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第83話
しおりを挟む私は、まだ床に触れられない。
浮いたままの身体で、地下第三層の配管の海を見下ろす。
空の巨大モニターは、もう「上」だけじゃない。
王城の中も、地下も、全部を“透明な箱”として映す。
【投票 A:自白(関与者の名前必須)/B:沈黙(有罪確定)】
その表示が、ずっと消えない。
そして、その下に。
私だけが見たくない文字が、警告みたいに点滅している。
【投票確定→地下扉開放→対象:リオン 処理】
勝っても、負けても。
弟は消える。
だから私は、勝つことでも負けることでもなく。
“仕様そのもの”を壊すために、ここまで来た。
配管の根元。
黒礼拝堂へ続く中継ラインの束の中に、ひとつだけ、違う金具がある。
扉の刻印。
投票と連動する、処分の自動化装置。
触れたら終わり。
触れた瞬間に、処理が走る。
私は息をひとつ、薄く吸う。
首輪が「ちり…」と鳴って、喉の奥の刃が舌裏を撫でた。
怖い、と思っただけで死ねる。
この身体は、そんなふうに作られている。
でも。
怖いからこそ、やる。
空に、文字が落ちる。
私の声の代わりに。
【提案:地下扉の“処理連動”を停止(局所)】
すぐに、世界が返事をする。
私じゃない、“多数派”が、先に押す。
【確認:精霊契約 二要素認証】
【所有者:スカーレット YES】
【精霊同意:YES】
喉の刃が、ほんの少し遠のく。
精霊が、嘘を嫌うから。
【契約成立】
配管の束が、きし、と鳴って。
扉の刻印の赤が、灰に落ちた。
【連動:停止】
そのテロップが出た瞬間、私は息を吐きそうになって、止める。
安心したら死ぬ。
勝った喜びでも死ぬ。
だから私は、ただ目を細めるだけで、感情を閉じ込めた。
次は、回線。
魂を吸う導管。
切れない生活インフラを、切るんじゃない。
“入口”だけを、閉じる。
【提案:魂回収の入口 閉鎖(局所)】
空に出た文字が、世界に刺さる。
【確認:精霊契約 二要素認証】
【所有者:スカーレット YES】
【精霊同意:YES】
【契約成立】
地下第三層の空気が、一段、軽くなる。
耳の奥にあった、薄い泣き声のノイズが、ふっと遠のいた。
“見ているだけで魂を抜かれる回線”。
その毒が、いま、この場所だけでも抜けた。
私は、扉の前へ浮いたまま進む。
床には血のぬめり。
触れたら、きっと心拍が跳ねる。
だから触れない。
触れずに、開ける。
【機能:通行許可(多数派権限)】
勝手に点いた照明が、扉の鍵穴を照らす。
誰かが「見たい」と思ったから。
誰かが「助けたい」と思ったから。
扉が、音もなく開く。
中は、旧拘禁区画。
湿った石の匂い。
鉄の匂い。
奥に、縄で縛られた少年がいる。
口を塞ぐ布が、息に合わせて震えている。
目が合った。
一瞬、瞳が揺れて。
次の瞬間、彼は、泣きそうな顔をした。
それだけで。
私の首輪が「ちりっ」と強く鳴った。
泣くな。
泣いたら死ぬ。
私は、息を吐く。
吐いて、吐いて、喉の奥の刃をなだめる。
「リオン」
声にはならない。
でも、空に落ちる。
【リオン】
彼が、布越しに「んんっ」と呻いて、必死に首を振った。
違う、じゃない。
違うのは、いままでの全部だ。
私は浮いたまま、彼の前に膝をつく“ふり”をする。
床に触れない距離で、手を伸ばす。
指先で、縄をほどく。
精霊力が、糸を切るみたいに静かに解いていく。
布を外すと、リオンは息を吸って。
次の瞬間、私の名前を呼びかけた。
でも、声が出ないのは私だけじゃなかった。
彼の喉も、かすれて、音にならない。
それでも、唇の形で分かった。
「姉さん」
胸が、きゅ、と痛んだ。
首輪が鳴りかける。
私は、笑わない。
泣かない。
ただ、息だけで、返す。
【ごめん】
リオンが首を振る。
違う、と。
違う違う、と。
そして彼は、いきなり立ち上がった。
足元がふらつくのに、躊躇しない。
私の浮いた身体に、両腕を回してくる。
ぎゅう、と。
骨が鳴るほど、抱きしめてくる。
心臓が跳ねた。
首輪が「ちりっ!」と鳴って、刃が喉の奥を撫でる。
私は、死ぬ。
このままじゃ。
なのに。
リオンの腕は、離れない。
「……いた」
彼の息が、震えて頬に当たる。
「……ずっと、いた」
泣き声みたいな吐息が、私の首の横でほどける。
私は、抱き返せない。
力を込めたら、心拍が上がる。
でも、必要だった。
この重さが。
この温度が。
“生きてる”という事実が。
私は息を、細く、細く整える。
首輪の刃を、遠ざけるために。
そして、空に落とす。
声の代わりの、約束。
【もう、離さない】
リオンが、私の肩に額を押しつけて、小さく頷いた。
その頷きが、私の中の何かを満たした。
必要。
ずっと空っぽだった場所に、やっと入ったもの。
その瞬間。
空の巨大モニターが、勝手に切り替わる。
【地下扉:処理連動 停止 確認】
【対象:リオン 処理 未実行】
コメントが降る。
怒りじゃない。
祈りでもない。
ただ、ひとつの多数派の言葉。
【よかった】
【生きてた】
【抱きしめて】
私は笑えない。
でも、息だけで、頷く。
そのとき。
別のテロップが、混ざった。
冷たい、機械の字。
【通知:回線中継点 別系統 稼働】
【推定:黒礼拝堂 深層】
扉の奥。
さらに下へ続く階段が、暗闇の中で口を開けていた。
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