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第13話 夢を結う
8 番人の静かな心
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るりなみはぼろぼろと落ちる涙をおさえられず、口を開いても言葉も出せず、その姿を見ていたが……消えていきそうな最後に、ゆいりは、ふと床の隅のものを目にとめて、首をかしげた。
「るりなみ……それ、光ってる……」
「え……?」
ゆいりの消えそうな細い手が指さす先で──床に転がっていたるりなみの羅針盤が、淡く光を放っていた。
るりなみは涙もぬぐわずにしゃがみこみ、羅針盤を拾った。
淡く光っているように見えたのは、そこにもうひとつ重なった、別の羅針盤のようなものだった。
盤上のひとつの針を重ねて光っているのは──よく見覚えのある、ゆめづきの時計だった。
るりなみの羅針盤の針と重なっていた、淡く光るその針が、かちり、と真横にずれた。
がこんっ、と円形の部屋全体が、海原の大波に呑まれたように、大きく揺れた。
ガラス窓に映っていた、もはやなんの場面かもわからなくなっていたゆいりの記憶たちがかき消え、外は薄暗い空間になった。
「なっ、なに……!」
揺れ続ける部屋の中で、るりなみは羅針盤を握りしめて、なんとか立ち上がる。
その横で、子どものゆいりがふしぎそうな顔をして、手足を見つめた。
消えそうに薄れていたその体は、実体を取り戻していく。
一方で、向こうがほとんど見通せないほど青白く輝いていた幕が揺らいてはためき、幕の奥に大人のゆいりがうかがえた。
そのゆいりが遠のくようにぶれて見えた。
そして、部屋中のすべてのものが二重に重なり合ったかと思うや──二つに分かれていった。
円形の箱型の部屋が、右上と左上に動いていくようにして、二つの部屋に分かれていく。
左上に遠ざかっていく向こうの部屋が、大人のゆいりを連れていってしまう。
「ゆいり!」
向こうの部屋とどんどん引き離されながら、るりなみの立つ部屋は、子どものゆいりとともに右上へすべっていき──完全に分かれてしまったとき、そこに残っているのは、るりなみと小さなゆいりの二人だけだった。
そう思われたが──。
二人のあいだには、もうひとつの人影があった。
それは、るりなみの手の羅針盤に重なるように淡く光っている……時空をはかるという時計をささげもった、黒いドレス姿のゆめづきだった。
「ゆ、めづき……?」
涙もまだ乾かない目を見開いて、あっけにとられたるりなみが呼びかけると、ゆめづきは静かな表情で言った。
「みなさんのことを、見守っていたのですが……いかるさんのやり方は、おかしいと思いまして。私のやり方で、手を出させてもらいました。時空の番人として」
え……、とるりなみは目をまたたく。
「時空の番人? ゆめづきが……?」
すっかり実体を取り戻した子どものゆいりは、窓の外をじっと見ている。
つられて外の世界を目にしたるりなみは……驚きに声をなくした。
るりなみたちのいるのと同じ円形の箱がたくさん、上にも下にも列をなして──いや、ななめ上やななめ下に、大きな円の軌道の上にあるように、並んで続いていた。
その円形の箱の並ぶ大きな円が、夜空のような空間に、いくつもいくつも……噛み合う巨大な歯車のように、ところどころで箱をひとつ交差させながら、回っていた。
「これは、観覧車というのだそうです」
ゆめづきが淡々と言った。
「観覧、しゃ……?」
るりなみは聞きなれない言葉をくりかえす。ゆめづきは小さくうなずいた。
「めぐる運命の輪であり、時空の輪。時空の見方のひとつの正体だと、いかるさんから聞きました」
「おい、あっちにも僕たちが乗ってないか?」
るりなみが、子どものゆいりが指さす左上のほうへ目を向けた。
るりなみたちの部屋が向かう先にある、そちらの部屋にも……るりなみくらいの背格好の子どもたちが乗り合わせているように見える。
よく見えないが、るりなみと、子どものゆいりと、ゆめづきだと言われれば、うなずける気もする。
「あれは、次の時空の箱です」
「は?」
