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願わくは
8.
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着替えに用意されていたのはブラックタイとネイビーブルーのイブニングドレスだった。ジュエリーはマルチカラーのブレスレットとイヤリング。5枚の花のモチーフは全部で12個。
着てきたワンピースは洗濯中というお約束、千晶は諦めて軽く髪を結いあげた。
『おっそーい』『ナニしてきたのかなぁ』
中庭に面した談話室へ二人が着替えて戻ると、どうでもいい態で迎えられた。ゲストらも半数は着替え、浴衣姿の一部は口もパジャマ仕様だ。
あんな呑んでちゃ無理だろ、じゃぁ代わりにだのとかまぁまぁ卑猥なジェスチャー込みで――品性はどこへしまい込んだのかという面々に、千晶は白い目を向ける。
「…ほんとにあなたのお友達はいいオトモダチで関心するわぁ」
「あれ、僕のトモダチだけじゃないよね」
慎一郎は旧友らのくだけた様子に目を細める。表向きはスマートでも打ち解けるのに時間が掛かるタイプの彼らが、千晶の友人とは自然になじんでいる。
「トモダチじゃないってば、なんだろ、大学関係はしっくりくる言葉がみつからない。英語ならフレンドで済むけど、こう、日本語だと、んー、同期以上だけど、仲間ってもんでもないし、この先も」
「戦友――とも違うか。でも、こうして生き抜いてきた」
千晶は慎一郎と目を合わせ、また前に戻してから軽く頷いた。その横顔は憂いと清々しさが混じる。距離を置き置かれ、切り切られた関係あり、そして意外と続いている関係もある。
部屋を見回せば、ゲームに興じる――今日の誠仁の相手は千晶兄――テーブルがあり、ハートが飛んでいる一角があり、議論を交わすテーブルがあり、仮眠をとる者に、外へ出かけた者ありと、皆、夕飯までの時間を思い思いに過ごしている。
その夕飯を食べられるのかと心配になるほど軽食をついばむ席もある。千晶もクラブサンドに手を伸ばし、頬ばる。
「千晶ドレス似合ってるよ」
「…ありがと、これしか着替えが――って浴衣さぁ」
千晶の友人はほぼ東京近郊、泊まりや着替えの準備がないのも想定内である。慎一郎はにっこり微笑んだ。
「また芽がでるかしら?」
「ああ、たくさんね」
テラスから外へ出る。秋の夜はつるべ落とし、紫色の空には三日月。
外にもぱらぱらと人影がある。祖母と直嗣の母は幼子の手を引き、過去の思い出に浸る。洋装だった祖父は着流し姿で可愛い直嗣を何やらせっついている。七海は手風琴をぺーぽー慣らして仕組みを確かめ、その横でローウエストのワンピースを着た妻が微笑んでいる。
ラスカル二頭は千晶の両親と一旦家へ猫たちの様子を見に行った。
出る前に慎一郎にはこっそりと耳打ちとおねだりをして、千晶には『知らないおじちゃんに抱っこされたから三本毟ってやったの』とラスカル♀が確信犯的(誤用)にドヤり、ラスカル♂は藤堂さんちの詳細な見取り図をそっと渡してきた。しっかりちゃっかりした彼らは自らの力で海を行くのだろう、自分の手を放れるのは予想よりずっと早いかもしれない、千晶はそんな予感がした。
「誠仁が昔言ったんだ『きみんちの事情はわかるけれど、どんなひとからも学ぶことはあるんだよ』ってね。いい時期に行ったと思う」
サロンを振り返り、慎一郎はぽつりと話し始めた。千晶は軽く頷く。
「彼は何でも教えてくれた『知識は共有するもんだよ、面白さをわかりあえるだろ』同じことを言ったのがDD、いつも口論してたのに、日本に戻るときは泣いて抱き付かれた。彼が泣いたのは前に幽霊を見たって言って――」
「ふふっ」
どのエピソードも容易に想像できる、千晶は思い出したように笑った。つきあいを制限され、否応なく乗せられたレールの上の出会いをかけがえのないものにしたのは慎一郎自身の力だ。
「何かきいた? 彼らから」
「教えない」
勝ち誇ったような含んだ笑いは、くだらないことを知りすぎた顔だ、慎一郎は気まずそうにそっぽを向いた。
