ。言葉遊びは宙を舞い、また戻ってくる。

「そう考えると、彼がどこまで見通してごねたのか、恐ろしい気がします」
「これでよかった、か」
 
 君がまだ到達しないものを、俺がわかろうはずもない。彼らの頭の中なんて説明されてわかるかどうか。過去に学ぼうにも、彼らは何も残さない。

「まだ最適解とは証明されてませんけどね」
「ふっ、」 
「って、こうやって俺が考えるとこまで込みなんでしょうね、認めたくないけれど」

 慎一郎は嬉しそうに笑った。七海を通して直嗣のこころのうちを垣間見た気がしたのだ。七海はまだまだ兄の掌の上で転がれているのかと悔しさ半分、いつか、という敵愾心半分。
 つみれ用に肉を包丁で切って、たたく。ひよは炊飯器の横で観察中。

「残念ながら俺もアキも常人の範疇だった。でも彼の退屈しのぎにはなってるのかな」
「俺にはシーソーゲームに見えるよ。二対一のね」
「よく言いすぎですよ。アキとカズが組むことは少ないんですけどね、あれは最悪です」
「俺もゴメンだよ」

 君の苦労は想像に難くない、慎一郎も頷き首を振る。

「感謝はしてますよ。彼らがいたから俺は勘違いせずにいられた、顔で売られることもなく済んだんです。一人なら自己愛の能書きタレ。兄からは寛容を、姉からは中庸を、ええ、兄がガサツなのはそうふるまっているだけ――無茶苦茶な理不尽と横暴もそう見せているだけ、ケチで28にもなって実家に住所があるのは俺らがまだ学生だから――」

 理解はしても納得はしていない感があふれ出して止まらない。慎一郎にはお兄さん大好きとしか聞こえない。口元が緩む。

「ナツ君が二人へのサポートを頭の片隅に据えている、同じように俺の弟も、口には出さないが考えていてくれてる。うちも大渦に飲み込まれぬよう、但し存在が強みであるよう努めてきた。それがこの先も通用するかは不確定だ。彼は素材と技術面の手を増やそうとしてる。家の為ってより未来を見据えた姿勢が嬉しいんだ――俺が変わることで彼も変わるんだな、自惚れか」

 七海のぬるい視線に気づくと慎一郎は素に戻った。

「でも、もっと?」
「そう、もっと、追いついて追い越して欲しい、だが抜かれたくない、このコンフリクトは」

「俺は、大きくなったら兄貴みたいになれると思ってた。両親は『神童も二十歳過ぎればタダの人。みんなよりちょっと成長が早いだけ』て言い聞かせてたんです。だから、俺らも56年したら兄貴みたいになれると思ってた。笑えるよね。アキは女だから差に早く気づいたけれど、俺は長いこと信じてた。でも、おかげで誉めそやされても身の程知らずな勘違いをせずにいられた」

 頭も、身体も追いつけない。男らしく男受けする兄と優しく女受けする弟。タイプが違う、それが慰めにもならないことは慎一郎もわかっている。当たり前、が崩れる瞬間は突然にやってくる。事実を受け入れて足元を踏み固めた彼は、強い。

「お兄さんみたい、か。なりたいとは違うんだね」
「ええ、なりたいんじゃない。彼と同じになっても同じ景色はみられない」

 弟と、兄と、それぞれの立場に思いを巡らせながらも、二人は譲れない一線を語る。兄とは面倒で大人気ない生き物だし、弟とは生意気でいじめたくなる可愛い生き物だ。

「追い抜きたい、でも――カズに背中は見せたくない」
 ぴったり背中を付けていなければ、あいつは背後から撃ってくる。そういう奴だと複雑な感情を覗かせる。

「ふっ、でも、いつかは?」
「まぁね、――この葛藤の合間を平然と横切っていくのが女ですよ」
「猫もね」

 七海がタラの切り身を冷蔵庫から取り出すと、ひよは台を降りて足元にすり寄ってきた。
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