子どものゆいりが、なにを言っているんだ、と言わんばかりに呆れた顔で、ゆめづきを見つめる。
「時がめぐれば、私たちの箱は輪の上をすべっていき、あの箱の場所に移動します。それは、私たちにとっては未来です。その未来の状態、未来の私たちは、すでにあの場所にある箱として見えていて、その箱の窓には、未来の景色が映っているのです」
るりなみは首をかしげた。
「でも……僕たちのいるこの箱も動いていて、あの箱も動いていて……。僕たち自身があの箱のある場所にたどり着いたら、あの箱は、もっと未来になるということ?」
ゆめづきは窓の外の遠くにも見えている「観覧車」の輪をなぞるように、指を動かしながら言った。
「本当はどの箱も動いてなんていませんし、この箱とあの箱のあいだには、いえ、すべての箱のあいだに、本当はもっともっと無数の箱が連なっているのです」
るりなみはぽかんとした。
「は? え? ええと……?」
「〝今という時間の箱〟〝次の瞬間という時間の箱〟〝また次の瞬間という箱〟が連続している、というのが、時間のひとつの見方であり、時間は流れてなんていない──それが時空の正体だ、と、いかるさんは言っていました」
るりなみはじっと、時間や時空のことを語るゆめづきを見つめた。
彼女には、なにが見えているのだろう……なにを見てしまったのだろうか……。
ゆめづきが遠くのある箇所を指さす。
そこは、歯車が噛み合うように、大きな二つの輪が交差して見える場所だった。
「ですから、私たちは時の流れを泳いで生きているわけではなくて、ひとつの箱に居合わせたまま、あのように……次の瞬間には、まったく別の運命の輪の中へ、移動してしまうこともできるわけです」
ゆめづきは、指をそっと窓から離した。
「そしてすべての輪は、同じ場所を回っているのではなく、常に広大な宇宙を動いていく……窓の外に同じ景色が見えることは、もうありません」
無数にめぐる輪を眺めるように目に映して、ゆめづきは最後にぽつりと言った。
「この場所から世界を見ていると、それはよくわかる気がするんです……」
その姿はやはり、るりなみの知る王女のゆめづきとはずいぶん変わってしまっていた。
まとっている色も音楽も違って感じられるかのようだ。
もしかしたら、その心も……。
「るりなみ……それ、光ってる……」
「え……?」
ゆいりの消えそうな細い手が指さす先で──床に転がっていたるりなみの羅針盤が、淡く光を放っていた。
るりなみは涙もぬぐわずにしゃがみこみ、羅針盤を拾った。
淡く光っているように見えたのは、そこにもうひとつ重なった、別の羅針盤のようなものだった。
盤上のひとつの針を重ねて光っているのは──よく見覚えのある、ゆめづきの時計だった。
るりなみの羅針盤の針と重なっていた、淡く光るその針が、かちり、と真横にずれた。
がこんっ、と円形の部屋全体が、海原の大波に呑まれたように、大きく揺れた。
ガラス窓に映っていた、もはやなんの場面かもわからなくなっていたゆいりの記憶たちがかき消え、外は薄暗い空間になった。
「なっ、なに……!」
揺れ続ける部屋の中で、るりなみは羅針盤を握りしめて、なんとか立ち上がる。
その横で、子どものゆいりがふしぎそうな顔をして、手足を見つめた。
消えそうに薄れていたその体は、実体を取り戻していく。
一方で、向こうがほとんど見通せないほど青白く輝いていた幕が揺らいてはためき、幕の奥に大人のゆいりがうかがえた。
そのゆいりが遠のくようにぶれて見えた。
そして、部屋中のすべてのものが二重に重なり合ったかと思うや──二つに分かれていった。
円形の箱型の部屋が、右上と左上に動いていくようにして、二つの部屋に分かれていく。
左上に遠ざかっていく向こうの部屋が、大人のゆいりを連れていってしまう。
「ゆいり!」
向こうの部屋とどんどん引き離されながら、るりなみの立つ部屋は、子どものゆいりとともに右上へすべっていき──完全に分かれてしまったとき、そこに残っているのは、るりなみと小さなゆいりの二人だけだった。
そう思われたが──。
二人のあいだには、もうひとつの人影があった。