「全部忘れて」
忘れろって言われると記憶は強化される、そう返してきたのは誰だったか。千晶は今日の話を振り返って、ゆっくりと笑みを浮かべる。
手風琴がぽちぽちとメロディを奏で始めると、どこからかバイオリンも加わった。慎一郎の友人が千晶の女友達の手をひき、軽くステップを踏む。
誰が音頭を取るでもなく、この場にいる誰も彼もがそれぞれの考えで動いていて、それでもなんとなく形が整っている。そんな気取らない光景に二人は目を細めて頷く。
そこへ、まだまだ慎一郎を揶揄い足りない旧友二人が澄まし顔で近寄ってきた。
『シン、サファイヤブルーのレディと踊ってもいいかい?』
慎一郎から向けられた視線に千晶は軽く頷き返す。
『これ以上彼女におかしなこと吹き込まないと誓えるならね』
そうでなければ、と慎一郎が旧友――ノージャケットのブラックタイ、とその隣の――浴衣男の手を引いて重ねた。千晶サイドのゲストが男女半々なのでどうしても男が余るとはいえ。
『ははっ、そういえば二人のなれそめって?』
彼は教えてくれないんだ、一体何をやらかしたんだい?と手をつないだ二人が詰め寄る。
『さぁ?』
どうだったかな、と慎一郎は千晶に振る。
『さっき全部忘れろっていわれたばかりなの』
『そんな、記憶するより忘れることのほうが難しいというのに』
『しかし記憶も取り出さずにいると形を変えてしまうものだ。さぁ、』
『記憶を辿るのは苦いものさ、今日は振り返りすぎた、もういいだろう。俺は明日の命を考えるほうが大事なんだ』
慎一郎が千晶を見てから大袈裟に肩をすくめてみせると、旧友たちは何を想像したのか慎一郎の肩をたたく。
『今日くらいは明日のことを思い悩むな』
『墓まで持っていくつもりかい、懺悔するなら今だよ』
『いつ、どこで、何度会ったかは関係ない。その時一歩を踏み出すかどうかだ。それが好奇心からの一歩でも、勇気を振り絞ってでも』
慎一郎が思わせぶりに口角を上げると、皆もやれやれとかぶりをふった。きっと、誰もが心当たる。
『踊ろうか』
君たちは後にしてくれ、そう旧友に微笑み、慎一郎は千晶に手を差し出す。
千晶は渋々といった体でその手を重ねた。
着てきたワンピースは洗濯中というお約束、千晶は諦めて軽く髪を結いあげた。
『おっそーい』『ナニしてきたのかなぁ』
中庭に面した談話室へ二人が着替えて戻ると、どうでもいい態で迎えられた。ゲストらも半数は着替え、浴衣姿の一部は口もパジャマ仕様だ。
あんな呑んでちゃ無理だろ、じゃぁ代わりにだのとかまぁまぁ卑猥なジェスチャー込みで――品性はどこへしまい込んだのかという面々に、千晶は白い目を向ける。
「…ほんとにあなたのお友達はいいオトモダチで関心するわぁ」
「あれ、僕のトモダチだけじゃないよね」
慎一郎は旧友らのくだけた様子に目を細める。表向きはスマートでも打ち解けるのに時間が掛かるタイプの彼らが、千晶の友人とは自然になじんでいる。
「トモダチじゃないってば、なんだろ、大学関係はしっくりくる言葉がみつからない。英語ならフレンドで済むけど、こう、日本語だと、んー、同期以上だけど、仲間ってもんでもないし、この先も」
「戦友――とも違うか。でも、こうして生き抜いてきた」
千晶は慎一郎と目を合わせ、また前に戻してから軽く頷いた。その横顔は憂いと清々しさが混じる。距離を置き置かれ、切り切られた関係あり、そして意外と続いている関係もある。
部屋を見回せば、ゲームに興じる――今日の誠仁の相手は千晶兄――テーブルがあり、ハートが飛んでいる一角があり、議論を交わすテーブルがあり、仮眠をとる者に、外へ出かけた者ありと、皆、夕飯までの時間を思い思いに過ごしている。
その夕飯を食べられるのかと心配になるほど軽食をついばむ席もある。千晶もクラブサンドに手を伸ばし、頬ばる。
「千晶ドレス似合ってるよ」
「…ありがと、これしか着替えが――って浴衣さぁ」
千晶の友人はほぼ東京近郊、泊まりや着替えの準備がないのも想定内である。慎一郎はにっこり微笑んだ。
「また芽がでるかしら?」
