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その三
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とうとう来てしまいました。わたくしがカルロから不貞をでっち上げられ、家族の前で断罪され、殺される日が……
婚約お披露目パーティーの日、わたくしは飾り気のない黒いドレスを選びました。まえはピンクの派手派手のドレスでアクセサリーもたくさんつけていたのを一変。アメジストのネックレスとピアスだけにしました。大広間に下りたわたくしの姿を見て両親はギョッとしていましたが、気にはしません。約束通りカルロは現れませんでした。カルロの父プルーヴィア公は違う馬車で来られていて、カルロの不在をしきりに謝ってきました。
「なにか事故にあったのかもしれない。今、人をやって調べさせているところだ。せっかくのめでたいパーティーにすまない」
わたくしのほうは微笑んで、「どうか、お気になさらず」となるべく優雅にふるまいました。公爵閣下は息子の不在に気を取られ、わたくしの地味な装いは目に入らないようです。
広間には両家の友人、親戚が集まっていました。誰もが見知った顔です。ひとまず、わたくしは心を落ち着けました。
ひととおり挨拶を終え、ホッと一息。わたくしの喪服姿にツッコミを入れる人、凝視する人、笑ってくる人、心配する人……さまざまでした。わたくしが弾劾される気配はありません。カルロはいないし、もしかしたら乗り越えられるかもと、わたくしは頬を緩めました。
……と、わたくしの腕を強くつかむ人がいます。最強の鉄女、侍女のマルタ。
「お嬢様、あれ……」
いつになく、怯えた表情のマルタの指差す先には彼女がいました。そう、彼女。クララが!
わたくし、体温が急激に下がっていく感じがしましたの。それこそ、氷室に入った時と同じですわ。サァーーーーと全身が冷たくなりました。
わたくしと目が合ったクララは口元を歪ませ、笑顔になりました。それがまた不気味で……目が空洞のように無感情なのですよ。悪寒がゾワッと全身を駆け抜けていきました。
クララは招待していません。ここにいるのは明らかにおかしいのです。わたくしが死ぬ未来で彼女はカルロに同伴していました。まさかと思い、もう一度見回しましたが、カルロの姿は見えません。わたくしはいても立ってもいられなくなりました。
「あっ! お嬢様!!」
わたくしはマルタの手を振り払い、クララの所へズンズン歩いていきました。クララはヒラリ身をかわし、人の波を通り抜けます。わたくしの足は自然と早くなりました。
「お嬢様、お待ちくださいっっ!!」
ちょうど、厨房からやってきたお料理のワゴンがわたくしとマルタの間を分断しました。わたくしは一瞬振り返り、マルタを置いて走り出しました。クララが走り出したからです。ここはわたくしの家です。勝手なことは許しません。呼ばれてもいないのに来るのは不法侵入ではないですか!
