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第4話『終焉の告白』
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マリアンヌはノアール家の客間の扉を静かに開いた。
一瞬、そこに流れる空気が変わった気がした。淡く焚かれた香の中に、微かに感じるのは懐かしい匂い。昔、春の庭でふと風に乗って届いたような――彼の香水の香り。
「マリアンヌ。……相変わらず、美しいな」
声の主は、深紅の敷き絨毯の上に立つ青年――ジュリアン・ド・マリス。
手にした手袋を無造作に片手で外し、白い指を見せつけるように伸ばしている。その立ち居振る舞いには、変わらぬ自信と軽薄な余裕が漂っていた。
「その言葉、必要かしら?」
マリアンヌは微笑すら見せず、彼をまっすぐに見た。
「必要だとも。君はずっと俺の隣にいた。そういう“思い出”は、忘れがたいものだ」
「まあ、記憶の整理が苦手なのは相変わらずのようね」
「そう突き放すなよ。あの手紙……少し、急ぎすぎたのかもしれない」
ジュリアンは軽く笑った。その笑みには、罪悪感よりも、場を丸く収めようとする意志が色濃く滲んでいた。
「そうね。あれは実に“あなたらしい”お別れだったわ。私に一言もなく、淡々と筆だけで終わらせるなんて」
「でも、君も分かっていただろう? ああいうやり方しか、俺にはできなかったってこと」
「ええ。分かっていたわ。だからこそ、あれ以上を求めようとは思わなかったの」
マリアンヌは椅子に腰掛け、扇子を静かに開いた。ラベンダー色の髪が肩に流れ、その動きに合わせて瞳が淡く揺れた。
「今日は、何をしに来たの?」
「いや、その……正式な手続きと、挨拶をね。親の命令でもあるし」
「つまり、責任はすべて“親の指示”ということ?」
「そんなつもりは――」
「いいえ。あなたの言葉には、もう何の意味も持たないわ」
その言葉に、ジュリアンが目を見開く。マリアンヌの瞳は冷たく、それでいて悲しげだった。
「私はあなたに、何も期待していなかった。でも、それでも少しだけ、誠意というものを見たかったのよ。たった一度くらい、真面目に向き合ってくれることを」
「マリアンヌ……」
「私を置いて、カトリーヌ嬢の元へ行ったあなたを責めるつもりはないわ。彼女は魅力的でしょう。儚げで、おっとりとして、庇護欲を刺激する」
「それは……」
「けれど、あなたが私の手を離した時点で、もう私たちは他人よ」
マリアンヌは扇子を閉じて、静かに立ち上がった。
「あなたの記憶に、私は“惜しい女”として残るかもしれない。でも、それはあなたの過去。私は、私の未来を生きるわ」
「……未来?」
「ええ。私には、今やっと――“孤独ではない選択肢”が見えてきたの」
その言葉の裏に、誰かの影がちらついた。ジュリアンの表情が曇る。
「まさか……誰か、新しい相手が?」
「その詮索に、何の意味があるのかしら?」
「いや、ただ……」
「あなたが私に再び手を伸ばすことなど、最初から許されていなかったのよ」
マリアンヌは一歩、彼の前に進み出た。その動きに合わせて、ドレスの裾がさらりと音を立てた。
「だからどうか、誇りくらいは最後まで守って」
ジュリアンは唇を噛んだ。彼の整った顔に、はじめて“後悔”の色が浮かんだように見えた。
「……分かったよ。マリアンヌ、俺はもう、君の前に現れない」
「それが、あなたにできる最大の誠意よ」
言い終えたマリアンヌは、背を向けた。ゆっくりと扉の方へ歩き出す。
その背に、ジュリアンは何も言えなかった。ただ、まるで何かを失ったことを、ようやく理解したような顔をして、そこに立ち尽くしていた。
扉の外に出たマリアンヌは、廊下に待つお兄様の姿を見つけた。
「終わったのか?」
「ええ。ようやくね」
「……お前の中で、すべて切り離せたか?」
「いいえ。そう簡単にはいかないわ。でも――切り離そうとする強さくらいは、持てた気がするの」
「それで十分だ」
お兄様は、妹の肩にそっと手を置いた。マリアンヌはそのぬくもりに、わずかに目を伏せた。
「ところで……“孤独ではない選択肢”とは?」
「秘密ですわ、お兄様」
マリアンヌは、少しだけ唇を上げた。
