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60話 理解
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国王がいるといないとでは、士気に歴然の差が出るだろう。実際に戦わなくとも、直接指示を出さなくとも、そこにいるだけでいいのだ。いわば、守り神のような存在である。人々の長たるものが我が身惜しさに逃げ隠れしていたら、士気は下がる。堂々と人前に出るからこそ長なのだ──という理屈ぐらいソフィアもわかっている。権力を持つ最高責任者がとるべき行動も理解しているつもりだ。力を得る代わりに責任が生じるのは当然のこと。だが、それが自分の身に降りかかるとなれば、話は別である。
責務だろうが義侠心だろうが、なんだろうが、愛しの旦那様には命をかけてほしくない。愛する人が奪われようとしていて、抵抗しない恋人などいるだろうか。
あなたは国王、最後の砦なのだから、仁義など置いて自身を守ることが一番の責務でしょう?──と、もっともらしいことを言うこともできた。
それをしなかった理由は二つある。一つは前国王がすでに、同じ道理をリヒャルトに説いていたと思われること。リヒャルトも言っていたように即位を早めたのは、戦地へ行くのをやめさせるためもあった。二つ目は、この理屈を使うのがとても卑怯なことのように感じたからだ。ソフィアのことがきっかけで戦争になった──その罪悪感はいまだ膨らみ続けている。
いくら駄々をこねようとも、頑として考えを曲げないリヒャルトに対し、ソフィアは横暴に振る舞った。罵り、恨み言を連ねる。暴力は言葉だけにとどまらず、肉体にまで及んだ。吸血虫のごとく吸い付き、リヒャルトの上半身をキスマークだらけにする。白い肌はドブ沼に入り、ヒルの大群に襲われたかのようになった。
口では死んでしまえばいいと悪態をつきながらも、しがみつく。少しでも油断したら、彼が消えてしまうとソフィアは思った。
泣き疲れ、ずっと気を張っていたせいだろう。鳥がさえずり始め、カーテンの隙間からもれる月光が青い光に変わるころには、ウトウトしてきた。腕の中のぬくもりが消えてしまわないように、絶対に逃さないように、抱きしめていたつもりだったのに──
ハッと起き上がったころには、ベッドはもぬけの殻だった。
「ルツ!! ルツ!! 起きて!! 出てきてちょうだい!!」
ソフィアは狂ったように叫び、呼び鈴を鳴らした。彼は行ってしまった。もう二度と会えないかもしれない。最後があんな別れ方だなんて……
隣接する小部屋から出てきたルツは落ち着いていた。
「ソフィア様、大丈夫ですじゃ。まだ陛下は発たれてはおりませぬ。今、主殿の前の中庭で騎士たちを集めておられるところですじゃ」
「じゃあ、すぐに行くわ!」
「お待ちください。身だしなみを整える時間ぐらいはありますのじゃ。さあ、お召し物を代えて準備いたしましょう」
ルツはすべて把握していた。ソフィアの心の内もわかっているのだろう。なにも聞いてこなかった。
顔を洗い、服をまとう。ソフィアは王妃にふさわしい落ち着いたモスグリーンのドレスを選んだ。レースやスカートの膨らみは控えめでも、胸の部分に細かい文様が縫い込まれている。
ルツは無言でコルセットの紐を通し、赤毛は別の侍女に編ませた。
「ルツ、わたくしって最低ね。兵士たちのことは戦地へ向かわせるくせに、自分の夫を引き留めようとするなんて……」
ルツはなにも答えない。紐がシュルシュルと穴を通る音だけがする。
「わたくしがリエーヴに来なければ、戦争にはならなかったでしょう。とんだ疫病神だわ。ルシアやセルペンスが言うように、無能で愚かよ」
キュッと背中で紐を結ばれる。いったん、キツくしたのをルツは緩めた。