クララは大広間を突っ切り、階段を上り始めました。普段、か弱そうに見せかけて、なんという速さなのでしょう。小ずるいネズミを思わせるすばしこさです。わたくしは肩で息をし、クララを追いかけました。彼女は家族の居室が並ぶ四階まで上りました。そして、回廊のガラス戸を開け、バルコニーへと。わたくしはまったく躊躇わず、彼女を追いかけました。
「……ハァハァ……どう……いうことなの!? なんで……あなたがここに……」
息を切らし、追いついたわたくしをクララは嘲りました。
「行くのをやめた方から、招待状を譲っていただいんですわ」
「なにそれ? 招待してもいないのに来ないでちょうだい!」
「せっかくお祝いして差し上げようと思ったのに……でも、婚約相手のカルロ様がいらっしゃらないのは残念ですわね?」
クララはわたくしの知っているおとなしい雰囲気ではありませんでした。栗色の髪はふわふわして、かわいらしさを演出していましたけれども、鋭い目つきや声音には凄みがありました。
そして、彼女の背後からニュッと大きい男が出てきたので、わたくしは体をこわばらせました。男の手には短剣が握られています。
本性を現した牝狐クララは高笑いしました。
「ルーチャ、わたし、ずっとあなたのことが大嫌いだったの。派手で人気者のあなたは、わたしの存在なんか意識もしてなかったでしょうけど。わたしはね、あなたより利口だし美貌もある。向上心もある。親の権威を笠に着るあなたとは大違いなのよ。家柄だけでチヤホヤされて、あたかも自分が特別だというふうに振る舞って、高慢で奔放なあなたが大嫌い」
わたくしは彼らを刺激しないよう、摺り足で一歩下がりました。もう終わりかもしれません。頼みの綱のマルタの足音はまだ聞こえてきません。たぶん、見失われたのでしょう。
「カルロ様はわたしの物よ。あなたになんか、絶対渡さない」
盲愛の成れの果てでしょうか。彼女の目からは狂気がほとばしっていました。上下する自分の胸元がどんどん早くなっていくのを見て、わたくしは目眩を覚えました。圧倒的な殺意を持つ相手に対し、わたくしは自衛する術を持ちません。
「婚約者にフラれたショックで自殺したことにしましょう。それにピッタリの黒いドレスじゃない?」
クックックッと声を押し殺して笑うクララは魔女のようでした。きっと、前回も同じように自殺を装い、殺されたにちがいありません。わたくし、蛇ににらまれた蛙になって一ミリも動けなくなってしまったのです。短剣を手に大男が近づいてきます。それなのに、わたくしは声すら出せませんでした。
(もう、おしまいね……)
ギュッと目をつぶったその時、クララが悲鳴を上げました。見ると、わたくしに覆い被さらんとしている男の背後から、その腕をつかむ人がいます。
「カルロ!!!」
カルロは男の腕をねじ曲げ、顔に拳を叩き込みました。男が膝をついた隙にもう一発。その間に男は短剣を落としてしまいました。しかし、男も反撃します。戦い慣れているのでしょう。男は即座に体勢を立て直して、カルロの頬に打ち込んできました。わたくしは、気が気ではありません。
男が落とした短剣に手を伸ばしたところ、クララに取られてしまいました。クララは一寸の躊躇なく、こちらへ突進してきます。わたくしはバルコニーの手すりに追い詰められました。
(ああ、前回と同じように刺されて落とされるのかしら……)
今度こそ終わりだと、わたくしは覚悟を決めました。
「クララ! やめるんだ!!」
カルロの叫び声が聞こえなかったら、間違いなく刺されていたでしょう。戦いながら、カルロは声をかけてくれたのです。クララは一瞬止まりました。そのわずかな隙にわたくしは決死の覚悟で彼女に体当たりしました。
わたくしに押し倒され、クララは頭を打ったかもしれません。状況は逆転しました。倒れた彼女の手から短剣が離れたので、わたくしはそれを奪おうと思いました。短剣はコロコロと転がっていきます。わたくしとクララ、二人の女の手が争いながら凶器へ這っていきます。また、秒未満のスピードで彼女が勝っていました。わたくしの弱い手は悪女の手に追いやられました。ふたたび刃を得たクララはそれをわたくしに向け……