それは、るりなみの手の羅針盤に重なるように淡く光っている……時空をはかるという時計をささげもった、黒いドレス姿のゆめづきだった。
「ゆ、めづき……?」
涙もまだ乾かない目を見開いて、あっけにとられたるりなみが呼びかけると、ゆめづきは静かな表情で言った。
「みなさんのことを、見守っていたのですが……いかるさんのやり方は、おかしいと思いまして。私のやり方で、手を出させてもらいました。時空の番人として」
え……、とるりなみは目をまたたく。
「時空の番人? ゆめづきが……?」
すっかり実体を取り戻した子どものゆいりは、窓の外をじっと見ている。
つられて外の世界を目にしたるりなみは……驚きに声をなくした。
るりなみたちのいるのと同じ円形の箱がたくさん、上にも下にも列をなして──いや、ななめ上やななめ下に、大きな円の軌道の上にあるように、並んで続いていた。
その円形の箱の並ぶ大きな円が、夜空のような空間に、いくつもいくつも……噛み合う巨大な歯車のように、ところどころで箱をひとつ交差させながら、回っていた。
「これは、観覧車というのだそうです」
ゆめづきが淡々と言った。
「観覧、しゃ……?」
るりなみは聞きなれない言葉をくりかえす。ゆめづきは小さくうなずいた。
「めぐる運命の輪であり、時空の輪。時空の見方のひとつの正体だと、いかるさんから聞きました」
「おい、あっちにも僕たちが乗ってないか?」
るりなみが、子どものゆいりが指さす左上のほうへ目を向けた。
るりなみたちの部屋が向かう先にある、そちらの部屋にも……るりなみくらいの背格好の子どもたちが乗り合わせているように見える。
よく見えないが、るりなみと、子どものゆいりと、ゆめづきだと言われれば、うなずける気もする。
「あれは、次の時空の箱です」
「は?」
子どものゆいりが、なにを言っているんだ、と言わんばかりに呆れた顔で、ゆめづきを見つめる。
「時がめぐれば、私たちの箱は輪の上をすべっていき、あの箱の場所に移動します。それは、私たちにとっては未来です。その未来の状態、未来の私たちは、すでにあの場所にある箱として見えていて、その箱の窓には、未来の景色が映っているのです」
るりなみは首をかしげた。
「でも……僕たちのいるこの箱も動いていて、あの箱も動いていて……。僕たち自身があの箱のある場所にたどり着いたら、あの箱は、もっと未来になるということ?」
ゆめづきは窓の外の遠くにも見えている「観覧車」の輪をなぞるように、指を動かしながら言った。
「本当はどの箱も動いてなんていませんし、この箱とあの箱のあいだには、いえ、すべての箱のあいだに、本当はもっともっと無数の箱が連なっているのです」
るりなみはぽかんとした。
「は? え? ええと……?」
「〝今という時間の箱〟〝次の瞬間という時間の箱〟〝また次の瞬間という箱〟が連続している、というのが、時間のひとつの見方であり、時間は流れてなんていない──それが時空の正体だ、と、いかるさんは言っていました」
るりなみはじっと、時間や時空のことを語るゆめづきを見つめた。
彼女には、なにが見えているのだろう……なにを見てしまったのだろうか……。
ゆめづきが遠くのある箇所を指さす。
そこは、歯車が噛み合うように、大きな二つの輪が交差して見える場所だった。
「ですから、私たちは時の流れを泳いで生きているわけではなくて、ひとつの箱に居合わせたまま、あのように……次の瞬間には、まったく別の運命の輪の中へ、移動してしまうこともできるわけです」
ゆめづきは、指をそっと窓から離した。
「そしてすべての輪は、同じ場所を回っているのではなく、常に広大な宇宙を動いていく……窓の外に同じ景色が見えることは、もうありません」
無数にめぐる輪を眺めるように目に映して、ゆめづきは最後にぽつりと言った。
「この場所から世界を見ていると、それはよくわかる気がするんです……」
その姿はやはり、るりなみの知る王女のゆめづきとはずいぶん変わってしまっていた。
まとっている色も音楽も違って感じられるかのようだ。
もしかしたら、その心も……。
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