「ああ、たくさんね」
テラスから外へ出る。秋の夜はつるべ落とし、紫色の空には三日月。
外にもぱらぱらと人影がある。祖母と直嗣の母は幼子の手を引き、過去の思い出に浸る。洋装だった祖父は着流し姿で可愛い直嗣を何やらせっついている。七海は手風琴をぺーぽー慣らして仕組みを確かめ、その横でローウエストのワンピースを着た妻が微笑んでいる。
ラスカル二頭は千晶の両親と一旦家へ猫たちの様子を見に行った。
出る前に慎一郎にはこっそりと耳打ちとおねだりをして、千晶には『知らないおじちゃんに抱っこされたから三本毟ってやったの』とラスカル♀が確信犯的(誤用)にドヤり、ラスカル♂は藤堂さんちの詳細な見取り図をそっと渡してきた。しっかりちゃっかりした彼らは自らの力で海を行くのだろう、自分の手を放れるのは予想よりずっと早いかもしれない、千晶はそんな予感がした。
「誠仁が昔言ったんだ『きみんちの事情はわかるけれど、どんなひとからも学ぶことはあるんだよ』ってね。いい時期に行ったと思う」
サロンを振り返り、慎一郎はぽつりと話し始めた。千晶は軽く頷く。
「彼は何でも教えてくれた『知識は共有するもんだよ、面白さをわかりあえるだろ』同じことを言ったのがDD、いつも口論してたのに、日本に戻るときは泣いて抱き付かれた。彼が泣いたのは前に幽霊を見たって言って――」
「ふふっ」
どのエピソードも容易に想像できる、千晶は思い出したように笑った。つきあいを制限され、否応なく乗せられたレールの上の出会いをかけがえのないものにしたのは慎一郎自身の力だ。
「何かきいた? 彼らから」
「教えない」
勝ち誇ったような含んだ笑いは、くだらないことを知りすぎた顔だ、慎一郎は気まずそうにそっぽを向いた。
「全部忘れて」
忘れろって言われると記憶は強化される、そう返してきたのは誰だったか。千晶は今日の話を振り返って、ゆっくりと笑みを浮かべる。
手風琴がぽちぽちとメロディを奏で始めると、どこからかバイオリンも加わった。慎一郎の友人が千晶の女友達の手をひき、軽くステップを踏む。
誰が音頭を取るでもなく、この場にいる誰も彼もがそれぞれの考えで動いていて、それでもなんとなく形が整っている。そんな気取らない光景に二人は目を細めて頷く。
そこへ、まだまだ慎一郎を揶揄い足りない旧友二人が澄まし顔で近寄ってきた。
『シン、サファイヤブルーのレディと踊ってもいいかい?』
慎一郎から向けられた視線に千晶は軽く頷き返す。
『これ以上彼女におかしなこと吹き込まないと誓えるならね』
そうでなければ、と慎一郎が旧友――ノージャケットのブラックタイ、とその隣の――浴衣男の手を引いて重ねた。千晶サイドのゲストが男女半々なのでどうしても男が余るとはいえ。
『ははっ、そういえば二人のなれそめって?』
彼は教えてくれないんだ、一体何をやらかしたんだい?と手をつないだ二人が詰め寄る。
『さぁ?』
どうだったかな、と慎一郎は千晶に振る。
『さっき全部忘れろっていわれたばかりなの』
『そんな、記憶するより忘れることのほうが難しいというのに』
『しかし記憶も取り出さずにいると形を変えてしまうものだ。さぁ、』
『記憶を辿るのは苦いものさ、今日は振り返りすぎた、もういいだろう。俺は明日の命を考えるほうが大事なんだ』
慎一郎が千晶を見てから大袈裟に肩をすくめてみせると、旧友たちは何を想像したのか慎一郎の肩をたたく。
『今日くらいは明日のことを思い悩むな』
『墓まで持っていくつもりかい、懺悔するなら今だよ』
『いつ、どこで、何度会ったかは関係ない。その時一歩を踏み出すかどうかだ。それが好奇心からの一歩でも、勇気を振り絞ってでも』
慎一郎が思わせぶりに口角を上げると、皆もやれやれとかぶりをふった。きっと、誰もが心当たる。
『踊ろうか』
君たちは後にしてくれ、そう旧友に微笑み、慎一郎は千晶に手を差し出す。
千晶は渋々といった体でその手を重ねた。
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