「そこまでです!!」
すんでのところで、マルタの声が時を止めました。ガラス戸の向こう、回廊には何人もの兵士がいます。やっと、助けに来てくれたのです。
「クララ・ガブリエッラ・アヴェルリーノ。あなたを不法侵入及び殺人未遂の罪で摘発します。この兵士たちはカルロ様が手配してくださいました。王城からお借りした者たちです。公の場で裁かれるがいいです」
兵士を引き連れ、毅然としたマルタの姿は神々しくて戦女神かと思いました。いつも鉄女だとか、小姑だとか思ってごめんなさいね……わたくしは全身から力が抜けていくのを感じていました。
すると、背後で断末魔の叫びが聞こえました。カルロともみ合っていた男が突き落とされたのです。
皆がそれに気を取られている間、クララは行動に出ました。呼び止める時間も与えず身を翻し、手すりを飛び越えてしまったのです。
「あっ!!」
わたくしが駆け寄った時にはもう、すべて終わっていました。手すりから身を乗り出して下を見ると、クララは庭園の花を血で汚していました。胸元に短剣が刺さっているところをみると、落ちる直前に自分で刺したのでしょう。その横にはクララのしもべと思われる男が花壇の囲いの石に頭をぶつけ、息絶えていました。
驚いた顔で固まった二人はよくできた蝋人形のようにも見えました。死ぬ直前まで狂気に満ちていた目もガラス玉みたいで怨念は感じられません。だから、わたくしは不思議と恐怖せずにいられたのです。明るい月が二人の亡骸を優しく照らしていました。
目に大きな痣を作り、鼻血をダラダラ垂らしたカルロがわたくしを抱きしめました。気抜けしてしまい、わたくしは夢見心地で身を任せました。今までカルロに抱いていた嫌悪感は消えています。わたくしはただ、温かい腕の中で彼の鼓動を感じていたいだけでした。
※※※※※※※※
カルロは「死ぬ」というわたくしの言葉が、ずっと気になっていたそうです。わたくしが誰かに狙われているのではないか? 自分と関わりのある人物が関係しているのではないか? ゆえに自分は拒絶されているのではないか? そのように考えた彼はわたくしの知らないところで、侍女のマルタを問いただし、わたくしが一度死んだことを知りました。カルロはその話を与太話と受け止めず、終始真剣な顔で聞いていたといいます。すべて聞き終わったカルロはわたくしを救うため、全面的に協力すると誓ってくれました。急遽、公爵令息の名を使い、王城から衛兵を借りてきたのです。
パーティー当日、兵士をこっそり屋敷の裏手に待機させ、カルロは見張っていました。クララと例の男が現れたのは招待客がだいたい出揃ったころでしょうか。カルロは彼らを尾行しました。四階バルコニーで男は待機し、クララは階段を下りていきます。男に気づかれないよう、カルロは別のガラス戸の前で息をひそめました。わたくしがクララを追ってバルコニーに来た時、見つかると思い、カルロはヒヤッとしたそうです。わたくしは追うのに夢中で、少し離れたガラス戸に彼がいたことに気づきませんでした。カルロは壁にぺったり張り付き、装飾を凝らした窓枠の影に隠れていたのです。
クララの遺品からはカルロへの愛がみっちり綴られた日記が見つかりました。彼のことを知った時期はわたくしと同じくらい。わたくしとカルロが急接近するのを遠目から眺め、嫉妬心を募らせていったのだと思われます。
「なにが理由で恨まれるか、わからないものね? 今、自分がここにいられるのが不思議」
「君が死んで戻ってきてくれてよかった。もしそれがなかったかと思うと、ゾッとするよ」
「まだ、完全に許したわけじゃないですからね」
片目に包帯を巻いたカルロとわたくしは腕を組み、静養先の庭園を歩いていました。自邸で起こった事件ですから両親はわたくしを心配し、湖のほとりのささやかな別荘へと避難させたのです。しばらくそこで気持ちが回復するまで養生しなさいと。カルロもついてきました。
庭園の終わりには湖が広がり、巨大な鏡となって別荘と青空を映し出しています。白鳥が一羽、凛とした姿勢でこちらへ泳いできました。見とれてしまう景色は傷ついた心を癒してくれるものです。
