魔法使いの恋歌 〜波空国交響譚〜

星乃水晴(すばる)

文字の大きさ
80 / 87
第五番

第79話 宙の夢、流の曲 1

しおりを挟む
 じゅんは大穴を見おろして震えていた。

「しず……、御影さん……」

 二人の姿はすっかり暗黒の中に消えてしまった。今頃どうしているか、想像もつかない。

 そのとき、かららん、と乾いた音がした。
 なにかが通路の下、穴のふちに転がったのが見えた。

 准が目を凝らすと同時に、穴の縁に光が瞬いた。直後、准のよく知る三人の人物が、その場に転がりでた。

がいさん? すいさんにせんまで!」

 天海や望夢のぞむが目を丸くする中、ひゅう、と斑葉いさはが口笛を吹き鳴らした。

「〈リュウ〉は消えたってのに、意志の残響か」

 准はそれを聞くまでもなく、とっさに天狼の姿になって通路を飛びだし、三人のもとに舞いおりて変身を解いた。

「准じゃねぇか! ってことは、ここは王都か?」

 鎧が大きく目を見開いて周囲を見回す。

 立ち並ぶ巨大なドームと、その間を張り巡らされた水路に空中通路、脇の大穴。そして中空に無数に浮かんでいる、世界中の光景を映した球。

 鎧は目を白黒させながら言った。

「あんなことのあとじゃ、もう驚きはせんと思ってたが……王都ってのは、けったいなところだな、彗」
「いや、俺の知ってる王都とはだいぶ違いますね」

 鎧と彗が言いあう横で、扇が床からなにかを拾いあげた。

「これは、私の……いや、御影さんの」

 それは一対の義足だった。
 扇は皆の視線を受けながら、静かにつぶやく。

「これはもともと私のものだったのです。この場に私たちが呼ばれたのは、きっと」

 義足を握りしめ、扇はゆっくりと准に顔を向けた。

「御影さんに、なにかあったのですね。ひょっとして、しずさんも」
「あ……」

 准は答える言葉が出てこない。

「二人は、今……」

 言いよどむ准を、三人が固唾かたずを呑んで見守る。

「しずは、世界からすべての〈流〉が消えた今、自分が青き〈流〉として世界に響くと言って、御影さんとともに、その穴に……」

 声が震えるのをこらえ、准はなんとか伝える。

「そんな」
「しずちゃん」

 彗と鎧がぽつりとこぼし穴を見つめる。そこにはごうごうと水が流れこみ、深淵が口を開いている。扇が義足を抱いて言った。

「しずさんはそういう……自分を投げだすような決断をするんじゃないかと心配していました。でも、きっと帰ってくるはずです、皆で信じましょう」

 准はぽかんと扇を見つめた。静湖たちが帰ってくる、それを考えもせずにいた自分を恥じ、心に希望がわくのを感じた。

 ──僕が信じなくてどうする……!

「……うん!」

 准は大きくうなずいた。



 ゆらゆらと海が揺れていた。
 いや、空だろうか。

 光る波が走り、すべての色を内包してなお青く輝いていた。

 そこには音楽が満ちていた。あるいは音楽の予感が。いまだ音楽とはならず、響くための力をあふれさせる寸前の予兆が、青の海、ないし空には満ちていた。

 その中を、静湖しずみはたゆたっていた。

 静湖もまた、響き渡る寸前の音楽をかかえていた。あふれそうな力が静湖を静湖たらしめていた。芽吹く間際の音楽のつぼみは、今にも花弁を震わせそうだ──その印象が静湖のすべてだ。

 体はない。世界は見えているが、顔も目もない。いや、見えているのだろうか? もし目が現れて、それを開けることができたら、もっと違う光景が見えるのかもしれない。

 そう思ったとき、

「わっ、見えた」

 口も現れ、言葉がこぼれた。そして静湖は自分という器に──体に収まった。それとともに、萌芽しそうだったつぼみの音楽は、心のどこかつかめない領域へ遠ざかり、どんな曲だったのか、もう感じられなくなっていく。

 一方で目の前には、登り階段が現れた。陽炎のように金色にゆらめき、夢の中のものであるかのように階段以外にはなにもない。その上には誰かがいる気配があった。

「どうしよう」

 静湖は少しためらった。体に収まってみると、あるべきものが取り去られたような、抱きあっていた半身が消えたような空虚を感じた。ごっそりとなにかを忘れていた。ここに来るまでのことも、大切なもののことも。