けれどそれは、皮肉でも仮面でもない、ほんの少しだけ――柔らかい微笑だった。
一瞬、そこに流れる空気が変わった気がした。淡く焚かれた香の中に、微かに感じるのは懐かしい匂い。昔、春の庭でふと風に乗って届いたような――彼の香水の香り。
「マリアンヌ。……相変わらず、美しいな」
声の主は、深紅の敷き絨毯の上に立つ青年――ジュリアン・ド・マリス。
手にした手袋を無造作に片手で外し、白い指を見せつけるように伸ばしている。その立ち居振る舞いには、変わらぬ自信と軽薄な余裕が漂っていた。
「その言葉、必要かしら?」
マリアンヌは微笑すら見せず、彼をまっすぐに見た。
「必要だとも。君はずっと俺の隣にいた。そういう“思い出”は、忘れがたいものだ」
「まあ、記憶の整理が苦手なのは相変わらずのようね」
「そう突き放すなよ。あの手紙……少し、急ぎすぎたのかもしれない」
ジュリアンは軽く笑った。その笑みには、罪悪感よりも、場を丸く収めようとする意志が色濃く滲んでいた。
「そうね。あれは実に“あなたらしい”お別れだったわ。私に一言もなく、淡々と筆だけで終わらせるなんて」
「でも、君も分かっていただろう? ああいうやり方しか、俺にはできなかったってこと」
「ええ。分かっていたわ。だからこそ、あれ以上を求めようとは思わなかったの」
マリアンヌは椅子に腰掛け、扇子を静かに開いた。ラベンダー色の髪が肩に流れ、その動きに合わせて瞳が淡く揺れた。
「今日は、何をしに来たの?」
「いや、その……正式な手続きと、挨拶をね。親の命令でもあるし」
「つまり、責任はすべて“親の指示”ということ?」
「そんなつもりは――」
「いいえ。あなたの言葉には、もう何の意味も持たないわ」
その言葉に、ジュリアンが目を見開く。マリアンヌの瞳は冷たく、それでいて悲しげだった。
「私はあなたに、何も期待していなかった。でも、それでも少しだけ、誠意というものを見たかったのよ。たった一度くらい、真面目に向き合ってくれることを」
「マリアンヌ……」
「私を置いて、カトリーヌ嬢の元へ行ったあなたを責めるつもりはないわ。彼女は魅力的でしょう。儚げで、おっとりとして、庇護欲を刺激する」
「それは……」
「けれど、あなたが私の手を離した時点で、もう私たちは他人よ」
マリアンヌは扇子を閉じて、静かに立ち上がった。
「あなたの記憶に、私は“惜しい女”として残るかもしれない。でも、それはあなたの過去。私は、私の未来を生きるわ」
「……未来?」
「ええ。私には、今やっと――“孤独ではない選択肢”が見えてきたの」
その言葉の裏に、誰かの影がちらついた。ジュリアンの表情が曇る。
「まさか……誰か、新しい相手が?」
「その詮索に、何の意味があるのかしら?」
「いや、ただ……」
「あなたが私に再び手を伸ばすことなど、最初から許されていなかったのよ」
マリアンヌは一歩、彼の前に進み出た。その動きに合わせて、ドレスの裾がさらりと音を立てた。
「だからどうか、誇りくらいは最後まで守って」
ジュリアンは唇を噛んだ。彼の整った顔に、はじめて“後悔”の色が浮かんだように見えた。
「……分かったよ。マリアンヌ、俺はもう、君の前に現れない」
「それが、あなたにできる最大の誠意よ」
言い終えたマリアンヌは、背を向けた。ゆっくりと扉の方へ歩き出す。
その背に、ジュリアンは何も言えなかった。ただ、まるで何かを失ったことを、ようやく理解したような顔をして、そこに立ち尽くしていた。
扉の外に出たマリアンヌは、廊下に待つお兄様の姿を見つけた。
「終わったのか?」
「ええ。ようやくね」
「……お前の中で、すべて切り離せたか?」
「いいえ。そう簡単にはいかないわ。でも――切り離そうとする強さくらいは、持てた気がするの」
「それで十分だ」
お兄様は、妹の肩にそっと手を置いた。マリアンヌはそのぬくもりに、わずかに目を伏せた。
「ところで……“孤独ではない選択肢”とは?」
「秘密ですわ、お兄様」
マリアンヌは、少しだけ唇を上げた。
けれどそれは、皮肉でも仮面でもない、ほんの少しだけ――柔らかい微笑だった。
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