不意にカルロがわたくしの前にひざまずきました。
「ルーチャ、どうかもう一度、僕の気持ちを受け入れてほしい。結婚してください」
わたくしは片目を包帯で隠したカルロの顔を見つめました。初めて会った時とちがい、その黒い瞳には強い決意が宿っていました。彼はこの事件を通じて変わったのです。優柔不断の優男だったのが、命がけでわたくしを守ってくれました。
わたくしは黙って左手を差し出しました。指にはめられる金属のヒヤッとした感触がほてった体を冷まします。あのパーティー当日に渡される予定だった婚約指輪でした。なんの因果か、あの日わたくしが身に着けていたのと同じアメジストがはめ込まれています。大きくカットされたその周りをダイヤが囲っていました。じつはわたくし、普段アメジストは身に着けません。もっと派手な宝石が好きなのですよ。あの日はたまたまでした。
「き、君には地味だったろうか? もし気に入らなければ、作り直すけど……」
カルロがオドオドした口調で言うのを聞き、わたくしはキッとにらみました。
「そういう自信のない態度がイヤなの。もちろん、事前にわたくしの好みをリサーチする必要はあったわよね? でも、もっと堂々としていただきたいのです。そう、情けない態度だと信じていいか不安になるでしょう?」
せっかくのいい雰囲気が台無しになったところで、わたくしは金色の後れ毛を耳にかけ、彼から離れようとしました。今日は両端だけ編み込みハーフアップにしています。彼が髪を垂らしていたほうが喜ぶからです。
しかし、背を向けた瞬間、強い力で肩をつかまれました。また不意打ちでした。逃れる間もなく、わたくしは唇をふさがれました。強引にキスをされてしまったのです。
「自信のないのがイヤだと言うから」
唇を離したカルロの黒い瞳に射られ、わたくしの顔は熱くなりました。荒れ狂う鼓動を感づかれまいと逃れようとしても、彼の逞しい腕が離してはくれません。
「もう二度と君を逃すものか」
彼の熱い呼気がわたくしの耳を湿らせ、観念することにしました。もう、好きにして。わたくしはあなたのモノです。だから、今度は絶対に失わないでね。
咲き乱れるスミレが風に揺れ、わたくしたちを祝福してくれているかのようでした。柔らかい日差し、それを受けてきらめく湖のさざなみ、ツンと反ったお尻の羽を見せつけ去っていく白鳥。そのどれもが美しく、わたくしの心に刻まれました。
別荘のほうからわたくしたちを呼ぶマルタの声が聞こえ、カルロの腕は緩みました。昼食の支度ができたのでしょう。わたくしは彼に腕を絡ませ、歩き始めました。
了
婚約お披露目パーティーの日、わたくしは飾り気のない黒いドレスを選びました。まえはピンクの派手派手のドレスでアクセサリーもたくさんつけていたのを一変。アメジストのネックレスとピアスだけにしました。大広間に下りたわたくしの姿を見て両親はギョッとしていましたが、気にはしません。約束通りカルロは現れませんでした。カルロの父プルーヴィア公は違う馬車で来られていて、カルロの不在をしきりに謝ってきました。
「なにか事故にあったのかもしれない。今、人をやって調べさせているところだ。せっかくのめでたいパーティーにすまない」
わたくしのほうは微笑んで、「どうか、お気になさらず」となるべく優雅にふるまいました。公爵閣下は息子の不在に気を取られ、わたくしの地味な装いは目に入らないようです。
広間には両家の友人、親戚が集まっていました。誰もが見知った顔です。ひとまず、わたくしは心を落ち着けました。
ひととおり挨拶を終え、ホッと一息。わたくしの喪服姿にツッコミを入れる人、凝視する人、笑ってくる人、心配する人……さまざまでした。わたくしが弾劾される気配はありません。カルロはいないし、もしかしたら乗り越えられるかもと、わたくしは頬を緩めました。
……と、わたくしの腕を強くつかむ人がいます。最強の鉄女、侍女のマルタ。
「お嬢様、あれ……」
いつになく、怯えた表情のマルタの指差す先には彼女がいました。そう、彼女。クララが!