「でも、行かなきゃ」

 ここにいても仕方がない、と静湖は階段に足をかけた。
 登っていくと、階段の脇に世界が広がっていった。

 花々が咲き誇り、鳥や虫が遊び、木々が枝葉を広げ、その向こうにはあの海ないし空が波打っている。青い海や空から、さまざまなものたちが虹色に生まれでて、形をとっていく様が見えた。

 波打つ海ないし空は原初の根源、あるいは混沌。花や木や生きものはそこから生まれでている音楽だ、と感じられた。音楽は花そのもの、木々そのものになるのではなく、花に虫がもぐる様を、鳥が枝を飛びたつ様を響かせていた。そこには〈流〉が生まれつつあるのだ、と静湖はどこかで知っていた。

 それらに目と耳を遊ばせるうち、頂上にたどりついた。
 大理石が並べられた場に、淡い天空から星々を表した金銀の装飾が垂れ、しゃらしゃらと音を立てて揺れていた。

 中央には七角形の神座があり、黄金に輝く神像が座していた。その前には、大きな卵のようなものが浮いている。透明な殻の中には、ひざをかかえてうずくまる子どもの姿があった。

白流しろる……!」

 白流は透きとおった殻の中に守られ、ひざに顔をうずめて動かない。神座に向かいあって瞑想をしながら永年を過ごし、いつしかその思念が殻を形づくったかのように、神像に見守られていた。

 静湖はそばに近寄ろうとして、ぎょっとした。
 黄金の肌に薄布をまとった神像が、あぐらをかいた足を組みかえ、思案するようにあごに寄せていた手を膝につき、静湖のほうに顔を向けたのだ。

 静湖は神像の視線にとらわれた。いや、像ではなく生きた存在だ。

「よく来たな、青流あおる

 神像のような男が、ゆっくりと場に声を響かせた。

「あなたは……黄金流きんる?」

 静湖が尋ねると、男はすがすがしい表情でうなずいた。

「さよう、黄金流と呼ばれる者だ」
「白流はどうしてしまったの?」

 静湖は不思議と黄金流に気圧されることなく、旧知の相手であるかのように尋ねていた。黄金流は金色の腕を組み、卵のようなものに目をやった。

「泣き疲れて眠り、心を閉ざしてしまった。もとはこんなに幼くはなかったのだが」

 静湖は殻の中の白流をうかがう。眠っている姿はあどけない。子どもでない白流を想像することはできなかったが……。

 黄金流は卵のようなものから目をあげると、静湖に語りかけてきた。

「久しいな、青流。君をこの場に呼んだのは私だ。でも今は青流と呼ばれても響かないかな。私のことも覚えていないだろう」

 静湖はその言葉で、自分のことに引き戻された。

 あふれるような音楽を、忘れてしまった。
 その音楽で、なにかをしようとしていた。その音楽は、響き渡る場所を待っていた。

 自分はなにをしようとしていたのだったか──。

「……いろいろなことを、忘れてしまって」

 静湖はそう言いながら、神座に近づいていった。

「この場所はいったい? あなたは神様みたいですね」

 黄金流は腕組みを解いて、ははは、と笑った。

「神として慕われたこともある。表の世界の私は〈反転〉を起こしかけた〈流〉として、長らく〈流の炉〉に眠らされていた。それからは神を気取って王都を、王国を眺めていたよ。この座からね」
「波空の神様……」
「そんなたいそうなものじゃない。君と同じ〈流〉の王と呼ばれる存在だ」

 そっか、僕は青流なんだ──と静湖は素直に感じた。
 だが黄金流は親しみに満ちた表情をくずし、重々しく目を伏せた。

「今、表の世界での戦いによりすべての〈流〉は力を失い、形を失い、混沌の中に溶けあっている。私と白流ももうすぐこの姿を保てなくなるだろう。そうなる前に、君と話がしたくて待っていたのだ」
「僕と話がしたくて?」
「ああ。〈人〉として生きる君に、伝えておきたい話があるのだ──この世界はどうして生まれ、これからどうなるべきか」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

私の存在

戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。 何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。 しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。 しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。

雨宮羽那
恋愛
 侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。  (私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。  しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。  絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。  彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――? ◇◇◇◇ ※全5話 ※AI不使用です。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...