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第5話『再び差し出された手』
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午後の陽が斜めに差し込み、サロンの窓辺をやわらかく照らしていた。
マリアンヌは机に向かい、便箋の上に万年筆を滑らせていた。筆先が紙をすべるたび、心の中の何かも静かに整理されていくようだった。
――ジュリアン。
もうその名を心の中で繰り返すことはないだろう。
彼に抱いた感情は、愛情ではなく“通過点”でしかなかったと、今は思える。
扉の向こうでノックの音がした。
「お姉様、公爵様がお見えです」
アデルの声に、一瞬だけ筆が止まる。
まるで予感していたかのように、マリアンヌはすぐに立ち上がった。
「通してちょうだい」
髪を整え、ドレスの皺を確かめる。ピンクがかったグレーの薄手のドレスは、光の角度でわずかに青みを帯び、肌の白さを引き立てていた。
やがて扉が開き、漆黒の髪を持つ男が静かに現れた。
「突然の訪問を許してほしい」
「いえ、ちょうど良かったの。お茶を淹れたところよ」
マリアンヌは優雅に手を差し出し、隣の椅子を示した。
レオンは躊躇なくそこに腰を下ろす。背筋を伸ばしたまま、視線は彼女から逸らさない。
「……あの後、考えたのだ」
「契約の話なら、もうお断りしたはずですわ」
「契約ではない。――再提案だ」
マリアンヌの手が、湯気を立てるティーカップの取っ手で止まった。
「再提案、とは?」
「名ばかりではない。形だけでもない。今度は、私の意志として、君に申し出る」
「……」
レオンの声は低く、硬質だったが、そこには確かに“熱”があった。
「私は、自分が他人を必要とするとは思っていなかった。けれど、君に出会って、それが変わった」
「変わった……?」
「君は誇りを手放さなかった。誰よりも強く、誰よりも美しいと思った」
マリアンヌの指先がわずかに震えた。だが彼女はすぐに背筋を正し、冷静に問い返す。
「それは、同情ではなく――敬意、ということでよろしいかしら?」
「……敬意と、もう一つ」
レオンの瞳がマリアンヌを捉える。まっすぐで、嘘がない。
けれど、恋の言葉など一つもなかった。ただ、静かな誠意だけがあった。
「私は、君に必要とされたい。契約ではなく、選ばれたいと思った」
その一言に、マリアンヌの呼吸が浅くなる。
冷たく閉じていた胸の奥で、小さな火が静かに灯るような感覚だった。
「……私は、簡単には笑えませんのよ?」
「それでもいい」
「涙も流せません」
「その目に、もう二度と涙を浮かべさせたくはない」
「皮肉と毒舌と、気まぐれと――」
「全部、面白いと思った」
レオンは淡々と、けれどどこか不器用に言葉を重ねていく。
マリアンヌは、ふと目を伏せた。
彼の言葉は甘くない。けれど、どこまでも誠実だった。
「……では、一つだけ条件を」
「聞こう」
「私の“仮面”を、いつか剥がすことができたなら――そのときに改めて申し出てくださいな」
レオンはわずかに微笑んだ。いつもの無表情とは違い、そこにはほのかな安堵の色があった。
「……では、その日まで、通うとしよう。君の仮面の裏を見に」
「気の長いお方ね、公爵様」
「君のような人には、それくらいがちょうどいい」
やがて、ティーカップに注がれた紅茶が冷めていくまで、ふたりは静かに言葉を交わした。
たどたどしく始まった関係だった。
だがその時間だけは、仮面も誇りも要らない――そんな錯覚が確かに、そこにはあった。
マリアンヌは机に向かい、便箋の上に万年筆を滑らせていた。筆先が紙をすべるたび、心の中の何かも静かに整理されていくようだった。
――ジュリアン。
もうその名を心の中で繰り返すことはないだろう。
彼に抱いた感情は、愛情ではなく“通過点”でしかなかったと、今は思える。
扉の向こうでノックの音がした。
「お姉様、公爵様がお見えです」
アデルの声に、一瞬だけ筆が止まる。
まるで予感していたかのように、マリアンヌはすぐに立ち上がった。
「通してちょうだい」
髪を整え、ドレスの皺を確かめる。ピンクがかったグレーの薄手のドレスは、光の角度でわずかに青みを帯び、肌の白さを引き立てていた。
やがて扉が開き、漆黒の髪を持つ男が静かに現れた。
「突然の訪問を許してほしい」
「いえ、ちょうど良かったの。お茶を淹れたところよ」
マリアンヌは優雅に手を差し出し、隣の椅子を示した。
レオンは躊躇なくそこに腰を下ろす。背筋を伸ばしたまま、視線は彼女から逸らさない。
「……あの後、考えたのだ」
「契約の話なら、もうお断りしたはずですわ」
「契約ではない。――再提案だ」
マリアンヌの手が、湯気を立てるティーカップの取っ手で止まった。
「再提案、とは?」
「名ばかりではない。形だけでもない。今度は、私の意志として、君に申し出る」
「……」
レオンの声は低く、硬質だったが、そこには確かに“熱”があった。
「私は、自分が他人を必要とするとは思っていなかった。けれど、君に出会って、それが変わった」
「変わった……?」
「君は誇りを手放さなかった。誰よりも強く、誰よりも美しいと思った」
マリアンヌの指先がわずかに震えた。だが彼女はすぐに背筋を正し、冷静に問い返す。
「それは、同情ではなく――敬意、ということでよろしいかしら?」
「……敬意と、もう一つ」
レオンの瞳がマリアンヌを捉える。まっすぐで、嘘がない。
けれど、恋の言葉など一つもなかった。ただ、静かな誠意だけがあった。
「私は、君に必要とされたい。契約ではなく、選ばれたいと思った」
その一言に、マリアンヌの呼吸が浅くなる。
冷たく閉じていた胸の奥で、小さな火が静かに灯るような感覚だった。
「……私は、簡単には笑えませんのよ?」
「それでもいい」
「涙も流せません」
「その目に、もう二度と涙を浮かべさせたくはない」
「皮肉と毒舌と、気まぐれと――」
「全部、面白いと思った」
レオンは淡々と、けれどどこか不器用に言葉を重ねていく。
マリアンヌは、ふと目を伏せた。
彼の言葉は甘くない。けれど、どこまでも誠実だった。
「……では、一つだけ条件を」
「聞こう」
「私の“仮面”を、いつか剥がすことができたなら――そのときに改めて申し出てくださいな」
レオンはわずかに微笑んだ。いつもの無表情とは違い、そこにはほのかな安堵の色があった。
「……では、その日まで、通うとしよう。君の仮面の裏を見に」
「気の長いお方ね、公爵様」
「君のような人には、それくらいがちょうどいい」
やがて、ティーカップに注がれた紅茶が冷めていくまで、ふたりは静かに言葉を交わした。
たどたどしく始まった関係だった。
だがその時間だけは、仮面も誇りも要らない――そんな錯覚が確かに、そこにはあった。
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