わたくし、体温が急激に下がっていく感じがしましたの。それこそ、氷室に入った時と同じですわ。サァーーーーと全身が冷たくなりました。
わたくしと目が合ったクララは口元を歪ませ、笑顔になりました。それがまた不気味で……目が空洞のように無感情なのですよ。悪寒がゾワッと全身を駆け抜けていきました。
クララは招待していません。ここにいるのは明らかにおかしいのです。わたくしが死ぬ未来で彼女はカルロに同伴していました。まさかと思い、もう一度見回しましたが、カルロの姿は見えません。わたくしはいても立ってもいられなくなりました。
「あっ! お嬢様!!」
わたくしはマルタの手を振り払い、クララの所へズンズン歩いていきました。クララはヒラリ身をかわし、人の波を通り抜けます。わたくしの足は自然と早くなりました。
「お嬢様、お待ちくださいっっ!!」
ちょうど、厨房からやってきたお料理のワゴンがわたくしとマルタの間を分断しました。わたくしは一瞬振り返り、マルタを置いて走り出しました。クララが走り出したからです。ここはわたくしの家です。勝手なことは許しません。呼ばれてもいないのに来るのは不法侵入ではないですか!
クララは大広間を突っ切り、階段を上り始めました。普段、か弱そうに見せかけて、なんという速さなのでしょう。小ずるいネズミを思わせるすばしこさです。わたくしは肩で息をし、クララを追いかけました。彼女は家族の居室が並ぶ四階まで上りました。そして、回廊のガラス戸を開け、バルコニーへと。わたくしはまったく躊躇わず、彼女を追いかけました。
「……ハァハァ……どう……いうことなの!? なんで……あなたがここに……」
息を切らし、追いついたわたくしをクララは嘲りました。
「行くのをやめた方から、招待状を譲っていただいんですわ」
「なにそれ? 招待してもいないのに来ないでちょうだい!」
「せっかくお祝いして差し上げようと思ったのに……でも、婚約相手のカルロ様がいらっしゃらないのは残念ですわね?」
クララはわたくしの知っているおとなしい雰囲気ではありませんでした。栗色の髪はふわふわして、かわいらしさを演出していましたけれども、鋭い目つきや声音には凄みがありました。
そして、彼女の背後からニュッと大きい男が出てきたので、わたくしは体をこわばらせました。男の手には短剣が握られています。
本性を現した牝狐クララは高笑いしました。
「ルーチャ、わたし、ずっとあなたのことが大嫌いだったの。派手で人気者のあなたは、わたしの存在なんか意識もしてなかったでしょうけど。わたしはね、あなたより利口だし美貌もある。向上心もある。親の権威を笠に着るあなたとは大違いなのよ。家柄だけでチヤホヤされて、あたかも自分が特別だというふうに振る舞って、高慢で奔放なあなたが大嫌い」
わたくしは彼らを刺激しないよう、摺り足で一歩下がりました。もう終わりかもしれません。頼みの綱のマルタの足音はまだ聞こえてきません。たぶん、見失われたのでしょう。
「カルロ様はわたしの物よ。あなたになんか、絶対渡さない」
盲愛の成れの果てでしょうか。彼女の目からは狂気がほとばしっていました。上下する自分の胸元がどんどん早くなっていくのを見て、わたくしは目眩を覚えました。圧倒的な殺意を持つ相手に対し、わたくしは自衛する術を持ちません。
「婚約者にフラれたショックで自殺したことにしましょう。それにピッタリの黒いドレスじゃない?」
クックックッと声を押し殺して笑うクララは魔女のようでした。きっと、前回も同じように自殺を装い、殺されたにちがいありません。わたくし、蛇ににらまれた蛙になって一ミリも動けなくなってしまったのです。短剣を手に大男が近づいてきます。それなのに、わたくしは声すら出せませんでした。
(もう、おしまいね……)
ギュッと目をつぶったその時、クララが悲鳴を上げました。見ると、わたくしに覆い被さらんとしている男の背後から、その腕をつかむ人がいます。
「カルロ!!!」
