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第三番
第25話 雨の丘
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山あいの湾さながらの大きな湖が、雨と靄でけぶっている。両岸には緑豊かな山や丘がせまり、奥の果ては見えない。
丘のふもとの森が開けた湖畔に、船の舳先のような建造物がそそりたっていた。船体は埋没しているのか半分も見あたらず、舳先の下には、船を支える巨大な硝子瓶であるかのように、硝子の壁で作られた奇妙な家屋があった。
硝子でできた家屋の中は丸見えだ。喫茶店らしきカウンタやテーブルが並んでいる。
そのカウンタの内では、給仕のドレスをまとった少女が立ち働いていた。
他に、店内には二人の人物がいた。
「雨、止まねぇなぁ……客が来ねぇ」
「鎧さん、昨日もおとといも同じこと言ってた」
ひとりは、カウンタ席で頬づえをつく男。刈りあげ頭の毛はすでに白く、四角い顔はいかついが、フリルつきのエプロンをつけた姿は親しみやすい印象だ。
もうひとりは、横のテーブル席で木管楽器の手入れをしている少年。ふわふわと毛足の長い動物のように盛りあがった灰色の髪に、リボンにも見えるバンダナを巻いているのがかわいらしい。歳の頃は、十三、四。
「部品もさびたりしけったりしちまわないか心配だぜ」
「鎧さん、ぼやいてばっかりだね」
「商売道具だぞ。おまえだって店を心配しろ、准」
「したってしようがないよ、雨だもん」
宴会ができるほどの数のテーブルが並ぶ店内は、花が活けられ小物が並び、小綺麗に整えられている。だが壁際にはごろごろと、器械や木工の部品が積みあがっていた。鎧と呼ばれた男が、商売道具だと言ったそれらは、よく見れば楽器の部品なのだった。
二人の会話をよそに、カウンタ内の少女は菓子の生地づくりをしている。恐ろしく表情がない。焦茶の髪は美しく切りそろえられ、左右で結われている。長袖の先にのぞく両の手は、義手であった。
少女の背後、硝子の壁の外は、一面が湖である。
波空国の中央に広がる、海にも等しい湖。正式名称は月ノ湖というが、この地方では単に聖湖と呼ばれている。ここは湖岸のいくつかの地方のうちのひとつ、波空国天流地方という。
天流地方は、色無森が広がる一帯として知られる。小さな町もあるが、森や山あいに一匹狼のように群れずに暮らしている者も多い。そのような人々の生活は、物々交換で成り立っている。金銭の代わりは、鉱石または楽器やその部品であり、鉱石が組みこまれた楽器も特産品だ。
耕作地帯はなく、人々の食は、この喫茶店で出される茶菓子のようなもので足りてしまう。その訳を知る者は、色無森に棲む魔女くらいだともいわれ、人々は軽食の暮らしに疑問を抱いていない。彼らは時折、この店に鉱石や自作の楽器部品を売りにきて、食や交流を満喫し、森のねぐらへ帰る。
天流とは、そんな地域である。
「あ……人がいる」
准という少年が楽器をあつかう手を止め、湖とは反対側の天流丘の上を指差した。店の主人、鎧がフリルエプロンを結び直しながら立ちあがり、目を凝らす。
「どこのこと言ってんだ? 扇なら見えるか?」
扇と呼ばれたカウンタ内の少女は、静かに首を左右に振った。
「とにかく僕、見てくる!」
言うが早いか、准は店の扉から外に飛びだした。
しゃららん、と扉に取りつけられた銀鈴の音が追いすがる。
「あっ、おい准! 傘、傘ぁ!」
鎧の呼びかけにも応じず、准は傘もささず走っていく。
胸が音に騒いでいた。とんでもない音楽が聴こえてくる。
それは丘の上からだ──准は雨の丘へ、駆けた。
*
天流丘はふもとの森とは変わり、柔らかな草原が続く小さな丘だ。普段の准ならば、息を切らすこともなく駆けあがれる。数日にわたる雨で草地はぬかるみ、ひどい悪路だったが、胸の高鳴りに導かれるまま、准は丘を登りきった。
頂上には、丘の象徴ともいえる大樹が立っている。
そのもとに、ひとりの子どもがたたずんでいた。
目にした途端、聴こえていた音楽は止んだ。代わって雨音がしとしとと耳に響きだす。
少女、ないし少年。見分けはつかない。准と同じほどの背丈と年頃で、青い髪を編みこんでいる。髪と似た青色の目は虚空を見つめ、降りしきる雨だけを映している。服はぬれそぼっているが、見たこともない立派な仕立てのものだ。
雨の中で綺麗に映える青に、准は釘づけになる……人形、だろうか。夢のように静かで、幻のごとく絵画的な光景だった。
大樹の枝の下に入って立ちつくす准に、幹のそばのその子は気づく様子もない。准は一歩一歩、近づいていく。
「あの、君」
声をかけると、ゆっくりとその子が顔をあげた。
「どうしたの、びしょぬれだよ」
彼女、あるいは彼は、准のことをじっと見つめる。
准はさらに近づき、思いきって手をとった。冷えきっている。
「誰かを待っているの? でもここにいちゃだめだ」
「みかげを」
その子はとっさに口にした言葉に自ら驚いたように、目をぱちぱちと瞬かせた。
「君の名前は? 僕は准、ふもとに住んでる」
しばらくの間、その子は瞬きを続けていた。
「なにも、憶えてない」
「え?」
「──しず。それだけは思いだせる」
しず、という名だとその子は言った。
「しず、行こう。みかげさんも、この雨だったらうちを目指すかもしれない」
「みかげが? でも」
行くよ、と手を引くと、しずという子はおとなしく従った。
