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第32話
しおりを挟む怒ってはいけない。興奮したら、死ぬ。
喉の首輪が、私の脈を数えている。
「ちり……」という音が、刃の研ぎ音みたいに聞こえる。
私は息だけで、配信の枠を回している。
だから、怒りも演出で作るつもりだった。
冷静に。淡々と。数字を積み上げて、王家を詰ませる。
それが最短で、弟を救う道だと信じてた。
空の巨大モニターに、王城保管庫の銀の箱が映る。
【事故記録/所有者:王家】
【改竄耐性:高】
【再生:可能】
全国の水晶灯が、同じ映像を吐き出す。
コメントが降る。
【本当に事故じゃなかった】
【近衛第三って……王太子の直轄だろ】
【親を殺して、娘を悪役にして、弟を人質?】
私は、まだ泣けない。泣いたら脈が上がって死ぬ。
笑えない。怒鳴れない。叫べない。
感情は全部、息の底に沈めてきた。
沈めて、沈めて、沈めて。
でも。
銀の箱の蓋が、勝手に開いた。
多数派の「見たい」が、鍵になった。
王城は結界が落ちている。透明な箱だ。
隠したくても、隠せない。
映像が再生される。
夜の街道。雨。馬車。松明の列。
視点は、誰かの兜の内側だ。呼吸音が近い。
「対象はルージュ家。夫婦のみ」
「事故に見える。落とせ」
淡々とした声。
次の瞬間。
車輪が外れる。御者が叫ぶ。馬が暴れる。
崖の縁へ、誘導されるみたいに寄せられていく。
そして落ちる。
落下の音。木材が砕ける音。
最後に、母の声がした。
私の名前を呼ぶ声が。
喉の首輪が、ちり、と鳴った。
脈が上がった。自分でも分かる。
視界の端が白くなり、喉の内側に光の刃が触れた感覚が走る。
「落ち着け」
私は自分に命令する。
「息。吸って、吐いて」
コメントが、さらに落ちてくる。
【処理完了。記録は王家保管庫へ】
【部隊紋章照合:近衛第三騎士団/一致 99.1%】
映像に重ねて、配信の解析が表示される。
私は、まだ耐えた。
これが真実だ。証拠だ。
だから冷静に、次へ繋げればいい。
そう、頭は言う。
でも胸の奥が、別のことを言った。
「ふざけるな」
その言葉を、声にできない。
だから私は、息で言った。
肺の奥から、熱いものを吐き出すみたいに。
喉の首輪が、また「ちり」と鳴る。
刃が、喉を測る。
危ない。分かってる。分かってるのに。
映像が切り替わる。
別の記録だ。
薄暗い地下。湿った石の廊下。
「子どもは別動で確保済み」
その一言で、世界が傾いた。
弟は、事故のあとに「確保」された。
偶然じゃない。
最初から、私の家は狙われていた。
両親を落として、私を孤立させて、弟を握る。
全部、一本の線だ。
私は息を止めかけた。
止めたら、余計に心拍が跳ねる。
だから、逆に吸った。
深く。深く。深く。
吸い込みすぎて、胸が痛い。
その瞬間。
空気が、きしんだ。
広場の上の雲が、低く沈んだ。
さっきまで晴れていたはずの空が、急に鉄色になっていく。
風が、横から殴るみたいに吹き付けた。
水晶灯の火が、一斉に揺れる。
コメントがざわつく。
【え、天気?】
【嵐!?】
【誰が術式を……】
違う。
術式じゃない。
演出でもない。
私が「そう見せた」わけでもない。
私の中の怒りが、沈めきれずに溢れた。
息の隙間から漏れたそれが、精霊力の場に触れた。
支持率が五十を超えた世界は、防壁じゃない。
出力そのものが別物だ。
だから、私の感情が――天候にまで届く。
雨粒が、最初の一滴だけ落ちた。
石畳に当たって弾ける音が、やけに大きい。
次の瞬間、雨が一斉に降り出した。
豪雨。叩きつけるような雨。
王妃の圧で膝を折らされていた群衆が、顔を上げる。
雨が彼らを叩いても、誰も目を逸らさない。
むしろ、目が覚めたみたいに見開かれていく。
私は、処刑台の上で震えた。
寒さじゃない。
怒りだ。
喉の首輪が、狂ったみたいに「ちり、ちり」と鳴る。
刃が喉に触れた幻覚が、何度も走る。
このまま心拍が上がれば、私は死ぬ。
それでも。
私は初めて、演出じゃない怒りを、外に出した。
誰かに見せるためじゃない。
票を稼ぐためじゃない。
ただ、許せなかったからだ。
空に、テロップが落ちる。
私の意図を拾って、禁忌の精霊石が文字にする。
【これは事故じゃない】
【これは国家のためでもない】
【これは、殺人だ】
雷が鳴った。
王城の尖塔のすぐ上で、白く裂ける稲光。
その光に照らされて、カイルの顔が映る。
光の檻の中で膝を折ったまま、唇だけが動く。
心音翻訳の字幕が勝手に出た。
【……まずい。地下の扉が、投票で開く】
私は、息を呑みかけて、無理やり吐いた。
地下の扉。
投票確定と同時に連動する、あの仕組み。
開いた瞬間に、弟が「消される」。
怒りで天候を荒れさせた私のせいで、世界が騒ぐ。
騒げば騒ぐほど、投票が加速する。
加速すれば――地下の扉が開く。
やめろ、と叫べない。
止めろ、と走れない。
怒りたいのに、怒ったら死ぬ。
弟を救いたいのに、盛り上がったら弟が消える。
雨の中で、私は笑いそうになった。
笑ったら死ぬから、笑えない。
その代わり、息だけで、次のテロップを落とした。
【投票する前に、見て】
【地下の扉が開いた瞬間、“処理”が始まる】
【あなたたちの一票で、弟が死ぬ】
雷鳴が、もう一度。
今度は、もっと近い。
王城のどこかで、重い扉が軋む音がした気がした。
まだ投票は確定していないのに。
誰かが、先に動かした。
雨の幕の向こうで、王城の地下へ続く通路が、わずかに光った。
そして配信枠の端に、赤い警告が点滅する。
【警告:地下連動トリガー、先行起動】
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