カルロは男の腕をねじ曲げ、顔に拳を叩き込みました。男が膝をついた隙にもう一発。その間に男は短剣を落としてしまいました。しかし、男も反撃します。戦い慣れているのでしょう。男は即座に体勢を立て直して、カルロの頬に打ち込んできました。わたくしは、気が気ではありません。
男が落とした短剣に手を伸ばしたところ、クララに取られてしまいました。クララは一寸の躊躇なく、こちらへ突進してきます。わたくしはバルコニーの手すりに追い詰められました。
(ああ、前回と同じように刺されて落とされるのかしら……)
今度こそ終わりだと、わたくしは覚悟を決めました。
「クララ! やめるんだ!!」
カルロの叫び声が聞こえなかったら、間違いなく刺されていたでしょう。戦いながら、カルロは声をかけてくれたのです。クララは一瞬止まりました。そのわずかな隙にわたくしは決死の覚悟で彼女に体当たりしました。
わたくしに押し倒され、クララは頭を打ったかもしれません。状況は逆転しました。倒れた彼女の手から短剣が離れたので、わたくしはそれを奪おうと思いました。短剣はコロコロと転がっていきます。わたくしとクララ、二人の女の手が争いながら凶器へ這っていきます。また、秒未満のスピードで彼女が勝っていました。わたくしの弱い手は悪女の手に追いやられました。ふたたび刃を得たクララはそれをわたくしに向け……
「そこまでです!!」
すんでのところで、マルタの声が時を止めました。ガラス戸の向こう、回廊には何人もの兵士がいます。やっと、助けに来てくれたのです。
「クララ・ガブリエッラ・アヴェルリーノ。あなたを不法侵入及び殺人未遂の罪で摘発します。この兵士たちはカルロ様が手配してくださいました。王城からお借りした者たちです。公の場で裁かれるがいいです」
兵士を引き連れ、毅然としたマルタの姿は神々しくて戦女神かと思いました。いつも鉄女だとか、小姑だとか思ってごめんなさいね……わたくしは全身から力が抜けていくのを感じていました。
すると、背後で断末魔の叫びが聞こえました。カルロともみ合っていた男が突き落とされたのです。
皆がそれに気を取られている間、クララは行動に出ました。呼び止める時間も与えず身を翻し、手すりを飛び越えてしまったのです。
「あっ!!」
わたくしが駆け寄った時にはもう、すべて終わっていました。手すりから身を乗り出して下を見ると、クララは庭園の花を血で汚していました。胸元に短剣が刺さっているところをみると、落ちる直前に自分で刺したのでしょう。その横にはクララのしもべと思われる男が花壇の囲いの石に頭をぶつけ、息絶えていました。
驚いた顔で固まった二人はよくできた蝋人形のようにも見えました。死ぬ直前まで狂気に満ちていた目もガラス玉みたいで怨念は感じられません。だから、わたくしは不思議と恐怖せずにいられたのです。明るい月が二人の亡骸を優しく照らしていました。
目に大きな痣を作り、鼻血をダラダラ垂らしたカルロがわたくしを抱きしめました。気抜けしてしまい、わたくしは夢見心地で身を任せました。今までカルロに抱いていた嫌悪感は消えています。わたくしはただ、温かい腕の中で彼の鼓動を感じていたいだけでした。
※※※※※※※※
カルロは「死ぬ」というわたくしの言葉が、ずっと気になっていたそうです。わたくしが誰かに狙われているのではないか? 自分と関わりのある人物が関係しているのではないか? ゆえに自分は拒絶されているのではないか? そのように考えた彼はわたくしの知らないところで、侍女のマルタを問いただし、わたくしが一度死んだことを知りました。カルロはその話を与太話と受け止めず、終始真剣な顔で聞いていたといいます。すべて聞き終わったカルロはわたくしを救うため、全面的に協力すると誓ってくれました。急遽、公爵令息の名を使い、王城から衛兵を借りてきたのです。