「牧場でがんばってくれているノアからボドを奪って、平気な顔をしていた。事業拡大のためよ。自分の利益のために仲間から恋人を奪ったの。こんなことになったのは、自業自得ね」
ルツはガウンの前身頃のホックを留めている。髪もそろそろ編み終わるころだろうか。今日は三本作った三つ編みをまた三つ編みにしてまとめてもらった。簡単だがほつれにくく、見た目もゴージャスだ。
ひと通り懺悔も終わり、ソフィアは返事のないのが気になってきた。自虐的な独白が欲しているのは、「そんなことない」や「あなたは悪くない」といった甘い擁護の言葉である。慰めを得るために自己を否定するという行為が卑しいことぐらい、ソフィアはわかっていた。こんな主だから、とうとう愛想をつかされたのかもしれない、とも思った。
「ねぇ、ルツ? なんで黙っているの?」
「今、婆がなにを申しても、ソフィア様はお聞きになりませんじゃろう。すでにお心は決まっているはず」
「そんなことないわ。子供みたいに自分がどうすればいいか、わからないの。感情をぶつけることしかできず、妻としても王妃としても、ふさわしくない……」
「ソフィア様、妊娠のことは陛下にお話しされましたか?」
なぜ、唐突にこんなことを聞いてくるのか。ソフィアは戸惑いながらも、小さな声で答えた。
「いいえ……」
「ならば、答えはもう出ておられますじゃろう?」
当然のごとく言い切る。ルツは全部呑みこみ咀嚼し、ソフィア本人より理解していたのだ。
決して忘れていたわけではなかった。そのことを口にすれば、リヒャルトの決意が揺らぐこともわかっていた。あえて蓋をし隠し通すことで、ソフィアは彼を自由にしたのである。
「妊娠を伝えれば、陛下に枷を負わせてしまうと、わざと黙っておられたんじゃろう? ご自分を犠牲にされたんじゃ」
ソフィアは返事の代わりに涙を流した。昨晩、さんざん泣いたのにまだ出るとは不思議だ。だが、一滴だけにとどめた。泣いている場合ではない。
ソフィアはかぎ針編みのショールをいつものブローチで留めた。髪の色と同じ赤い闘牛。もう赤牛夫人ではなく王妃だが、心持ちは変わらない。愛する旦那様にちゃんと最後の別れをしなくては。
ソフィアは鏡台の引き出しから、たくさんの宝石が埋め込まれたダガーを取り出し、ルツに持たせた。
責務だろうが義侠心だろうが、なんだろうが、愛しの旦那様には命をかけてほしくない。愛する人が奪われようとしていて、抵抗しない恋人などいるだろうか。
あなたは国王、最後の砦なのだから、仁義など置いて自身を守ることが一番の責務でしょう?──と、もっともらしいことを言うこともできた。
それをしなかった理由は二つある。一つは前国王がすでに、同じ道理をリヒャルトに説いていたと思われること。リヒャルトも言っていたように即位を早めたのは、戦地へ行くのをやめさせるためもあった。二つ目は、この理屈を使うのがとても卑怯なことのように感じたからだ。ソフィアのことがきっかけで戦争になった──その罪悪感はいまだ膨らみ続けている。
いくら駄々をこねようとも、頑として考えを曲げないリヒャルトに対し、ソフィアは横暴に振る舞った。罵り、恨み言を連ねる。暴力は言葉だけにとどまらず、肉体にまで及んだ。吸血虫のごとく吸い付き、リヒャルトの上半身をキスマークだらけにする。白い肌はドブ沼に入り、ヒルの大群に襲われたかのようになった。
口では死んでしまえばいいと悪態をつきながらも、しがみつく。少しでも油断したら、彼が消えてしまうとソフィアは思った。
泣き疲れ、ずっと気を張っていたせいだろう。鳥がさえずり始め、カーテンの隙間からもれる月光が青い光に変わるころには、ウトウトしてきた。腕の中のぬくもりが消えてしまわないように、絶対に逃さないように、抱きしめていたつもりだったのに──
