魔法使いの恋歌 〜波空国交響譚〜

星乃水晴(すばる)

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第五番

第77話 青き交響

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「まだすべての〈リュウ〉は消えてません」

 静湖しずみ斑葉いさはの前に進みでて、皆を見渡して言った。

 じゅんと、望夢のぞむと、天海と、そして御影とじっと目を合わせる。そのまなざしを耐えきれずに伏せ、通路の脇を指さした。

「朔夜さんはそこの穴に落ちて〈流〉になった。そうでしょう」

 静湖が指し示す先では、大穴が暗く口を開いていた。先刻までのまばゆい光の渦はもはや消え失せ、水がただ瀑布のように流れ落ちている。

 静湖の言葉の裏にあるものを察してか、御影がぴしゃりと答えた。

「〈ヒト〉が〈流〉となってこの炉の力となったことは、過去の痛ましい事故です。今、生き残っている〈人〉を〈流〉と数えることはできません。それは殺人です」

 殺人、と御影は言いきる。
 誰かを穴に落とし、力とすることを。

「僕は」

 静湖はゆっくりと顔をあげ、きっ、と御影を見つめた。
 自分に重なった何者かが叫んでいる。その声を届けようと、静湖はひとつひとつ言葉を紡ぐ。

「僕の中には〈青流アオル〉という強大な音楽が歌ってる。まだ青き〈流〉はここにいる。力として世界に響き渡るのを待ってる。その力を得て、僕は生まれてきた。その力によって、僕は生かされてきた。だから」

 自分の内と対話するように、心を探る。
 静湖の口から言葉はあふれた。

「今、すべての〈流〉が響くのをやめてしまった。互いに争って消えてしまった。だけど僕はまだここで歌ってる。皆を癒す力として響き渡れる。この傷ついた世界を治せるって、消えてしまった〈流〉たちを今ならまだつなげるって──」

 ぱん、と乾いた衝撃が、静湖の顔を真横にぶらした。
 御影が静湖のほおを打ったのだった。

「ご無礼を。頭を冷やしなさい、

 静湖は頬を押さえもせず、目を瞬いた。

 御影にそんな風に強く名を呼ばれたのははじめてだ。ゆっくりと正面を向き、御影を見つめ返す。御影の唇とまつげは震えていた。

 静湖は、他の皆、ひとりひとりとも視線を合わせていった。

「御影の言う通りだ、静湖」

 天海が粛々しゅくしゅくと言う。

「しず」

 准は祈るような声で叫んだかと思うや、抱きついてきた。

「しず、行っちゃわないで。君は〈流〉じゃない」

 望夢はなにも言わず、唇をかんでいた。自分も同じような決断をしたことがある、と言わんばかりに痛みを感じさせる姿で──そのうしろでは、斑葉が中立の表情を浮かべていた。

 静湖は准を抱き返して離しながら言った。

「ううん、准。僕は〈人〉だけど、この胸に宿っている音楽は〈流〉なんだと、今、はっきりわかる。世界中に流れて世界と僕をつなぐもの。僕の姿になって僕を生きている命の正体。誰しも、もともとはその音楽だった。その躍動だった。歌っている魂、〈己そのものの音楽〉──」
「しず……?」

 それは、予感だった。
 すべてをその身に宿せると思った母も、こんな予感を感じただろう、と静湖は思った。

 ──響き渡れる。僕なら、世界に……。

「その命が、魂が、響き渡りたいって叫んでる。緑流みどるさんに黒流くろるさん、あかりも、〈流〉の王といわれる皆が、世界に響き渡っていった。青流である僕は残された。僕を生きる青流が〈人〉として生をまっとうすることは、その皆の望みだったと思う」

 静湖は〈流〉たちの姿を思いながら、言葉を続ける。

「でも彼らの音楽は、僕に僕の正体を知らせた。響き方を、生き方を示した。僕に今、できることがあるってわかる、〈流〉としての僕になら。皆の思いがすべて消えてしまう前に──僕は、心の内に響いてやまない青い交響そのものに戻りたいんだ」

 准は泣きそうな顔で、静湖の肩をゆさぶる。

「だめだよ、しず! 心の中の〈流〉に引っ張られてるんだ、しっかり!」
「そうだ、どれだけの者がおまえを守ることにすべてを賭けてきたか──」

 にじり寄ろうとする天海の腕を、御影がつかんで引きとめた。

「御影、なにをする」
「青き交響に戻りたいのですか、心から」

 はっと顔を向けた先、御影のまなざしに射抜かれた。

「は、はい」

 御影は星をも射るような目で、じっと視線を注いでくる。
 震えながら、静湖は答えた。

「それが……僕の命が望むことです」
「本気なのですね」

 御影の声もまた、震えていた。

「本気なのですね……」

 くりかえしてつぶやく御影。尋常ならざる様子に、腕をつかまれていた天海が向きなおって問いかける。

「御影、まさか受け入れようなどと思わないだろう!」

 御影は答えなかった。代わりに、天海を突き放して静湖の前に歩みくると、立ちふさがるように高圧的に見おろした。

「行かせません! あなたのお母様、更紗様ならば行けというかもしれません。でもこの御影は、あなたの命の叫びがわかってもなお、行かせるわけにはいきません!」
「どうして……っ」