パーティー当日、兵士をこっそり屋敷の裏手に待機させ、カルロは見張っていました。クララと例の男が現れたのは招待客がだいたい出揃ったころでしょうか。カルロは彼らを尾行しました。四階バルコニーで男は待機し、クララは階段を下りていきます。男に気づかれないよう、カルロは別のガラス戸の前で息をひそめました。わたくしがクララを追ってバルコニーに来た時、見つかると思い、カルロはヒヤッとしたそうです。わたくしは追うのに夢中で、少し離れたガラス戸に彼がいたことに気づきませんでした。カルロは壁にぺったり張り付き、装飾を凝らした窓枠の影に隠れていたのです。
クララの遺品からはカルロへの愛がみっちり綴られた日記が見つかりました。彼のことを知った時期はわたくしと同じくらい。わたくしとカルロが急接近するのを遠目から眺め、嫉妬心を募らせていったのだと思われます。
「なにが理由で恨まれるか、わからないものね? 今、自分がここにいられるのが不思議」
「君が死んで戻ってきてくれてよかった。もしそれがなかったかと思うと、ゾッとするよ」
「まだ、完全に許したわけじゃないですからね」
片目に包帯を巻いたカルロとわたくしは腕を組み、静養先の庭園を歩いていました。自邸で起こった事件ですから両親はわたくしを心配し、湖のほとりのささやかな別荘へと避難させたのです。しばらくそこで気持ちが回復するまで養生しなさいと。カルロもついてきました。
庭園の終わりには湖が広がり、巨大な鏡となって別荘と青空を映し出しています。白鳥が一羽、凛とした姿勢でこちらへ泳いできました。見とれてしまう景色は傷ついた心を癒してくれるものです。
不意にカルロがわたくしの前にひざまずきました。
「ルーチャ、どうかもう一度、僕の気持ちを受け入れてほしい。結婚してください」
わたくしは片目を包帯で隠したカルロの顔を見つめました。初めて会った時とちがい、その黒い瞳には強い決意が宿っていました。彼はこの事件を通じて変わったのです。優柔不断の優男だったのが、命がけでわたくしを守ってくれました。
わたくしは黙って左手を差し出しました。指にはめられる金属のヒヤッとした感触がほてった体を冷まします。あのパーティー当日に渡される予定だった婚約指輪でした。なんの因果か、あの日わたくしが身に着けていたのと同じアメジストがはめ込まれています。大きくカットされたその周りをダイヤが囲っていました。じつはわたくし、普段アメジストは身に着けません。もっと派手な宝石が好きなのですよ。あの日はたまたまでした。
「き、君には地味だったろうか? もし気に入らなければ、作り直すけど……」
カルロがオドオドした口調で言うのを聞き、わたくしはキッとにらみました。
「そういう自信のない態度がイヤなの。もちろん、事前にわたくしの好みをリサーチする必要はあったわよね? でも、もっと堂々としていただきたいのです。そう、情けない態度だと信じていいか不安になるでしょう?」
せっかくのいい雰囲気が台無しになったところで、わたくしは金色の後れ毛を耳にかけ、彼から離れようとしました。今日は両端だけ編み込みハーフアップにしています。彼が髪を垂らしていたほうが喜ぶからです。
しかし、背を向けた瞬間、強い力で肩をつかまれました。また不意打ちでした。逃れる間もなく、わたくしは唇をふさがれました。強引にキスをされてしまったのです。
「自信のないのがイヤだと言うから」
唇を離したカルロの黒い瞳に射られ、わたくしの顔は熱くなりました。荒れ狂う鼓動を感づかれまいと逃れようとしても、彼の逞しい腕が離してはくれません。
「もう二度と君を逃すものか」
彼の熱い呼気がわたくしの耳を湿らせ、観念することにしました。もう、好きにして。わたくしはあなたのモノです。だから、今度は絶対に失わないでね。
咲き乱れるスミレが風に揺れ、わたくしたちを祝福してくれているかのようでした。柔らかい日差し、それを受けてきらめく湖のさざなみ、ツンと反ったお尻の羽を見せつけ去っていく白鳥。そのどれもが美しく、わたくしの心に刻まれました。
別荘のほうからわたくしたちを呼ぶマルタの声が聞こえ、カルロの腕は緩みました。昼食の支度ができたのでしょう。わたくしは彼に腕を絡ませ、歩き始めました。
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