ハッと起き上がったころには、ベッドはもぬけの殻だった。
「ルツ!! ルツ!! 起きて!! 出てきてちょうだい!!」
ソフィアは狂ったように叫び、呼び鈴を鳴らした。彼は行ってしまった。もう二度と会えないかもしれない。最後があんな別れ方だなんて……
隣接する小部屋から出てきたルツは落ち着いていた。
「ソフィア様、大丈夫ですじゃ。まだ陛下は発たれてはおりませぬ。今、主殿の前の中庭で騎士たちを集めておられるところですじゃ」
「じゃあ、すぐに行くわ!」
「お待ちください。身だしなみを整える時間ぐらいはありますのじゃ。さあ、お召し物を代えて準備いたしましょう」
ルツはすべて把握していた。ソフィアの心の内もわかっているのだろう。なにも聞いてこなかった。
顔を洗い、服をまとう。ソフィアは王妃にふさわしい落ち着いたモスグリーンのドレスを選んだ。レースやスカートの膨らみは控えめでも、胸の部分に細かい文様が縫い込まれている。
ルツは無言でコルセットの紐を通し、赤毛は別の侍女に編ませた。
「ルツ、わたくしって最低ね。兵士たちのことは戦地へ向かわせるくせに、自分の夫を引き留めようとするなんて……」
ルツはなにも答えない。紐がシュルシュルと穴を通る音だけがする。
「わたくしがリエーヴに来なければ、戦争にはならなかったでしょう。とんだ疫病神だわ。ルシアやセルペンスが言うように、無能で愚かよ」
キュッと背中で紐を結ばれる。いったん、キツくしたのをルツは緩めた。
「牧場でがんばってくれているノアからボドを奪って、平気な顔をしていた。事業拡大のためよ。自分の利益のために仲間から恋人を奪ったの。こんなことになったのは、自業自得ね」
ルツはガウンの前身頃のホックを留めている。髪もそろそろ編み終わるころだろうか。今日は三本作った三つ編みをまた三つ編みにしてまとめてもらった。簡単だがほつれにくく、見た目もゴージャスだ。
ひと通り懺悔も終わり、ソフィアは返事のないのが気になってきた。自虐的な独白が欲しているのは、「そんなことない」や「あなたは悪くない」といった甘い擁護の言葉である。慰めを得るために自己を否定するという行為が卑しいことぐらい、ソフィアはわかっていた。こんな主だから、とうとう愛想をつかされたのかもしれない、とも思った。
「ねぇ、ルツ? なんで黙っているの?」
「今、婆がなにを申しても、ソフィア様はお聞きになりませんじゃろう。すでにお心は決まっているはず」
「そんなことないわ。子供みたいに自分がどうすればいいか、わからないの。感情をぶつけることしかできず、妻としても王妃としても、ふさわしくない……」
「ソフィア様、妊娠のことは陛下にお話しされましたか?」
なぜ、唐突にこんなことを聞いてくるのか。ソフィアは戸惑いながらも、小さな声で答えた。
「いいえ……」
「ならば、答えはもう出ておられますじゃろう?」
当然のごとく言い切る。ルツは全部呑みこみ咀嚼し、ソフィア本人より理解していたのだ。
決して忘れていたわけではなかった。そのことを口にすれば、リヒャルトの決意が揺らぐこともわかっていた。あえて蓋をし隠し通すことで、ソフィアは彼を自由にしたのである。
「妊娠を伝えれば、陛下に枷を負わせてしまうと、わざと黙っておられたんじゃろう? ご自分を犠牲にされたんじゃ」
ソフィアは返事の代わりに涙を流した。昨晩、さんざん泣いたのにまだ出るとは不思議だ。だが、一滴だけにとどめた。泣いている場合ではない。
ソフィアはかぎ針編みのショールをいつものブローチで留めた。髪の色と同じ赤い闘牛。もう赤牛夫人ではなく王妃だが、心持ちは変わらない。愛する旦那様にちゃんと最後の別れをしなくては。
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