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第81話
しおりを挟む花束になった凶器が、檻の隙間から落ちた。白い花弁が石の上でほどけて、血の匂いより先に甘い匂いが広がる。
私は笑えない。笑ったら死ぬ。
首輪が「ちり…」と鳴っただけで、喉の奥に刃の幻が触れた気がして、息を細く整える。
空の巨大モニターは勝手に寄って、カイルの指先と、花束と、私の喉元の首輪を同じ画面に収めた。
【心音字幕:強制表示】
【……くそ。武器が、花に……】
【……まだだ。穴はある。】
黄金の檻の中で、カイルは跪いたままこちらを見上げる。優しい顔。いつも通りの、王太子の顔。
でも字幕は、嘘を許さない。
【……殺せないなら、生かしてやるふりをする】
【……条件を飲ませる。今なら、世界が見てるから断れない】
私は声が出ない。だから息で、精霊石に合図する。
空にテロップが落ちた。
【スカーレット:今、何を条件にするつもり?】
カイルは花束を拾い上げた。わざとらしく胸に当てて、悲劇の役者みたいに伏せる。
「見たか、民よ。私は殺されかけた。だが私は、赦す」
その瞬間、心音字幕が上書きする。
【……赦す?違う。鎖を付ける】
【……奴隷契約だ。逃げ道を塞げ】
コメントが降る。
【赦すとか言うな】
【また演出】
【心音が真っ黒】
カイルは、コメントを見ていないふりをしたまま、私にだけ聞こえるように口を動かした。
「スカーレット。取引だ」
首輪が「ちり…」。私の恐怖を拾った。怖いのは彼じゃない。彼が、まだ穴を探していること。彼が、弟を握っていること。投票が確定したら地下が開くこと。
逃げ場がない。
私は息で、もう一度テロップを落とす。
【取引? あなたが私に出せるカードは何?】
カイルは、檻の中でゆっくり頭を下げた。まるで祈るみたいに。
「私の命だ」
――来た。
「世界が望むなら、私は処刑される。だが、君が望めば助かる」
心音字幕が即座に刺す。
【……助けろ。俺が死んだら終わりだ】
【……だが助けるなら、対価を払わせる】
カイルは続ける。
「君はもう、契約者だ。多数派権限(拡張)まで持ってる。局所ルールを変えられる」
「なら、私を“生かす”ルールも作れるだろう?」
コメントが荒れる。
【助けるな】
【死んで償え】
【でも弟が…?】
そう。弟。
私は喉の奥で、息が引っかかった。首輪が「ちりっ」と強く鳴り、刃が舌裏を撫でた気配で全身が冷える。
泣いたら死ぬ。怒っても死ぬ。勝った喜びでも死ぬ。
私は、ただ息で言う。
【条件を言って】
カイルは、そこで初めて笑った。声は優しいのに、目が乾いている。
「簡単だ。君が私の命を救う。その代わり――」
「私は一生、君の奴隷になる」
広場が凍った。
次の瞬間、コメントが爆発する。
【は???】
【奴隷って言った??】
【王太子が??】
カイルは両手を差し出した。檻の穴の範囲で、鎖を差し出すみたいに。
「契約にしよう。全世界に見える形でな」
心音字幕。
【……奴隷なら、屈辱で縛れる】
【……だが実態は逆だ。主人のふりをさせて、最終的に俺が握る】
【……弟の処理ボタンも、回線も、まだ残ってる】
私は息を止めそうになって、すぐにやめた。止めたら心拍が乱れて死ぬ。
「もちろん、罰も受ける」
カイルは芝居がかった声で言う。
「毎日、配信で跪く。君の許しがなければ立ち上がれない」
「君の名を呼び、君の命令を復唱する。世界中の水晶灯に残るように」
コメントが二つに割れていくのが見える。
【最高の罰】
【生かして辱めろ】
【でも信じるな】
【弟を返せ】
カイルは、その最後のコメントにだけ反応した。ほんの一瞬、口角が引きつる。
【……弟。そこを突かれるな】
【……言質をやる。時間を稼げ】
「弟の件も、善処しよう」
その言葉に、首輪が鳴った。私の中の何かが跳ねた。怒りじゃない。希望でもない。最悪の種類の揺れだ。
“善処”。
つまり、確約しない。
私は、息でテロップを落とす。短く、逃げ道を塞ぐために。
【契約条項:リオンの即時解放。場所の公開。第三者護送。拒否した瞬間、あなたは死ぬ】
カイルの瞳が細くなる。
「強欲だな、スカーレット」
心音字幕が、もっと正直に言う。
【……こいつ、今ここで俺を殺せる】
【……だが殺したら投票が確定して地下が開く】
【……だから、縛れる。縛れば勝てる】
彼は、わざと頭を垂れた。
「いいだろう。君が私を助けるなら、私は君の奴隷になる」
「世界に誓う。精霊契約で。二要素認証で」
空に、勝手に新しいウィンドウが開いた。
【契約提案:王太子カイルの生存許可】
【対価:終身奴隷契約(配信公開/永久記録)】
【追加条項:人質(リオン)即時解放】
【確認:精霊契約 二要素認証】
私の喉が、ひゅっと鳴りそうになる。首輪が待ち構えている。
助ければ、奴隷にできる。辱め続けられる。世界中に、彼の本性を焼き付けたまま。
でも助けた瞬間、彼は息をする。策を回す。回線の裏で、弟を消す手も残る。
助けなければ、彼は死ぬ。けれど投票は止まらない。地下は開く。弟は消える。
詰みの形が、二択で襲ってくる。
カイルは檻の中で、静かに笑った。
「さあ、契約者。選べ」
空の投票表示が、勝手に点滅する。
【確定まで 00:59】
その数字の下で、別の警告が赤く走った。
【連動:投票確定→地下扉開放→対象:リオン 処理】
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