 御影はあたりまえのことを言っている、そうは思いながらも静湖は訴えた。

「僕をわかってくれるというのなら──」
「私はあなたを守るために生きてきた! すべてを敵に回しても、あなたを守ろうと決めてきた! あなた自身を踏みにじっても、それは変えられない!」

 静湖は絶句した。
 准や望夢、天海もが、言葉を失ってただ静湖と御影を囲んでいた。その中で御影は言いつのった。

「あなたを守るために世界が滅ぶとしても、私にはあなたを守る生き方しかできない。静湖様、わがままを言わせてください。ずっと生きて、生きて、御影の見納めた世界の続きを目に焼きつけて、それから……それまではどうかそのお体を手放さないでください。どんな困難があっても、いつも幸せでなくとも、ただ生きてほしい、どうか……」
「御影」

 静湖は御影の両のほほに手を添えた。そこには銀に光る雫がつたっていた。

「御影。僕は御影が好き」

 御影が目を見開いた。
 皆が、しんと静まりながら、息を呑む。
 静湖はただ、思いを伝えていた。

「御影、でも僕は今、自分の命の響きにあらがえない。御影は僕に、人を愛することを教えてくれた。僕は御影を愛することを通して、世界を愛することも知った。世界のすべてを僕は愛してる」
「……静湖様……」

 御影は、一歩さがった。しばらく、唇をかんで黙りこんでいた。そして顔をくしゃくしゃにして、ぼろぼろと涙の雫をこぼした。

「こんなはずじゃなかった! あなたを守る道があったはずだった! あなたの愛は世界を癒すかもしれない、だけど私は、あなたをお見送りすることなんてできません──一緒に行かせてください」

 静湖は思わず口を開け、目を瞬いた。

「御影、なにを考えている」

 天海が御影に駆けより、歯がいじめにしようとする。
 それを思いきり振り払い、御影は叫んだ。

「お許しください天海様! 御影は、御影は──御影が愛し抜く者はこの世でただひとりです、私のすべての旅はその方とともにあったのです、私はその方の旅を見届ける!」

 御影は、静湖の体を手すりの前に守るように天海に立ち向かう。

 それは一瞬か、しばしの間か、天海と御影はにらみあっていた。准が、望夢が、斑葉が、そして渦中の静湖もが、言葉を挟むこともできず息を詰めていた。

 が、ふいと御影は顔をそらし、静湖のほうを向いてうつむいた。

「静湖様……どうするおつもりだったのですか」

 静湖は大穴を横目で見おろす。そこには暗黒が口を開いている。

「御影も、ともに行かせてください」

 御影が目をあげたとき、そこにたまっていた涙がまたもとめどなく流れ落ちた。静湖はただ驚くばかりで、泣くことなど考えられない。だがその取り乱した姿こそが──静湖が愛した人の、愛への答えだった。

 静湖は小さく反論した。

「御影、だけど」
「御影の命もまた、それを望むのです」

 はい、も、ありがとう、も言えなかった。言うべきではなかった。
 静湖はただ心の泉に向ける思いを研ぎ澄ました。唇は言葉を紡ぐ。

「御影、ずっと、ともに」

 御影の手が、静湖に伸ばされる。その手を取ったら、もう──。

「絶対に間違ってるよ!」

 准の声が、鋭く空気を裂いた。
 声だけでなく、准は二人の間に飛びこみ、静湖の手を引きよせた。

「しずが犠牲にならなきゃいけないなんて、僕は、絶対におかしいって思う! 御影さんもそう思うでしょう?」

 准を見つめる御影の瞳が揺れた。だがそれは逡巡ではなく、迷いない心の証に見えた。
 静湖は准の手を引いてこちらを向かせた。

「准」
「しず!」
「僕は行くよ。元気でね」

 准がはっと目を見開く。静湖は准の手を逃れ、手すりに背中をもたれさせる。あとは地を蹴るだけ。

 それでも静湖を引きとめようとする准の体が、うしろから取り押さえられた。天海だった。天海のつらさをこらえるようなまなざしが、御影の見開かれた瞳とからまり、刹那、二人の間になにかが交わされる。

「──行け!」

 魂を吐ききるように天海は叫ぶ。その声は、王国を双肩に背負った男の、荷の重み以上の思いを抱いて震えた。

 静湖は、隣に並んだ御影に手を握られた。
 心から、なにかに呼応する力があふれる。

 体が、手をつないだ御影の体とともに浮きあがった。
 通路の手すりを越える高さまで、皆の視線が交差する先へ、浮いた。そしてふっとうしろに倒れこみ、穴に落下した。

「うあああぁぁぁっ……!」
「兄様──!」

 准の慟哭どうこくと望夢の声が追いすがる。

 大地の深淵へ、原初の銀河へ、生まれ変わりの果てへ。
 御影が静湖を強く抱きよせた。

「ずっとお守りします、永遠とわの果てまでも」

 その言葉を聞き届けたとき、静湖の意識は果てなく広がっていくように消えた。

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