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第66話
しおりを挟む泣き声が、回線の奥から聞こえる。
子どもの声じゃない。もっと古い。もっと――私の骨に刺さる声。
首輪が「ちり…」と鳴って、喉の内側の刃が撫でた。
怖い。
そう思っただけで、私は死ねる。
だから私は、息だけでテロップを落とす。
【機能:記録拾い/対象:回線に残留する“声”】【権限:多数派】
空に並んだ文字は、私の指示じゃない。
“見ている人たち”が、私の代わりに操作している。
回線の奥で、声が折り重なる。泣き声、叫び、祈り。
そして――その中に、はっきり混ざった。
「……スカーレット」
呼ばれた瞬間、心臓が跳ねかけた。
首輪が「ちりっ!」と強く鳴る。刃の感触が、舌裏をなぞった。
やめろ。泣くな。喜ぶな。
感情は、全部、死に直結する。
私は息を細くしたまま、浮いたまま、回線の配管に手を伸ばさない。触れない。
触れたら、何かが確定してしまう気がした。
空の巨大モニターが勝手に分割される。
【自動ズーム:対象/回線残留ログ】
映像が“映る”。
いや、映像じゃない。
回線に残った精霊の残滓が、形を取っているだけだ。
薄い光の輪郭。二人分。
父。母。
私の両親が、事故に見せかけて落とされた――あの夜のままの姿で、そこに立っていた。
コメントが、雨みたいに降ってくる。
【嘘でしょ】
【本物?】
【精霊契約のYES映像しか残らないんだよね】
【なら、これは……】
私は呼吸だけで、首輪をなだめる。
泣いたら死ぬ。
でも、泣かないでいられるわけがない。
母の残滓が、私を見て笑った。
笑い方だけが、生前のままだった。
「大きくなったね」
声は耳じゃない。回線から、骨の内側に直接届く。
父の残滓が、一歩前に出る。
その動きだけで、私の胸が締まった。
「見ていた」
「ずっと、回線の向こうから」
私は首輪の音を聞きながら、必死に平らな心拍を探す。
この世界は残酷だ。
“見ているだけで魂を回収される”回線の中に、私の両親の痕跡が残っている。
生きている人間はログインさせられて、死んだ人間はログとして残る。
じゃあ、私たちは何だ。
視聴者? 燃料? 材料?
父が言った。
「お前が、孤児院に金を流してくれたことも」
「夜中に帳簿を回して、この国の腹を満たしていたことも」
「全部、見ていた」
私は、息だけで首を振った。
違う。私は善人じゃない。
私は生き残るために、計算しただけだ。
私は“悪役令嬢”の仮面を被せられて、使われて、殺されかけた。
だから、やり返しているだけ。
そう思った瞬間に、首輪が「ちり…」と鳴った。
心拍が上がる。
“否定”の感情すら危険。
母が、私の言い訳を遮るように続けた。
「ありがとう」
たったそれだけ。
たった一言で、胸の奥が崩れた。
首輪が「ちりっ、ちりっ」と連続で鳴る。
刃が、喉の内側をなぞり、笑いも泣きも許さないと脅す。
私は、息を止めない。止めたら心拍が乱れて死ぬ。
代わりに、息を細く、細く、細くする。
それでも涙は勝手に出た。
落ちるはずの涙が、頬の途中でふわりと浮いた。
床に触れない私の身体が、涙まで浮かせる。
空に、勝手にテロップが落ちる。
【泣くなって言う首輪が最悪すぎる】
【泣かせるな】
【首輪、誰が作った】
【教皇の回収に繋がってるなら、首輪も同系統だろ】
“多数派”の怒りが、空気を重くする。
それが私の背中を支える。
でも、支えられても、泣くのは止まらない。
父が、少しだけ頭を下げた。
あの人が。私の前で、頭を下げた。
「すまなかった」
「守れなかった」
母が首を振る。
「違うの。あなたは守った」
「最後まで守った」
「だから、スカーレット」
母の光が、少し揺れた。回線のノイズが混ざる。
“回収”が進んでいる。
教皇の広域聖務は、今も続いている。
この再会すら、長くは持たない。
私は息で、テロップを落とす。
【二人は、回線に残った“声”】【魂の回収の残滓】
【消える前に、教えて。弟リオンはどこ】
父が、静かに言った。
「地下だ」
「だが、扉は投票で開く。触れれば処理が走る」
もう知ってる。
知ってるのに、胸が裂ける。
勝っても負けても、弟が消える仕組み。
逃げ場のないジレンマ。
母が、私を見た。
「あなたは、ひとりじゃない」
「見て」
「今の“多数派”は、あなたの味方だよ」
空のコメントが、さらに増える。
【スカーレットを助けろ】
【リオンを返せ】
【魂回収やめろ】
【教皇を止めろ】
怒りと祈りが精霊力になって、配管の震えが変わる。
回線が、私の味方をし始めている。
父が最後に、笑った。
「お前は、俺たちの誇りだ」
その言葉で、私の心拍が跳ねた。
首輪が「ちりっ!!」と叫ぶみたいに鳴る。
刃が、喉の奥へ滑り込もうとする。
死ぬ。
私は反射で、息を吐いた。長く、薄く、世界の端まで伸ばすみたいに。
その瞬間、空の巨大モニターが勝手に光った。
【多数派権限:安定化/対象:契約者の生体制御 提案】
【承認しますか?】
選択肢が出る。
A:承認(首輪の致死閾値を“多数派の拒否”で押し返す)
B:拒否(現状維持)
私の意思じゃない。
“見ている人たち”が、私を生かすためのボタンを用意した。
投票欄が、勢いよく伸び始める。
そして、母の残滓が消える直前に、囁いた。
「泣いていいよ」
「泣ける世界を、取り戻して」
光がほどけた。
父も母も、回線の奥へ吸い込まれていく。
私は声を出せない。
だから、息でしか言えない。
――ありがとう。
涙が、もう一粒、浮いたまま落ちない。
その涙の向こうで、投票が“確定”の形に近づいていく。
そして同時に、別の警告が空に割り込んだ。
【広域聖務:魂の回収 進行率 臨界】
【次の回収対象:多数派権限保持者(契約者)】
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