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第82話
しおりを挟む花束は、まだカイルの手にある。
凶器だったのに、今は白い花びらが揺れている。
カイルは笑ってみせた。
「見たかい、スカーレット。君はもう“契約者”だ。局所ルールを変えられる」
その声の上に、空が勝手に字幕を重ねる。
【……武器が花に変わるなら、首輪も変えられるはずだ。変えさせて奪う】
私は息を吸う。
首輪が、ちり、と鳴った。
笑うな。怒るな。勝ったと思うな。
感情は全部、刃に変換される。
私は声の代わりに、テロップを落とす。
『交渉? いいよ。条件は一つ』
カイルの眉が動く。
「条件?」
『“契約”を、あなたの言葉で結ぶこと』
カイルは一瞬だけ躊躇した。
でも、世界が見ている。逃げられない。
「……わかった」
彼は花束を抱えたまま、膝をついた。黄金の檻が、そうさせた。
【……言えばいい。形だけだ。どうせ契約は、俺が上書きする】
空がざわつく。コメントが降る。
【上書きって言った】
【契約は偽造できないって前に出てたよね?】
【嘘つけないの草】
私は息だけで、もう一枚。
『契約内容:あなたは“私に触れない”】【あなたは“弟に触れない”】【あなたは“回線に触れない”】【あなたは“投票に触れない”』
カイルが顔を上げる。
「……大きすぎる条件だ」
【……触れなきゃいい。触れずに命令すればいい。部下にやらせる】
その本音を見た瞬間、首輪が強く鳴りかけた。
ちりっ。刃が舌裏を撫でる幻。
私は呼吸を平らにする。
怖いと思うな。怒るな。弟の顔を思い出すな。
テロップを、短く。
『抜け道も禁止。あなたの“命令”も禁止』
空に、確認が走る。
【提案:契約条項の明文化】
【確認:精霊契約 二要素認証】
【所有者:スカーレット YES】
【精霊同意:YES】
カイルの目が、初めて本気で揺れた。
「待て……それは、契約じゃない。拘束だ」
【……やばい。これ、通る。通ったら俺は“何もできない”】【……でも、弟の処理ボタンはまだ残ってる。投票確定さえさせれば】
私は“投票確定”の文字を見ないようにする。
見たら、心拍が跳ねる。跳ねたら死ぬ。
なのに、配信は容赦なく、空に残り時間みたいに数字を出す。
【投票進行率:92%】
コメントが荒れる。
【早く救え】
【でも契約して縛れ】
【弟が先だろ】
多数派の焦りが、空気を硬くする。
硬くなるほど、首輪が反応する気配がする。私の喉に、世界の焦りが刺さる。
私は、息だけで言う。
『契約する。今。あなたの口で』
カイルは唇を噛んだ。
そして、負ける顔で笑った。
「契約するよ、スカーレット。僕は君に触れない。弟にも触れない。回線にも、投票にも触れない」
空が一瞬、静かになった。
次の瞬間、文字が落ちる。
【契約成立】
【契約者:スカーレット】
【被契約者:カイル】
黄金の檻が、きしむ。
花束の茎が、カイルの指に食い込み、血がにじんだ。
カイルは痛みを隠そうとした。
「……これで満足かい?」
【……やられた。命令も禁止。部下も動かせない。俺の手が、全部塞がった】
その瞬間だった。
カイルの額に、熱を持った線が走る。
赤黒い刻印じゃない。
金でもない。
恥みたいに、黒く、くっきりと。
文字が浮かぶ。
『無能の犬』
カイルが凍った。
「……なに、を」
【……やめろ。やめろ。そんなの、王太子に】
コメントが爆発する。
【出たww】
【無能の犬www】
【消えないやつだろこれ】
【王太子の額に刻むの最高】
私は、笑えない。
笑ったら死ぬ。だから、ただ息を整える。
けれど世界は笑う。
笑いが精霊力になって、空気が軽くなる。私の喉の刃が、少し遠のく。
空に支持率が走った。
【支持率:98%】
【99%】
【99.6%】
カイルは額を押さえた。
でも契約で、触れる行為すら“私に触れる”に近い。
檻が彼の腕を押し戻す。
「スカーレット……君は、王国を壊す気か」
【……この紋章が付いてたら、俺は誰も動かせない。誰も信じない。終わる】
私はテロップを落とす。
『壊すのは、嘘の方』
空が勝手に、最後の一行を足した。
【支持率:99.9%】
そして、次の表示が、冷たく光った。
【投票確定まで 残り 0:12】
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