魔法使いの恋歌 〜波空国交響譚〜

星乃水晴(すばる)

文字の大きさ
26 / 87
第三番

第25話 雨の丘

しおりを挟む
 山あいの湾さながらの大きな湖が、雨ともやでけぶっている。両岸には緑豊かな山や丘がせまり、奥の果ては見えない。

 丘のふもとの森が開けた湖畔に、船の舳先へさきのような建造物がそそりたっていた。船体は埋没しているのか半分も見あたらず、舳先の下には、船を支える巨大な硝子瓶であるかのように、硝子の壁で作られた奇妙な家屋があった。

 硝子でできた家屋の中は丸見えだ。喫茶店らしきカウンタやテーブルが並んでいる。

 そのカウンタの内では、給仕のドレスをまとった少女が立ち働いていた。
 他に、店内には二人の人物がいた。

「雨、止まねぇなぁ……客が来ねぇ」
がいさん、昨日もおとといも同じこと言ってた」

 ひとりは、カウンタ席で頬づえをつく男。刈りあげ頭の毛はすでに白く、四角い顔はいかついが、フリルつきのエプロンをつけた姿は親しみやすい印象だ。

 もうひとりは、横のテーブル席で木管楽器の手入れをしている少年。ふわふわと毛足の長い動物のように盛りあがった灰色の髪に、リボンにも見えるバンダナを巻いているのがかわいらしい。歳の頃は、十三、四。

「部品もさびたりしけったりしちまわないか心配だぜ」
「鎧さん、ぼやいてばっかりだね」
「商売道具だぞ。おまえだって店を心配しろ、じゅん
「したってしようがないよ、雨だもん」

 宴会ができるほどの数のテーブルが並ぶ店内は、花が活けられ小物が並び、小綺麗に整えられている。だが壁際にはごろごろと、器械や木工の部品が積みあがっていた。鎧と呼ばれた男が、商売道具だと言ったそれらは、よく見れば楽器の部品なのだった。

 二人の会話をよそに、カウンタ内の少女は菓子の生地づくりをしている。恐ろしく表情がない。焦茶の髪は美しく切りそろえられ、左右で結われている。長袖ながそでの先にのぞく両の手は、義手であった。

 少女の背後、硝子の壁の外は、一面が湖である。

 波空国の中央に広がる、海にも等しい湖。正式名称は月ノ湖つきのこというが、この地方では単に聖湖せいこと呼ばれている。ここは湖岸のいくつかの地方のうちのひとつ、波空国天流あまる地方という。

 天流地方は、色無森いろなしのもりが広がる一帯として知られる。小さな町もあるが、森や山あいに一匹狼のように群れずに暮らしている者も多い。そのような人々の生活は、物々交換で成り立っている。金銭の代わりは、鉱石または楽器やその部品であり、鉱石が組みこまれた楽器も特産品だ。

 耕作地帯はなく、人々の食は、この喫茶店で出される茶菓子のようなもので足りてしまう。その訳を知る者は、色無森に棲む魔女くらいだともいわれ、人々は軽食の暮らしに疑問を抱いていない。彼らは時折、この店に鉱石や自作の楽器部品を売りにきて、食や交流を満喫し、森のねぐらへ帰る。

 天流とは、そんな地域である。

「あ……人がいる」

 准という少年が楽器をあつかう手を止め、湖とは反対側の天流丘あまるのおかの上を指差した。店の主人、鎧がフリルエプロンを結び直しながら立ちあがり、目を凝らす。

「どこのこと言ってんだ? せんなら見えるか?」

 扇と呼ばれたカウンタ内の少女は、静かに首を左右に振った。

「とにかく僕、見てくる!」

 言うが早いか、准は店の扉から外に飛びだした。
 しゃららん、と扉に取りつけられた銀鈴の音が追いすがる。

「あっ、おい准! 傘、傘ぁ!」

 鎧の呼びかけにも応じず、准は傘もささず走っていく。

 胸が音に騒いでいた。とんでもない音楽が聴こえてくる。
 それは丘の上からだ──准は雨の丘へ、駆けた。



 天流丘はふもとの森とは変わり、柔らかな草原くさはらが続く小さな丘だ。普段の准ならば、息を切らすこともなく駆けあがれる。数日にわたる雨で草地はぬかるみ、ひどい悪路だったが、胸の高鳴りに導かれるまま、准は丘を登りきった。

 頂上には、丘の象徴ともいえる大樹が立っている。

 そのもとに、ひとりの子どもがたたずんでいた。

 目にした途端、聴こえていた音楽は止んだ。代わって雨音がしとしとと耳に響きだす。

 少女、ないし少年。見分けはつかない。准と同じほどの背丈と年頃で、青い髪を編みこんでいる。髪と似た青色の目は虚空を見つめ、降りしきる雨だけを映している。服はぬれそぼっているが、見たこともない立派な仕立てのものだ。

 雨の中で綺麗に映える青に、准は釘づけになる……人形、だろうか。夢のように静かで、幻のごとく絵画的な光景だった。

 大樹の枝の下に入って立ちつくす准に、幹のそばのその子は気づく様子もない。准は一歩一歩、近づいていく。

「あの、君」

 声をかけると、ゆっくりとその子が顔をあげた。

「どうしたの、びしょぬれだよ」

 彼女、あるいは彼は、准のことをじっと見つめる。
 准はさらに近づき、思いきって手をとった。冷えきっている。

「誰かを待っているの? でもここにいちゃだめだ」
「みかげを」

 その子はとっさに口にした言葉に自ら驚いたように、目をぱちぱちと瞬かせた。

「君の名前は? 僕は准、ふもとに住んでる」

 しばらくの間、その子は瞬きを続けていた。

「なにも、憶えてない」
「え?」
「──しず。それだけは思いだせる」

 しず、という名だとその子は言った。

「しず、行こう。みかげさんも、この雨だったらうちを目指すかもしれない」
「みかげが? でも」

 行くよ、と手を引くと、しずという子はおとなしく従った。
 准はその子と並び歩きながら、丘をくだっていった。

 ──それは王宮の塔の屋上で、御影みかげに魔法をかけられたはずの静湖しずみであった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

私の存在

戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。 何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。 しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。 しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…

【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。

雨宮羽那
恋愛
 侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。  (私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。  しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。  絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。  彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――? ◇◇◇◇ ※全5話 ※AI不使用です。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...