恋歌(れんか)~忍れど~

ふるは ゆう

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夏 一歌

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 【花曇り 講義の部屋のスクリーン】

 六月の梅雨の季節はうっとうしい、ましてや真剣に講義を受ける俺の隣で、真剣にスマホゲームをやっている奴がいると思うと余計にうっとうしかった。
「お前、どっか他の場所でやったらどうだ?」
 俺はこの邪魔なだけの生き物に顔も向けずにつぶやいた。
定家ていかくん、つれないな……一緒に濡れちゃった仲じゃないか」
 俺の隣を占拠している有害物はニヤニヤしながらそう言った。
「……お前、いつか駆除されるぞ……」
 結局、隣に座った忍は講義が終わるまで俺の隣に居座ったのだった。

「う~ん」
 やがて講義も終わり、背伸びをしながら忍は立ち上がって俺に言った。
「お昼混んじゃうから早く行こうよ。高子たかいこと待ち合わせしてるんだ。さあ、行こう!」
 そう言って忍は俺を急かす。
「高子もお前と同じ科目取ってたよな?」
「うん、そうだよ。あの子真面目だから、ちゃんと出るって。出欠取らないのにね」
 忍は不思議そうにそう答えた。どうやらこいつの中では出欠を取らないイコール、出なくて良い。になっているようだった。
(大丈夫か単位?)

 俺たちが学食の前を通ると、学食の窓際にもうすでに高子は座っていた。俺たちに気付いて軽く手を振る。
「ほら、定家ていかくんがグズグズしているから、出遅れちゃったじゃない。さあ、行くよ」
 そう言って忍が俺の袖を引いて学食へと入っていった。

「ゴメン、ゴメン。定家ていかくんがグズグズしてて遅くなっちゃったよ」
「俺のせい? 俺、講義ちゃんと受けてたんだぜ」
 そんな事を言いながら忍は高子の隣、俺は正面にそれぞれ腰を下ろした。
「大丈夫だよ。わたしも今、来たばっかりだから」
 二人のコントのような会話が嬉しいとばかり、高子は微笑んだ。
「業平くんは、最近顔見ないね」
 忍が麺をすすりながら俺に聞く。
「アイツ、サークルを掛け持ちしてて、なんだか忙しいみたいだ。もう夏の合宿とか計画しているみたいだぞ!」
「頑張ってるね。定家ていかくんと違って……」
「オイ、オイ。俺たちの本業は勉学だぜ! 先ずは試験、これをクリアしないと楽しい夏休みは来ないぞ」
 俺は主に忍を見て言った。忍は箸を止め、あらぬ方を見てため息をつく。
「……世を思ふゆえに、物思う身は……」

「忍、後鳥羽院は世の中を思って悩んだの。貴方は自分の身を先ず思い悩まなくちゃね」
 したり顔で言う忍に、高子が素早く突っ込んだ。
 俺には全然分からないが、忍の夏休みに暗雲が立ち込めていることだけは理解できた。
(まあ、頑張れ忍。俺に出来る事は何ひとつ無いが……)

 午後の講義のなかった俺は、これからの貴重な時間をどう有効に使おうかと思案していたのだが。その思案は心無い忍の一言で無残にも消え去っていったのだった。
(さらば、俺の貴重な時間……)

「そうだ、次の講義。立花先生だから面白いよ。定家くんも来なよ!」
 即座に断ってしまおうかと思ったが、隣の高子に期待した眼差しを向けられた俺は、首を縦に振ることしか出来なかった。
 かくして午後はなぜか三人並んで古典文学の講義を受けることとなったのだった。

 ☆ ☆ ☆
「僕は全然かまわないから、むしろ聴講する学生が多い方が僕は嬉しいよ」
 それほど大きくない講義室で古典の立花准教授は朗らかに笑う。ほっと安心して俺も席に着いた。

 部屋を暗くして、立花先生はスクリーンの横に立ちスライドを映しだしながら話を始める。
「今日のテーマは西行法師だ」
 百人一首の一句が映し出される。

 【嘆けとて 月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな】

「この句は百人一首の八十六番目にある西行の歌だね。千載集では『月前の恋』と言う題詠だいえいになっている恋の歌だ」
 立花はマイクを片手に滑らかに続ける。
「この西行法師、旅をしながら多くの歌を読んだんだけど……恋の歌も結構あったんだ。以外でしょう? その中で、定家はこれがお気に召したみたいだね。でも、みんなにはこっちの句の方が有名じゃないかな?」
 次のスライドに切り替わり、別の句が映し出された。

 【願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ】

「文学好きじゃなくても、聞いたことぐらいはあるんじゃあないかな? これは西行の辞世の句だね」
 立花の視線がチラッと俺に向けられた気がした。少し緊張する。
「出来るなら『その如月の望月の頃』つまり、お釈迦様の亡くなった日だね。その頃に桜の下で死にたいなって言う感じかな?」
 立花先生は砕けた表現ではあったが、俺のような素人にも分かりやすい解説をしてくれる。
「西行は本名、藤原義清ふじわらののりきよと言って、平清盛と同年の生まれ。結構、名門の生まれで、鳥羽院の『北面の武士』にまでなったんだけど、二十三才で突然妻子を置いて、出家しちゃったんだ」
 生徒の反応を伺うように一呼吸おいてから、また話を続ける。
「みんなの年齢に近いね。まあ、当時と現代では十才以上感覚的に違うのかもね。でもね、
社会人で結婚して子供もいる働き盛りの旦那がだよ。いきなり『俺、会社辞めたから。出家するから』なんて言われたら……君たちどうする?」
 立花は楽しそうに女性陣を見回しながら言った。講義室がざわめく、みんなが講義に引き込まれている証拠だった。

「君たちも一句作ってみてはどうかな? 辞世の句とは言わないから。恋の歌でも作って見てほしいね。そしたら案外、妻子を捨てて旅に出た、西行の気持ちが分かるかも知れないよ」
 そう話を締めくくった立花准教授は、講義終了後、帰り際、俺たちのところに寄って来るとこう聞いてきた。
「どうだった? 分かりやすかっただろう」
「はい、俺でも分かりました。ありがとうございます」
 俺みたいな専門外の人間にも分かるように、優しくしてくれたんだと思い感謝したのだが……。
「先生はいつもこんな感じなんだよ」
 忍が自慢げに説明する。
「だから、講義受けようって言ったんだよ」
 忍としても俺を連れてきた理由がちゃんとあった訳だ。
 立花先生は隣で微笑む高子と自慢げに話す忍を交互に見やり言った。

「で、君はどっちの彼氏?」

 二人のそれぞれの反応は立花先生を大いに楽しませる事になった。

  【花曇り 講義の部屋のスクリーン 西行の歌 月前の恋】
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