准はその子と並び歩きながら、丘をくだっていった。
──それは王宮の塔の屋上で、御影に魔法をかけられたはずの静湖であった。
*
丘のふもとの森が開けた湖畔に、船の舳先のような建造物がそそりたっていた。船体は埋没しているのか半分も見あたらず、舳先の下には、船を支える巨大な硝子瓶であるかのように、硝子の壁で作られた奇妙な家屋があった。
硝子でできた家屋の中は丸見えだ。喫茶店らしきカウンタやテーブルが並んでいる。
そのカウンタの内では、給仕のドレスをまとった少女が立ち働いていた。
他に、店内には二人の人物がいた。
「雨、止まねぇなぁ……客が来ねぇ」
「鎧さん、昨日もおとといも同じこと言ってた」
ひとりは、カウンタ席で頬づえをつく男。刈りあげ頭の毛はすでに白く、四角い顔はいかついが、フリルつきのエプロンをつけた姿は親しみやすい印象だ。
もうひとりは、横のテーブル席で木管楽器の手入れをしている少年。ふわふわと毛足の長い動物のように盛りあがった灰色の髪に、リボンにも見えるバンダナを巻いているのがかわいらしい。歳の頃は、十三、四。
「部品もさびたりしけったりしちまわないか心配だぜ」
「鎧さん、ぼやいてばっかりだね」
「商売道具だぞ。おまえだって店を心配しろ、准」
「したってしようがないよ、雨だもん」
宴会ができるほどの数のテーブルが並ぶ店内は、花が活けられ小物が並び、小綺麗に整えられている。だが壁際にはごろごろと、器械や木工の部品が積みあがっていた。鎧と呼ばれた男が、商売道具だと言ったそれらは、よく見れば楽器の部品なのだった。
二人の会話をよそに、カウンタ内の少女は菓子の生地づくりをしている。恐ろしく表情がない。焦茶の髪は美しく切りそろえられ、左右で結われている。長袖の先にのぞく両の手は、義手であった。
少女の背後、硝子の壁の外は、一面が湖である。
波空国の中央に広がる、海にも等しい湖。正式名称は月ノ湖というが、この地方では単に聖湖と呼ばれている。ここは湖岸のいくつかの地方のうちのひとつ、波空国天流地方という。
天流地方は、色無森が広がる一帯として知られる。小さな町もあるが、森や山あいに一匹狼のように群れずに暮らしている者も多い。そのような人々の生活は、物々交換で成り立っている。金銭の代わりは、鉱石または楽器やその部品であり、鉱石が組みこまれた楽器も特産品だ。
耕作地帯はなく、人々の食は、この喫茶店で出される茶菓子のようなもので足りてしまう。その訳を知る者は、色無森に棲む魔女くらいだともいわれ、人々は軽食の暮らしに疑問を抱いていない。彼らは時折、この店に鉱石や自作の楽器部品を売りにきて、食や交流を満喫し、森のねぐらへ帰る。
天流とは、そんな地域である。
「あ……人がいる」
准という少年が楽器をあつかう手を止め、湖とは反対側の天流丘の上を指差した。店の主人、鎧がフリルエプロンを結び直しながら立ちあがり、目を凝らす。
「どこのこと言ってんだ? 扇なら見えるか?」
扇と呼ばれたカウンタ内の少女は、静かに首を左右に振った。
「とにかく僕、見てくる!」
言うが早いか、准は店の扉から外に飛びだした。
しゃららん、と扉に取りつけられた銀鈴の音が追いすがる。
「あっ、おい准! 傘、傘ぁ!」
鎧の呼びかけにも応じず、准は傘もささず走っていく。
胸が音に騒いでいた。とんでもない音楽が聴こえてくる。
それは丘の上からだ──准は雨の丘へ、駆けた。
*
天流丘はふもとの森とは変わり、柔らかな草原が続く小さな丘だ。普段の准ならば、息を切らすこともなく駆けあがれる。数日にわたる雨で草地はぬかるみ、ひどい悪路だったが、胸の高鳴りに導かれるまま、准は丘を登りきった。
頂上には、丘の象徴ともいえる大樹が立っている。
そのもとに、ひとりの子どもがたたずんでいた。
目にした途端、聴こえていた音楽は止んだ。代わって雨音がしとしとと耳に響きだす。
少女、ないし少年。見分けはつかない。准と同じほどの背丈と年頃で、青い髪を編みこんでいる。髪と似た青色の目は虚空を見つめ、降りしきる雨だけを映している。服はぬれそぼっているが、見たこともない立派な仕立てのものだ。
雨の中で綺麗に映える青に、准は釘づけになる……人形、だろうか。夢のように静かで、幻のごとく絵画的な光景だった。
大樹の枝の下に入って立ちつくす准に、幹のそばのその子は気づく様子もない。准は一歩一歩、近づいていく。
「あの、君」
声をかけると、ゆっくりとその子が顔をあげた。
「どうしたの、びしょぬれだよ」
彼女、あるいは彼は、准のことをじっと見つめる。
准はさらに近づき、思いきって手をとった。冷えきっている。
「誰かを待っているの? でもここにいちゃだめだ」
「みかげを」
その子はとっさに口にした言葉に自ら驚いたように、目をぱちぱちと瞬かせた。
「君の名前は? 僕は准、ふもとに住んでる」
しばらくの間、その子は瞬きを続けていた。
「なにも、憶えてない」
「え?」
「──しず。それだけは思いだせる」
しず、という名だとその子は言った。
「しず、行こう。みかげさんも、この雨だったらうちを目指すかもしれない」
「みかげが? でも」
行くよ、と手を引くと、しずという子はおとなしく従った。
准はその子と並び歩きながら、丘をくだっていった。
──それは王宮の塔の屋上で、御影に魔法をかけられたはずの静湖であった。
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