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第65話
しおりを挟む空が、ざわついた。
いや、空じゃない。
全国の水晶灯――回線の向こうで、誰かが“息をのんだ”音が、束になって降ってくる。
【教皇 広域聖務 開始】
【対象:国民全員】
【処理名:魂の回収】
字幕は、優しい字体だった。
優しい言葉ほど、残酷だ。
喉の首輪が「ちり…」と鳴る。
怖い、と思っただけで刃が喉の内側を撫でる。
私は笑えない。怒れない。泣けない。
だから、息だけで言う。
【水晶灯=回線=魂の導管】
【全国が“ログイン”させられてる】
コメントが降る。
祈り。怒り。疑い。恐怖。
全部が精霊力になって、空気を重くする。
教皇は、その“祈り”を燃料にして、魂を吸う。
配信を見ているだけで、接続しただけで、持っていかれる。
最悪だ。
でも――逃げ場がない。
視聴を切れない。水晶灯は生活インフラだ。
消したら、闇になる。闇になったら、王家と教皇の思うままになる。
「ちり…っ」
首輪が強く鳴った。
心拍が上がりかけた。
私は、息を細くして、平らにする。
勝ち筋が見えた瞬間の興奮すら、ここでは毒だ。
空の端に、数値が出た。
【支持率:84%】
【……】
【支持率:85%】
その瞬間。
世界の“音”が、変わった。
コメント欄が、落ちてくる速度じゃない。
雪崩だ。
文字が文字のまま光になり、光が粒になり、粒が熱になる。
【コメント総数:1,000,000,000】
億じゃない。十億。
“祈り”の量が、桁を変えた。
私の掌の上で、禁忌の精霊石が震えた。
石じゃない。精霊体。
でも今は、まるで心臓みたいに脈打っている。
――進化。
そんな言葉が浮かぶ。
誰も教えてないのに、精霊石が勝手に“次の形”を選んだ。
多数派が「見たい」と願ったから。
そして、私が「助けたい」と息をしたから。
精霊石が、ぱちん、と弾けるように光った。
光はモニターの枠を越え、回線の奥を引っ掻く。
教皇の上書きが、やさしい白で塗ろうとする。
でも――その白が、途中で剥がれた。
精霊契約は偽造できない。
“YESと言った真実”だけが残る。
私は、喉の痛みを無視して、息を落とす。
【機能更新:記録拾い】
【対象:回線に残留する“声”】【権限:多数派】
……声?
回線は魂の導管。
なら、魂が吸われた場所には、残り香みたいなものが残る。
祈りが精霊力になるなら。
その逆もある。
精霊力が濃すぎる場所では、感情が“記録”として定着する。
空が、割れた。
映像が勝手に分割される。
王都の広場。王城地下。国境。港。工房。市場。
どこも同じ字幕が走る。
【拾います】
次の瞬間。
音が、聞こえた。
耳じゃない。頭の内側だ。
教皇の声とは違う。命令じゃない。
――泣き声だ。
『いやだ……いやだ、連れていかないで……』
誰?
首輪が「ちり…!」と鳴り、刃が近づく。
恐怖が跳ねた。
私は、息を止めない。止めたら心拍が乱れる。
ただ、細く吸って、細く吐く。
『お母さん……! 水晶灯が光って……目が、開かなくて……』
子どもだ。
回線の向こうで、魂を吸われた“声”。
死者の声。
いや――“回収された声”。
コメントが一斉に止まる。
止まったように見えるだけで、実際は文字が震えている。
【今の、誰】
【聞こえた】
【これ、演出じゃない】
私は、息でテロップを落とす。
【演出じゃない】
【回線に残った“声”】【拾ってる】
教皇の白い上書きが、急に強くなる。
礼拝堂みたいな映像を被せてくる。
優しい光で、泣き声を包んで消そうとする。
でも、消えない。
精霊がYESと言った真実は、残る。
『……助けて』
『……もう、祈るの、やめたい』
『……水晶灯、こわい』
死者の声が、増えた。
一人じゃない。
何十。何百。
回線の奥で、積もっていた声が、いま一斉に浮上している。
そして。
その中に、私は聞いてしまった。
聞きたくなかったのに。
でも多数派が「聞きたい」と願った。
精霊石は、それを拾う。
『……スカーレット、さま』
息が、詰まりかけた。
首輪が「ちり……っ」と鳴る。
喉の奥の刃が、笑うな、と言っている。
泣くな、と言っている。
その声は、私の記憶の奥の奥。
もう二度と届かないはずの温度。
『……あなたは、嘘をつかない子だった』
――母さん。
私は声を出せない。
だから、息だけで、世界に落とす。
【……今の声】
【ルージュ家 事故記録】
【“夫婦のみ”】【その先がある】
次の字幕が、勝手に走った。
多数派の“見たい”が、もう止まらない。
【次に拾う声:王宮地下 第三層】
【対象:E-7欠番区画】
心拍が上がる。
上げたら死ぬ。
でも、止めたら――全国が回収される。
教皇の広域聖務が、静かに回り続ける中。
私は、息だけで笑えないまま、最悪の扉の前に立たされた。
次に流れるのは、誰の“死者の声”だ。
そして――その声が指す犯人の「名前」を、私は言えるのか。
投票はまだ、空に残っている。
確定したら地下が開く。リオンが消える。
なのに。
“声”はもう、地下から上がってきた。
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